僕は連休を特別かつ勝手に長期化させてる(後編)

僕独自の休日は他にもある。

たとえば「年末の最終の週と年始の最初の週は有給の週」とか。

これは、どうせこの期間は勤勉な国民でも働いてないだろうとたかを括ったジョーが、自分のために特別かつ勝手に作った休週である。

この独自休週のおかげで、先の年末年始は夢のようであった。

数学的な確実性を持って40億円も宝くじで儲けたあるアメリカ人夫婦の話(後編)

あいにく、ジェリーがWinFall宝くじのカラクリに気づいた数年後、ミシガン州はこの宝くじを廃止してしまう。理由は、皮肉にも人気がないことだった。

だが、セルビー夫婦はまったく同じルールの宝くじがマサチューセッツ州にもあることを知る。そこで2人は、1500キロ離れたマサチューセッツ州までわざわざ車で行き、州境にある2つのコンビニで60万ドル分(8900万円)の宝くじを購入した後、近くの安ホテルで各くじの当たり外れを確認するという旅を年7回行うようになる。

実は、この最後の確認が大変だったらしい。

数学的な確実性を持って40億円も宝くじで儲けたあるアメリカ人夫婦の話(前編)

「宝くじは買わないと当たらないんだ」

こう断言してはサマージャンボと年末ジャンボを買い続ける僕を多くの人は揶揄するが、アメリカには数学的な確実性を持って2600万ドル(40億円)も宝くじで儲けた人たちがいる。

彼らの名前はジェリーとマージ・セルビー(Jerry and Marge Selbee)。人口1900人で信号が1つしかないミシガン州のエバートと呼ばれる小さな町に、子供の頃から住んでるありふれた夫婦である。

弁護士で溢れかえってる米国では、スポーツ業界にまで弁護士が浸透している(後編)

他方、日本の感覚だとなかなか理解しにくいのが、スポーツ業界にいる弁護士資格保有者だろう。

米国では、スポーツ選手の代理人、すなわちスポーツエージェントが弁護士であることが多い。これは一見意外に思えるかもしれないが、代理人の重要な役割は球団との交渉であり、契約周りを法律の専門家が担うのは極めて自然なことである。

弁護士で溢れかえってる米国では、スポーツ業界にまで弁護士が浸透している(前編)

米国では弁護士になりやすい。通常思われているよりずっと。

よって、米国では弁護士資格を持っている人がべらぼうに多い。

どれくらい多いかというと、2023年だけでも、8,000人近くがニューヨーク州の司法試験に、5,000人以上がカリフォルニア州の司法試験に合格している。つまり、たった1年で、13,000人以上の弁護士がたった2つの州から誕生しているのである。日本には合計45,000人しか弁護士がおらず、司法書士と行政書士を加えても国内で法律業務に携わっているのは10万人超なので、日本の感覚からすると、毎年数万人もの弁護士が誕生する米国は極めて異様だろう。

ハワイもそれなりに楽しいじゃん(後編)

だが、やはりというか、ハワイで何より素晴らしかったのはビーチである。

ハワイに滞在していた毎日、どんなアクティビティの予定があっても、必ず数時間はビーチ時間を確保するようにしていた。その時間帯にボーっとするのもよし。カクテルを飲むのもよし。本能赴くままに寝るのもよし。

そして、将棋を指すのもよし。

ハワイもそれなりに楽しいじゃん(前編)

A380に乗ることが目的だったハワイの旅。行く前はハワイ自体になんら関心がなかったのだが、戻ってきたら何ヶ月も余韻に浸ることになり、今となってはハワイを軽視していたことを猛省している。

ハワイといってもいろいろな島があり、僕が行ったのはカウアイ島。最も小さく観光客が少ない島で、日本人はほとんどいない。

そしてここは、森林が綺麗なことで有名である。

デカくて、すごくて、優越感たっぷりのA380の旅(後編)

ちなみに、飛行機好きは変なところに注目してしまう。

たとえば、安全のしおり。こちらで解説したとおり、どの飛行機も90秒以内に片側の出口から全員が脱出できるように設計されている。2階建てのA380はどういう設計になっているのだろうと思い安全のしおりに目を通したら、もちろん直接2階から地面に滑り降りられるようになっている。

デカくて、すごくて、優越感たっぷりのA380の旅(前編)

無事エコノミークラス(つまり1階)からビジネスクラス(つまり2階)にアップグレードされ、僕はA380の旅を満喫することとなった。

自分で言うのもなんだが、出発当日の僕のはしゃぎようは半端じゃなかった。チェックインの時から頭の中はA380に乗れる嬉しさでいっぱいで、フライトシミュレーターのことなどすっかり忘れてしまうほどだった。

このブログのファンへ、新たに立ち上げたサイトもよろしく(前編)

このブログを始めて15年経つが、一向に人気が高まらない。

僕の夢は、このブログが出版社の目に留まって本になり、それがベストセラーになってテレビドラマと映画になり、そのおかげで印税ガボガボのチョー有名人になることなのだが、その夢が叶う兆しはまったくなく、僕が毎日励んでる色紙のサインの練習は無駄になるばかりである。

ひょっとしたことで叶ったANAのA380に乗る夢(後編)

ということで、ANAのサイトにアクセスして妹が指定した便を検索すると、表示された価格は20万。金額にたまげて、これはプレエコを選んでしまったのだろうと思い検索し直すと...また20万円。コロナで飛行機代が高騰していると噂には聞いていたが、まさかハワイ行きのエコノミークラスが数十万円もするとは夢にも思っていなかった。

ひょっとしたことで叶ったANAのA380に乗る夢(前編)

僕の長年の大きな夢は「幻の飛行機」になりつつあるAirbus A380に乗ることだったが、去年の夏、その夢がひょっとしたことで叶った。

きっかけは、妹がハワイ旅行に行くと宣言したことである。

ハワイ諸島に特に関心がなかった僕は、それを聞いて「どうぞ行ってらっしゃい」と思ったのだが、ふと肝心なことに気づいた。東京〜ハワイはANAが唯一A380を飛ばしている便である。

そこで僕は尋問を始めた。

小室圭が担当している「G-BRIDGE」の業務は、日本の法律事務所では考えにくい(後編)

米国は弁護士が社会に満遍なく浸透している国である。一般人にまで浸透しているが故に「米国は訴訟社会」と言われるが、米国では公共の世界にも弁護士がわんさかいる。

米国政府の省庁には法務部があり、契約交渉や訴訟対応はそこにいる弁護士が担当する。自治体も同様で、州には法務部所属の弁護士がいるし、小さな自治体は町弁を顧問弁護士として起用している。こういった弁護士は、様々な縛りがある公共の世界の法律や慣習に精通している専門家である。

小室圭が担当している「G-BRIDGE」の業務は、日本の法律事務所では考えにくい(前編)

ローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)法律事務所で小室圭が担当している「G-BRIDGE」。これが一体どういう業務なのかあまり語られていないが、それは日本の感覚からして、法律事務所が行う業務としてイメージが湧きにくいからかもしれない。

G-BRIDGEは「Generating Business Relationships in the Defense and Government Environment」の略。直訳すると「防衛と政府の業界における取引関係の構築」だが、これだけでは具体的に何をしているのか分かりづらい。

このチームの業務の背景にあるのは、民間企業が政府と取引をする際の特殊性だ。

僕はボウリングやらダーツやらカラオケやら、とにかく娯楽が大好き(後編)

ボウリングのタイムリミットが来て次に向かったのは、同じ施設にあるダーツである。

ダーツは日本に戻って来てから始めた。大抵どこのバーにもあるので飲みにいくと自然にやるようになったのだが、ダーツは単にスコアを競うだけでなくゲーム性もあるので、3〜4人でやると特に盛り上がる。

いつしかダーツにハマるようになった僕は、自分のプレイを記録してレーティングもしてもらえるダーツカードやマイダーツを持つようになった。別にマイダーツを持つほどうまいわけではないが、2時間も遊ぶのであれば、マイダーツを持参したくなるものなのである。

僕はボウリングやらダーツやらカラオケやら、とにかく娯楽が大好き(前編)

僕は娯楽のために生まれてきたような人間である。実際、仕事をする必要がなければ、僕は終日娯楽に興じているであろう。

まさに今年のゴールデンウィーク前日はそんな1日だった。

有給を取ったその日はまず、ボウリングからスタート。

平日の真っ昼間だったので、15:00までの投げ放題で1500円という超お得な価格だった。よって、一緒に行った2人と狂ったように8ゲーム投げた。

有名になる夢が叶っても、いろいろずれたまま、思い通りにはいかなさそう(後編)

でも、たまには視聴者から「ジョーさんですよね」と声をかけてもらえるかもしれない。すると僕は、「あ、そうです!一緒に写真を撮ってあげましょうか?」と積極的にファンサービスを振る舞おうと頑張るだろうが、それが裏目に出て、「いや、別にファンじゃないので」とせっかく話しかけてくれた人にそそくさ逃げ出されてしまいそうである。

水原一平がやったことは、精神病になればやりかねない

賭博にはまり、何億円もの借金を抱えた挙句、大谷翔平から1600万ドル(25億円)も窃盗した大谷の元通訳である水原一平を、多くの人は「バカ」やら「最低の人間」やらと酷評している。

そういった描写を否定するわけではないが、僕は彼について「病人」と表現するのが最も相応しいと考えている。

そして、精神病の人は、合理的には説明できない行動に出る。

大谷はお金に無頓着であってはいけなかったのに無頓着だったから、詐欺にあってしまった

大谷翔平の元通訳、水原一平が米国で起訴された。起訴状を読めば、大谷が知らないところで水原が1600万ドル(約25億円)をも窃盗していたことは、もはや疑いの余地がない。

水原の欺瞞は相当深かった。

  • 大谷の野球選手としての給料が振り込まれていた銀行口座には、水原のメールアドレスと電話番号が登録されていた
  • 賭博業者への送金は、すべて水原のモバイルやパソコンから行われていた
  • 銀行から本人確認の電話があった時、水原は大谷に成りすまして大谷の個人情報を伝えていた

詐欺師が支配している銀行口座にプロスポーツ選手の給料が振り込まれてしまっているシナリオは、まさに以前紹介したペギー・アン・フルフォードの詐欺事件と同じである。

ここまで証拠が出てきているのにもかかわらず、まだ「25億円もの金がないことに気付かなかったなんてあり得ない」と大谷を疑っている人がいる。

だが僕は、別に大谷が騙されやすい世間知らずでなくても、彼が何も知らなかったことは十分あり得ると思っている。

僕は学歴詐欺だけはしていない(後編)

もとあれ、早期卒業はあっても留年は稀である米国では、4年間で大学を卒業するのが常識だ。

私立大学の4年間の学費は平均22万ドル(3000万円超)。留年は本人および家族の経済状況に打撃を与える一大事なので、大学側も各学生が4年以内に卒業できるよう最大限の努力を尽くす。ボストンカレッジにいた頃の僕は、1年生の時から指導担当の教授がついていて、毎学期、僕は彼から卒業に向けての進捗を確認されるだけでなく、次の学期で受けるべき授業について彼と協議していた。

僕は学歴詐欺だけはしていない(前編)

違法スポーツ賭博問題で注目されている大谷翔平の元通訳、水原一平。彼は、大谷がエンゼルスに在籍していた当時チームが配布した資料でカリフォルニア大学リバーサイド校の卒業生であるとされていたが、同校によると彼が在籍していた記録はないらしい。

どうやら水原は、金銭詐欺だけでなく学歴詐欺も犯していたようである。

最近の僕は高級チーズにハマってる(後編)

それ以降、僕は最高級のチーズを買うようになったのだが、数ヶ月経つと、このチーズも物足りなくなってしまった。庶民スーパーの最高級チーズの味を占めて、貴族の世界の人がどのようなチーズを食べているのか知りたくなってしまったのだ。

僕が知ってる貴族の世界とは、豆腐が1丁300円するお店。ということで僕は成城石井に行くことにしたのだが、そこのチーズ売り場を見てたまげた。

最近の僕は高級チーズにハマってる(前編)

僕は成城石井というスーパーが嫌いである。何年も前にふらっと入った時に豆腐が1丁300円もするのをみて、こんなボッタクリの店では絶対に買い物をするまいと誓った。

それなのに、最近の僕は頻繁に成城石井に足を運ぶようになっている。

事の発端はチーズにはまったことである。

超人気テレビ番組「ジャッジ ジュディ」のジュディ・シャインドリンと僕の最初の上司は、楽に仕事をしたがるアメリカの裁判官としては異例(後編)

僕はロースクール卒業直後、彼の元で裁判官の助手(law clerk)を務め、当時の勤務時間は公務員の標準である8:30~16:30と規定されていた。だが、面接の時、冒頭に「私は5:30に出勤するので、君には7:30までに来てくれないと採用できない」と言われ、まさか「イヤです」とも答えられなかったので、毎日かっちり7:29に出勤する羽目になった。さらには、上司は18:00まで仕事をしていたので、後から出勤した僕は先に帰るわけにもいかず、いつも帰宅は19:00頃だった。

超人気テレビ番組「ジャッジ ジュディ」のジュディ・シャインドリンと僕の最初の上司は、楽に仕事をしたがるアメリカの裁判官としては異例(前編)

アメリカの超人気リアリティ法廷番組「ジャッジ ジュディ」で主宰を務めたジュディ・シャインドリン。今でこそ約5億ドル(約700億円)の億万長だが、彼女はもともとは普通の裁判官、つまりは公務員であった。

アホに対して正義を下すのが魅力のリアリティ法廷番組「ジャッジ ジュディ」(後編)

2つ目の件は子供の死が絡んでおり、通常よりずっと重い内容の訴訟だ。

背景はこうである。

女性Cの家に女性Dの14歳の娘が遊びに行った。Cは常に車の中に鍵を入れっぱなしにしており、未成年の息子がたまに運転することを許容していた。事故があった日、Cの息子を乗せた車をDの娘が運転していたら、車が転覆してしまい、Cの息子は無事だったものの、Dの娘は即死してしまった。

アホに対して正義を下すのが魅力のリアリティ法廷番組「ジャッジ ジュディ」(前編)

"裁判官"であるジュディ・シャインドリン(Judy Sheindlin)に5億ドル(約700億円)もの資産を生み出した超人気リアリティ法廷番組「ジャッジ ジュディ」。僕自身、この番組を見始めたらやめられない。

その魅力はどこにあるのか。それはきっとアメリカ人のアホさとそれに対してスパッと正義を言い渡す爽快感だろう。悪に対して正義を下すのが半沢直樹なのであれば、アホに対して正義を下すのがジュディ・シャインドリンである。

“裁判官”として700億円も稼げる「リアリティ法廷番組」は、アメリカの訴訟社会を象徴している(後編)

では、旅費に加えて賠償金まで負担する番組側にどんなうまみがあるのかというと、もちろん視聴率である。

リアリティ法廷番組は平日の昼間に主婦向けに報道される。「ジャッジ ジュディ」は多くある番組の中でも最も人気が高く、毎日1000万人もの視聴者がいる。安定したターゲット層が毎日1000万人も見ていれば、相当なCM広告費が期待できるだろう。

“裁判官”として700億円も稼げる「リアリティ法廷番組」は、アメリカの訴訟社会を象徴している(前編)

アメリカで最も裕福な女性を調べると、必ずジュディ・シャインドリン(Judy Sheindlin)という名前が出てくる。5億ドル弱(約700億円)もの資産を持っている彼女は、驚くことに、その財産を裁判官として築き上げた。

もちろん、裁判所で民事訴訟や刑事事件を裁く裁判官としてではない。「ジュディ・シャインドリン("Judge Judy")」と呼ばれるアメリカの超人気リアリティ法廷番組の主宰としてである。

このリアリティ法廷番組ほど、アメリカの訴訟社会を象徴している番組はないだろう。

小室圭の異動と日本製鉄のアドバイザーになるとの憶測について考えること(後編)

【日本製鉄がわざわざローウェンスタインを起用するメリットは見当たらず】

日本製鉄によるUSスチールの買収を機に小室圭が日本製鉄の国際貿易のアドバイザーになるのではないかと憶測されているが、僕としては「そんな簡単に行くだろうか」と思ってしまう。そもそも、日本製鉄ともあろう大企業には既に米国系法律事務所がついているはずで、既存の関係を引き離すのは大変である。

小室圭の異動と日本製鉄のアドバイザーになるとの憶測について考えること(前編)

最近、小室圭が入所2年目にして違う部署に異動し、USスチールの買収を発表した日本製鉄のアドバイザーになるのではないかとまで憶測されている

小室圭がいる世界にいたことがあり、彼が所属していたローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)法律事務所から内定を貰っていた者として、僕なりの考えを述べてみたい。

「飛行機事故検証マニア」として、羽田空港衝突事故について思うこと

飛行機事故検証マニア」として、羽田の滑走路衝突事故に関して思うことを書いてみることにした。なお、これを機会に、以前書いた「航空事故を生き延びるための三つの秘訣」にもぜひ目を通していただきたい。

この事故については、多くの人が「なぜ起こったのか」という点に最も関心を持っている。事故の原因については過去の類似した事故が参考になると思えるので、過去にあった主な滑走路衝突事故と原因を最後にまとめてみた。

本文では、あえて他ではあまり強調されていない次の2点について語りたいと思う。

  1. この事故では、旅客機の方で1人も死者が出なかったという「成功」があったこと
  2. 今後の防止策として謳われている自動化は、有力な手段だが限界があること

ゼロ金利の弊害、WeWork(後編)

僕がWeWorkのことを知ったのは、会社が上場のための書類である目論見書を公開した頃であった。前職時代に目論見書を作成する仕事をしていた僕は、当時物議を醸していたWeWorkの目論見書を読んでみたくなったのだ。

目論見書に目を通してみると、冒頭からおかしな記載がある。創業者であるアダム・ニューマン(Adam Neumann)が「Adam」と表現されているのだ。いくらファーストネームで人を呼ぶのが当たり前の欧米でも、目論見書のような正式な書面では「Mr. Neumann」と表現するのが常識である。

ゼロ金利の弊害、WeWork(前編)

僕は金融危機のニュースを追うのが好きである。銀行の破綻とか大企業の粉飾とかのニュースからは目が離せない。

近年、そんな僕の関心を最も引いたのがWeWorkである。

WeWorkは2023年11月に経営破綻したが、その頃には世間から既に忘れられており、話題になっていたのは4年前に会社が上場しようとして失敗した時である。

WeWorkのIPO失敗ほど、10年間続いたゼロ金利政策の弊害を象徴している出来事はなかった。

2023年は、「生きること」の意義についてたくさん考えた年でした

今年の春、母方の祖父が103歳で亡くなりました。偉大な人生を生きた祖父について書くことも考えたのですが、私は「死」というものが堪らなく苦手で、「死」について考えようとすると思考停止状態に陥ってしまいます。よって、今年は祖父の「死」についてではなく、自分の「生」に対する考えについて書くことにしました。

アメリカの大学スポーツに対する感覚では、日大のアメフト部廃部は考えられない(後編)

卒業してからは、チームの成績が悪ければ監督の解雇を求める地元の新聞に賛同し、新しい監督に年間1億円しか支払われないことを知ると、ケチったことで知名度が高い監督を起用できなかったことに憤った。

僕は決して熱狂なファンではない。母校チームの成績も良い年で勝率5割だ。それでも、アメフト部が廃部されれば、毎年行っている大学への寄付を確実に止めるだろう。

アメリカの大学スポーツに対する感覚では、日大のアメフト部廃部は考えられない(前編)

国内のアメフトファンなら知らない人はいない日本大学のアメフト部が廃部された。それも選手の不祥事によって。

この問題については、大学側の責任や選手側の権利の観点から多く語られているが、あえて僕は注目されてない「ファン」という視点で語ってみたいと思う。なぜなら、ファンも(選手ほどではないにせよ)明確なステークホルダーだからだ。

最近知った、団体戦で楽しむ将棋(後編)

さらには、指してる時の気持ちも変わる。団体戦ではチェスクロックというものを渡され、一定の時間内に対局が終わることが求められる。個人的に指してると、時間制限があろうがなかろうが負け将棋はさっさと切り上げたくなるのだが、団体戦になると、なんとか反逆できないかと粘り、負けるにしても最初に負けてチームの士気を下げるようなことだけは避けねばと考えるようになる。

時計も食事も身の程をわきまえたい(前編)

夏にハワイ旅行に行った最後の晩、とてもいいレストランで食事をした。どれだけ豪華だったかは、ドリンクメニューを見れば一目瞭然だった。

カクテルが2000円。グラスのワインが4000円。通常ならカクテルを1杯飲んでからワインを2杯ほど嗜むのだが、この時ばかりはジントニック1杯で我慢し、食事も一番安いコースに追加オーダーなし、という大食の僕らしかねぬ行為に出ざるを得なかった。

身の丈に合わないレストランに入ってしまったことをしみじみ反省していたら、数年前に起こった銀座の時計屋でのできことが蘇ってきた。

スヌーピーの兄弟オラフに溢れる僕のリュックは、可愛いを通り越して不気味らしい(前編)

最近、ある幼い女の子に「あなたの好きなキャラを教えてください」と聞かれ、僕は即答できた。「オラフだよ」と。

オラフといえば「アナと雪の女王」の雪だるまキャラを思い浮かべる人が多いだろうが、僕が好きなオラフはもっと前から存在する、ずっとマイナーなキャラである、スヌーピーの兄弟だ。

高校の人気投票で健闘した僕は、卒業式でスピーチをする羽目になった(後編)

先生の1票の方が圧倒的に同級生の1票より重い。肝心の先生票ではどうみても出木杉くんの方が優勢で、僕はホームルーム票を総取りするくらいでないと勝ち目がなかった。その点、人望がある首席くんが立候補しなかったのは痛かった。彼がいればエリート票が割れ、庶民の票を固めた僕が出木杉くんをホームルームで上回る可能性が高まったのに。

「リスクがなくて短期で儲かる投資」を試して、やはりあり得ないと痛感する(前編)

「ローリスク、ハイリターンは詐欺」と確信しているくせに、僕は最近、「リスクがなくて短期で儲かる投資」に手を出してしまった。

投資先は別に怪しい商品ではない。AMCと呼ばれるアメリカの最大手映画館運営会社が発行している上場株である。

破綻寸前の会社の、それも優先株という一般的ではない証券を買うことにしたのは、それなりの理由があった。

意外かもしれないが、僕は食生活も、読む活字も、仕事の仕方も、極めてジャパニーズ(前編)

僕は日本生まれの日本育ちなのに、アメリカ生活が長いせいか、いろいろ誤解されている。

たとえば、食生活。僕の食欲は部活帰りの高校生並みだが、好きなのは和食だ。外食すると和食の店しか選ばず、もっぱら魚と野菜ばかり食べている。

ところが、ジョー=アメリカンのイメージが強いせいか、多くの人は僕が毎日肉をがっつり食べていると勘違いしている。接待でステーキ屋なんかに連れていかれるのはありがた迷惑で、そんな時の僕は、ステーキを食べながら翌日の献立を刺身と納豆のどちらにしようかと悩んでたりする。

今となっては信じられないが、僕は大学で数学の専攻だった(後編)

ところで、僕には小学・中学まで一緒だったある幼馴染の友達がいる。当時の彼は、塾という下駄を履かせていた僕の影に隠れてしまっていたが、今振り返ってみると、彼こそが我が学年での本当の「数学の天才」だったのだと思う。

というのも、彼は工科大学を卒業し、大学院まで進学し、今は大学で数学を教えている。僕と違って、正真正銘の数学者である。

小室圭の世界にいた時の僕は、危うく金銭感覚が狂うところだった(後編)

その数ヶ月後、ある案件で届出のために3万円弱の費用が発生することが判明した。つい最近まで公務員だった僕からしたら3万円は結構な大金だったので、これを支払っていいものか上司に相談しに行ったら、「そんな少額で相談に来るな!」と怒鳴られながら追っ払われてしまった。よくよく考えてみたら、この人はクライアントに対して1時間8万円請求しているのだ。その感覚からしたら、確かに3万円は大した金額ではない。

小室圭の世界にいた時の僕は、危うく金銭感覚が狂うところだった(前編)

小室圭がいるような法律事務所に在籍していたことがある僕は、給与と金銭感覚の面で随分と波乱万丈な道を歩んできている。

実は僕は、キャリアを公務員として始めた。いずれは企業法務に携わるつもりでロースクール時代に法律事務所から内定を貰っていたのだが、少しは「人のために尽くす」という弁護士の本来の姿を経験した方が自分のためになるだろうと思い、1年間だけ、ニュージャージー州で裁判官の助手であるロークラーク(law clerk)という仕事に就いていた。

僕はアメリカの感覚でも大食のようだ(後編)

ちなみに僕は、「2時間制の席です」と言われながら3時間居座ることがしょっちゅうある(食べ放題以外で)。店からすると、1時間かけて雑談の合間につまみ3皿をちょびちょび食べる客が3回転するより、メニューを総なめしてくれる僕と連れが3時間席を独占した方が儲かるのだろうと、僕は都合よく算盤を弾いている。

僕はアメリカの感覚でも大食のようだ(前編)

僕はよく食べる。育ち盛りの高校生並みに食べる

そこまで食べると、店の人に色んな反応をしてもらえる。

たとえば、居酒屋にとって品書きの端から端まで注文して平らげてもらえることは爽快感が湧くらしく、勘定をしながら「見ていて気持ちがよかったです」と笑顔で喜んでもらえる事がしばしばある。ちなみに、飛行機のビジネスクラスで同じことをしても、なぜかあまりいい顔をされない

「評論家」の基準~単なる「意見屋」との違い(後編)

4)ニュアンスを理解できる

世の中は複雑であり、どんなことにもニュアンスがある。マイケル・ベイは爆発をバンバン起こすことくらいしか能がない監督だが、「アイランド」(2005年)のように観る価値がある映画を稀に作ることがある。「タレント議員は無能だ」とよく言われるが、参院議員として史上最多当選(8回)している山東昭子は遥か昔タレントであった。絶対的な発言しかしない人は、「評論家」として未熟である。

「評論家」の基準~単なる「意見屋」との違い(前編)

何も変えようとせず、何も変えられる立場にもなく、言いたい放題である「評論家」は結構無責任であるが、それでも単に意見を述べるだけの「意見屋」よりはましである。

世間には自分の意見を述べることに人生を捧げている人が少なからずいるが、そんな人たちが「評論家」として認められるべきか、それとも「意見屋」として見下されるべきかを判断するにあたって、僕は次のような基準を参考にしている。なお、すべての基準において映画と政治の評論の観点で説明しているが、それは僕自身がその二つの分野について詳しく、最も自分が「評論家」に近いであろうと考えるからである。

やさしいより厳しいほうが「いい人」の場合もある(前編)

僕は長い間、人には「いい人」という要素さえあれば十分だと思っていたのだが、いろんな人に会えば会うほど、世の中そう簡単ではないと考えを改めるようになった。

たとえば、「いい人だけど頼りがない人」。そんな人は誰しも親族や同僚に一人くらい思い浮かぶのではないだろうか。こういう人たちは純粋な心の持ち主で、悪意はなく、悪いこともできないが、困った時にあまり当てにならないと言う意味では物足らない。

頼りない人は害にもならないかもしれないが、世間には「いい人」だからこそ害を与える人もいる。

小室圭の勤務先でレイオフ(大量解雇)があっても、彼の年次は対象に含まれない(前編)

アメリカのIT企業によるレイオフ、いわゆる大量解雇が日本でも物議を醸しているが、景気が後退するといずれは大手法律事務所も煽りを受けるのがアメリカである。特に金融に依拠しているM&Aなどの分野が強い法律事務所は、景気の動向に左右されやすい。(余談となるが、会社更生や訴訟といった分野は、反対に景気悪化に強い)

そうなると気になるのが、コーポレート関係の仕事がしたいと言って小室圭が就職した法律事務所ローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)が、16人解雇したという報道である。対象となったのはスタッフであるが、いずれは弁護士にも広がる兆しを感じさせる驚きのニュースである。

競合がいなく需要もない僕の二つの専門(後編)

僕は憲法が大好きだったくせに、ロースクール卒業、ニューヨークの法律事務所に入所し、企業が市場で資金調達することを法的に支援するキャピタルマーケッツという部署に所属して、憲法とは無縁の生活をしていた。そして、僕はそこでハイイールド社債(high yield bonds)というものについて学んだ。

競合がいなく需要もない僕の二つの専門(前編)

ある会食で隣に座ってた人の話を聞いていたら、驚くことに、彼はアマチュアボディビルの日本一なのだそうだ。

これはすごいと思って深掘りしてみると、ボディビルはレスリングのようにウエイトクラス(および年齢クラス)というものがあり、一定のクラスではそもそも参加する人が皆無なので、参加するだけで一位になれるらしい。

なるほど、競合がいなければ日本一になれるんだ、と感激していたら、実は自分にも同じ消去法で(日本一とは言わずとも)国内有数になれる分野が二つだけあることに気づいた。

ファーストクラスのいろいろ(後編)

もっとも、上には上がいれば下には下がいることも然りであり、これはファーストクラスでも同じである。

数ヶ月前、ひょっとしたことで知り合いになったアメリカの大学生が日本に来るというので、人生の先輩かつ社会人として、僕からしたら結構なお値段である寿司屋のすしざんまいでお昼を奢ってあげることにした。真昼間だったものの、「僕も飲むから君も飲め」って促したら、「実はちょっと飛行機で飲みすぎて...」みたいなことを言い出したので、何があったのか聞いてみると、なんとファーストクラスで来日したのだそうな。

学生の身分で。初めての日本に。それもファーストクラスを独占して。

ファーストクラスのいろいろ(前編)

この前、久しぶりにアメリカに行った。別に小室圭の勤務先について調査しに行ったわけではなく、コロナ期間中にだいぶ貯まったマイルを失効する前に使い切ろうと思っただけである。

コロナが落ち着きつつある昨今、航空会社は大層繁盛しているようで、ビジネスクラスへのアップグレードは最後まで待たされたが、間際になんとかアップグレードされ、無事、エコノミークラスのチケットで優越感たっぷりの旅を楽しめることになった。

ということで、僕はいつも通り早めに空港に足を運び、ラウンジでうどんを三杯、いなり寿司を8つ、ミニおにぎりを数えきれないほど食べた。ワインも飲んでだいぶできあがってきた頃、「そろそろ搭乗時間だな」と思って出発便案内のモニターを確認すると、NY便は「定刻」となっていたので、すぐに荷物を纏めてゲートに向かった。なぜ最後までラウンジにいないかというと、さっさと搭乗して後から乗ってくる乗客に優越感を感じたいためである。

ニューヨーク・ニュージャージーの現役弁護士から聞いた、小室圭の勤務先の評判(後編)

【ニュージャージー州にいる友人の印象】

では、ローウェンスタインの本拠地であるニュージャージー州での評判はどうであろうか。

ニュージャージー州には弁護士になった友人が多くいるので(注:米国では弁護士になりやすい)、彼らと夕食をしながら、同じくローウェンスタインの話を振ってみた。

ニューヨーク・ニュージャージーの現役弁護士から聞いた、小室圭の勤務先の評判(前編)

小室圭が所属しているローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)は、僕自身内定を貰っていたのでそれなりに馴染みのある法律事務所だ。さらには、ローウェンスタインの本拠地であるニュージャージー州で学生時代を過ごし、小室圭と同様にニューヨーク州の法律事務所で働いていたので、ニューヨークとニュージャージーの法律事務所の事情に関して詳しい友人が多くいる。最近アメリカに行ってきたので、そんな彼らに今のローウェンスタインの評判を聞いてみた。

神様から見た、ジョーのヘボ料理(後編)

食品をしまってご飯を炊き始めたら、書斎でブログを書き始めた。ご飯が炊けてる間におかずを作った方が効率がいい。そんな考えには及ばないようである。

ご飯が炊けて、やっとキッチンに向かう。そこで慌ててエビとイカとアサリをレンジで解凍しているが、温度が高すぎて時間が長すぎるので、解凍を超えて火が通りすぎている。もう炒める必要はなさそうである。

神様から見た、ジョーのヘボ料理(前篇)

吾輩は神様である。神様である吾輩に、ジョーは毎週のように「なぜ僕の料理がまずくなるのか教えてください」といった嘆願をしてくるので、願いを叶えてやるために、ある日曜日のジョーの様子を観察しみることにした。

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夕食の準備のためにスーパーで買い物をしているジョー。どうせいつもどおり麻婆豆腐を作るのだろうと思っていたら、CookDoの八宝菜の素を手に持ってじっくり悩んでいる。どうやら今日は無謀なチャレンジに挑戦したい気分のようであるが、慣れないことはやめておけとアドバイスしてやりたい。

僕はつまらない人間が嫌いである(後編)

しかし、そこで気付いた。そういう神経だからこそ、つまらない人間になるのだ。学歴だけが根拠のプライドで自分は賢いのだと信じて疑わず、自分が知らないことや想像できないことについて否定的になり他人の話を聞かない。だから、永遠と自分の小さな世界から出られない。

僕はつまらない人間が嫌いである(前編)

僕は八方美人だ。でも、そんな僕でさえ、ある種の人間からは好かれずとも構わないと思っているし、僕もその種の人間に対しては嫌悪しか感じない。

その種の人間とは、つまらない人間である。そして、そういうつまらない人間にこそ、学歴が高いエリート職に就いている人物が多い。

僕はコンビニの元バイトのツダくんに勝利宣言する(後編)

こうして僕とツダくんは、ほとんど顔を合わせない関係になってしまった。 そんな休戦状態が何ヶ月も続いていたある日、コンビニの前を通ったら、改装工事のために閉店していただけでなく、こんな張り紙まで貼られていた。 バイト募集とは!これは経営者が変わったのだろうと推測し、僕は良きライバルであったツダくんとの思い出にふけるだけでなく、彼の運命まで心配した。

僕はコンビニの元バイトのツダくんに勝利宣言する(前編)

近所のコンビニのバイトのツダくん。優秀な彼とポイントカード読取機を交えてバトルを繰り広げていた僕は、とうとう彼に対して勝利を収めることに成功した。

一時期はだいぶ劣勢だったのだ。

昨年家族から指摘を受けたとおり、このコンビニのポイントカードは200円未満の買い物ではポイントがつかない。ところが、通常僕がこのコンビニで行っている買い物は、130円のサラダミックス。つまり、2年近く、僕はまったくもって無意味な行動に奮闘していたわけである。この恥ずかしい事実が判明した直後から、僕はポイントカードを出すのをやめた。

たまにビジネスクラスで飛ぶと、僕はここぞとばかりにがめつく(後編)

さて、飛行機が離陸すると食事が始まり、僕にもエンジンがかかる。

離陸直後の夕食は和食か洋食かを選ぶ必要があり、「両方」という選択肢はない。メニューにはご丁寧にも僕のような意地汚い客向けにわざわざ「お一人様おひとつずつです」と書いてある。ちなみに、エコノミークラスにはそういった制約がないので、大食の方はぜひ「余ったら二つください」と注文してみることをお勧めする。

たまにビジネスクラスで飛ぶと、僕はここぞとばかりにがめつく(前編)

ふとテレビを観ていたら、某航空会社の乗務員がビジネスクラスで飛ぶ顧客の色々を語っていた。

彼女は「ビジネスクラスに慣れていらっしゃるお客様と違って、たまに飛ばれる方は。。。。」というようなことを言いながら、さりげなく、ビジネスクラスに慣れていない客は手間がかかることを示唆していた。

これを聞きながら、「あ、まさに僕のことだ」と思ってしまった。

2022年は常にチャレンジし続けることの重要さを認識した年でした

本年も残すところわずかばかりとなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。

さて、今年の春、私は職場で昇進しました。正直、少々遅かったです。

私は極めて能天気な性格です。それは仕事に対する姿勢にも言えることで、良い同僚に囲まれ、やりがいを感じていれば、私はそれ以上のことを仕事に求めてきませんでした。結果として出世欲を持たないことになったのですが、それは美徳であるとさえ自負していました。

しかし、昇進が遅れ、昇進するために何が欠けているのかを真剣に考え、やっと昇進できたことで、ひとつ悟ったことがあります。それは、意欲とチャレンジと成長は切っても切れない関係にある、ということです。

2000円札は、実は1円玉や5円玉より便利(後編)

もっとも、大半の人が2000円札が不便だと思い込んでいることには、それなりの理由がある。

2000円札はもともと、西暦2000年とその年に実施された沖縄サミットを記念して、1999年に当時の小渕恵三首相により発案され、2000年に発行が開始されたものである。公表から発行まで1年間しかなく、この期間は異常に短い。現在予定されている新紙幣への改刷は、2019年4月に公表され2024年上旬に発行が始まるので、5年近い期間がある。偽造対策のために実施された前回の改刷は、2002年8月に公表され2004年11月から発行が始まり、早かったと言われながらも2年3ヶ月の期間があった。2000円札の1年間がどれだけ短かったかがよく分かる。

2000円札は、実は1円玉や5円玉より便利(前編)

久しぶりに郵便箱を確認したら、こんなものが入ってた。 「2千円札だー!」と思って興奮したものの、よくよく見たら、menu株式会社発行の2400円札であった。 賭けてもいいが、僕が愛用している2000円札の方が、この2400円札よりずっと実用性がある。 というか、そもそも2000円札を"不便な紙幣"と考えるのは、とんでもない誤解である。

米国中間選挙を解析!(後編)

【上院の予想】

注目されている上院の議席を投票終了時間の順に解析していこう。時間はすべて11月9日(水)の日本時間。

リマインドとなるが、共和党が一つでも議席を増やせば過半数を獲得する。以下の予想では、ネバダ州で共和党が民主党から議席を奪い、(後日の決選投票に持ち込まれるであろうジョージア州の結果に関わらず)共和党が僅差で上院の過半数を獲得すると予測している。

米国中間選挙を解析!(前編)

アメリカ大統領任期4年の2年目にある中間選挙が11月8日(火)に実施される。多くの大統領にとって鬼門となるこの選挙を、バイデン大統領は克服できるのか。解説を兼ねて予想してみたい。

日本語が宝の持ち腐れになってしまうから、僕は小室圭の法律事務所の内定を辞退した

小室圭が無事ニューヨーク州の司法試験に合格したそうである。これで彼もやっとニューヨークの弁護士としてスタートを切れる。 実は僕は、小室が現在勤めているLowenstein Sandler(ローウェンスタイン・サンドラー)と呼ばれる法律事務所から内定をもらっていた。小室の先輩になっていたかもしれないと考えると、ちょっと感慨深い。 当時、僕はLowensteinの他にもう一つの法律事務所から内定をもらっていた。二つの事務所は大きく性質が異なっていたのだが、今振り返ってみても、最終的にLowensteinの内定を辞退したことは正しい選択だったと思う。

“実務”しかできず”仕事”ができない管理職は淘汰すべし(後編)

10年ほど前、Bさんには優秀な部下がいた。彼はそつなく実務をこなせるだけでなく、管理職になれるリーダーシップの要素も持っていたのだが、当時のポジションが大変居心地が良かったようで、現状に満足しちゃっている節があった。ある時、Bさんはそんな部下を呼び出して、次のように伝えた。「あなたがこの会社で学べることはすべて学んだ。これ以上在籍していても成長できないので、半年以内に転職先を探しなさい」。

つまり、優秀な部下に対して引導を渡したのである。その後彼は無事転職できて、現在は大企業の上層部にいるらしい。数年前にBさんが彼の妻と再会したら、「あの時に夫を辞めさせてくれてありがとう」とお礼を言われたそうだ。

“実務”しかできず”仕事”ができない管理職は淘汰すべし(前編)

「Aさんは仕事はできるんだけど...」と言った話を聞くと、僕は必ず訂正する。「それって、『仕事』じゃなくて『実務』のことでしょう」と。

なぜなら、必ずと言っていいほど「...」の後に続く話が仕事の一部である事柄ばかりだからだ。実務はあくまで仕事に一環でしかない。僕からしたら、実務しかできない人は仕事をこなしているとは言

Noとしか言えない法務部など不要(後編)

さらにAさんは、「法務部は法律の専門家なんだから、ビジネスサイドに対して上から目線で接していればいいのだ」という考えの持ち主であった。

これを聞いた僕は、驚くと言うより変に納得してしまった。

Noとしか言えない法務部など不要(前編)

最近、ある大企業の法務部に所属しているAさんと、「法務部のあるべき姿」について議論することになった。

僕の日常の多くは、ビジネスサイドからくる緊急依頼や難題をタイムリーかつ納得してもらえる形で対応していくことにある。これを聞いたAさんの感想は「ビジネスサイドに寄りすぎだと思います」といったものであった。Aさんによると、「明日までに必要だ」とか「これをしてくれないと困るんだ」といった依頼に対しては、「それはできません」とビシッと突き返すのが法務部としてのあるべき姿らしい。

人生を赴くままに楽しく生きてる僕が”自殺”したら、殺人犯を見つけてください(後編)

もし僕が自殺を疑われる形で死亡していたら、それは10000%の確率で殺人だと断言できる。地球が破滅するまで太陽が昇って夕日が沈むことが繰り返されるくらいに、僕の死が他殺であることは確実だ。

そんなわけだから、読者にお願いがある。僕が自殺をしたらしいという噂を聞いたら、直ちに犯人を探して欲しい。

人生を赴くままに楽しく生きてる僕が”自殺”したら、殺人犯を見つけてください(前編)

つい最近僕に会ったばかりのAさんが、長年の付き合いから僕を知り尽くしているBさんに対して、こんな質問をしたらしい。

「ジョーさんって、いったい何をしたいんでしょうか」

どうやら、将棋だの、政局だの、飛行機事故だの、映画評論だの、二千円札だの、コンビニでバイトしてるツダくんだの、何の関係性もない話に何時間も付き合わされたAさんは、これら話題のすべてがどう生産的な人生に繋がるのか、疑問に思ったらしい。

僕のアート才能は皆無未満(後編)

いくら努力してもこれを超える絵は描けなかったので、次に僕が向かったのは粘土のセクションである。粘度たっぷりの粘土を4分間ちぎったり固めたりしてできあがったのがこれだ。

もともとは太陽を作るつもりだったのだが、真ん中の丸と光線を5本くっつけた時点でもう少し工夫が必要だと考えて、光線を増やした。つい先ほど描画のセクションで、同じ"もの"を描いて同じ"工夫"をしたばかりだったことからしても、僕の想像力が絶望的に乏しいことがわかる。結局できあがったのは、太陽ともヒトデとも言えるようで言えない、極めて不気味な品物だ。

僕のアート才能は皆無未満(前編)

将棋、スポーツ、そして法律。僕に才能がないものをリスト化していったらきりがないが、その中でも筆頭にくるのが"アート"である。

そんな僕なのに、何を気が狂ったのか、友人の家族と共に「築地クリップ」というところに行くことになった。「子供がクリエティブに遊べる」ことをテーマとしているクリップですることは、絵の具で描いたり、粘土で作ったり、木のブロックで組み上げたりと、僕にとってこれよりの場違いな場所はない。

恥をかくことを覚悟しながらビクビク店に入ったら、誰の目にも入るところにこんな看板があった。

忙しくて大変そうな天才にもそのサポート役にも、同情は不要(後編)

このサイクルが永遠と繰り返されるサポート役は、ほとほと疲れてしまう。こういう人たちの口からは、もっぱら「OOOさんに付いていくのは大変なんです」とか「OOOさんと一緒にいると疲れます」みたいなぼやきしか聞こえない。そんな話をされると、僕としても労いの言葉の一つか二つをかけてあげたくなる。

しかし、よくよく話を聞くと、実は彼らも同情は不要だったりする。

忙しくて大変そうな天才にもそのサポート役にも、同情は不要(前編)

僕の周囲には、売上数十億円の会社を築き上げたり、ひょこっと首長になったり、天才というべきか実力者というべきか、並の人なら挑戦しようとも思わないことを成し遂げてしまう人が少なからずいる。

一時昔の僕は、こういう人たちを見ては、「行動力がある分、常に忙しくしていて、休暇どころか睡眠も取ってなさそうで大変だなあ」と同情していた。

八方美人といらぬ遠慮は反対に迷惑(後編)

この一連の出来事を観察しながら、僕は「自分が彼女の立場だったら、絶対にこんなすんなりには行かなかっただろう」と考えてしまった。

僕はファミレス店舗内といった狭い空間でも迷子になりかねないので、トイレから戻ってきて自分の席だと記憶しているところに他の客が座っていたら、まずはそれが自分の席だということに自信を持てず、"本当の"自分の席を探しに店の中を行ったり来たりしたであろう。

八方美人といらぬ遠慮は反対に迷惑(前編)

先日、自分の性格について改めて省みるちょっとした出来事があった。

その時の僕はファミレスにいて、既に注文を終わらせ料理が出てくるのを待っている状態だった。そこに手ぶらの女性一人が現れ、右隣の席に座った。彼女は座って早々にメニューを開き、店員が水とおしぼりを持ってくるのも待たず、スープとパスタを注文した。ちなみに、僕はちょっと前にじっくりメニューを研究した後、海鮮サラダとオニオングラタンスープ、ハンバーグとライスセットのフルコースメニューを注文したばかりだった。

悪循環に陥った株式市場には抗えない(後編)

すると定番のように出てくる話が、「粉飾決算」だ。どんな時でも業績が悪い会社は決算を粉飾してでも資金を調達しようとするが、市場が冷え込むと粉飾するインセンティブが高まる。そして、どんな粉飾も基本的には問題を後送りにしているだけなので、下落市場になるとある日突然自転車操業があっけなく崩壊する。

悪循環に陥った株式市場には抗えない(前編)

株式市場が長期的な弱気相場に入ったようだ。英語で言ういわゆるBear Marketだ。

これに突入すると、悪循環の始まりだ。

投資家というものは、いったん下落市場に嫌気が差すと、とにかく売却することにしか関心がなくなる。会社の業績がよければ株価は5%の下落、まあまあであれば10%の下落、最悪であれば20%の下落。どんな業績でも株価は上がらず、所詮は下げ幅の違いにしかならない。

低い投票率も金も無能な政治家も、「政治」にはつきもの(後編)

僕は政治と政策は切り離して考えるべきものだと思っている。日本は「多種多様な1億人」から構成されており、「政策」もその人数分だけ存在する。たった700人の国会議員だけを考えても、それぞれが自分の政策に拘泥したら、国会はカオス状態に陥ってしまう。政策に無頓着な人がいて、そういう人が政策に拘りがある人たちをまとめ上げているからこそ、国が麻痺しないで運営されていけるのだ。

司法試験に二回落ちた小室圭が優先すべきは、職ではなく試験(後編)

【優先すべきは仕事ではなく司法試験の合格】

小室圭は、遅かれ早かれローウェンスタイン・サンドラーから退所を促されるだろう。たとえ引導を渡されなかったとしても、自主的に退所すべきだ。

もちろん弁護士として採用された以上弁護士になれないのであれば辞めるのが筋という理由もあるが、もっと現実的な問題として、もはやローウェンスタインで仕事をしながら司法試験に合格することは困難すぎる。

暴落するかもしれない覚悟がないなら、株に手を出してはいけない(後半)

僕は投資に関するうまい話はありえないと確信しているので、今の世の中は下げ相場の兆候だと思えて仕方がない。

日常のように、SNSで株で儲けた話が投稿され、YouTubeで投資勧誘の広告が流れる。そして、何より、今まで投資をしたことがない人たちが、僕に投資の相談をしに来る。これはまさに、高校時代、株式市場大暴落の直前に、食堂のおばちゃんが僕に株の話を振ってきたことを思い出させる現象だ。

僕は演劇にも映画にも、大衆性と芸術性を求める(後編)

このように、僕は映画に対して常にエンターテイメント性を求めている。さらに、僕には「どんなジャンルにもいい映画がある」といった持論がある。思考が一切不要なアクション映画でも、馬鹿げたコメディでも、甘い恋愛物語でも、僕はいつも面白さを期待して決して映画の誘いを断ったりはしない。

しかし、だからと言って、観た映画のすべてが好きになるわけではない。というか、僕は映画の評価には厳しい方だ。「どんなジャンルにもいい映画がある」という考えの裏には、「どんなジャンルにもいい映画と悪い映画がある」という意味が含まれている。

では何が映画の良し悪しを分けるのかというと、実はそれは、僕のルームメイトが拘った芸術性なのだ。

僕は演劇にも映画にも、大衆性と芸術性を求める(前編)

僕は最近、小劇場というマニアックなジャンルの演劇にはまっている。その世界にどっぷり浸かっている知人の影響である。

先日その知人と一緒に芸劇サファリ・Pによる「第8回公演『透き間』」と呼ばれる演劇を鑑賞しにいった。1時間半に渡って俳優が走り、泣き、踊るのを観た後の僕の感想は、「?」でしかない。何しろ、最初から最後まで、一体何が起こっているのかさっぱり理解できなかったのだ。

こういうことを体験する度に、僕は「芸術」のあるべき姿について考えてしまう。

ジョーのインタビュー〜恐れる以上に得るものはない(前編)

以前からしつこく「俺をインタビューしろ」と言ってきてるジョー。うざいのでとにかく黙らせるために形式的なインタビューを行ったところ、どうせましな話は聞けないだろうと諦めていたら、恐れてた以上に得るものがなかった。

---本日のインタビューはさっさと終わらしましょう。

僕はいくらでも時間があるから、そんなに気を使わなくてもいいよ。

--そっちが良くてもこっちがイヤなんです。で、なんでそんなにインタビューをしてもらうことに拘るんですか?

それはさー、僕の夢って有名人になることなんだけど、インタビューを受けるってことは有名人になれた証じゃん。

そばが好きすぎて生活が破綻したあるそば好きの悲劇(後編)

数年後、そば好きの職場が変わりました。新しい職場はMinatoyaからだいぶ離れてしまいました。

するとそば好きは、Minatoya禁断症状にうなされるようになりました。我慢ができなくなると、2時間の昼休みを取ってMinatoyaに食べに行きました。そばを茹でてる人は、あまり来なくなったそば好きを心配そうにニコニコ笑いながら迎えてくれました。

そんなある朝、そば好きにMinatoya禁断症状と風邪の症状が同時に現れました。そば好きは、体調の大事をとるか腹具合の大事をとるか悩んだ挙句、体調の大事をとるという過ちを犯しました。

そばが好きすぎて生活が破綻したあるそば好きの悲劇(前編)

遠い昔、はるかかなたのどこかに、「島流しになったら持ち込みたい食べ物は何?」と聞かれると、「そば」と即答できるほどのそば好きがいました。

このそば好きは、赤の他人の選挙を手伝うために全国を回っては、そば屋に入ってもりそばばかり食べていました。そば好きにはそばに対する相当なこだわりがあったので、そば好きが「このそばはうまい」と思うことは滅多にありませんでした。ましてや、「このそばをまた食べたい」と思うことは稀でした。

僕が執着するツダくん(とワタナベくん)とのその後(後編)

そんなツダくんだが、最近一つ気になり始めたことがある。ツダくんが通っているはずの近所の大学では3年生になるとキャンパスが変わると聞いているのだが、ツダくんと僕とはコロナ前からの付き合いなので、未だに同じコンビニでバイトしているということは、彼が留年してしまっている可能性がある。ツダくん、学問の方は大丈夫か。

僕が執着するツダくん(とワタナベくん)とのその後(前編)

近所のコンビニでバイトしてるツダくん。僕の彼への執着は続く。

数週間前、僕はファックスを送るという、外国の感覚からすると時代遅れの行為に出る必要があったので、ツダくんがいるコンビニに向かった。

通常ならツダくんがいるとビクビクしてなかなか店に入れないのだが、この日ばかりは買い物をする予定がなく彼に烙印を押される恐れもなかったので、堂々と店に入ることができた。

周囲にいるヤバい人達を閣僚にする空想ゲーム、「組閣モノポリー」(後編)

知的財産戦略・科学技術政策担当大臣 H.S.さん (再入閣)〜 この人は実務能力が疑わしい一方で、終日でかい夢を追っかける話ばかりしている面白い人である。「夢を追っかけている」のではなく、「夢を追っかける話をしている」のである。よって、毎日花火を上げながら一年経っても何も変わらないので、僕としては理想な大臣だ。天真爛漫な性格で国民的人気が抜群なので、エンジニアの経歴を活かせるIT担当大臣のポストで1年ぶりの再入閣をお願いした。目玉人事だ

周囲にいるヤバい人達を閣僚にする空想ゲーム、「組閣モノポリー」(前編)

最近の僕は、「組閣モノポーリー」と名付けた自己開発ゲームで空想にふけている。

ゲームの設定とルールはこうだ。

  • 自分は内閣総理大臣
  • 現内閣は第5次ジョー第2次改造内閣
  • 直近の総選挙は2年前で、参院選も含むと大型選挙で8連続圧勝
  • 現在の内閣支持率は48.9%
  • 与党内の支持基盤安定化のために、内閣改造が必要
  • 周囲の友人、同僚、知人が全員入閣待機組(つまり、入閣させないと反乱を起こしかねない)
  • 周囲から第5次ジョー第3次改造内閣の閣僚を選定

この設定の中でどういう人事を行うかによってその人の政治姿勢が明らかになるのだが、僕の場合、政治的目標は迷いなく「節操ない内閣支持率の維持」なので、次のような基準で閣僚を選定していく。

「腕時計通貨」という、僕のややっこしい日常通貨(後編)

ということで、腕時計通貨で重要なのは、本数ではなく「機能」と「ブランド」を通貨単位にすることなのだが、ここで紛らわしいのが、「機能」の価値は実用性に反比例しているということだ。

たとえば、Seikoの時計は時間の正確性が売りだが、正確性と呼ばれる"機能"には「銭」レベルの価値しかない。「円」の価値がある機能といえば、ミニッツ・リピーターやパーペチュアル・カレンダーだろう。

「腕時計通貨」という、僕のややっこしい日常通貨(前編)

僕は50,000,000,000ジンバブエ・ドル札を持っている。

この紙幣の価値は、ハイパーインフレーションのせいで1銭未満。こんなに桁がある通貨でモノの価値を測っていたらエライことになりそうだが、実は僕は日常生活で「腕時計通貨」という僕特有の通貨を使ってモノの価値を判断しており、これはこれで十分ややっこしい。

2021年は希望と貢献感に溢れた一年でした

寒気いよいよ厳しくなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。

さて、今年は柄にもなく、少し仕事のお話をさせていただければと思います。

私の現在の仕事は、クラウドサービスの利用がまだ初期段階にある日本の公的機関に対して、その利用・導入を促すといったものです。 どの国でもそうですが、公共は事例と慣習が優先されがちな世界で、変化を起こすには膨大な時間と労力がかかります。

僕は近所のコンビニで働いてるツダくんに認めてもらいたい(後編)

こんな風に優秀なツダくんに烙印を押されると、僕は耐えられなくなる。彼の冷ややかな視線があまりに辛く、僕は時々、店に一歩足を踏みれて店員が彼しかいないのを見ると、脱出して5分離れたコンビニまでわざわざ足を運ぶことがある。

たまに、ツダくんではないバイトのお姉ちゃんがレジにいることがある。彼女は、僕がポイントカードを通すことに失敗しても「通らなかったみたいです〜」と寝ぼけた声で優しく接してくれるので、僕は彼女がいる時は勇気を振り絞って店に入り、列に並びながら彼女が僕の対応をしてくれることを祈る。

僕は近所のコンビニで働いてるツダくんに認めてもらいたい(前編)

コロナ禍が始まって以降、僕はほぼ毎日、近所のコンビニに、夕食で食べるサラダミックスを買いに行っている。

そして、そのコンビニでは、大学生のバイト(と思われる)ツダくんが店員として働いている。

このツダくん、僕が2年間観察した限りでは、とても優秀なバイトだ。挨拶は「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」とシャキッとした声でしており、レジの処理はテキパキと効率よくこなしている。利発そうだから、きっと近くのとても偏差値が高い大学に通っているのだろう。

そんな優秀なツダくんに、僕は間違いなくマヌケだと思われている。

僕は未だに現実に近すぎる留年の悪夢にうなされる(後編)

ボストンカレッジという素晴らしい大学に通った僕は、在学中に母校愛が育み、ロースクールも同校に進学すると決めていた。ところが、自信満々に提出した願書が呆気なく却下されてしまい、他のロースクールに1年間通った後、めげずに再チャレンジしてなんとかボストンカレッジに復帰した。しかし、編入という形での復帰だったことから単位の取得は常にギリギリで、3年生の最後の学期に必要な単位をぴったり取得した上で卒業するという計画を立てざるを得なかった。

そんな綱渡りのロースクール時代を何とか無事完結させようとしていた最終年の2学期目のある日、ロースクールの事務局から「あなたはこのままだと卒業に必要な単位がひとつ足らないことを把握されていますか」という、親切なのか恐ろしいのか分からないメールを受け取った。

小室圭の事務所プロフィールを、その世界から来たジョーが読み解く

前回は小室圭の就職先であるローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)について自分の経験を元に解説したので、今回は当事務所のサイトに掲載されている彼のプロフィールを(つい最近まで類似したプロフィールが公開されていた者として)読み解いていきたい。

【学位】

事務所のプロフィールによると、小室圭は2019年にL.L.M.と呼ばれる学位を、2021年にJuris Doctorと呼ばれる学位を取得している。

L.L.M.とは日本の大学の法学部を卒業した人が米国に留学する際に取得する学位で、1年間で取得できる。L.L.M.を取得すれば多くの米国の州で司法試験を受験できるので、日本企業の法務部社員や日本の弁護士が米国の弁護士資格を保有している場合、学位は大抵L.L.M.だ。

他方で、Juris Doctor(通称、「J.D.」)とは一般の米国人が弁護士になるために取得する学位で、取得するのに3年かかる。

学位がL.L.M.でもJ.D.でも米国弁護士になれるのだが、双方の大きな違いは、前者だと米国本土での就職に大変苦労することだ。その理由は簡単で、一般の米国人はほぼ例外なしにJ.D.を取得するので、法律事務所の採用活動もJ.D.取得者を対象としているからだ。(米国法律事務所の東京支部での就職は事情が大きく異なることに注意)

小室圭は当初L.L.M.プログラムに入り、その後J.D.も取得することにしたようだ。ニューヨークで勤務することを希望していたのであれば、これは賢明というより必須の決断であったと思われる。

小室圭の就職先を、その世界から来たジョーが解説

小室圭がニューヨークの法律事務所に就職したという報道があったのでググってみたら、なんと就職先はローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)法律事務所ではないか。

ローウェンスタインは僕が内定をもらっていた事務所。最終的に辞退したが、ひょっとしたら小室圭の先輩になっていたかもしれないと思うと、「小室圭文書パロディー」なんてものを書いたことをちょっと反省している。

僕の経験上、ローウェンスタインはなかなかの事務所である。つい最近まで小室圭が飛び込んだ世界にいた者として、彼の今の境遇を解説してみようと思った。

二階俊博を評価できなくては、政治は理解できない(後編)

二階は、自民党に復党した直後、旧保守新党のメンバーより構成する派閥「二階グループ」を立ち上げて会長を務めている。その後、自民党の総務局長(今の選挙対策委員長に相当し、党の選挙の責任者)に任命されると、2005年の郵政解散で自民党を圧勝に導き、子分を増やした。

二階俊博を評価できなくては、政治は理解できない(前編)

僕は自称「政局マニア」である。「政治」マニアではない。「政局」マニアだ。

そんな僕が政治において何より評価するのが、政治権力の獲得維持能力。僕にとって、政治家の政策や政治思想なんてモノは二の次にすぎない。

そういう意味では、この5年間、自民党を牛耳ってきた二階俊博幹事長は尊崇に値する。

4週間の休暇って、実は気楽じゃない(後編)

休暇の1週目は、やはりどうしても仕事のことが気になる。僕が休暇に入っていることをまだ知らない同僚の多くは、ガンガン連絡してきたり仕事を振ってきたりする。すべて1ヶ月間放置しちゃえばいい、と割り切れない小心者は、他人に仕事を投げることに追われる毎日になかなか気が休まらない。

4週間の休暇って、実は気楽じゃない(前編)

お盆である。夏休みの季節である。

「仕事が忙しすぎて休めない」なんて思ってるあなたに、いいことを教えてあげよう。あなたは自分が思っているほど重要な人材ではない。たとえ明日、あなたが急に失踪しても、あなたの勤め先は1週間くらい困った後、2週間後にはフル稼働に戻っているだろう。

10代のバイト、貴重な人生勉強(後編)

世間知らずの僕でさえも採用してくれる企業だったから、バイトの初日は研修から始まった。

研修の講師は気さくなおばちゃんで、そんな彼女に教わった一つが、会計を終わらせる前にカゴに商品が残ってないかを確認することの重要性だ。「カゴに残った商品の代金を回収しないことによる損害がバカにならないの」と説明しながら、「我が社の業績は厳しいからね…」と補足していた彼女の言葉が今でも忘れられない。大企業でも経営の不振が現場の人に影響を及ぼすのを目の当たりにしたこの瞬間は、当時でもとても感慨深かった。

10代のバイト、貴重な人生勉強(前編)

「お酒とバイトは中2から」。僕にはこんな持論がある。

「中2」とは語呂がいいから選んだ年齢だけであり、もちろん違法行為を推奨しているわけではない。この持論の趣旨は、お酒も労働もなるべく早く経験した方がいい、といった人生アドバイスである。

ナルシストの僕は、常に周囲に対して怒ってる(前編)

ナルシストである僕は、十分と僕に注目しない世間に対して常に怒っている。

たとえば、CM一本に出るだけでギャラを1億円も稼げるらしい元SMAPや嵐のやつらは、僕からしたら井の中の蛙。宇宙の中心的な存在(というか実際に中心にいる存在)である僕に対してCM出演の依頼をしない芸能界の人間に、僕は憤っている。

八方美人の僕は、幻の町の市長選に常に立候補している(後編)

つまり僕は、銀河の中心が銀河系であり、銀河系の中心が太陽系であり、太陽系の中心が地球であり、地球の中心が自分であると信じて疑わず、銀河の生物すべてが僕を褒め称えるのが当たり前だと思っているので、赤の他人が自分のことをどう思っているのかが気になってしょうがないのだ。

八方美人の僕は、幻の町の市長選に常に立候補している(前編)

「ジョー、みんなに好かれる必要はないんだよ」と同級生に揶揄され、「お前は救世主になりたいんだな」と友人に弄られ、「世の中には相性の合わない人がいることを覚えておきましょう」と性格診断テストにアドバイスされる僕は、俗にいう八方美人である。

僕が生きている限り、唯一の願いは、終日、世界のすべての生き物に、どの人間よりも好かれることだ。

社交性に長けているはずの僕は、怪しくて空っぽに見えるらしい(後編)

僕がこのように多くの新人さんをまめに歓迎していることを周囲に自慢げに語ったら、褒めてもらえるどころか、もう少し自分の立ち位置を踏まえて行動したほうがいいと釘を刺されてしまった。僕の役職を踏まえると、僕の「ようこそメール」は受信側からしたら相当怪しく映りかねないらしい。

社交性に長けているはずの僕は、怪しくて空っぽに見えるらしい(前編)

最近、ギャラップ社の「クリフトンストレングス」と呼ばれる性格診断テストを受けたら、上位の強みとして「社交性」が挙げられた。

社交性とは、「見知らぬ人と打ち解けて親しくなることから満足感を得る」資質で、これに長けている人は「社交的な場を盛り上げ、知らない人を自然に安心させることができる」らしい。早い話が、お調子者のムードメーカーだ。

「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に関するジョーの文書の後編(後編)

4【周囲の私の話に対する受け止め方とそれに対する私の考えとそれに対する周囲の反応について】

このように私としては有意義な情報を貴重な意見と共に伝える努力を最大限尽くしてきたつもりですが、いつでも、どこでも、誰からも、私が口を開く度に、屈辱的かつ人格否定的な発言及び行為が多く見られました[注7]。また、必ずしも否定的とは言えない振る舞いであっても、そっけない反応が多かったです[注8]。

「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に関するジョーの文書の後編(前編)

3【「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に対する私の認識について】

「1」で説明したとおり、今まで私は「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄について自分がどのように考えているのかを説明することはしてきませんでした。ここでは、この事柄について私がどう思っているのかを理解していただくためにも、改めて、「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に対する私の認識を可能かつ必要と思われる範囲で説明します。

「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に関するジョーの文書の前編(後編)

2【この文書を作成し公表することにした理由について】

まず初めに、この文書を作成し公表することにした理由について説明したいと思います。

詳しくは後出の「3 」で説明しますが、そもそも私は幼い頃からよく話す子供であり、成長するにつれてそれがますます増長され、社会人になってからは歯止めがかからなくなりました。

私が話す内容はすべて世のためになるものと考えて喋っていたものばかりであり、それは決して、自分が好きなことを、場所と時間を選ばず、周囲などお構いなしに話していたわけではありません[注3]。

「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に関するジョーの文書の前編(前編)

この文書は、4月8日に小室圭様が公表された文書にトンマナが酷似しておりますが、それは単なる偶然であることを冒頭でお断りさせていただきます。

1【はじめに】

私は、長らく「ジョーのおしゃべりトラブル」と世間で言われている事柄について自分がどのように考えているのかを公に発信するということをほとんどしてきませんでした[注1]。

様々な経験を重ねて、僕は金について詳しくなった(前編)

僕は、様々な経験を重ねることによって、金について詳しくなっていった。

僕が最初に経済に関心を示したのは、小学生のとき。地元のガソリンスタンドの価格の変動を追って、僕は市場価格という概念に触れた。

僕が最初に株に投資をしたのは、高校2年生のとき。頑張って貯めたお年玉やバイト代を掻き集めて購入した株が9カ月間で2倍になりその半年後に4分の1に暴落して、僕はリターンが高い投資にはリスクが伴うことを学んだ。

僕は文才なき直木賞受賞者になる(後編)

バイリンガルなんて聞こえはいいが、早い話が、英語も日本語も中途半端であるわけであり、この言語力不足が最も顕著に現れるのが語彙の少なさだ。単語を知らないことが相当なトラウマになっている僕は、「拘泥」や「貴賎」などの「大人が知ってる言葉」を学ぶと、不自然であろうが何としてでも文章で使おうと思ってしまう。

僕は文才なき直木賞受賞者になる(前編)

僕の肩書きは自称「直木賞受賞予定作家」。このブログがいつか自伝小説として纏められ、ベストセラーになる日が訪れると信じて疑わない。

もっとも、僕には自分に文才がないという自覚がちゃんとある。

飛行機事故検証プロになりたくなって、科学を勉強しとけばよかったと今さら後悔(後編)

当時の僕は、まさか自分もフライトシミュレーターにハマるとは夢にも思っておらず、そんな彼に冷ややかな目を向けていた。ただ、唯一興味を示したのが、彼に見せてもらった香港の旧啓徳空港での着陸の動画だ。険しい山々に囲まれ、都市のど真ん中にある空港で、45°角度で着陸する飛行機の映像は、飛行機オタクでなくても目を惹かれる。

飛行機事故検証プロになりたくなって、科学を勉強しとけばよかったと今さら後悔(前編)

「飛行機事故検証」というだいぶ不謹慎な趣味がある僕は、ユナイテッド航空のエンジン破裂事故みたいなことが起こると、血が騒ぐ。

そして後悔の念に駆られる。昔、ちゃんと科学を勉強していればよかった、と。

というのも、僕は極端なほどの理科オンチなのである。

時には一般常識からかけ離れる、犯罪者を代理する(米国)弁護士の倫理観(後編)

しかし、この機密保持義務は、場合によっては弁護士をとてつもなく難しい立場に置く。

1970年代、米国ニューヨーク州でこんなことがあった。

ある弁護士は、女学生を殺人した容疑で逮捕された被疑者の代理人として雇われた。その弁護士は、依頼人の話を聞いているうちに、依頼人がもう二人の学生を殺していることだけでなく、死体がどこに埋められているかまで知ってしまう。

男はバカ(後編)

他方で、相手が小学高学年くらいの女子だと、劣勢になった瞬間に勝負を投げたくなる。

女子はとにかく落ち着いているのだ。将棋盤から常に目を離さず、一手一手に隙がなく、対局後に「ここら辺が良くなかったです」と僕の将棋について諭されると、「はー、そうでしたか」と萎縮してしまう。

男はバカ(前編)

男はバカ。その何よりものいい例は、僕自身だ。

マンボウになりたいとか、フリーターに憧れるとか、とにかく僕は終日ましなことを考えていない。あまりのバカさに見かねた妹は、僕を「こんな弟で申し訳ありません」と紹介するようになり、いつしか兄弟関係が逆転してしまった。もっとも僕はバカでいる方が楽なので、これは一向に構わないのだが。

人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(後編)

塾時代、僕は常に最下位であった国語試験の結果について危機感を持ったことが一度もなかった。「周囲は所詮、僕と同様に米国生活が長すぎて日本語がおかしくなってきているエセ純ジャパばかり。最下位とはいえ、上位との差は20〜30点ぐらいだろう」とたかをくくっていたのだ。

人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(前編)

僕はからっきり国語がダメだ。

どれほどできないかは灘中学校開成高等学校の受験に失敗したことで立証済みだが、これはなにも最近始まった話ではない。

まだ米国に住んでいた中学生時代、あまりに勉強しない僕を見かねた両親の計らいにより、僕は週2〜3回塾に通うことになった。

この塾では毎月、国語、数学、英語の学力テストが実施されたのだが、三科目すべて芳しくなかった結果の中でも、特に悲惨だったのが国語だ。100点満点中概ね13点から16点で、10数人いた同級生の中でいつも最下位。6年間、僕は一度もその特等席から浮上できなかった。

政権が取れちゃうからこそ、僕は政治家にならない(後編)

「政党は組織」が持論5である僕は、考えが合わない、などという子供じみた個人的な事情で離党はしない。そして、自分が政党を作ったら、党を離れる議員の離党届を受理せず除名処分にし、次の選挙では対抗馬を立てて、刺違えになってでも潰しに行く。

「政局は勝ってなんぼ」が持論6である僕は、政局の兆しには常に敏感でいて、予期しなかった政局に足をすくわれる、などというヘマは絶対にしでかさない。政局に勝つ確実な方法は奇襲を仕掛けることなので、政局が起こりそうになったら、主導権を握るために自分から先に起こす。

政権が取れちゃうからこそ、僕は政治家にならない(前編)

全国を彷徨っては選挙の手伝いをしている僕は、「ジョーさんは出馬しないんですか」とたまに聞かれることがある。

この質問に対して、僕は断言できる。絶対に出馬しない。

理由は、やりたくないからとかできないから、というわけではない。それどころか、政策に無関心で政局にしか興味がなく、が大好き話術の才能があり、面倒見がよくてそつなく実務をこなす僕なんかがその気になったら、初当選から10年以内で政権を取り、10年間の長期政権を築いた後、10年間は院政を敷いてしまう。

いろいろ考えさせられた2020年

本年も残すところわずかばかりとなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。

さて、私の座右の銘は「人生いろいろ」ですが、さすがの私も、映画の世界でしか見たことがないパンデミックを自ら経験することになるとは夢にも思っていませんでした。

こういう未曾有の時こそ、人生について改めて考える機会になるのだと思います。

話してない時の僕は、常にカッコつけている(前編)

喋りさえしなければねー」とあたかも話さなければ魅力的だと言わんばかりの指摘を受ける僕は、稀に話していない時はカッコつけている。

最近、友人と遊園地に遊びに行った時にこんな会話を交わした。

友達〜「暑いねー」

僕〜「そうだねー」

友達〜「革ジャンなんか着てて暑くない?」

僕〜「暑いねー」

友達〜「じゃあ、なんで着てるの?」

僕〜「カッコいいから」

友達〜「。。。」

僕は金の亡者(後編)

さらには僕は、過去、現在、そして将来の収入と出費についても心配している。

収入については、社会人になってから今まで毎年いくらの所得があったか概ね覚えており、将来の収入についても関心が高いので、夏と年末は大口宝くじを必ず購入している。

出費については、家計簿をつけているので月の単位で出せる。コロナ禍で会食を避け趣味も追求できなくなりノイローゼ気味になったが、その反面、月々の出費を30%〜40%削減できたことはなんとも喜ばしいことだ。

バカでいると、得をする(後編)

人生の秘訣は、米国の政治家ジョージ・W・ブッシュ(息子の方)がヒントをくれた。この人は、常に周りから過小評価され、その評価を少し超えるだけで、大統領までのし上がった人である。僕にとっては師匠みたいな存在だ。

バカでいると、得をする(前編)

バカでいると人生特をする。そのことを悟ったのは、いつ頃だろうか。

薄々気付き始めたのは、大学一年生の時かもしれない。

その頃から僕は、思想がまったく合わない人たちに囲まれるようになった。周囲の輩は、自らの間違った思想を、遠慮なく自信満々と終日語る、極めて面倒な米国人だった。

話せることは、才能らしい(後編)

同級生からそんなぞんざいな扱いを受けていたので、家ではどんなひどい仕打ちを受けていたのか、想像がつくと思う。

僕が話しても、あしらわれる、迷惑がられる、無視される。そんなのは日常だった一方で、褒められる、励まされる、喜ばれる、といった反応は皆無だった。

話せることは、才能らしい(前編)

僕の特技はどうやら話すことらしい。このことに自覚を持つようになったのは、つい最近のことである。

「話術」とは、学問やスポーツ、音楽や将棋といった才能と大きく異なる点が一つだけある。それは、この才能が周囲から評価されにくい、ということである。評価されないどころか、迷惑がられたりする。

というのも、話術がある人は基本的によく話す。そして、よく話す人は「うるさい」と邪険に扱われる運命にある。

やっと昇級の将棋、一生の付き合いの趣味(後編)

この「上達し続けられる」ということが、趣味の持続力には不可欠だと思います。最近、私の飛行機事故の検証の趣味が冷めつつあるのは、科学オンチではこれ以上極められそうにないからです。嬉しいことに、将棋ではまだまだ限界が近いという感じがしません。

選挙ボランティア活動中、なぜかまた苗字で呼ばれなくなった(後編)

一番極端だったのは、職場が変わったある昔。上司の上司の上司ぐらいに当たるチョーえらい人から、初日は苗字で呼ばれていたのに歓迎会の頃には「ジョー」と呼び捨てにされていた。あまりの馴れ馴れしさにびっくりした同僚が「前から知り合いだったんですか」と聞いてきたが、そのエライ人に初めて会ったのはたった2週間前である。

典型的な日本人の場合、こういうことにはならないはず。純ジャパを自負している僕としては、「ジョーさん」と呼ばれるのはなんとも不本意だ。

選挙ボランティア活動中、なぜかまた苗字で呼ばれなくなった(前編)

選挙とはとにかく地味な作業の積み重ねで、その一つに「証紙」と呼ばれるシールをチラシに貼るというものがある。これは、各陣営が正式に認められたポスターを同数の枚数しか配れないよう、平等性を担保するための制度である。

都知事選ともなると、「証紙」の数は3万枚にも上る。これを貼っていく機械はなく、すべてが手動だ。ひとりで捌ける枚数なんてたかが知れてるので、とにかく人海戦術に出るしかない。

この証紙貼りという作業、実に僕の性格に向いている。

投票率なんかより肝心なことがある(後編)

日本と米国で根本的に違うのは、投票率ではなく、日常における政治への身近さだ。

米国では、中学時代に国会議員に手紙を書いて返事をもらい、高校時代に国会議員の地元事務所でインターンをし、大学時代に徹夜で政治を議論し、大学院時代に選挙ボランティアを経験した、という人がざらといる。

果たして、これを一つでも経験したことがある日本人がどれほどいるか。

コロナで目覚めたヘボ料理(後編)

さらには、豚に真珠なのにいい食材に拘ったりする。

僕のアパートの目の前に年配夫婦がやってる肉屋がある。今の住居に引っ越して4年弱。僕はここで麻婆豆腐用の豚のひき肉しか買ったことがない。

ところが自粛するようになってからは、牛や鶏、薄切りや厚切りなど、急に買い物のレパレトリーが増えるようになった。初めて豚のひき肉以外を注文した時、おじいちゃんは「え、薄切り?」と二度も聞き返してきたが、最近は2日ごとぐらいの頻度でお世話になってるので「いつも有難うございます」とニコニコ笑いながら対応してくれる。まさか、店の自慢の厚切り牛肉カルビが、匂いを嗅げばブタもそっぽを向くような青椒肉絲に化けているとは夢にも思っておるまい。

コロナで目覚めたヘボ料理(前編)

コロナ騒ぎで自粛するようになり、僕の生活で一つ大きく変わったことがある。

料理に目覚めたのである。

もともと僕は料理が嫌いなわけではない。単に、普通の生活をしていると、料理をする機会がないだけだ。

実際、僕は昨年、家で通算100回も食事をしていないのではないかと思う。平日だと朝食は食べないし、昼は職場でとり、夜は仕事に追われての出前か友達との外食だ。週末だと、昼を食べるくらいなら寝坊したいし、夜はリア充なので家にいない。

もしかしたら、僕は酒に強いのかもしれない(前編)

僕が酒を飲むようになったのは、米国に住んでいた大学時代である。

米国大学生といえば、親の監視を離れて寮で自由奔放に暮らす未成年が、金曜日の夜に暴飲し、土曜日の昼に嘔吐し、日曜日の朝に病院に運び込まれるというイメージが強いが、僕はそういうのとは全く無縁だった。

別に模範な学生を演じていたわけではない。単に周りが飲んでる酒に興味がなかっただけだ。

ナルシストの僕は、食事会では迷惑な存在(前編)

既にお気付きの読者も多いと思うが、僕は「超」がつくほど自己中心的だ。

他人に興味がない。常に自分が注目の的でないとおもしろくない。

僕という人物は、実に周りにいてほしくない存在である。

それが最も顕著に表れるのが食事会だ。

日本の教育に欠けているのは、議論をする訓練(後編)

さらに印象に残ったのが、議論のレベルの高さだ。投票年齢を14歳まで引下げることにはメリットもデメリットもある。大人が議論しても「正しい答え」は出てこない。あの日にあの教室で出てきた争点は、まさに大人の議論でも出てくるものである。ここまで高度な議論が行えるのは、日頃の社会勉強があるからこそだ。

ウィキペディアのボストンカレッジの記事には、僕の執筆癖がちらほら(後編)

他方で、このボストンカレッジの記事には僕の「執筆癖」がちらほら見られる。

例えば、このブログを「ながい、くどい、うざい」と貶す読者がいる。各投稿の読み始めはそこそこ面白いものの、早々とお腹いっぱいになる、という評価だ。

そんな人にとって、ボストンカレッジに関するウィキペディアの記事は苦痛以外の何ものでもないだろう。何せ、こう見えても僕はブログ投稿を簡潔にまとめることを心がけているが、ウィキペディアの記事を書くにあたっては限りなく長文にすることを唯一の目標に掲げていたのだ。

ウィキペディアのボストンカレッジの記事には、僕の執筆癖がちらほら(前編)

超人気ブロガーになる遥か昔、僕の執筆活動はウィキペディアで始まった。

具体的には、学生時代、僕は我が母校であるボストンカレッジの記事を執筆することに明け暮れていた。

ことの発端はひょっとした発見。

その頃の僕は、英語の家庭教師をしていた教え子に自分が通っている学校を知ってもらいたく、日本語のウィキペディア記事を紹介したいと考えていた。しかし、学校名で検索しても記事が見つからず、それどころか、憎きライバル校であるボストン大学の記事が出てきた。さらに、その記事を読んでみると、なんと、ところどころボストンカレッジと混同している記載があるではないか。

迷惑男佐久沼條治、ふたたび!(後編)

一緒に佐久沼の席に向かいながら、まさゆが軽い口調で話しかけてくる。根っこは陽気な若者なのである。

「左飛道先輩って、佐久沼先輩と一緒に仕事するようになって長いらしいですね」

「そうよ。入社してすぐあの人の下の配属になってから3年が経つ」と、忌々しい口調でレヌは答える。

「でも、佐久沼先輩って弁護士なんですよね。留学してる、って噂もあるし」

まさゆが大分誤解しているようなので、レヌは足を止めて言い聞かせる。

「これはいい社会勉強になるから教えてあげるわ。弁護士にもピンからキリまであって、あの人はキリにも入らないの。弁護士界に裏口入学してるんだから」

「えー、そんなこと可能なんですか」と、純粋なまさゆは信じられないようだ。

「時々、あの人、『あいつには弁護士の資格がない』とか、『こいつには地球にいる資格がない』とか偉そうに評論し始めるけど、最も資格がないのはあの人なの」

迷惑男佐久沼條治、ふたたび!(前編)

この物語はフィクションであり、主人公である佐久沼條治の名称および性格と立ち振る舞いが著作者のものと瓜二つであることは、すべて偶然です。

(まずは第一弾である「佐久沼條治という、ある迷惑男の話」からお楽しみください)

「あの、今ちょっとよろしいでしょうか」

下を向いて契約をレビューしていた左飛道(さひみち)レヌは、声をかけたのが誰なのかすぐに分かった。顔を上げると、案の定、井馬(いま)まさゆが不甲斐ない顔をして立っている。

3年前の自分も終日似たような表情をしていたことを思い出し、自分もずいぶんたくましくなったものだと、自分を褒めたくなった。

「どうしたの」

そんな表情をしなければならない根源など一つしかないのだが、とりあえず聞いてみる。

「この前の出張の経費を清算しようと思って、佐久沼先輩にこれを渡そうとしたんですけど。。。」

最後には聞こえないほど声が小さくなってしまったので、レヌはまさゆの手元に目をやる。そこにあった領収書をみて、瞬間的に何が起こったのか理解した。

「そのしゃぶしゃぶ食べ放題い温野菜の領収書を、あの人に渡そうとしたのね」

最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜採点の巻〜(後編)

エリート学歴からますます遠のいている厳しい現実に憂鬱になっていたら、受験シーズンのためか、光栄ゼミナールのCMを目にすることになった。それによると、受験は戦略であるらしい。

しかし僕は、中学受験に挑むにあたってちゃんと戦略の重要性を理解しており、まさにCMにあるとおり、「合格に必要なことを冷静に見極め」、「自分の強みを最大限に活かすための選択」を行なったのだ。

僕は一体どこで間違えたのだろう。

ジョー、米国大統領選の民主党候補指名争いを推測する

この投稿は、毎週、予備選・党員集会の結果を踏まえて更新されていきます。

今週、米国のアイオワ州で民主党党員集会が開催され、正式に米国大統領選挙の幕が開かれる。

今年の民主党の大統領選指名争いは例年にない面白さであり、政治好きとしては血が騒ぐ。いつもどおり何の責任も伴わない評論を展開するだけでなく、たまには選挙の予測でもして自分の言論に責任を持とうと思った。

最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜受験の巻〜(後編)

ここまで理科のできが悪いと、灘中学校の合格は算数にかかってしまう。

最初の問題は方程式。これはちゃんと解けたが、簡単な計算問題が1問目として出題されるのは受験者を油断させるための罠であることを、僕は高校入試でちゃんと学習済みである。

そこで丁寧に残り12問に目を通すと、なんと図ばかり。円、三角形、四角形しか出てこないのは計画通りだが、問題は、三角形を二つくっつけるだの、円の中に三角形を入れるだの、二次元のものをよくここまでごちゃごちゃにできるものだと感激してしまうほどにややっこしい。

最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜受験の巻〜(前編)

念入りに戦略を練って、受けることにしたのは偏差値77の灘中学校の入試2012年版

受験は二日間に渡って実施されるらしい。初日は国語、理科、数学で、二日目は国語と数学だそうなので、ちゃんとその順番で受ける。

まずは国語の1日目。

問題にざっと目を通すと、内容は読解、漢字、文法、ことわざ、そして俳句。高校入試とは違い、死語である古典や日本語ではない漢文が出題されておらず、希望が持てる。

僕は府中刑務所に住みたいと思ったことがある(後編)

刑務所はホテルではない。クレジットカードではなく有罪判決を提示しないと宿泊させてくれない場所である。

さらにややっこしいことに、日本には執行猶予という処分がある。この中途半端な判決を食らうと、前科はあるが入所はできないという、最悪の状態に陥ってしまう。

僕は府中刑務所に住みたいと思ったことがある(前編)

こんなツイートを発見。

この人、拘置所とは知らずに住みたいと思っただけマシである。僕なんぞは、刑務所と分かってて住みたいと思ったことがある。

プライドが高くて自覚がないのは致命的(後編)

一般論として、大抵の人は仕事ができない同僚に作業を頼まない。そんな同僚のフォローをするくらいなら、自分でやってしまった方が早いからだ。

でも僕には、「あなたの仕事を僕がしたらあなたが必要なくなる」という哲学がある。よって、僕はできない同僚にも仕事を振るが、代わりに、そんな同僚にもとことん付き合い徹底的に指導する。

飛行機の旅は、とにかくやることが多すぎる(後編)

【読む】(2〜3時間)

年間52冊の読書ノルマがあるにもかかわらず、普段の僕は読書どころではない。よって、冊数を稼ぐ絶好の機会である出張や旅行には、本を4、5冊えっちらおっちら持って行く。

飛行機に乗ってる間は、もっぱら読書にあてられる時間。もっとも、「いつでも読める」という気持ちより「ちゃんと読まねば」というプレッシャーの方が強く、通路側に座った後に窓際の人が現れると僕が激怒するのは、読書ノルマ達成の邪魔になるからである。

飛行機の旅は、とにかくやることが多すぎる(前編)

僕は飛行機での旅が全く苦にならない。なにせ、飛行機の中ではやることが多すぎるのだ。

【呑む】(常時)

気圧が低い機内では酒がまわるのが早い、と言うのは定論。どんな便でも離陸後すぐに飲み物サービスがあるので、早々とご機嫌になれる。

さらに、国際便だとアルコールは無料。頼めばいつでも日本酒を持ってきてくれるので、離陸直後に飲んだ酒が薄れてきたら、乗務員に声をかけるだけで、すぐにまたご機嫌気分に戻れる。

人格なき人間には、消えていただきたい(後編)

認めるのも恥ずかしいが、僕は過去に、他にも似たような最低人間と関わってきたことがある。駐車中の車に接触し傷をつけた際に、お詫びと連絡先のメモを残すよう主張した同乗者を無視して何もせずその場を去ったヤツとか、飲食店のバイト店員が大学スポーツ選手であることを知ると、「アメフトで頭をぶつけすぎたんじゃないの」とバカにした輩とか。

こんなのと一時でも関わりがあったことは一生の恥であるが、彼らに共通していたのは、自分が超エリートであると信じて疑わなかったことだ。こういったとんでもない勘違い野郎のために、僕は「運よく刀を持っている時に遭遇したら首をはねる人間リスト」を作成した。

人格なき人間には、消えていただきたい(前編)

職業に貴賎なし、という言葉があるが、明らかに人格にはある。そんな人格がない人間が、僕は許せない。

無論、世には悪人など山ほどいる。しかし、シリアルキラーのような者はそもそも批判に晒されるので構っていない。僕が特別な嫌悪を感じるのは、人間としての最低限なモラルが欠けているくせに、のうのうと社会的な高い地位に居座っている野郎どもである。

その典型的な例が、あるできそこない弁護士だ

鈴木直道~平凡な公務員からスタートを切った偉大な政治家(後編)

結局、鈴木知事は派遣職員として夕張市に2年2ヶ月いることになる。2011年の3月、帰京の際に黄色いハンカチを振る市役所職員と住民に「いってらっしゃい」と見送られ、泣きながら「体は戻ってくるか分からないですけど思いはずっとここにある」と語る鈴木知事の当時の姿は、たった数カ月後に市長になるために戻ってくることを考えると、感慨深い。

彼に市長選出馬の要請をしたのは、派遣されていた時に一緒にボランディア活動をしたコンビニの店長や土産物店の仲間たち。その時彼は、結婚を控えて家を購入したばかりの29歳。断る理由はいくらでもあったものの、自分の「やりたい」という気持ちに押されて、安定した都職員という地位を捨て、誰にも相談せずに、骨を埋める覚悟で出馬を決断した。

鈴木直道~平凡な公務員からスタートを切った偉大な政治家(前編)

ここに一枚の珍しい写真がある。

一番右に写っているのは、高橋はるみ、前北海道知事。そして彼女の隣にいるのは、鈴木直道、現北海道知事である。

時は2007年12月。当時、鈴木知事はまだ26歳の東京都職員。翌月から財政破綻した北海道夕張市に派遣されることが決まっており、この写真は事前に現地視察した際に撮ったものだ。まさか12年後に、自分が知事の後継者になるとは夢にも思っていなかっただろう。

将棋から考える人生のいろいろ(後編)

危ないのは刺激なき環境だけではない。僕は将棋で何度も油断大敵を痛感しており、それはこれからの人生において決して忘れてはならない教訓だと思っている。

将棋では時々、優位に進めていると思っていたのが、いつの間にか手の施しようがないほど劣勢になってしまっていることがある。振り返ればどの局面でどの手が悪かったのか分かるが、対局中は、危機感がないまま指していてふと気付いた頃には事は遅し、といった感じである。

将棋から考える人生のいろいろ(前編)

どうも僕は、人生を将棋にたとえるのが好きなようだ。将棋にハマればハマるほど、将棋が人生の縮図に思えてくる。

僕の人生論は「人生いろいろ、将棋もいろいろ」だ。

この3年間、僕はある仲間と100局以上の将棋を指してきたが、その彼との将棋が同じになったことが一度もない。最初の5−6手は毎回似たり寄ったりだが、いつもどこかで新たな分岐があり、経験したことのない将棋に展開していく。

人の人生も同じではないか。同時に生まれ、同様の環境で育った双子でも、徐々に異なる人生を歩んで行く。生まれながら似ている双子でさえ違う運命を辿るのだから、世界にいる70億人の人生の多様性は計り知れない。まさに、将棋も人生もいろいろである。

しゃぶしゃぶ温野菜でのノルマ達成は至難の技(後編)

さて、食べ放題コースにするからにはコスパを上げる必要があるので、僕は温野菜で肉15皿というノルマを課している。一皿とは、一人前だと牛肉3枚、豚肉4枚である。またまたの余談となるが、温野菜でバイトをしたことがある人によると、15皿くらいなら店は楽々と黒字らしい。

海外旅行に向いてない僕には、JTB団体ツアーがふさわしい(後編)

普通に空港で両替し、タクシーに乗っていれば、30分後には何事もなくホテルの前まで送ってもらえたのに、たった数百円の手数料とタクシー代2千円をケチったことにより、2時間半後には命が危険に晒されているわけである。身の危険を感じてさえも「今更タクシーに乗るのは馬鹿らしい」と頑としてタクシーに乗らない僕は、もはやfrupidを超えてただのstupidである。

世界最古の米国憲法から日本が学べること(後編)

さらに、日本における憲法改正の議論が活発化する中、憲法とそれを解釈する裁判所から何を期待すべきか、という点についても米国から学べる。 

憲法の役割に関して弁護士や憲法学者に聞けば、多くは国家権力を抑制し少数の権利を守ること、と答えるであろう。そして、その保護を実際に執行していくのは最終的には裁判所であるとも。

しかし、裁判所が「正しい」判断をするといった保証はない。時には暗い米国の憲法史がそれを示している。連邦最高裁は歴史上数々の悪名高き判決を下しており、その一つは南北戦争という内紛勃発のきっかけになり、もう一つは労働者保護の法律を無効にしている。

世界最古の米国憲法から日本が学べること(前編)

僕が米国憲法について語るとき、必ず最初に指摘するのが米国憲法の古さである。1788年に発効した米国憲法は、成文化された憲法としては世界で最も古い。

歴史の浅いアメリカなのにそんなはずはない、と考える人は多い。しかし、1788年の世界を振り返っていただきたい。その頃の日本は江戸幕府第11代将軍徳川家斉の時代。欧州は君主制。テレビどころか電気もない時代はだいぶ昔である。

たった70年の憲法史しかない日本が、230年もの歴史を誇る米国から学べることは少なくない。

子供を失う米国航空会社で飛ぶなら、スマホを失うくらいの覚悟が必要(後編)

困った彼は、手荷物受取所で、手当たり次第アメリカン航空の従業員を捕まえては状況を説明した。しかし、誰しもが「www.aa.comでクレームを提出するように」と言うだけで、取り付く島もない。結局スマホは回収できず、携帯なしの米国滞在一週間を強いられてしまう。

これを聞いた僕は、当初こそはなんとも気の毒な話と思ったが、最終的にはあまり同情の余地がないという結論に落ち着いた。そもそもJAL運航の東京〜シカゴ便があるのに、あえてアメリカン運航の便を選択したことが致命的な過ちである。アメリカン航空のビジネスクラスで飛ぶくらいなら、JALのエコノミークラスで飛ぶべきだった。

子供を失う米国航空会社で飛ぶなら、スマホを失うくらいの覚悟が必要(前編)

最近、ある人からアメリカン航空の東京〜米国シカゴ便における悲惨な体験話を聞いた。

この人はJAL派だったので、JAL経由でコードシェアパートナーであるアメリカン運航の便をビジネスクラスで予約した。(ちなみに、アメリカン航空とは、僕が昨年の映画3連チャン企画中に3度もプレミアムエコノミークラスの食事を見せられ、あまりにまずそうなので絶対に飛ぶまいと誓った航空会社である)

ジョーの人生の方式(後編)

徹夜と言えば、カラオケを思い出す。前職での最も懐かしい思い出は、朝4時まで同僚とカラオケで歌いほうけたこと。救いようがないほどの音痴でも、ここまで歌うことが好きなら睡眠<音楽と言えるだろう。

ジョーの人生の方式(前編)

このブログの熱烈なファンならご存知のはずだが、僕はありとあらゆる趣味を持っている。

僕にとって大切なものをざっとリスト化すると、こんな感じか。

最近よく見かける、「得意な英語を聞かせたい」症候群(後編)

このように敬遠されがちな離陸後アナウンスの英語版だが、たまにやたらと英語を話したがるパイロットがいる。

一番わかり易かったのは、日本語より先に英語でアナウンスを始めたパイロット。最初は外人VIPでも乗せているのかと思ったが、その後、やれトイレに行った後は必ずシートベルトを締めるようにしてくださいやら、やれ気流がどう飛行時間に影響を及ぼしているやら、やれ飛行中の何時の何処あたりが景色の見どころやら、流暢な英語で長々と説明されるのを聞いて、なるほど、この人は英語を使ってかっこつけたいだけなのだな、と納得した。

何より愛する睡眠を絶対に妨害しないでください(後編)

まだ新人だったある土曜日、当時の上司が朝7時から15分ごとにメールを送ってきたことがあった。僕からの回答がないことにしびれを切らしたのか10時半には電話までかけてきたが、そもそも携帯を寝室に置いていなかったので、僕がメールに返事をすることはなかった。

14時に起きた頃には上司の激怒したメールと留守番電話が複数待っていたが、これらもシカトしたら、ようやく僕のポリシーを理解したようである。その後、彼が僕の週末の朝を邪魔してくることは一切なかった。

こうして通常は無茶なことを言ってくる元上司でさえ僕のポリシーを学んだのだが、こんな簡単なことが未だに理解できていない非常識人間が僕の周りにはまだたくさんいる。

「2000円紙幣が使えなくなることを危惧している」〜2000円札博士ジョー氏の話(後編)

一時は2000円札の流通を増加させるために銀行員のボーナスが2000円紙幣で支払われたことが話題になったが、今では、2000円札はすっかり忘れられた存在になりつつある。現代の高校生や大学生の中には2000円札について聞いたこともない学生が少なくなく、私がある学園祭の出店で使った時など、まるで偽札であるかのようにじっくり確認されたことがある。

「2000円紙幣が使えなくなることを危惧している」〜2000円札博士ジョー氏の話(前編)

この度の紙幣刷新に伴って久しぶりに注目を浴びている2000円札について、時々新聞で見る「有識者の話」スタイルで書いてみました。

〈二千円札大学学長のジョー博士の話〉

2024年上期を目処に日本の紙幣が刷新されることが政府より発表されたが、やはりというべきか、2000円札は流通数が少ないという理由から刷新の対象に含まれていない。

これは日本国民としてとても危惧すべきことだと思う。

イチローの偉大さを振り返る

イチローが現役引退を表明した。メジャーリーグ19年、プロ野球時代を含むと28年にわたるキャリアに終止符を打つ。

イチローが史上最高の日本人野球選手の一人として名を残すことは間違いないが、彼が松井秀喜、ダルビッシュ有や大谷翔平など他のメジャーリーガーと一緒に語られるのを聞くと、彼の本当の偉大さがまだまだ十分認識されていないのではないかと思ってしまうことがある。他の日本人メジャーリーガーには失礼ながら、誰一人としてイチローとは比較に及ばない。

イチローとはそれほど比類ない別格の存在なのだ。それはイチローが持っている数々のメジャーリーグの記録を見れば明らかである。

犠牲にすべき腕時計を、僕はある悪夢から学んだ(後編)

そして考えたのが、どうやったら僕の腕時計を救えるか、である。時間があまりない中、将棋では全く活かせない頭がフル回転した。

通常の人は腕時計を一本しか着けていない。いつも腕時計を2本着けてることから変人扱いされることを経験しているため、これは間違いない。

となると、ハイジャッカーもまさか僕から腕時計を2本も回収できるとは考えていないはず。ということは、急いで隠せば1本は救えることになる。

犠牲にすべき腕時計を、僕はある悪夢から学んだ(前編)

ふと気が付くと、僕は飛行機に乗っている。

機材はボーイング737で、周囲に座っているのは外人ばかり。どうやらこれは、米国内を飛んでいる国内便と思われる。僕が座っているのはエコノミークラスのちょうど真ん中あたりで、前を見ると、ファーストクラスに8人から12人ほど座っている。

目が覚めたきっかけは、そのファーストクラスで起こっている騒動であった。まだ完全に覚醒しておらずとも、それが一大事であることは一目瞭然だった。なにしろ、どでかい男性3人がライフルを持っているのだ。見るからにしてこれはハイジャックである。

小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜採点の巻〜(後編)

このように採点していった教科の総合点は140点。ちなみに、合格者最低点は218点である。

結局合格ラインに64%しかたどり着けなかったわけで、開成高校が偏差値78であることを踏まえると、僕の偏差値は50といったところか。

こうして意外にも開成高校の入試に落ちてしまったわけであるが、このチャレンジを通じて僕は、自分について重要なことを多く学んだ。

小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜受験の巻〜(後編)

ところが、英語の最初の文章を読んでいるうちから、「?、やけに難しい文章だな」、「?、peripateticってどういう意味だ」と頻繁に危険信号が点りはじめる。

で実際に問題に取り掛かりはじめると、まずは「空所に入る適切な語を答えなさい」という問題で、そういえば僕は英語でも語彙が少ないんだったということを思い出し、その後の「日本語で答えなさい」という問題で、そういえば僕は日本語が弱いんだったということを思い出した。

英語のテストなのに日本語での回答が求められることの理不尽さに憤っていたら、回答用紙に空白が残ったまま時間が切れてしまった。

小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜受験の巻〜(前編)

開成高校入試チャレンジ戦略を練った後受けることにしたは、一番合格しそうな2017年版である。

まずは、100点満点中30点を目標としている国語から。

最初の文章を読み始めると、なんと夕張市についてではないか。先日、経済破綻したことで有名なこの町が現在どう復帰の道を辿っているのかについての朝日新聞の記事を読んだばかりである。得意の政治、経済も絡んでくる内容だ。こんな問題、読解力などに頼らずとも解ける。

小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜戦略の巻〜(後編)

でも社会にすべての望みをかける必要はないのだ。何と言っても英語がある。

米国に長年住んでいた僕にとって、英語での満点は当たり前といえる。日本の英語の試験ではしばしば意味不明な記号「ə」が現れることがあるが、開成高校ともあろう学校が入試でひっかけ問題など出題しないと信じている。

よって、英語満点で理科0点を確実に挽回。

残るのは数学と国語。。。

まずは国語から。

中学時代に通っていた塾で模擬試験というものを毎月受けていたのだが、国語の点数はいつも概ね10点台だった。開成高校の入試では国語の平均点が50点から70点であることを鑑みると、さすがに10点台はまずい。

小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜戦略の巻〜(前編)

僕は西日暮里にある将棋バーというマニアックな場所に月2回通っている。

西日暮里といえば偏差値78の開成高等学校がある街。時々この超進学校に通っている学生を見かけることがある。

前々から日本での小学校中退という最終学歴を汚名返上するため高校受験したいと考えていたのだが、自分の日本語力と性格では無謀かと諦めていた。でも開成高校在学生を観察するようになってから、「こいつらには将棋で負けるかもしれないけど、米国証券法の知識では負けない気がする」と思うようになった。

よくよく考えてみれば、高校入試を受けるのは所詮は中学生。一方の僕は、合格率85%の司法試験に受かった米国法曹資格保有者。普通の中学生にできることが僕にできぬはずがない。 

エリートになるため、読書ノルマ達成に邁進中(後編)

一旦理想な本を選んだら、あとはひたすら前進するのみである。

読書中、「この慣用句、意味がわからないな」とか、「この登場人物誰だっけ」とか、「どうしてこういう展開になったんだっけ」など、本を一刻も早く読み切ることの妨げになる思考は全て封印する。無になって読み続けなければ、ノルマの遅れは取り戻せない。

こういう風に僕は、常に読書のノルマを達成することに全力を注いでいる。

そしてその証が、読書済みの本がぎっしり詰まっている自慢の本棚なのだ。これこそまさにエリート読書家の本棚である。

エリートになるため、読書ノルマ達成に邁進中(前編)

数年前にある友人から「エリートはよく読書する」という指摘を受けて以来、僕はエリートになるため、四半期12冊、年間52冊という読書ノルマを設定している。 読書日記をつけるほど真剣に取り組んでいるのに、僕の読書習慣はあまり評価されていない。 どうやら周囲の人達は、このノルマを達成することがどれほどの偉業なのか分かっていないようである。 四半期12冊のノルマは週1冊のペース。これを一年間維持するのは箱根駅伝並みに大変なのだ。

2018年は「形になる成果」に拘った年でした

昨年はいくらあっても足らない「時間」についてばかり考えていたせいか、2018年はその限られた時間を最大限に活かして「形になる成果」をあげることが目標となりました。

私は昔から教師という職業に憧れており、ロースクール時代に主に米国憲法を勉強したことから、きっかけがあれば憲法を教えたい、と従来から考えていました。しかし、私の今までのキャリアは憲法とは全く無縁のもの。ロースクールで、それも日本にいて、米国憲法の教鞭を取るなどそう容易くいかないと思っていました。

僕の自慢は、実用性ゼロの教育を受けた証の読めない卒業証書

僕は自分の大学卒業証書が読めない。

これは何も読み書きができないまま大学を卒業してしまったからではなく、我が母校であるボストンカレッジの卒業証書がラテン語で書かれているからである。

死語で書かれている卒業証書は、ボストンカレッジのリベラルアーツ教育の非実用性をまさしく示している。

大学に入学後、僕が最初に出席した説明会では、いかにこの大学の教育が就職活動とは無縁であるかという説明が1時間に渡ってなされた。たしかに一年目に受けた必須科目は、ギリシャ哲学だのローマ古典だの、どう人生が転んでも役に立つ日は訪れないであろうと思わせる内容ばかりであった。

営業を受けて知った、できる営業マンとできない営業マン

昨年、突然「利率が高くていい社債があるんですよ」と形式的には僕の担当者である証券会社の者から電話があった。

今まで何の話もしたことがないのに急になんだと思いながらも、お金の運用に関する話が大好きな僕はとりあえず付き合うことにした。

そこでまずは「どういうリスクがあるんですか」と質問してみた。利率が高いのはリスクが高いから、というのは投資のイロハだ。大して難しい質問をしたつもりはない。

ところが、これに対して営業マンは口を濁すだけで、もっぱら「利率がいいんです」を繰り返すだけであった。

同じ映画好きでも鑑賞習慣が大きく異なる日本人と米国人

あまり知られていないことだが、興行収入でみる日本の映画市場の規模は、米国、中国、インドに次ぐ世界4番目である。米国はハリウッドの国であり、中国・インドは人口12億人以上の大国であることを踏まえると、日本人は相当な映画好きであることが分かる。

もっとも、同じ映画好きの米国人と日本人でも、映画鑑賞の習慣は面白いほど異なる。

たとえば映画を観に行く時間帯。日本では週末の昼間に映画を鑑賞するのが普通だ。映画館は午前中から混雑しており、ピークは15時頃だろうか。僕もこの習慣に合わせて、近年は土曜か日曜の午後に映画を観た後、その足で夕食に行き映画の感想を語り合うことが多い。

自己破産した者の弁護士になる資格とは

「永田町の常識は、世間の非常識」と良く言われるが、弁護士の世界の倫理観も世間からは理解されにくいところがあるのではないかと思う。

たとえば、自己破産が弁護士への道の妨げになるとは普通は考えないだろう。

でも米国のミネソタ州では、司法試験に合格したにもかかわらず自己破産した過去が問題視されて弁護士になれなかった人物がいる。

ジャンボ宝くじで当たった(らの)7億円の使い道

おかしなことに、今年もサマージャンボが当たらなかった。

何か手違いがあったと思われるので、年末ジャンボで状況が是正されることを祈っている。そうでないと困るのだ。何しろ宝くじが当たった際の7億円の使い道を既に決めているので。

それは、熟慮のうえ立てた精密な計画である。

まず最初に、今までお世話になった方々に感謝を示すため、豪華なファミレスジョナサンを貸し切って数百人に渡る親族や親友に予算5万円でお昼をご馳走する。主催者である僕は1万円分の食事で我慢するので、皆様には残りの4万円で満腹になるまで食べていただきたいと思う。

お盆休み中のしょーもない映画3本連チャン鑑賞という企画

お盆休みの間、僕は映画館で映画を3本観た。一日に、である。

なぜ3本立て続けに観ることになったかと言うと、その前の週に妹が「この夏はたくさん観たい映画があるねー」と言い、僕が「そうだねー」と同調し、「なら2本いっぺんに観る?」と妹が聞いてきたので、「どうせ2本観るなら3本観ようっか」と僕から提案したからなのだ。

「私も映画の3本立てをしたいかも」と思っている読者にアドバイスがある。これをするなら、「駄作の映画でも楽しく観れる」くらいの映画好きであることが望ましい。過去に僕は、群馬の高崎から神奈川の小田原までを湘南新宿ラインで制覇するというしょーもない企画を思いつき実行に移したことがあるが、鉄道にも電車にもなーんの興味を持たない僕にとってそれはただの苦痛に終わった。映画に興味がない人にとって、映画3本の連チャンは同じく苦痛になるだろう。

僕の才能は考えなしにもっぱら話せること

14歳でプロ棋士になった藤井聡太をみて思った。僕も何か才能はないものかと。

そして気付いたのだ。僕には考えなしにもっぱら話す能力があるではないかと。

この才能はまず、物理的に話せることから始まる。

話すというのは意外と疲れるものだ。数年前のバレンタインデーに、夕食を始めた17時から閉店の24時まで7時間ぶっ通しで話し続けたことがある。今考えてみたら店にえらい迷惑をかけたものだと猛省しているが、当時は帰りのタクシーで顎が痛くなり僕の口にも限界があることを学んだことに気を奪われていた。もっともその時は機関銃のように捲し立てたので7時間で体力(というか口力)が尽きてしまったが、限界を知った今ではペース配分をすれば12時間は余裕で喋り通せる自信がある。

米国コールセンターへの問い合わせは常にバトル

未だ米国に銀行口座を有している僕は、たまに米国のコールセンターに問い合わせをすることがある。

でもその前にまずは必ず戦闘モードに入る。具体的には、自分自身を意図的に不愉快な気持ちにさせ、喧嘩腰になるのだ。

そうでもしなければ、米国のカスタマーサポートなど乗り切れない。

2000円紙幣の製造復活に向けて、みんな立ち上がれ!

僕には、2000円札の製造を復活させるという、ちょっと無謀な目標がある。

このブログの熱心な読者は、数年前から僕の財布の中には2000円札しかないことを知っていると思う。その頃の僕にとって、2000円札とはただただタクシー業界との戦いのための軍資金であった。

ところがある時、財務省の人の話を聞いてからタクシー業界などどうでもよくなってしまった。

漢字も将棋も人生も、痛い目に合わないと学ばない

先日、海外送金するために銀行に行ったら、えらい恥をかいた。

日本の法律上、海外送金をする際にはマネーロンダリング対策のため送金の理由を銀行に説明する必要がある。この度の送金は昨年の米国滞在に伴う所得税を支払うためだった。よって送金の理由は「納税資金」だったのだが、さて、手渡された用紙に書き込んでいくうちに「送金理由」の欄で手が止まってしまった。「納」、「資」そして当然「金」の字は覚えていたのだが、「ゼイ」の字の部首がどうしても頭に浮かばなかったのだ。

性格克服し、将棋強くなる

僕の将棋をドラクエの作戦に例えるとしたら、確実に「ガンガンいこうぜ」である。

つまり僕の将棋は攻撃一筋なのだ。

良い意味でも悪い意味でも。

海外出張は、いいシミュレーターがある成田から

僕は世にも稀な成田空港派だ。海外出張の際、羽田空港発と成田空港発の便の選択肢があれば、迷いなく成田発を選ぶ。

理由は、フライトシミュレーターである。

僕がフライトシミュレーターにはまるようになったきっかけは、以前に書いたことがある航空事故検証ドキュメンタリーだ。この番組から学んだ様々なパイロットミスに関する知識を周囲にひけらかしていたら、友人の一人が数年前、本物のボーイング737のコックピットで元パイロットの指導の下フライトシミュレーターを体験できるという誕生日プレゼントをくれた。

殺人を犯した者の弁護士になる資格とは

最近ある医学生から、「人身事故を起こすと医者になれなくなっちゃうので、自動車運転をしないんです」というような話を聞いた。

その時は、なるほど、生命を救うべき立場になる人が他人に害を与えてはいけないな、と納得したのだが、その後これが弁護士だったらどうだろうか、と改めて考えてみた。

人間誰しも悪意がなくても過ちを犯してしまう。良いことと思ってやったことが裏目に出たり、うっかりミスが数億円の損害につながったりする。自動車運転においては、赤信号を無視してきた車に突っ込んで相手の運転手を死なせてしまったりする。

そういった過失責任がなさそうな場合でさえも日本では医者になれなくなってしまうのか定かではないが、米国弁護士について言えば、殺人を犯した者でも弁護士への道が閉ざされてしまうわけではない。

嫌味のひとつも言いたくなる、メガバンクの名称と見栄と派閥争い

4月1日に「三菱東京UFJ銀行」が「三菱UFJ銀行」に変わった。この事に違和感を感じているのは僕だけではないだろう。

名称を短縮させたかったのなら、削るべきは「UFJ」である。

そもそも、名門財閥である「三菱」を看板に掲げる国内最大手の銀行が、訳の分からない「UFJ」を従来から名称に含めていたこと自体がおかしいのだ。ある銀行員から聞いた話によると、「UFJ」の由来は、三和銀行、東海銀行、太陽信託銀行が2001年に経営統合した際、新銀行名を国際的にしたいという頭取の意向で「United Financial of Japan」の頭文字を取ったことによるらしい。国際的になりたかったわりには「United Financial of Japan」が文法的に間違っていることが滑稽だが、それにしても、頭文字を正式名称とするところにセンスが欠けている。そしてそのダサさを「東京銀行」の名称を犠牲にしてまで継承するというのだから、現在の三菱UFJ銀行の感覚も疑いたくなるものである。

もっとも、緑の銀行みたいに財閥が見栄にこだわるよりはマシかもしれない。

活かせてない長身が何よりの自慢

僕の唯一の自慢は187.5センチある身長である。

この187.5センチは僕が育った米国でも高い方だ。背の順に並んだ中学校の卒業式で、名前を呼ばれたのが最後から二番目だったのが今でも誇り高い。

「どうしたらそんなに背が高くなるのですか」とよく聞かれるが、僕の少年時代を参考に回答すると、次の三つが秘訣と思われる。

❶ よく寝る 〜 「寝る子はよく育つ」と言うが、このことわざはまさに僕に当てはまる

❷ よく食べる 〜 今でさえ部活帰りの高校生並みの食欲だが、昔はもっと食べたのだ

❸ 何も考えない 〜 空の頭は軽く、頭が軽いと物理学上、背が伸びやすくなる

これら鉄則を守り長年かけて培った身長が唯一他人に優越している取り柄なので、僕は常に他人の身長を意識しながら行動している。

米国に留学するなら、スポーツを判断材料に

数年前、日本企業の法務部に勤める人から米国ロースクールの留学先について相談を受けたことがあった。

優秀な彼はハーバードやコロンビアなどのアイビー・リーグの他、バンダービルトやバージニアなどの一流ロースクールにも受かっていた。しかし、僕が強い関心を示したのは彼が「ついでに」という感覚で受けていたミシガン大学のロースクールであった。

その理由は、ミシガン大学のスポーツチーム、Wolverinesだ。

「孫、博打で大損」シナリオのオレオレ詐欺〜僕ならありえたのに祖父引っかからず

僕がまだニュージャージーに住んでいたある日、母に急に呼び出されて尋問にあった。

「ジョー、ギャンブルで数百万損したんだって?」

寝耳に水とはまさにこういうことを言う。

即に否定したところ、母は今度はもう少し優しい口調で、「何かあったのならちゃんと相談しなさい」と念を押してきたのだが、身に覚えがないことについては相談しようがないので、「何の話だか分からない」と答えたところ、一応納得してもらえ、経緯を説明してくれた。

事の発端はそのすぐ前に母が祖父から受けた電話であった。その時に祖父がした話はこうだ。

先程ジョー君から電話があり、「博打で損しちゃったので三百万円振り込んで欲しい」と言われたんだけど、ちゃんとママに相談しなさいと伝えて電話を切った。心配だったので、その後直ぐに連絡を入れた。

要は、祖父はオレオレ詐欺にあったわけである。

僕が好きな米国スポーツ、その規模1兆円

6年ぶりの米国生活。特に喜ばしいのは、スポーツがまた身近な存在になったことである。

米国はスポーツの国だ。

職場の同僚との雑談。タクシーの運ちゃんとの世間話。パーティでの会話のきっかけ。どんな場面でも男女共にスポーツの話で盛り上がる。

ケーブルテレビにはスポーツ専門のチャンネルが複数あり、アメフト試合の直前には次の試合で注目すべき選手を分析する番組が、直後には先の試合で勝負を決めたプレイを分析する番組が1時間ずつ組まれる。

インターネットではメジャースポーツごとに何人もの記者がニュースを追い、終日特ダネが速報される。大谷がエンジェルスに入団することを、僕は日本の新聞が報道する1時間半前に米国のスポーツサイトを通じて知った。

常にスポーツに囲まれるこの環境に戻って改めて思うのは、日本は一般的にスポーツ好きの国ではないな、ということである。

「時間」について考えさせられた2017年

今年も残すところわずかばかりとなりましたが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。

2017年は色々な面で「時間」について考えさせられた年でした。

6月と9月には、大学時代のルームメイトが立て続けに結婚しました。ルームメイト4人が揃ったのはほぼ大学時代以来のことでしたが、その頃と変わりなく彼らと接しながらつくづく感じたのは、真の友情とは時間を超越するのだな、ということです。

もっとも、「時間」の経過には抵抗できないことを今年改めて実感したのも事実です。数年前、ませた親族の子に「何とか時間が過ぎるのを遅くできないかな」と尋ねたら、「時間が過ぎるのが早いのは毎日が楽しみだからだよ」とちょっと生意気な返事が戻ってきたことがありました。彼に「今年は特に目紛るしかった」と愚痴をこぼしても、きっと、「毎日楽しくしすぎだよ」と冷ややかに返されるだけでしょう。

傘という恐怖

この度3ヶ月ほど米国勤務になったのだが、そのことを周囲に伝えると、数人からこんな質問を受けた。

「米国では傘を差さないって本当ですか」

アメリカに関して特に知りたいことがこれ?と拍子抜けしてしまうほど意外な質問であるが、どうやら多くの日本人には、雨が降っていているのに傘を差さないという行為が、全くもって理解し難いものであるらしい。

実際、傘を差さないで雨の中を歩くニューヨーカーはよくいる。

なぜと聞かれても説明に困ってしまうのだが、自分の感覚から言わせてもらうと、僕は別に水に当たると溶けてしまう「オズの魔法使い」の悪い魔女ではないのだから、小雨程度なら、何もわざわざ傘を持ち歩いて荷物を増やさなくてもいいのではないか、と考えるのだ。

もっとも、僕の感覚がどれほど一般的な米国人の感覚と一致しているかは微妙である。なにせ僕には、少年時代から引きずっている傘に対する深刻なトラウマがあるのだ。

航空事故を生き延びるための三つの秘訣

不謹慎であることを承知で認めるが、僕には航空事故の検証という変わった趣味がある。

趣味のきっかけとなったのはカナダのドキュメンタリー「メーデー!:航空機事故の真実と真相」。この番組が今年で17シーズン目を迎えることからも分かるとおり、航空事故が興味深いと考えるのは何も僕だけではないのだ。

僕の「メーデー」へのはまり用は異常で、購入した全シーズンDVDセットがオーストラリアリージョンに限定されていたため、このDVDを観るだけのためにリージョンフリーのDVDプレイヤーを入手している。

航空事故の話をすると特に出張の時など周囲に嫌がられるのだが、「メーデー!」から学んだ「飛行機事故を生き延びるための三つの秘訣」に関する話が実は僕がする無駄話の中で唯一ためになった話、と言われたことがあるので、是非ここで紹介したいと思う。

僕の徳川慶喜に関する葛藤

来月の11月9日で大政奉還からちょうど150年。徳川慶喜のファンとしてこれを記念に慶喜イメージアップキャンペーンを実施中であるが、一向に最後の将軍の評価を上げることに成功していない。

なんとも残念なことである。

徳川慶喜ほど過小評価されている日本史の人物はいないのではないだろうか。

僕の食欲は部活帰りの高校生並み

僕は大食である。部活帰りの高校生並みに食べる。

具体的にどれほど食べるかというと、例えばジョナサンでの夕食は、シーフードマリネサラダととうもろこしポタージュから始まり、ハンバーグのドリンクバーとライスセットを食べた後、デザートにフルーツパフェを注文する。

この通常コースは税込で3200円ぐらいなのだが、この前主食を和牛ステーキにしたら、4260円も払う羽目になってしまった。最低3000円、下手すれば4500円もするファミレスジョナサンでの夕食は、僕にとって月一回の贅沢である。

食べる量が普通の人と比べてだいぶ多いため、僕は他人と食事する際の「会食ルール」というものを設けている。

米国銃社会の恐ろしさ、ウォルマートで実弾を購入して学ぶ

僕はニューヨークから持ってきたピストルを手に、友達のサムはベッドサイドに置いてあったピストルを手に、サムのおじいちゃんの家に向かったのだが、途中、近所のウォルマートに寄り道をした。僕がサムに銃弾をニューヨークから持ってこなかったことを伝えたら、「それならウォルマートで買うのがいい」という話になったのだ。

このウォルマートで僕は、本当の意味での米国銃文化の恐ろしさを知ることになる。

米国銃社会の恐ろしさ、南部に旅行して学ぶ

僕は米国の南部に憧れている。

高校時代、アジア人かつカソリック信者である僕は南部の大学だけは避けるべき、と教師から忠告を受けたのだが(南部はキリスト教と言ってもプロテスタント派が一般であり、白人以外は差別の対象となるため)、南部の人の訛りやゆったりさ、そして南部の文化にどういうわけか魅力を感じてしまう。

そんな南部に一人だけ親しい友達がいる。サムという名の彼は、ニューヨークは一度だけ行ってもうこりごり、と語るような、生粋の南部っ子である。彼が話をしてくれる南部の世界は僕が知らない別世界の話でいつも興味深い。

数年前に日本への転勤が決まった時、今後はそう簡単に会う機会がないと思ったサムに会いに行くことにした。

南部といえば米国の中でも特に銃が浸透している地域だ。その頃僕が住んでいたニューヨークでは中々撃つ機会がなかった僕のピストルもテネシー州なら容易に撃つ機会を見つけられるだろうと思い、テネシー州まで持っていくことにした。

そこでまず調べたのが、どうやったら銃を飛行機に持ち込めるか、ということである。

米国銃社会の恐ろしさ、研修を受けて学ぶ

僕が米国ニュージャージー州の銃購入免許を取得して思ったことは、「これでは到底拳銃は買えない」であった。

何しろ、銃について何も学ばず、何も試問されずに免許を与えられたのだ。「責任ある拳銃保持」を試みていた僕としては、全くの無知状態で銃を購入するなどできるはずもなかった。言うまでもないことだが、銃とは扱い方を間違えれば人が死ぬものである。

したがって、銃購入免許取得の直後、拳銃に関する研修を探すことにしたのだが、さすが米国、すぐに全米ライフル協会(National Rifle Association)が主催する研修が運転10分で行ける近所で見つかった。

「研修」と言っても会場で講義があるのではなく、そこそこ裕福そうな兄ちゃんの豪邸で1対1で教えてもらうのだ。インテリが真面目に拳銃を趣味とするのが米国だ。

米国銃社会の恐ろしさ、銃購入免許を取得して学ぶ

米国に住んでいた時、僕はピストルを持っていた。

このブログは、銃を買って、打って、保持することにより学んだ、米国銃社会の恐ろしさをテーマとした話である。

僕が居住していたのは比較的安全だったニューヨーク市郊外だったので、銃購入には自己防衛という実用的な理由はなく、「持てるから」という軽い動機しかなかった。

米国とは、そういった思いつきのような気持ちで拳が買える、恐ろしい国なのである。

もっとも、さすがの米国でも銃の購入には免許が必要である。

外国法事務弁護士という、日本の弁護士社会への裏口入学

僕は「外国法事務弁護士」、通称「外弁」と呼ばれる資格を有している。これは俗に言う「国際弁護士」に最も近い正式な国家資格なのだが、大きく名前負けする資格でもある。

外弁がどういった資格であるかというと、これは海外の弁護士資格を保有している者が日本で活動するための資格である。言い方を変えると、僕のような日本の司法試験には到底受からない者が、日本国内の日本人・日本企業向けに、大半の日本人・日本企業にとっては何の縁もない外国の法律に関する法的アドバイスを提供するための資格だ。当然のことながら需要はあまりない。

「海外の弁護士資格」というと聞こえはいいが、僕の場合、これは米国のニューヨーク州とニュージャージー州の弁護士資格を指す。はっきり言ってそれほど感激するほどのものではないのだ。

ブログの一新と日本語版の立ち上げ

数少ない読者の皆様に喜ばしいお知らせがあります。

この度、ブログを一新しました。

以下にて説明するとおり、これはサイトを全体的に変更するだけでなく、日本人読者の体験を大幅に改善することを目的とした、大きな更新です。

僕は(米国)大学生になるために生まれてきた

僕は大学生になるために生まれてきたような人間である。

起床は11時。

服装はダボダボなポロシャツとカーゴパンツに野球の帽子。

食べることと遊ぶこと以外で期待されているのは、自分が興味を持っている課題のみの徹底追求。

評価基準は、どれほど自分の意見を口頭と文章で表現できるか。

ここまで読んでいただければお分かりのことかと思うが、これは日本の大学生生活の話ではない。

日常の三不思議〜ラーメン屋の混み具合、日比谷線の延長、そしてスカウトされない僕

僕には三つの日常的な疑問がある。

一つ目が六本木にある「竹虎」という、ほぼ毎週日曜日に通っているラーメン屋の混み具合だ。

僕の日曜日の昼前後は週課みたいなもので、11時にしぶしぶ起床、12時に六本木でミサに参列、その後近所の「竹虎」で昼食、と決まっている。そういうことなので、「竹虎」に着く時刻はほぼいつも13時15分頃になる。

この時刻は昼にしては遅いこともあり店は大抵空いているのだが、7〜8週間に一度、すぐに座れない時がある。それも前に4〜5組待っているという(通常からしたらの)大混雑なのだ。

なぜ日曜日13時15分の六本木の「竹虎」では混む時と混まない時があるのか、そして混む時にはなぜ極端にも大混雑なのか。この奇妙な現象に気付いて4年近く経つが、余りに不思議すぎて未だに自説さえも立てられないでいる。

十五歳の僕への手紙

拝啓

この手紙を読んでいる君は、今どこで何をしているのだろう。

たぶん宿題に追われ、塾に通い、限られた残りの時間はテニスでもしているのだろう。

でも今の自分だから言えることがある。

十五の君がしなければいけないのは、学校や塾が中心の毎日を生きることだけではない、と。

教師にあらずんば「先生」にあらず

「先生」という敬称の使い方についてふと疑問に思ったことはないだろうか。誰も彼もが「先生」と呼ばれているこのご時世、一体「先生」と「さん」の境界がどこにあるのか、ということを。

僕は「先生」の使い方は二種類あると思っている。

ひとつ目が「教える人」に対して使う場合だ。

実は僕は(ほぼいつも)落ち着いている

僕はだいぶ感情的である。

少なくとも周囲にはそう思われている。

それがどでかい声のせいなのか、大げさな身振り手振りのせいなのか分からないが、最近になってやっと、僕の実際の情動状態と他人が受ける印象にギャップがあることを自覚し始めた。

このギャップの背景には性格があるようだ。僕は性格的に何に関しても意見を持ち、その意見を面白おかしく皮肉的に語るのが好きなだけなのだが、他人からは、僕は極端な意見を持っている上に自分とは異なる意見を一笑に付しているように見えるらしい。そのせいか、述べる意見が強ければ強いほど、話している時に興奮していると思われやすい。

2016年は「Change」の年でした

私の2016年のテーマは確実に「change」でした。

今年の5月、私は7年半勤めた法律事務所を辞め、アマゾンジャパンに転職しました。法律事務所からIT企業法務部への移籍。そしてそれに伴う引越し。これらにより、私の日常生活と生活のリズムは大きく改善されました。また、10月には祖母が92歳で亡くなり親族を一人失った一方で、まだ米国に住んでいた母と妹がこの度帰国することとなり、近くに住む家族が二人増えます。

色々あった一年をこうして振り返ることで頭に浮かぶのは、「All good things must come to an end」という英語の表現です。これは「すべてのいいことには終わりがある」という意味ですが、今年は「終わり」と「その後に来るもの」をたくさん経験し、多くを学びました。

佐久沼條治という、ある迷惑男の話

この物語はフィクションであり、主人公である佐久沼條治の名称および性格と立ち振る舞いが作家のものと瓜二つであることは、すべて偶然です。

「絶対、大丈夫」

こう断言した佐久沼條治(さくぬまじょうじ)を、左飛道(さひみち)レヌはあからさまにうんざりした目で見つめた。

「本当ですか」

無駄とは分かっているものの、レヌは一応確認する。

「僕が言うんだから間違いない」

また、だ。この根拠のない自信は何処から来るのだろう、とレヌはいつも思う。

「どうしてそう思うんですか」

レヌは食い下がってみたものの、帰ってきた答えは「僕のカン」だった。

思ったとおりの、何のあてにもならない答え。いまさら期待はしていなかったものの、この日常のやり取りにはさすがに嫌気がさしてきた。

新卒として入社し法務部の佐久沼の下に配属されてまだ半ヶ月しか経っていなかったが、レヌは既にもう、この、自称マンボウのモノマネを特技としている上司に物事を任せておくとヤバイことになりかねないことを学んでいた。

なぜトランプ?そして米国民主主義に対する信頼

先週、ドナルド・トランプ氏が米国大統領に選ばれた。

トランプ氏は、「日本は核武装すべきだ」とか、「メキシコ人はレイプ犯だ」とか、「イスラム教徒の移住は全面的に禁止すべきだ」などの問題発言を、大統領選を通して繰り返してきた。

そのような人物がなぜ大統領に選ばれるのか、という問いに対する簡単な答えはない。ただ、ひとつ言えるのは、トランプ氏の当選は米国という国の複雑さの表れであるということ。

僕は将棋に向いてない

将棋教室に月2回通うようになって4年超。「趣味は将棋だ、将棋」と周囲にウザく宣伝しているわりには、上達していない。

才能がないと言えばそれまでだが、何も誇れる才能がない僕は(家族・友人・同僚によると、口が達者であることは自慢できることではないらしい)、今までの人生において、コツコツと努力を積み重ねることで、テニスや数学などにおいて一定のレベルまで上達することができたのを長所と考えていた。

将棋も同じように忍耐力さえあれば一定の成果につながると思っていたのだが…

どうもいつまでたっても六級から昇級しない。

何がいけないのかをよくよく考え理由を追求してみたら、問題は自分の性格にあった。

祖母が亡くなって思うこと、それは生きることへのこだわり

先週、祖母が亡くなった。享年92歳だった。

祖母は数年前に認知症を患ってから徐々に記憶が薄れ、最後には僕が誰であるのか分かっていなかったと思う。

1年前に骨折した後には、手術とリハビリを経て歩ける程度には回復したものの、精神的には急激に衰退したのが明確だった。

数ヶ月前には食事を摂らなくなり、点滴に頼るようになってからはベッドを出ることが少なくなった。

そして最後の数週間は寝てばかりだった。

そこまで祖母が弱ってしまい、終わりが近くなっているのが明らかになっても、僕は最後の最後まで「92年の人生、幸せだったね」とは言えなかった。常に、「もう少し頑張って」と思っていた。

祖母を見届けて思うのは、「人間、生きていなければ意味がない」ということだ。

人生、ノリと勢いだ

今年の4月、僕は3時間で転職することを決めた。

そもそも僕は転職する気が余りなかった。1年前まで一緒に仕事をしていた元同僚に、「うちの面接を受けるぐらいはしていいじゃないか」と乗せられ、その後内定を貰えたもののそれなりに満足していた現職を離れることが想像できず、最終的には話を断るつもりであった。しかし、僕のツボを知り尽くしているこの元同僚は会社と職場と仕事の内容を魅力的に説明することに実に長けていて、意志の弱い僕はたった一度の夕食で説得されてしまった。

受ける面接、する面接

学生時代の就職活動と比べて大分心の余裕があったから言えることかもしれないが、この度の転職活動に関連して受けた多数の面接は、面接官と話しているだけで会社像や社風が見えてきて結構楽しかった。

例えば、とある有名なIT企業。職場の環境の話や面接官の仕草がドメドメな印象しか与えなかったのに、ラフな服装やオフィスインテリアを通じて外資系っぽく振舞おうと頑張っている姿が痛々しかった。ちなみに、バリバリ外資である僕の採用は一部の根強い反対に合ったようで、この会社からの内定は貰えなかった。

救ってください、僕を腕時計依存症から

僕は腕時計依存症にかかっている。それも結構重篤だ。

これがどのような病気なのかを知らない人のために、具体的な症状を列挙する。

① 雑誌は腕時計の広告をチェックするためだけにペラペラめくる。

② 大した用事もないデパートに腕時計売場を目当てにふらっと入ってしまう。

③ 銀座腕時計ブティックショップツアーのガイドを務めることができる。

④ 高島屋ウオッチメゾンの何階の何処にどのブランドが置かれているか把握している。

⑤ 鬱陶しい夏の中、唯一と言える楽しみが毎年三越の日本橋本店で開催される「三越ワールドウオッチフェア」である。

めざせ、高校中退

僕の日本での最終学歴は小学校中退である。この先当分は日本で生活していくことを想定しているのを踏まえ、「高校中退」まで学歴をアップすることを真剣に検討している。

この目標、結構ハードルが高い。何せ、高校受験をする必要があるのだ。

新たな一歩

急な報告になりますが、私は5月13日付で現在勤めている法律事務所を退所させていただくこととなりました。

振り返ってみれば、つくづく恵まれた7年半でした。

2015年を振り返って

今年も残すところ数日となりましたが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。

2015年は例年にも増して早く過ぎってしまったように思いますが、今年を振り返りますと 、私にとっての最大のニュースはPeter E. Doyneニュージャージー州裁判所判事による引退だったのではないかと思います。

優秀な人に必要なもの。それは才能、機会、環境そして性格

「優秀な人」になるには、少なくとも四つの条件が揃う必要があると思う。

まずは才能。

もちろん、「ウサギとカメ」の話にあるように、努力をしなければどんな才能も無駄になる。でも、果たして努力さえすれば優秀になれるかというと、野球やピアノ、そして将棋や囲碁のような世界を見れば違うことが明らかだ。これらの世界では、プロやプロを目指している人それぞれが最大限の努力を尽くしているにもかかわらず、プロになれる人となれない人が出てくるし、プロの中でさえもイチローのような半世紀に一人の天才と各チームにいる控えの選手のような差がある。

なんとなく分かってきた、日本の集団主義

日本人は集団主義、米国人は個人主義と良く言われる。正にそうなのだが、最近になってやっとこれが具体的にどのような社会的現象として現れるのかが分かってきた。

数年前に流行った「KY」という表現。「空気」のような曖昧なものを読めと言われても米国人は困ってしまうと思う反面、KYほど日本人の集団主義を上手く示している表現はないと思う。

例えば選択肢を与えられた場合、日本人は必ず周囲がどんな選択をするのかを気を留めて、周りに合わせようとする。それも典型的な日本人にとって、この行為は決して自分の主張を引っ込めていることではないらしい。日本人は子供の頃から周りに合わせることを学んでいるので、周囲と同じ選択をすることが我慢でも苦でもなく、自然に自分の主張にもなるようだ。

魚として生まれ変わるのなら、マンボウになりたい

魚に生まれ変わるとしたら、マンボウになりたい。僕にはそんな、ちょっと変わった思いがある。

断っておくが、これは決してマンボウになりたい、という願望ではない。あくまでも、死後、神に会い、その神にユーモアがあって、「地球に戻りたいのであれば魚として戻してあげよう」と言ってもらえた際の答えを準備しているだけだ。

僕とマンボウの初めての出会いは、小学生の時に行った鴨川シーワールドでだった。内側がビニールシートで覆われた水槽の中、下からゆっくりと浮上して視界に入ってきたこんなマンボウはとにかく衝撃的だった。

我が哲学、「人生いろいろ」

僕の人生の哲学は「人生いろいろ」の一言で簡潔に纏まる。

人生を語れる年齢か、と年配の人には叱られそうだが、そう長く生きてきた訳ではないものの、今までそれなりにそこそこの経験をしてきた。

日本で生まれ、米国で育ち、地元の公立校にもキリスト教系の私立校にも通った。大学では理数系と文系の分野をかじったし、社会人としては公務員としてスタートを切った。少なくとも一般的とは言えない経歴であろうと自負している。

様々な環境にいたことによって、生まれや育ち、学歴や職業、性格や特技が大きく異なる人々に出会ってきた。その他、人の趣味や個性も考慮すると、僕は多種多様な人に囲まれていて、それが最近「人の生き方ってこうも違うものなのか」ということを認識することにつながった。そして、そんな認識を持つようになり、毎日がたまらなく楽しくなってきた。

いじめられたら、強くなれ。強くなれなかったら、逃げ出せ

いじめによる中学生・高校生の自殺ほど悲劇的で深刻な社会問題はないと思う。

もっとも、社会的に見ればいじめの問題は深刻であれども、個別的に見ればすでに起こっているいじめをやめさせる有効的で極めて単純な解決策がある。過激的だが、それはいじめている者をもっと強い者がいじめることだ。いくらきれいごとを並べても、加害者がいじめを起こすのは、結局は被害者の辛さが分からないからだ。他人への共感や思いやり等の情緒的発達が不十分な子供たちに「いじめられる身にもなってみなさい」と説教しても大した効果は期待できず、子供にいじめられる身を分からせるためには、被害者の体験を実際に経験させるしかない。

もちろん、教育上、いじめを起こしている子供を大人がいじめることなどできるはずもなく、だからこそいじめ問題には簡単な解決がない。

加害者に対する有効的な対策が難しいのであれば、被害者を少なくするしかない。

そのための提案が僕には二つある。

与えられるのに取れない、甚だおかしい日本企業の有給休暇

日本企業のビジネスに対する姿勢には短期的利益追求を最優先する米国企業が見習うべきだと思う良さが様々あると思う反面、典型的な日本企業の社風は外資系の職場しか知らない僕からすると随分と理不尽だと思うことが多い。

その一つが有給休暇に対する考え。

僕は毎年有給休暇を使い切るが、日本企業に勤める友人の大半は年々数日の休暇を取る程度で、有給休暇をすべて消化することはまずないらしい。これは有給を取りたくないので取らないのではなく、職場の環境が有給を取らせてくれる雰囲気ではない、というのが大体の理由だ。

こういう話を聞くと僕は、「有給とは与えられた権利であり、それを行使することに関して引け目を感じる必要もなければとやかく言われる筋合いもない」と主張したくなるのだが、このように個人の権利を軸とした米国的な考えは日本人には馴染まないのだろう。

それでも、と思う。協調性を重視する日本人の心が「有給を取ることは不在中に同僚に迷惑をかけることになる」という考え方に繋がるのは理解できるが、だからと言って「だから誰も有給を取らない」という結論になることは甚だおかしい。

送りバントもやめよう

春の甲子園が終わった。

NHKで放送されていた試合を観ていたら、またしても「高校野球にやめてほしいこと」について書きたくなった。昨年に続くこの第二弾で取り上げるのは送りバント。

僕は送りバントが嫌いだ。

ボストンの冬に慣れると、どうも東京の冬は物足りなくなります

私は毎年冬が待ち遠しくてしょうがないのですが、ただ冬ならいいという訳ではなく、好むのは「冬らしい冬」です。そのような理由から「寒いからこそ冬、雪が積もってこそ冬」が持論である私にとって、2月中に「今日は寒いから嫌だ」などと苦情を言う人は、そもそも冬の本質が分かっていないわからんちんだと思ってしまいます。

2014年は相変わらずの充実した年でした

寒気いよいよ厳しくなりましたが、皆様にはお元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。

時が過ぎるのも速いもので、先の9月、私は東京赴任になり3年を迎えました。今の事務所に勤めるようになって6年。これからは東京勤務の方がニューヨーク勤務より長くなります。

生涯におけるこのような節目は記憶に残るものです。私が初めて渡米したのは小学3年生になったばかりの時で、8年後に米国生活が日本生活より長くなった時の複雑な心境は今でもよく覚えてます。似たような節目を今度は日本で社会人として迎え、最近はあの高校時代の心境を思い出しながら反対の観点から感慨深くなっています。

秋は楽しみ色々の季節です

秋という季節には様々な言葉が冠されます。

例えば「食欲の秋」。食べることが生き甲斐の私にとっても食欲が失せる夏が終わって秋が訪れるのは大変喜ばしいことです。それもただ食欲が回復するだけでなく、食欲を注ぐ食べ物がたくさん出てくるのが秋です。松茸の炊き込みご飯やふぐちり鍋。秋にしか食べられない多数の食べ物を想像しただけで幸せな気分になってしまいます。

ただ食べるだけでは豚になってしまい健康に悪いですので、(運動会とかで)ちゃんと運動すべきが「スポーツの秋」。もっとも、 運動して疲れることが真っ平御免でそもそも運動神経が全くない私にとって、秋とはもっぱらスポーツを観る季節であるので、あまり「スポーツの秋」は食べ過ぎの対策にはなっていないような気がします。

自己主張ができる日本社会へ

最近「便所メシ」という言葉を知った。これは、大勢の目の前で一人だけで食事をすることに極限な恐怖を感じる人が、便所に入って弁当をパパッと終わらせてしまう習慣を指すらしい。

現代日本のいわゆる「ボッチ」現象の延長線上にあると言えるこの「便所メシ」。これが、数年後には真っ当な社会人になっていなければならない年齢層が集まっている大学という場所で起こっているというのだから、「ボッチ」現象は極めて深刻である。

他人の目を異常なまでに気にする社会現象には自分に対して自信を持てない人があるのだろう。そしてその自信のなさは、自己主張が苦手な日本人社会に直接関連しているように思う。

納得できない「給料をもらっているんだから当たり前」という理屈

外資系企業にしか勤めたことがない僕は幸い経験した事がないのだが、典型的な日本の職場では理不尽なことを結構言われるようだ。

最も耐え難い例は、仕事に関して愚痴っぽいことを言うと、「給料をもらっているのだから、仕事をして当たり前でしょう」と返されること。

こんな発言をする上司がいる職場自体が信じられないが、この発言に対して「仕事だから確かに仕方がないよね」と納得してしまう多くの日本人の感覚も僕は到底理解できない。

やめましょう、一塁へのスライドは

夏の甲子園が始まりました。毎年この季節になると、私は日本の高校野球についてのある持論を主張したくなってしまいます。 その持論とは、どの高校野球部でもやっている一塁へのスライドを、無意味、非効率的なプレイとしてやめさせることです。

ある平凡な日曜日

2014年6月29日(日) の朝、最初に考えた事は、「今日は何をしよう」だった。

ここで 「朝」について解釈。「朝」とは、僕にとってその日が始まる時を指しているが、週末・祭日の僕の一日は大抵午後12時半頃に始まるので、一般に受け入れられている定義(すなわち「=午前中」)とは大分意味が異なる。

ここで「始まる」について補足。土曜日・祭日・ダラダラしている日曜日の場合、目が覚めてからベッドから出るまで1〜2時間かかるので、「その日が始まる時」とは、あくまでも目が覚める時間を指す。

徐々に嫌悪が増していく夏は、最悪な季節です

私は夏を、嫌さが増していく4段階に分けて耐え忍びます。

1. 春から夏の節目

私は春が嫌いですが、それは、「春は最も嫌いな夏に徐々に近づいていく季節だから」という、余り春の本質とは関係のない非論理的な理由によります。

つまり私は、気温が最適で、春風の涼しさを肌で感じながら半袖で生活できるようになる春の気候が、必ずしも嫌いではありません。

しかし、東京ではこの春の期間が余りにも短すぎます。「今日は気持ちがいい」と思える日など、大抵は2〜3週間、長くても1ヶ月ぐらいしか続きません。あっという間に蒸し暑さを感じさせる日々が訪れます。

春から夏の節目は、「とうとう夏が来てしまったんだ」という絶望感であふれる時期です。

威張る人間、嫌な人間

僕は偉そうにしている人間が大嫌いである。理由は至って簡単。僕の方が偉いに決まっているから。

最近昔以上に、威張っている人に対して嫌悪を感じるようになった。米国にもそれなりに威張りくさっている人間はいるが、日本の方が肩書きや学歴などを盾に横柄に振る舞うレベルの低い人物が多いようだ。

そんな事は様々な人に出会う機会がある選挙運動を通じてよく感じる。

私は春が嫌いでございます

外の気温が暖かくなってきました。桜も咲きました。世間が待ちに待った春がやってきました。

私は大好きな冬と大っ嫌いな夏のハザマにあるこの春と言う季節が四季の中で最も嫌いでございます。

バカでアホで間抜けな僕の「湘南新宿ライン制覇」

冬休み中に長い間やりたいと思っていたことをやった。

「やりたいこと」とは、湘南新宿ラインに乗って乗り換えなしで群馬県の高崎から神奈川県の小田原まで行くこと。

全くバカなことを思いつき、アホにも実行に移したものである。

無口でクール、そんな風に思われたい

「僕を一言で表現するとしたら、どんな言葉を選びますか」

最近僕の周囲の人にこんなアンケートをとってみた。

最初に返ってきた答えは「鬱陶しい」。「Annoying」と英語で続けたのは、実は日本人。そして「KY」と日本語の表現を選んだのはアメリカ人。

つまり僕はうるさいらしい。

振り返って情けない、僕の教育

最近米国の実家に置いてあった私物を整理していたら、中学生時代以降のノートやプリント、試験の答案用紙などが出てきた。懐かしいと思い、目を通しながら過去の自分の教育を振り返ると、なんとも複雑な心境になった。

見つけたもので最も古かったのは、中学生の時、塾の数学の授業で取っていたノート。適当にめくったページには数字が縦と横に並んでいた。何らかの計算だろうとは思ったが、引き算なのか割り算なのかもよく分からなかった。大して難しくない筈の中学レベルの数学さえ理解できなくなってしまったことにショックは受けたが、最近職場で「8引く5は4だからね」と自信満々に小学一年生レベルの算数を間違えて唖然とした目で見られたばかりだったので、二次関数の因数分解(であることをいずれ思い出した)の計算が見分けられないのは、実は今更びっくりするほどの事でもない。

「風立ちぬ」は宮崎駿の稀に見る失敗作

3.5/10

宮崎駿監督の最新アニメ作「風立ちぬ」(2013年)は、零戦設計者として有名である堀越二郎の半生が主題。子供の頃パイロットになることが夢だった堀越は、近視だったためその夢を叶えることは不可能であることを悟り、飛行機設計者という違う方法で飛行機の世界と携わっていく道を選ぶ。そのため学問に励み、その後東京の大学で勉強する事になる。

大学入学のため汽車に乗り東京に向かう途中、関東大震災が起こる。脱線した汽車により怪我を負ったある少女の女中を担ぎ、少女の家まで付き添うが、少女の名前は聞かず、そして彼も名前を残さず大学へと向かう。

その後大学を卒業した堀越は、飛行機製造会社に就職し、名古屋に配属される。優秀な設計者として迎えられた彼だが、彼が最初に設計した飛行機は空中分解してしまう。上司により欧米の発展した技術を学ぶよう薦められた彼は、同僚とともに高度な飛行機技術を学びに外国へ送られる。こうして技術を磨いた堀越は日本に戻り次第新しい戦闘機の設計を任せられるが、新しく設計した飛行機も試験飛行で墜落してしまう。

またもや失敗してしまった堀越は、長期休暇を貰い軽井沢へと向かう。そこで何年も前の大震災の際に助けた少女、菜穂子と再会し恋に落ちるものの、菜穂子は結核を患っていた。菜穂子とは限られた時間しかのこされていない中、堀越は戦闘機の設計成功のために執念を燃やすようになる。

宮崎駿は「風立ちぬ」をとおして、多分、結核に患われていた妻に支えられた偉大な飛行機設計士の物語を語ろうとしたのであろう。「多分」と付け加えたのは前半では二郎は少年からの夢を追って飛行機の設計士になり、上司や同僚や囲まれて成長していくのに対し、後半からは突如として菜穂子との関係のみがクローズアップされるからだ。このように中盤で、堀越と飛行機中心の話から堀越と菜穂子中心の話へと大きな方向転換を行ない、軌道修正できない所が「風立ちぬ」の最大の欠点である。

私にとっての「バイリンガル」の意義

私は学生時代、「穣さんはバイリンガルでいいですね」と言われるのをあまり好まなかった。私からしたら二カ国語を中途半端にできるより一カ国語を極めている人のほうがずっと羨ましかったから。

中学・高校時代の私は、英語に関しては米国のSATと呼ばれる大学進学適性試験の点数に悩まされており、日本語に関しては、塾で受けていた模擬試験の国語の点数が一桁台であったため、さじを投げていた。言語は同時にふたつ使える物ではないと思っていたから、自分の将来において英語と日本語のどちらを主にするか選択する必要があると考えていた。日本語を選ぶには余りにも国語力が欠けていたいたので、日本語の勉強には余り力を入れなかった。

2年前、21年ぶりに日本に戻って以来、学生の頃の「一つでもいいから言語を極めたい」という要望が無い物ねだりだったと分かるようになった。英語が不便なく使える私にとって重要なのは必ずしも日本育ちの日本人のように日本語が出来る事ではない。現在の自分の日本語でも、十分に私生活でも仕事でも通用するので、肝心なのは今の日本語能力を基盤に、日本語を使う環境に自分を置き、使おうという気になることで、日本語をさらに上達させる気になることだと認識するようになった。

小6の漢字能力では読めぬ名前・地名

最近漢字の勉強をしようかと真面目に考えるようになった。

発端は後輩の発言。ある日僕がカレンダーに書いてあった「挑戦」という言葉を、「モモノタタカイ」、すなわち「モモタロウ」と読んで以来僕の国語力に疑念を抱き始めたらしい彼は、しばしば僕の漢字の抜き打ちテストをするようになった。この前も「割愛」の読み方を聞かれたので、素直に「ワリアイ」と読んだら、「やっぱり」と諦めの表情で納得されてしまった。「普通の小6だったらそう読むでしょう」と言い訳をしたら、「ジョーさんは社会人になったんだから.....」と、もう少し漢字のレベルを上げるよう促された。

「変ジャパ」とさえ認めてもらえない僕

最近国際基督教大学卒業の人から面白い話を聞いた。

外人・帰国子女が多いICUでは、「純ジャパ」、「半ジャパ」、「変ジャパ」、「ノンジャパ」と学生を区別していたらしい。彼女に説明してもらったところ、「純ジャパ」は日本生まれで日本育ちの「純粋」な日本人。「半ジャパ」は言葉どおり親の片方が日本人であるハーフ。「変ジャパ」は日本生まれだけれども外国生活が長くて普通の日本人からしたら「変」になってしまった日本人。「ノンジャパ」はただの外人。

さてこの中で僕はどれに当てはまるのか、という話になったら、「ノンジャパ」と結論付けされてしまった。

つまり僕は変な日本人にさえも見えない、らしい。

瀬田博之さんへの追悼

この歳で、それも二週間という短い期間に、二カ国語で二度も哀悼の意を表す事になるとは夢にも思わなかった。命とは時にはとてつもなく脆いものである。

瀬田さんは僕の少年時代からの友人の大学の先輩であり、その友人を通して彼を知った。たったの二ヶ月前のことである。

とても短い間の付き合いだったのに、亡くなってもなお僕は瀬田さんを身近に感じる。それは我々の性格がとても似ていたこともあるだろうが、何よりも彼の明るい人柄が理由なのだろうと思う。

僕の友人は僕と瀬田さんの気が合いそうだと以前から考えていて、我々を紹介する機会を探っていたようだ。実際会ってみると瀬田さんは、バットマン最新作「ダークナイトライジング」で悪人だったベインのモノマネを同僚の前でして楽しむようなひょうきんな人で、初対面から好感と共感が持てた。

その反面、彼にはとても真面目な面もあった。保険関係の仕事をしていた彼は、ちょうど保険に関して情報を探していた僕にとって渡りに舟。この数週間、度々会ってもらっては日本の保険制度の話など、なかなか聞く機会がない話を聞かせてもらった。特殊な保険を探していた僕のために、同僚に尋ね回ってなんとか見つけた商品を、改めて面談までして紹介してくれるまめな人だった。最初に相談に乗ってもらったとき、近くのコーヒーショップが何処にあるのかをきちんと調べていた、そんな彼の姿が忘れられない。

「桐島、部活やめるってよ」はいまいち物足りない

6/10

僕の友達に、米国作家であるアプトン・シンクレアが書いた「ジャングル」という本を基に脚本を書いた者がいる。原作は英語で300ページという長さであるため読んだ事がないのものの、以前にもこの友人の脚本を読んだ事がある僕は、最新の作品の感想を聞かれた。「前作と比べると大分上達したな」とそれなりに誉めたのだが、「多少登場人物が多すぎる」と付け加えたら、「これでもだいぶ原作から削ったんだよ」と苦笑いしながら返された。原作と比べて映画版はいつも劣るな、と考えていた僕に、本はそう簡単に映画化できない事を僕の友人はこの時教えてくれた。「桐島、部活やめるってよ」を観ながら改めてその事実を思い出した。

「桐島」は、ある高校のバレー部のキャプテンである桐島が部活を辞めた事によって始まる。原作と同様、映画に桐島は現れない。代わりに、桐島の退部がもたらした波紋をバレー部の補欠の風助(太賀)、プレスバンド部の佐和島亜矢(大後寿々花)、映画部の前田涼也(神木隆之介)、ソフト部の宮部実果(清水くるみ)、野球部の幽霊部員である菊池宏樹(東出昌大)の5人を中心に語る、というのが設定となっている。

二千円札を持ち歩く些細な楽しみ

二千円札を持ち歩いていると色々な所で面白い経験が出来る。一番笑えるのがお釣りの勘定で店の人が混乱してしまうこと。二千円札に対するお釣りは通常ではあり得ない金額であるため、突拍子もないお釣りが戻ってくる。

例えばこの前旅行先でお土産を買った時。僕は57円の豆腐も平気で二千円札を使って購買するのだから、当然の事ながら2400円弱の支払いに対し二千円札2枚を出した。店の人、「はい4千円ね」と言いながら受け取ってるのにもかかわらず、店の奥に行き千円札を4枚持ち出し、その上に小銭を乗せて僕にお釣りとして差し出した。「差し上げたのは4000円でしたけれど」と指摘したのだが、状況を把握するまでさらにたっぷり15秒はかかった。こういう事がよくあると事前に父に話していたのだが、実際に目撃するまでは信じられず、このやり取りの間ずっと笑いをかみ殺していた。

最新の「海猿」は単純さがいい

8.5/10

くさい台詞を吐く主人公中心のありふれた感動物語が大金をつぎ込んだ大規模なアクションを通じて語られる。そんな何にも考えないで楽しめる単純な映画を、特に夏には観たくなる。「海猿」シリーズの4作目となる「BRAVE HEARTS 海猿」は、2作目と同様に、そんな欲求を満たしてくれる映画である。

構想はいたって簡単。海上保安官である仙崎大輔 (伊藤英明)と以前からバディーである吉岡哲也(佐藤隆太)は、通常の海上保安官が出動できない現場を任せられる特殊救難隊に所属する。彼らの直属上司は嶋一彦 (伊原剛志)。命を救うことを何より優先し、どんな場合でも奇跡を信じて諦めない心を持っている仙崎は、現場では冷静な判断力が最も重要であると考える嶋とは意見が合わない。そんなある日、吉岡がプロポーズして断られた元彼女である矢部美香(仲里依紗)がキャビンアシスタントとして乗っている羽田行きの飛行機がエンジンと機体に大幅なダメージを受けるという危機に晒されてしまう。海上保安庁警備救難部救難課長である下川嵓(時任三郎)が危機管理のため羽田空港に駆けつけるが、状況を鑑みて飛行機の羽田への着陸は不可能と判断。乗客と従業員全員を救う方法は東京湾への着水方法しかないと決断する。薄暗くなる中での着水、そして着水後の即効の救出には海上保安が欠かせなくなり、仙崎、嶋、そして矢部が飛行機に乗っていることを知っている吉岡が出動する。

「海猿」は単純な映画だが、このような映画の製作は簡単なようで意外と難しい。単純な映画とはいえども構想は肝心で、関心を削ぐようなストーリーはいくらアクションシーンが良くても、観客は冷めてしまう。「海猿」はそこら辺のコツをしっかりつかんでいる。この映画の空と海での危機を中心とした構想はスケールが大きい。飛行機に不具合が起こった時点から映画はテンポが上がり、ハラハラする場面が中断されることなく続く。海で活動する海上保安官の話なのに空を飛ぶ飛行機を中心とする設定は如何なものかと観る前は半信半疑だったのだが、空と海の場面がバランスよく組み合わせられており、全く違和感を感じない。前作「THE LAST MESSAGE 海猿」の石油プラットフォームでの設定は今ひとつしっくりこなかったのだが、「BRAVE HEARTS 海猿」では空という海とは全く関係の無い場面を導入したことで反対に成果を出している。

僕の芸は口

「多芸は無芸」とはよく言ったものだ。僕に相応しそうなことわざだが、若干違う。

まあ、どんなことわざも多少修正すればどんな人物でも状況でもピッタリ表現できる。例えば「花より団子」。これは芸術がさっぱり分からない他、いつ世界が破滅するか分からないと言う理由で、どの食事も最後の食事との前提で大食いする僕にぴったりそうだが、実はちょっと不完成。毎日の二度の食事も大切だが、何よりカジノが生き甲斐であるため、僕は「花より団子、より博打」と、ジョー流のことわざを使っている。

「多芸は無芸」もちょっと合わない。「多芸」とは多くの「芸」に通じている事を指すが、僕は「多芸」であると褒められたことなどない。反対にどうでもいいことばかり話している、している、考えている、と毎日のように皮肉られている。僕にとってジェームス・ボンドに関する知識、小説の読書、映画の観賞、漫画の乱読、家系図の作成、飲食、博打、パズル、将棋、ブログの投稿等々はとても重要なのだが、他人にとってはどれもためになる「芸」ではなく、「趣味」ですらない、ただの「無駄」らしい。

僕は闘う、タクシー業界と~僕が二千円札を持ち歩くようになったきっかけ

日本に来て早くも9ヶ月。その9ヶ月間の大半、僕はタクシーの運ちゃん達と戦争を繰り広げていた。

イザコザの発端は料金の支払い方法。米国ではカード使用が浸透していることもあって、僕は原則として10ドル以上の買い物はカードで済ませていた。朝食代わりのオレンジジュースの1ドルもカードに付ける程だったので、オフィスからアパートまで10分のタクシー料金12ドルも当然のようにカードで支払っていた。ニューヨークのタクシーは運転手にカードを渡さず自分で機械にカードを通せば良かったので、なおさらカードが使いやすかった。

日本に来てもニューヨークからのカード生活の習慣がなかなか抜けない。東京のタクシーは初乗りが710円である為、タクシーに乗車した時点で既に「カード金額」である10ドルを超えつつある。しかし、さすがに1000円未満でカードを使うのには気が引けるし、わざわざ運転手にでかい機械を取り出させてカードを使うのには時間かかり面倒である為、1200円ぐらいをカード使用金額の目安にしていた。

下手な筆跡

僕の筆跡は悪い。自慢したくなるくらい悪い。

もちろん今になって始まった事ではない。米国での小学時代はなにもかもに成績が付けられたが、算数以外はどれも平均並だったため、良くも悪くも目立たなかった。だからこそ小4の時の筆跡の成績だけは忘れられない。AからD、そしてFとある成績段階のうち失格寸前のDだったのだ。

その時は大分プライドが傷つけられたが、他人に言われてあまり納得できない事も自分で経験をするとすんなり受け入れられるのはよくある事だ。僕の筆跡に関しては正にそうで、中学生時代に勉強をするふり、高校時代に勉強ができるふりをするようになって、徐々に自分自身の筆跡に悩まされるようになった。何しろ自分で書いた字が読めないのだ。

分かる、読める、書ける、しゃべれる

日本での生活が始まって二ヶ月。改めて実感するのが、分かる、読める、書ける、しゃべれるの違い。

「分かる」にはあまり苦労しない。日常生活の会話でぱっと理解できずに聞き流してしまうことが割と多いのに気がついたが、生活に支障は無い。日本で生まれ、家庭で日本語を使い、中学、高校と塾に通い、大学以降毎日日本の新聞を読んでいたのだから、これぐらいは感激するほどのことでもないと言われれば確かにそうだ。ただ自慢ではないが、趣味が政治、職業が弁護士、そして仕事の分野が経済関係なので、結構レベルの高い日本語が理解できていると思う。

後押ししているのが読書。最近はほとんど日本語の小説しか読んでいない。この三年間、日本語の本は100冊近く読んだろうが、英語の本は片手に数えられるくらいである。これは皮肉にも苦手な漢字に感謝するべきことなのだ。漢字のおかげで日本語は「見る」だけで意味がだいぶ分かるので、小説などすらすらと読める。英語は一言一言「読んで」いかなければならないので、最後に読んだ400ページ以上あるブッシュ前大統領の自伝を読み終わるのに2週間近くかかった。時間が貴重な身なので、読み物の「質」など結構どうでもよく、「量」が優先される。まるで絵本並みに「見る」だけで進める日本語の小説はそういう意味でとても魅力的。

「読める」あたりから僕の日本語のぼろが出る。「読める」ほうが「分かる」より困難という点は英語と大きく異なる。どちらかと言うと英語は逆で、ある程度発音のパターンを知っていれば大半の英語の言葉は「読める」。しかし、言葉や文章の意味はだいたい実際に意味を知っていなければ分からない。余談だが、高校時代に英語の語彙の少なさに悩んで相談した進路指導教員に、ラテン語のルーツを覚えることを提案された。なぜ英語でさえ習得し切れていないのに消滅した言語を学ばなければならないのか。この人は何も分かっていないなと思った。

新たな歩みだし、東京で

東京への転勤が決まりました。八月の下旬から日本に住む事になります。

寝耳に水、と思われるかもしれません。実際、転勤を要請したのが二週間前で承諾されたのがその翌日。確かに急です。

アメリカに引っ越したのが8歳の時。最初は5年と言われていたのが、いつしかこんなに月日が経ってしまいました。その間、米国の高校を卒業し、米国の大学へ進学し、ロースクールまで卒業。地元の判事の元で法務書記として1年経験を積んだのち、ニューヨークの企業法律事務所に入社。アメリカの弁護士としてはある程度普通の道です。

そんな私の人生ですが、そろそろ大きく違うことをしたい、新しい挑戦が欲しい、とちょっと前から考えるようになりました。

救えない人、救われたくない人

数年前、高校時代の同級生に、「ジョー、お前はみんなの救世主になりたいんだな」と言われた。お世辞でも、嫌みでもなく、ちょっと皮肉的な口調だったが、思うままの感想を述べたのだろう。

確かに僕は人を手伝うのが好きだ。助けられたくない人にとってはありがた迷惑だと思われるかもしれないが、迷惑かけない事自体が助けになるので、そういう人は放っておく。

最近少し成長したな、感じるようになったのは、世の中には救えない人と救われたいと助けを求めているのにもかかわらず救われたくない人が存在するのに気付き、そういう人を放っておくのを学んだ事。

方向音痴を説明すると

僕は方向音痴である。身近に方向に関してやけに鋭い妹がいるので、自分の無力さがよくわかる。

方向音痴の無力さとは、方向音痴の仲間にしか分からないと思う。

まず、常に自分が何処にいるのかを把握するのに苦労する。良い例が地下鉄の駅から地上に出た時。ニューヨークでは道に数字がついているから自分の居場所など簡単にわかる筈だ、と思われるかもしれないが、とんでもない。通常僕は地上に出た時点で一体どの方向を向いてどっちに進めばいいのか迷う。時間かけて考えても分からないため、最近はとにかく適当な方向に向けて歩き、間違っていることに気付いたら引き返す、と言う手段を選んでる。この方が変に迷って時間を費やすよりはるかに効率がいい。

何より食を愛した祖父の笑い話

父方の祖父が亡くなってもう久しいのだが、わが一家では未だに笹沼宗一郎ゆかりの話で盛り上がる。とにかく面白い、母曰く、愛嬌のある人だったようだ。

祖父は陸軍だったのだが、平気で敵国アメリカのピストルを身につけて歩き回っていた。この銃は戦後も米軍に手渡さず、彼の死後、祖母が蔵を整理していたら出てきたそうだ。実物だと知っていた祖母は交番に届け出たのだが、警官は日常銃を扱い慣れていないのかおもちゃだと思い、詳しくその場で状況を聞かなかった。後に本物だと分かり慌てた電話がかかってきたという話を聞いた事がある。

彼は自宅に暗室を構えていたほどの写真家だった。カメラと言えばドイツ製。戦争中、ドイツからカメラを潜水艦に乗せて密輸入した、なんて言う事を聞いた覚えがあった。なんか祖父ならあり得そうな話だったのだが、父曰く「あれは職権乱用」だそうだ。

祖父は陸軍省の監督官で、専門は写真の感光材料。「日本の全メーカーの上に立って威張っていた」らしい。ドイツでライカの新製品が出て、どうせ上官に「こんどドイツで発売されたライカは画期的で日本の写真産業の発展になくてはならないものなので、どんな手段をとっても入手すべき」らしきの、うそ八百の上申書を書いたのだろう、というのが父の憶測。祖父は東京大空襲のときそのライカを持って逃げ、軍服・サーベルを焼失。上官の大佐に「カメラを助けて、天皇閣下からお預かりしているものを置いて逃げるとはないごとか」と当然の事ながら怒鳴られたそう。

慶喜への憧れは情のもろさから

僕は情にもろい。

友人にはこれは取り柄だと言われる。僕も友人には思いやりや忠誠心を望むだけに、なぜそう言われるのか存分に分かる。

しかし論理を重んじる弁護士と白黒をはっきりさせるのを好む正義感が、自らの情のもろさに違和感を感じることがある。家族か友人が僕へ手を差し伸べたとき、論理的に考え、正義に基づいて出した結論が情に反するなら、迷った挙句に情を選ぶであろう自分に弱さを感じる。正しい道が分かっているのに進めない自分に。

徳川慶喜は違った。幼年時代から徳川家康の再来とまで称されるほど利発であった慶喜は、論理を基に常に動ける強い人でもあった。彼は論理に筋を通すためなら何でも犠牲にし、誰に対してでも非情になれた。江戸幕府という政体はもう続かぬと悟るや、渋々引き受けた将軍職を捨て、迷わずに自ら江戸幕府260年の歴史に終止符を打った。旧幕臣が徳川家のため、ひいては慶喜の為に立ち上がるや、欧米国だけに利を与える負け戦をするほどおろかではない彼はさっさと逃げた。人一倍に忠義心が強かった松平容保を見捨て、恭順を通した。それが清国の二の舞にならぬための日本の未来に欠かせないと分かっていたから。

自分の名前探しの旅

林遣都という役者がいる。「バッテリー」という映画で見たぐらいなので日本で知名度が高いのかもよく知らないが、うらやましい、と思うことがある。彼の名前の事である。

漢字レベルが小六でストップだから当然の事ながら「遣都」が読めず、実はどこまでが苗字でどこからが名前なのかも分からなかった。ただ、中国人っぽいかっこいい漢字を使っている名前だな、と印象深かった。

その後、読みが「けんと」と知って、「かっこいい」が「うらやましい」に変わった。名前をローマ字にすると「Kento Hayashi」になるからだ。

くだらない事だと思われるかもしれないが、自分の バランスの悪い「Joe Sasanuma」には長年悩まされてきた。ただでさえ名前が短いぶんに苗字が長いのに、弁護士になるとつけられる敬称「Esq.」などつけたら「Joe Sasanuma, Esq.」。余りにも見てくれが悪くてみちゃいられない。よってありがたき迷惑の「Esq.」はなるべく断っている。

東大卒の先輩。人生いろいろ

今の法律事務所に勤め始めもう一年。通常なら新社員が入社する時期なのだが、不景気のせいで入社時期は無期限に延期。おかげでなんとか首切られずに今年を生き延びた我々は週末出勤や徹夜が続いている毎日である。

形式上2008年入社である僕は未だに最も後輩なのだが、9月に数人の交換弁護士が海外の法律事務所から派遣されたため、やっと僕よりも未経験な人と働くようになり、知ったかぶりできるようになった。

派遣された弁護士に日本人が二人もいる。資本市場部には日本人が僕しかいないので、自然と僕が(英語で)指導するようになっている。

まずいざるそば、どうでもいいドイツ料理

最近は少し落ち着いたのだが、2ヶ月前は1週間90時間、日曜日14時間出勤など、(アメリカでは)滅茶苦茶な出勤パターンで、大分参っていた。

それでも「花より団子」である僕は、ある程度ましな食事さえ食べられれば、結構オフィス生活も我慢できる。

ところが、ニューヨークの出前はまずい。

ぼくは日本の地理が昔からちょっと大分苦手

アメリカ人の無知を説明するのによく使われるのが、国民の3分の1が非標の世界地図で中国を特定することができない、という恐ろしい世論調査。中学でこれを聞いたとき、「この国の人間はどこまで阿呆なのか」と思ったのをよく覚えているが、僕も実は余り他人のことは言えない。

同じく中学ごろだっただろうか。塾で無標の日本地図に正しく都道府県の名を記入するミニテストがあり、答えられたのは北海道と青森だけであった。

そもそも、地理テストというのは二つの面で難しい。

納得しがたい、逆転無罪判決。

痴漢事件で防衛医大教授に最高裁が逆転無罪を言い渡した。なんとも納得しがたい判決である。前置きしておくが、あくまで弁護士の考えとして原判決を覆した法的論法に納得がいかないのであって、教授がわいせつを犯したか犯していないか、冤罪だったか、という事実に関しての考えはない。

5人が審理し、3対2という小差だった。全員が意見を述べるという稀な判例で、割と短く簡潔で、僕でも分かる日本語を使っているので、興味のある人は全文読める。

判例をざっと要旨すれば、公訴によると被告人は満員の電車の中、乗客であった17歳の女性に悪質なわいせつ行為をした。被告人は一貫して犯行を否認。物的証拠もないことから、公訴事実を基礎付ける証拠は女性の供述しかない。最高裁は女性の供述の不自然さ、不合理さを指摘し、信用性に疑いを投げかけ、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があったという理由で原判決を破棄している。

言うまでもなく、「疑わしきは被告人の利益に」は刑事裁判の原則であり、それを最も反映しているのが有罪判断に必要とされる証明基準、「合理的な疑いを超えた証明」である。主文、補足、反対意見すべてこれは問題視していない。

塾と僕と人生

僕は収集癖なので、実家の部屋は高校時代からのレポートだのプリントだのであふれかえっている。整理するのも好きなので、ある程度散らかりがひどくなると、取っておいたものをまとめるのが新たな趣味になる。今年の年明けは暇さえあれば大学とロースクール時代の物を箱に入れて整理していた。ごみといえばごみだが、何せ高い学費を払って得たノートやプリント等々なので数千円の箱に保存する価値のある、高価なごみである。

何でもとっておくので、当然のことながら塾時代のプリントや論文も残っている。僕は小5のときから塾へ通わされた。小学受験の時でさえ大した塾に通わせなかった両親が、受験とは何の縁もない米国現地校に通っている小学5年生のために塾費の出費を覚悟したということは、僕の勉強不足もだいぶ深刻だったのだろう。

今振り返ってみれば、小、中時代は全くといっていいほど勉強をせず、学校は友達に会いに行く遊び場だった。そんな毎日が週三度塾へ通うことによって改善されるわけもなく、僕の塾への態度は授業に座り、適当に問題を解き、宿題はしないというパターンだった。数学は国語より得意だったので比較的まじめにした覚えがあるが、国語の授業には何の興味も示さず、何の努力も注がなかった。
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