選挙ボランティア活動中、なぜかまた苗字で呼ばれなくなった(前編)

選挙とはとにかく地味な作業の積み重ねで、その一つに「証紙」と呼ばれるシールをチラシに貼るというものがある。これは、各陣営が正式に認められたポスターを同数の枚数しか配れないよう、平等性を担保するための制度である。

都知事選ともなると、「証紙」の数は3万枚にも上る。これを貼っていく機械はなく、すべてが手動だ。ひとりで捌ける枚数なんてたかが知れてるので、とにかく人海戦術に出るしかない。

この証紙貼りという作業、実に僕の性格に向いている。

何時間にも渡り、何も考えずに、ひたすらマンボウのように「無」になってする仕事は、得意中の得意だ。その上、大勢の仲間と雑談しながらできるなんて、しゃべることが生き甲斐の僕にとっては楽しくてしょうがない。

そういうことなので、僕は6月下旬のある週末、二日間に渡って某都知事選候補の事務所に籠り、十数人の同胞ボランティアさんたちと共に当たり障りない会話を繰り広げながら、終日シール貼りに明け暮れた。

そんな2日目。僕はふと、あるボランティアさんとの会話が前日から大きく変化していることに気付く。

その人から、いつしか「ジョーさん」と呼ばれるようになっていたのだ。他人の会話に耳を立てると、苗字で呼ばれてないのは僕だけである。

またか。

どういうわけか、僕は苗字じゃなく名前で呼ばれる傾向にある。苗字で名乗っているにもかかわらず、だ。

誰しも、初対面直後は苗字で呼んでくれる。ところが、それが定着しない。時間が経つと、大抵の人が僕を名前で呼ぶようになるのだ。

後編に続く)

 
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