僕はつまらない人間が嫌いである(前編)

僕は八方美人だ。でも、そんな僕でさえ、ある種の人間からは好かれずとも構わないと思っているし、僕もその種の人間に対しては嫌悪しか感じない。

その種の人間とは、つまらない人間である。そして、そういうつまらない人間にこそ、学歴が高いエリート職に就いている人物が多い。

たとえば、あるグループの付き合いで年に一度か二度会う男だ。

この人物は東大卒であり、息子も東大卒である。他人に関心がない僕がなぜそれを覚えているかというと、この男と初めてした会話の5分でこの二つの事実が判明し、再会した際の会話の2分でまた同じ話が出てきたからである。2度目に聞いた時には、「こいつは他に話すことがないのか」と呆れてしまった。

さらにたちが悪いことに、通常、こういう人間はくだらないプライドが高い。

数年前、ある会食の時、僕としたことがこの男の隣に座ってしまった。もっとも、当初の僕はそんなことお構いなしにいつもと変わらず自分がしたい話ばかりをしており、いつしか、アメリカの上院では人口にかかわらず各州に2議席ずつ割り当てられる仕組みであることの是非が議論されるようになった。その議論の中で僕は、この仕組みはアメリカ憲法における改正手続きの対象外なので、仕組みが政策的に是非の「非」であったとしても、憲法をゼロから書き直さない限り変えることはできないのだという指摘をした。

すると、それまで黙っていた隣の男が、急に「憲法改正ができないなんてありえない」と反論し始めた。

それを聞いた僕は、よほど「お前はバカか」と言い返してやろうかと思った。なぜなら、この男は間違いなくアメリカの憲法を読まずにこの発言をしているからである。なぜ憲法を読んでないことが分かるかと言うと、第5章に僕が言ったとおりのことが書いてあるからである

アメリカの憲法を読んだこともないくせにアメリカの憲法を教えられる僕に対して意見するとは、一体どういう神経をしているのだ。

後編に続く)

 

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