僕が好きな米国スポーツ、その規模1兆円

6年ぶりの米国生活。特に喜ばしいのは、スポーツがまた身近な存在になったことである。

米国はスポーツの国だ。

職場の同僚との雑談。タクシーの運ちゃんとの世間話。パーティでの会話のきっかけ。どんな場面でも男女共にスポーツの話で盛り上がる。

ケーブルテレビにはスポーツ専門のチャンネルが複数あり、アメフト試合の直前には次の試合で注目すべき選手を分析する番組が、直後には先の試合で勝負を決めたプレイを分析する番組が1時間ずつ組まれる。

インターネットではメジャースポーツごとに何人もの記者がニュースを追い、終日特ダネが速報される。大谷がエンジェルスに入団することを、僕は日本の新聞が報道する1時間半前に米国のスポーツサイトを通じて知った。

常にスポーツに囲まれるこの環境に戻って改めて思うのは、日本は一般的にスポーツ好きの国ではないな、ということである。

日本人の限定的なスポーツへの関心をよく示しているのがプロ野球の中継だ。今となっては視聴率が低く過ぎて地上波全国放送自体がなくなってしまったが、まだ全国放送が存在した時代でさえ、中継は、恩着せがましい「スポンサーの希望による」60分の延長後、打ち切られていた。

試合中に中継を打ち切るなど、米国では絶対にありえないことだ。

実は50年前に米国でも、アメフト試合を中継の途中で「アルプスの少女ハイジ」の映画に切り替えた放送局があった。この出来事、中継が打ち切られた試合がその後歴史に残る名試合となってしまったため、終盤を観られなかったことに憤慨したファンに対して社長が謝罪に追い込まれるという一大事に発展してしまった。この「ハイジ事件」以降、スポーツ放映権には試合を終了まで放送する義務が伴うことになった。

日本人からしたら「なんと大げさな」と思うことかもしれないが、試合が最後まで観られないと社会問題にするほど熱狂なスポーツファンが多いからこそ、米国ではスポーツの存在感が強い。そして、その存在感が日本とは比較ならないスポーツ業界の規模をサポートしている。

例えば、

プロ野球でさえ親会社からの支援がないと経営が成り立たない日本の感覚からしたらこれらすべて非常識な金額かもしれないが、スポーツ好きの僕としては、今の四六時中スポーツに浸しれる環境を可能としている大変ありがたい数字である。

 

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