話せることは、才能らしい(前編)

僕の特技はどうやら話すことらしい。このことに自覚を持つようになったのは、つい最近のことである。

「話術」とは、学問やスポーツ、音楽や将棋といった才能と大きく異なる点が一つだけある。それは、この才能が周囲から評価されにくい、ということである。評価されないどころか、迷惑がられたりする。

というのも、話術がある人は基本的によく話す。そして、よく話す人は「うるさい」と邪険に扱われる運命にある。

例えば、将棋の世界で「面白い人」と言われるひふみん、こと加藤一二三

加藤一二三は多くの功績を残した棋士だが、数々ある加藤の対局の中でも最も有名なのは、若き羽生善治が伝説的な「52銀」の手を指してきた対局だろう。

当時の映像がまだ残っている。この対局を解説していたのは、「兄達は頭が悪いから東大へ行った、自分は頭が良いから将棋指しになった」の言葉で有名な米長邦雄。彼の「52銀」に対する「おおおおお!やった!」の反応はもちろんのこと、加藤の少年時代に関するこんなエピソードも見所だ。

加藤さんは、若い頃は非常に早指しだったんですよ。それで、お喋りでね。有吉さんが「ピンちゃん、うるさいよ」って、そういう風に叱ったっていうくらい、早口で喋る少年だったらしいですよね。


(8:30から)

僕としては、羽生が指した神の一手に関する解説より、この話の方がずっと印象に残った。どうも自分の体験に通じるところがあり、加藤に親近感を感じてしまったのだ。

僕自身にも、こんなエピソードがある。

私立に通っていた高校3年生の時、所属している部が理事会に対して抱負かなんかについて発表することになった。平等性を考慮し誰が部の代表者として話をするかを部員の投票で決めることにしたところ、僕の名前が書かれた投票用紙が一枚だけあった。

「ジョー以外なら誰でも」と記載された一票が。

後編に続く)

 
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