性格克服し、将棋強くなる

僕の将棋をドラクエの作戦に例えるとしたら、確実に「ガンガンいこうぜ」である。

つまり僕の将棋は攻撃一筋なのだ。

良い意味でも悪い意味でも。

先日、千駄ヶ谷にある将棋会館で高校生ぐらいの子と指したとき、序盤から僕が押す一方で大分優勢に立ったのだが、中盤にかかり攻防のどちらを選ぶか迷う局面が訪れた。当然のことながら攻撃の手を選んだら、それがひどい悪手で、さらに攻撃を無理矢理継続したことにより傷がどんどん広がり、10分後に呆気なく撃沈した。

対局後、「あの銀がやりすぎだったね」と僕から敗因を述べたら、相手の返事は「そうですね」の一言。感想戦は5秒で終わった。

将棋を本格的に学び始めてから6年弱。最近多少は上達できているのではないかと思える瞬間が増えてきたのだが、こんな負け方を繰り返す度に、自分の性格ばかりはどうしようもないのでは、と考えてしまうのだ。

この「性格の克服」というチャレンジは誰しもが抱えている課題であると思いたい。

たとえば将棋合宿というマニアックなイベントで知り合った将棋仲間。僕とは正反対の穏やかな彼は、性格が将棋にもろに出る。ドラクエで言ったら、彼の作戦は「いのちをだいじに」だ。

彼と僕は違う教室で同じ先生から学んでいるが、彼が言われるらしい「将棋は攻めないと勝てません」とのアドバイスを、僕は一度も受けたことがない。

それもそのはず。僕の将棋では、敗因が攻撃不足によることはまずないのだから。

「人生、攻め続けないと負ける」が鉄則である僕にとって、攻める機会がないまま負けてしまうほど悔しくイライラする将棋はない。守りに徹する将棋を指すくらいなら、自陣が大坂夏の陣の際の大阪城並みに丸裸であっても、相手の陣地に駒をぶち込み、相手の失敗を誘うか玉砕するかの一か八かを狙うほうがマシと考えている。

(将棋が分かる人向けの余談となるが、例えば4四角と指された以下の局面で、僕は迷わず2三飛成と飛車を切る)

そんな激しい気性を改めなければ将棋は一向に強くならないとの自覚はあるものの、「慣れないことはどうせ苦手」と開き直ってしまうところがさらに自分をダメにする。

こういう時、あるキャリアカウンセラーから受けたアドバイスを思い出す。僕の性格をよく把握していた彼女は、僕の弱みをひとつひとつ挙げ、これらについては性格だから仕方がない側面がある一方で、キャリアアップしていくためにはそれぞれをできる限り抑制していく必要があることを忘れないでおこう、とアドバイスしてくれた。

結局は将棋も人生と同じであろう。

攻防のどちらにするか迷った挙句、攻撃を選ぶ傾向があるのは仕方がないこと。でも、防御も少々上手くなり、有力候補のひとつとして検討できるようになれば、もっと勝てるのではないか。

こう考えるようになったから、この頃の僕は、全然違う将棋を指す仲間の手をじっくり研究するよう心がけている。

そして、このように相手の将棋に興味を持つようになれたこと自体が、結構な進歩の証のように思えるのだ。

 

コメントを残す

Translate »