下手な筆跡

僕の筆跡は悪い。自慢したくなるくらい悪い。

もちろん今になって始まった事ではない。米国での小学時代はなにもかもに成績が付けられたが、算数以外はどれも平均並だったため、良くも悪くも目立たなかった。だからこそ小4の時の筆跡の成績だけは忘れられない。AからD、そしてFとある成績段階のうち失格寸前のDだったのだ。

その時は大分プライドが傷つけられたが、他人に言われてあまり納得できない事も自分で経験をするとすんなり受け入れられるのはよくある事だ。僕の筆跡に関しては正にそうで、中学生時代に勉強をするふり、高校時代に勉強ができるふりをするようになって、徐々に自分自身の筆跡に悩まされるようになった。何しろ自分で書いた字が読めないのだ。

大学生になると、もう諦めていた。早口の教授には通常のペースでペンを走らせても授業の内容が書き取れない。追いつこうとペースをあげても筆跡が崩れるだけで、自ら解読さえできない、ただの棒としか表現しようのない物が、ノートのページを埋める。こうなると、試験勉強中にノートに目を通してもさっぱり読めず、唯一ノートの解読をする方法は数週間前の授業の記憶をたどる事。このように、ノートを読み直して授業を思い出す筈が、授業を思い出してノートを読むようなことを「本末転倒」と言うのだろうか。

自分で自分の筆跡が読めないのだから他人が読める筈が無い。大学までこの状況がもたらす問題の深刻さに気付かなかった。中間、期末試験は通常手書き。採点者が解答を読めないと正解か判断できない、よって解答が正解でも正解としてみなされない。これは当然の成り行なのだが、そんな事に大学生になるまで気付かなかったことが、中高校時代をどれだけ不真面目に過ごしてきたかを示してる。考えてみれば、文系がその頃苦手だったのは、数字は書けても「字」というものが書けなかったからなのだろうか。

そんな自覚の無い僕に警鐘となったのが、大学1年の時に受けたヨーロッパ歴史。その授業では講師がまず試験を読んで採点し、教授が最終的に成績を決める手順を取っていた。中間試験後、偶然僕の試験を読んだ講師にバスで出くわした。点数は教えてくれなかったものの、筆跡が余りにも酷かったため2点減点した事を伝えられた。解答の質とは関係なく減点されるなど初めてだったので、さすがにショックだった。でもその講師とても人が良く、「君の筆記体はとても読めるものではないから、これから活字体で書くといいよ」と教示してくれた。その一言で大学、なんとかロースクール、司法試験を制してこれたのだから、よくよく考えてみたら、彼は現在の僕がいる恩人なのだ。

ただ、活字体で書くようになったからと言って字が綺麗になった訳では当然なく、「分からない」字が「分かる」字に進歩しただけだ。ロースクール卒業後、一時公務員だった時、数ヶ月間ニュージャージー州が僕の名字をSasanvmaと記載していた。それは僕が就職の際に活字体で記入した書類の中の u が v に見えたから。その教訓をもとにそれ以降は、活字体で u を書く時には v から区別するため、右下にヒゲをのばしている。このように徐々に僕は「読める」筆跡を目指している。

少なくとも目指していた。

そして日本に転勤となった。

20年間書いていた英語でさえましに書けないのだから、日本語が綺麗に書けるはずがない。最近選挙運動の手伝いをしたのだが、その時支援者に送る郵便の宛名を書く作業をした。僕が書き上げた封筒だけやけに子供っぽく見えた。最大の問題が字の大きさの比率。例えば「智」と書くとき、僕の字は「知」と「日」が同じ大きさになってしまうので、縦書きでは「知日」と見えてしまう。漢字を書くのが10年ぶり、それ以前も大して書かなかったせいでこんな羽目にあう。周りの人に「いい練習じゃない」と、まるで小学生相手のように言われたのが、ちょっと恥ずかしかった。

余談だが、僕は漢字の書き順というのはくだらないものだとずっと思っていたのだが、ある日「必」の正しい書き順を知って、書き順というのは綺麗な字を書く為にある事を知った。それまでは「必」を書くにあたって僕は「心」と言う字を書いた上で線をたしていた。でもそう書くと横に長い「必」が出来上がってしまう。「必」というのは本当は縦横もっとバランスの良い字であるべきで、そのように書く為には書き順に従って上から下へと書くのが良いのだ。

まあ別にお習字の家元を目指している訳ではないのだから、綺麗でなくても読める日本語が書ければ良いとも思うのだが、最近上司に余りにも僕の字が汚いので秘書に書き直してもらってから外部に送るように指示された。またか、と思いながら小4の記憶が蘇った。日本に転勤になり僕の筆跡は振出しに戻ってしまったようだ。

 
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