「風立ちぬ」は宮崎駿の稀に見る失敗作

3.5/10

宮崎駿監督の最新アニメ作「風立ちぬ」(2013年)は、零戦設計者として有名である堀越二郎の半生が主題。子供の頃パイロットになることが夢だった堀越は、近視だったためその夢を叶えることは不可能であることを悟り、飛行機設計者という違う方法で飛行機の世界と携わっていく道を選ぶ。そのため学問に励み、その後東京の大学で勉強する事になる。

大学入学のため汽車に乗り東京に向かう途中、関東大震災が起こる。脱線した汽車により怪我を負ったある少女の女中を担ぎ、少女の家まで付き添うが、少女の名前は聞かず、そして彼も名前を残さず大学へと向かう。

その後大学を卒業した堀越は、飛行機製造会社に就職し、名古屋に配属される。優秀な設計者として迎えられた彼だが、彼が最初に設計した飛行機は空中分解してしまう。上司により欧米の発展した技術を学ぶよう薦められた彼は、同僚とともに高度な飛行機技術を学びに外国へ送られる。こうして技術を磨いた堀越は日本に戻り次第新しい戦闘機の設計を任せられるが、新しく設計した飛行機も試験飛行で墜落してしまう。

またもや失敗してしまった堀越は、長期休暇を貰い軽井沢へと向かう。そこで何年も前の大震災の際に助けた少女、菜穂子と再会し恋に落ちるものの、菜穂子は結核を患っていた。菜穂子とは限られた時間しかのこされていない中、堀越は戦闘機の設計成功のために執念を燃やすようになる。

宮崎駿は「風立ちぬ」をとおして、多分、結核に患われていた妻に支えられた偉大な飛行機設計士の物語を語ろうとしたのであろう。「多分」と付け加えたのは前半では二郎は少年からの夢を追って飛行機の設計士になり、上司や同僚や囲まれて成長していくのに対し、後半からは突如として菜穂子との関係のみがクローズアップされるからだ。このように中盤で、堀越と飛行機中心の話から堀越と菜穂子中心の話へと大きな方向転換を行ない、軌道修正できない所が「風立ちぬ」の最大の欠点である。

結果的にこのアニメは、どのテーマも表面的にしか伝えられていない。

例えば戦争に対する姿勢。ある場面で堀越は、戦争の影響でお腹をすかせている子供達に買ったばかりのお菓子を分けようとしたら子供達に逃げられてしまった挙句、友人に「偽善者」と切り捨てられる。いかにも戦争反対を訴える宮崎駿らしいシーンだが、映画の大部分がのんびりした軽井沢を舞台としていることを考えると、「風立ちぬ」を反戦映画として解釈するのには無理がある。

かといってこれを恋愛物語とするのには、余りにも菜穂子とは無縁の所で活躍している堀越二郎を描いてる映画の前半が長過ぎるし、零戦を完成する為に数々の苦難を乗り越えた堀越二郎の伝記としては、飛行機設計に関する説明が足りなさすぎる。後者については期待しただけあり残念であった。零戦とは大国アメリカにも恐れられた戦闘機。それを完成させるために堀越は、計り知れない努力と試行錯誤を重ね世界でも稀な技術を開発した筈であるが、「風立たぬ」で描かれている二度の試験飛行の失敗と堀越二郎の外国への視察程度では、零戦開発の経緯について学び、堀越二郎という人物に感動するのは不可能である。

私は映画評論を1から10の評点において行なうが、評点4には「いい映画ではないけれど、所々いい場面があった」という意味がある。「風立ちぬ」に評点をつけるにあたり当初は4にしようかと思ったが、振り返ってみると、「いい場面が訪れるのをずっと待っていたものの、とうとう現れなかった」、というのがこの映画の鑑賞直後の率直な印象だったのを思いだした。「風立ちぬ」の興行収入が本年度最高であることは承知しているが、ジブリスタジオ・宮崎駿のブランド名の力によって好成績を残しているものであり、映画の質は決して誉め称えられるものではないと思う。

 

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