神様から見た、ジョーのヘボ料理(後編)

前編から続く)

食品をしまってご飯を炊き始めたら、書斎でブログを書き始めた。ご飯が炊けてる間におかずを作った方が効率がいい。そんな考えには至らないようである。

ご飯が炊けて、やっとキッチンに向かう。そこで慌ててエビとイカとアサリをレンジで解凍しているが、温度が高すぎて時間が長すぎるので、解凍を超えて火が通りすぎている。もはや、炒める必要はなさそうである。

冷蔵庫から椎茸と人参とキャベツを取り出している。そこで改めてCookDoの指示を確認し、キャベツを眺めて、首を傾げている。やっとキャベツと白菜を間違えたことに気付くとは、救いようのないマヌケである。

キャベツを刻み始めている。どうやら、キャベツも白菜も同じ野菜なので八宝「菜」になることには変わりない、と判断したようだ。もはや、こいつが考えていることは理解不能である。

冷蔵庫から肉を大切そうに取り出している。すでに野菜と海鮮で取り返しのない失敗をしでかしているので、いくら肉がおいしくても焼け石に水である。

人参と椎茸とキャベツをチンタラチンタラ切っている。刻んだパックを買わないプライドがあるわりには切るのが下手で、どれも大きさがバラバラ。見た目だけで不味そうである。

材料を切り終え、フライパンを出し、火をつけて、野菜をぶち込んでいる。油を引くという発想がない上に、そもそも野菜がフライパンから溢れている。これでは八宝菜ではなく、単なる野菜炒めである。

生の野菜と、火が通ってる魚介類と、おいしいはずの肉をすべて最強の火で炒めている。火加減という概念を理解してないようである。

炒め終えてCookDoを入れた後、指示にはないみりんと料理酒を加えている。やはり、甘いみりんとしょっぱい料理酒ではまったく役割が異なることを知らないようである。

火を止めて達成感がある表情でいるが、せっかく買ったうずらの卵の存在を忘れている。CookDoの指示にないことをしようとすると、こうなるのである。

できあがった得体の知れない食べ物を大きな皿に盛って、一口食べただけで顔をしかめている。なぜそれがまずいのかは、神様である吾輩に聞くまでもなく一目瞭然である。

 
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