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暴落するかもしれない覚悟がないなら、株に手を出してはいけない(後半)

僕は投資に関するうまい話はありえないと確信しているので、今の世の中は下げ相場の兆候だと思えて仕方がない。

日常のように、SNSで株で儲けた話が投稿され、YouTubeで投資勧誘の広告が流れる。そして、何より、今まで投資をしたことがない人たちが、僕に投資の相談をしに来る。これはまさに、高校時代、株式市場大暴落の直前に、食堂のおばちゃんが僕に株の話を振ってきたことを思い出させる現象だ。

人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(後編)

塾時代、僕は常に最下位であった国語試験の結果について危機感を持ったことが一度もなかった。「周囲は所詮、僕と同様に米国生活が長すぎて日本語がおかしくなってきているエセ純ジャパばかり。最下位とはいえ、上位との差は20〜30点ぐらいだろう」とたかをくくっていたのだ。

人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(前編)

僕はからっきり国語がダメだ。

どれほどできないかは灘中学校開成高等学校の受験に失敗したことで立証済みだが、これはなにも最近始まった話ではない。

まだ米国に住んでいた中学生時代、あまりに勉強しない僕を見かねた両親の計らいにより、僕は週2〜3回塾に通うことになった。

この塾では毎月、国語、数学、英語の学力テストが実施されたのだが、三科目すべて芳しくなかった結果の中でも、特に悲惨だったのが国語だ。100点満点中概ね13点から16点で、10数人いた同級生の中でいつも最下位。6年間、僕は一度もその特等席から浮上できなかった。

最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜採点の巻〜(後編)

エリート学歴からますます遠のいている厳しい現実に憂鬱になっていたら、受験シーズンのためか、光栄ゼミナールのCMを目にすることになった。それによると、受験は戦略であるらしい。

しかし僕は、中学受験に挑むにあたってちゃんと戦略の重要性を理解しており、まさにCMにあるとおり、「合格に必要なことを冷静に見極め」、「自分の強みを最大限に活かすための選択」を行なったのだ。

僕は一体どこで間違えたのだろう。

最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜受験の巻〜(後編)

ここまで理科のできが悪いと、灘中学校の合格は算数にかかってしまう。

最初の問題は方程式。これはちゃんと解けたが、簡単な計算問題が1問目として出題されるのは受験者を油断させるための罠であることを、僕は高校入試でちゃんと学習済みである。

そこで丁寧に残り12問に目を通すと、なんと図ばかり。円、三角形、四角形しか出てこないのは計画通りだが、問題は、三角形を二つくっつけるだの、円の中に三角形を入れるだの、二次元のものをよくここまでごちゃごちゃにできるものだと感激してしまうほどにややっこしい。

最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜受験の巻〜(前編)

念入りに戦略を練って、受けることにしたのは偏差値77の灘中学校の入試2012年版

受験は二日間に渡って実施されるらしい。初日は国語、理科、数学で、二日目は国語と数学だそうなので、ちゃんとその順番で受ける。

まずは国語の1日目。

問題にざっと目を通すと、内容は読解、漢字、文法、ことわざ、そして俳句。高校入試とは違い、死語である古典や日本語ではない漢文が出題されておらず、希望が持てる。

小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜採点の巻〜(後編)

このように採点していった教科の総合点は140点。ちなみに、合格者最低点は218点である。

結局合格ラインに64%しかたどり着けなかったわけで、開成高校が偏差値78であることを踏まえると、僕の偏差値は50といったところか。

こうして意外にも開成高校の入試に落ちてしまったわけであるが、このチャレンジを通じて僕は、自分について重要なことを多く学んだ。

小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜戦略の巻〜(後編)

でも社会にすべての望みをかける必要はないのだ。何と言っても英語がある。

米国に長年住んでいた僕にとって、英語での満点は当たり前といえる。日本の英語の試験ではしばしば意味不明な記号「ə」が現れることがあるが、開成高校ともあろう学校が入試でひっかけ問題など出題しないと信じている。

よって、英語満点で理科0点を確実に挽回。

残るのは数学と国語。。。

まずは国語から。

中学時代に通っていた塾で模擬試験というものを毎月受けていたのだが、国語の点数はいつも概ね10点台だった。開成高校の入試では国語の平均点が50点から70点であることを鑑みると、さすがに10点台はまずい。

小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜戦略の巻〜(前編)

僕は西日暮里にある将棋バーというマニアックな場所に月2回通っている。

西日暮里といえば偏差値78の開成高等学校がある街。時々この超進学校に通っている学生を見かけることがある。

前々から日本での小学校中退という最終学歴を汚名返上するため高校受験したいと考えていたのだが、自分の日本語力と性格では無謀かと諦めていた。でも開成高校在学生を観察するようになってから、「こいつらには将棋で負けるかもしれないけど、米国証券法の知識では負けない気がする」と思うようになった。

よくよく考えてみれば、高校入試を受けるのは所詮は中学生。一方の僕は、合格率85%の司法試験に受かった米国法曹資格保有者。普通の中学生にできることが僕にできぬはずがない。 

エリートになるため、読書ノルマ達成に邁進中(後編)

一旦理想な本を選んだら、あとはひたすら前進するのみである。

読書中、「この慣用句、意味がわからないな」とか、「この登場人物誰だっけ」とか、「どうしてこういう展開になったんだっけ」など、本を一刻も早く読み切ることの妨げになる思考は全て封印する。無になって読み続けなければ、ノルマの遅れは取り戻せない。

こういう風に僕は、常に読書のノルマを達成することに全力を注いでいる。

そしてその証が、読書済みの本がぎっしり詰まっている自慢の本棚なのだ。これこそまさにエリート読書家の本棚である。

エリートになるため、読書ノルマ達成に邁進中(前編)

数年前にある友人から「エリートはよく読書する」という指摘を受けて以来、僕はエリートになるため、四半期12冊、年間52冊という読書ノルマを設定している。 読書日記をつけるほど真剣に取り組んでいるのに、僕の読書習慣はあまり評価されていない。 どうやら周囲の人達は、このノルマを達成することがどれほどの偉業なのか分かっていないようである。 四半期12冊のノルマは週1冊のペース。これを一年間維持するのは箱根駅伝並みに大変なのだ。

いじめられたら、強くなれ。強くなれなかったら、逃げ出せ

いじめによる中学生・高校生の自殺ほど悲劇的で深刻な社会問題はないと思う。

もっとも、社会的に見ればいじめの問題は深刻であれども、個別的に見ればすでに起こっているいじめをやめさせる有効的で極めて単純な解決策がある。過激的だが、それはいじめている者をもっと強い者がいじめることだ。いくらきれいごとを並べても、加害者がいじめを起こすのは、結局は被害者の辛さが分からないからだ。他人への共感や思いやり等の情緒的発達が不十分な子供たちに「いじめられる身にもなってみなさい」と説教しても大した効果は期待できず、子供にいじめられる身を分からせるためには、被害者の体験を実際に経験させるしかない。

もちろん、教育上、いじめを起こしている子供を大人がいじめることなどできるはずもなく、だからこそいじめ問題には簡単な解決がない。

加害者に対する有効的な対策が難しいのであれば、被害者を少なくするしかない。

そのための提案が僕には二つある。

振り返って情けない、僕の教育

最近米国の実家に置いてあった私物を整理していたら、中学生時代以降のノートやプリント、試験の答案用紙などが出てきた。懐かしいと思い、目を通しながら過去の自分の教育を振り返ると、なんとも複雑な心境になった。

見つけたもので最も古かったのは、中学生の時、塾の数学の授業で取っていたノート。適当にめくったページには数字が縦と横に並んでいた。何らかの計算だろうとは思ったが、引き算なのか割り算なのかもよく分からなかった。大して難しくない筈の中学レベルの数学さえ理解できなくなってしまったことにショックは受けたが、最近職場で「8引く5は4だからね」と自信満々に小学一年生レベルの算数を間違えて唖然とした目で見られたばかりだったので、二次関数の因数分解(であることをいずれ思い出した)の計算が見分けられないのは、実は今更びっくりするほどの事でもない。

私にとっての「バイリンガル」の意義

私は学生時代、「穣さんはバイリンガルでいいですね」と言われるのをあまり好まなかった。私からしたら二カ国語を中途半端にできるより一カ国語を極めている人のほうがずっと羨ましかったから。

中学・高校時代の私は、英語に関しては米国のSATと呼ばれる大学進学適性試験の点数に悩まされており、日本語に関しては、塾で受けていた模擬試験の国語の点数が一桁台であったため、さじを投げていた。言語は同時にふたつ使える物ではないと思っていたから、自分の将来において英語と日本語のどちらを主にするか選択する必要があると考えていた。日本語を選ぶには余りにも国語力が欠けていたいたので、日本語の勉強には余り力を入れなかった。

2年前、21年ぶりに日本に戻って以来、学生の頃の「一つでもいいから言語を極めたい」という要望が無い物ねだりだったと分かるようになった。英語が不便なく使える私にとって重要なのは必ずしも日本育ちの日本人のように日本語が出来る事ではない。現在の自分の日本語でも、十分に私生活でも仕事でも通用するので、肝心なのは今の日本語能力を基盤に、日本語を使う環境に自分を置き、使おうという気になることで、日本語をさらに上達させる気になることだと認識するようになった。

「変ジャパ」とさえ認めてもらえない僕

最近国際基督教大学卒業の人から面白い話を聞いた。

外人・帰国子女が多いICUでは、「純ジャパ」、「半ジャパ」、「変ジャパ」、「ノンジャパ」と学生を区別していたらしい。彼女に説明してもらったところ、「純ジャパ」は日本生まれで日本育ちの「純粋」な日本人。「半ジャパ」は言葉どおり親の片方が日本人であるハーフ。「変ジャパ」は日本生まれだけれども外国生活が長くて普通の日本人からしたら「変」になってしまった日本人。「ノンジャパ」はただの外人。

さてこの中で僕はどれに当てはまるのか、という話になったら、「ノンジャパ」と結論付けされてしまった。

つまり僕は変な日本人にさえも見えない、らしい。

下手な筆跡

僕の筆跡は悪い。自慢したくなるくらい悪い。

もちろん今になって始まった事ではない。米国での小学時代はなにもかもに成績が付けられたが、算数以外はどれも平均並だったため、良くも悪くも目立たなかった。だからこそ小4の時の筆跡の成績だけは忘れられない。AからD、そしてFとある成績段階のうち失格寸前のDだったのだ。

その時は大分プライドが傷つけられたが、他人に言われてあまり納得できない事も自分で経験をするとすんなり受け入れられるのはよくある事だ。僕の筆跡に関しては正にそうで、中学生時代に勉強をするふり、高校時代に勉強ができるふりをするようになって、徐々に自分自身の筆跡に悩まされるようになった。何しろ自分で書いた字が読めないのだ。

新たな歩みだし、東京で

東京への転勤が決まりました。八月の下旬から日本に住む事になります。

寝耳に水、と思われるかもしれません。実際、転勤を要請したのが二週間前で承諾されたのがその翌日。確かに急です。

アメリカに引っ越したのが8歳の時。最初は5年と言われていたのが、いつしかこんなに月日が経ってしまいました。その間、米国の高校を卒業し、米国の大学へ進学し、ロースクールまで卒業。地元の判事の元で法務書記として1年経験を積んだのち、ニューヨークの企業法律事務所に入社。アメリカの弁護士としてはある程度普通の道です。

そんな私の人生ですが、そろそろ大きく違うことをしたい、新しい挑戦が欲しい、とちょっと前から考えるようになりました。

ぼくは日本の地理が昔からちょっと大分苦手

アメリカ人の無知を説明するのによく使われるのが、国民の3分の1が非標の世界地図で中国を特定することができない、という恐ろしい世論調査。中学でこれを聞いたとき、「この国の人間はどこまで阿呆なのか」と思ったのをよく覚えているが、僕も実は余り他人のことは言えない。

同じく中学ごろだっただろうか。塾で無標の日本地図に正しく都道府県の名を記入するミニテストがあり、答えられたのは北海道と青森だけであった。

そもそも、地理テストというのは二つの面で難しい。

塾と僕と人生

僕は収集癖なので、実家の部屋は高校時代からのレポートだのプリントだのであふれかえっている。整理するのも好きなので、ある程度散らかりがひどくなると、取っておいたものをまとめるのが新たな趣味になる。今年の年明けは暇さえあれば大学とロースクール時代の物を箱に入れて整理していた。ごみといえばごみだが、何せ高い学費を払って得たノートやプリント等々なので数千円の箱に保存する価値のある、高価なごみである。

何でもとっておくので、当然のことながら塾時代のプリントや論文も残っている。僕は小5のときから塾へ通わされた。小学受験の時でさえ大した塾に通わせなかった両親が、受験とは何の縁もない米国現地校に通っている小学5年生のために塾費の出費を覚悟したということは、僕の勉強不足もだいぶ深刻だったのだろう。

今振り返ってみれば、小、中時代は全くといっていいほど勉強をせず、学校は友達に会いに行く遊び場だった。そんな毎日が週三度塾へ通うことによって改善されるわけもなく、僕の塾への態度は授業に座り、適当に問題を解き、宿題はしないというパターンだった。数学は国語より得意だったので比較的まじめにした覚えがあるが、国語の授業には何の興味も示さず、何の努力も注がなかった。
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