活かせてない長身が何よりの自慢

僕の唯一の自慢は187.5センチある身長である。

この187.5センチは僕が育った米国でも高い方だ。背の順に並んだ中学校の卒業式で、名前を呼ばれたのが最後から二番目だったのが今でも誇り高い。

「どうしたらそんなに背が高くなるのですか」とよく聞かれるが、僕の少年時代を参考に回答すると、次の三つが秘訣と思われる。

❶ よく寝る 〜 「寝る子はよく育つ」と言うが、このことわざはまさに僕に当てはまる

❷ よく食べる 〜 今でさえ部活帰りの高校生並みの食欲だが、昔はもっと食べたのだ

❸ 何も考えない 〜 空の頭は軽く、頭が軽いと物理学上、背が伸びやすくなる

これら鉄則を守り長年かけて培った身長が唯一他人に優越している取り柄なので、僕は常に他人の身長を意識しながら行動している。

例えば普通に歩道を散策している最中、ちょっとでも背の高い人を見つけるとまずは背比べをするために近づく。僕の方が身長が高いことが確認できれば、背筋を伸ばしてその人と並んで歩く。反対に僕の方が低いことが一目瞭然だと、その人を睨みつつそっと離れる。

そういう意味では、大学4年生のルームメイトは最悪であった。彼とは大学1年生の時に知り合ったのだが、初対面の際に当然身長をチェックしており、僕より背が低いことを確認できたので友人として認めたのだ。ところが3年後、ルームメイトとして一緒に生活し始めたある日、いつのまにか僕の身長を超えていたことに気付いた。彼は全く意識していないと思うが、その日以来、彼と一緒に映っている写真で僕と彼が並んでいる写真はない。この友人は物理化学で博士号を取得できるほど優秀な男なのだが、僕からすると、その頭脳より大学に入ってから身長が伸びたことの方がずっと羨ましい。

さて、ここまで頓着する自分の身長であるが、長身がどこまで活かせているかというと、実は全然活用できていないところが全くもって虚しいことである。

例えばスポーツの観点から言うと、僕ほど身長がある者はバスケでの活躍が期待されるが、身長があっても運動神経がないとコートでは足手まといになるだけなので、僕がバスケ部から勧誘を受けたことはない。

なお、高校時代は一応テニス部に所属していたのだが、練習の度にコーチから言われたのは、「どうやったら君ほどの身長がある選手がそんな遅いサーブしか打てないのか理解しかねる」という嫌味である。(物理的には、身長が高いとサーブが速くなるはずらしい)

日常生活においても、僕の身長が他人の役に立つのは高い所にある物を下ろす時ぐらいである。それ以外では、僕があまりに不器用であるせいか、たとえ電球を代える時でさえ声をかけてもらえない。

こうして活用できていない長身は、身長180センチを超える人が少ない日本ではただの障害である。銀座線の上野駅や寿司屋のカウンターではしょっちゅう頭をぶつけて痛い目にあっているし、デパートでは体型に合った洋服を買えたためしがない。

だから次回会った時に褒めてもらいたい。「背が高いですね」と。

それが何よりもの慰めかつ誉め言葉になる。

 
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