今となっては信じられないが、僕は大学で数学の専攻だった(前編)

僕は大学で数学の専攻だった。

朝日新聞のこの記事に出てくる問題をみて、僕はそのことを改めて思い出した。

さかのぼるところ、アメリカに住んでいた中学・高校時代、僕は学校で「数学の天才」と呼ばれていた。実はこれには裏があって、アメリカでは生徒も先生も「どうせ電卓があるじゃん」と算数を軽視する傾向にあることから、数学のレベルが恐ろしく低く、国際的な水準で普通に勉強しているだけで、数学でそこそこ点数が取れるのだっだ。加え、僕は日本人向けの塾に通って結構高度な数学を勉強していたので、現地校では数学だけ飛び級で、試験はすべて満点だった。確かに、はたから見たら「天才少年」に見えただろう。

こうして僕は数学が「得意な科目」になったのだが、反対にそれくらいしか得意といえる科目がなかったので、僕は当然のことのように、大学でも数学を勉強することにした。

そうして始めた数学専攻への道。最初の1年は塾に通って得た貯金を切り崩してラクチン。2年目はしっかりしてた基礎を活かして順調。3年目は自分が持っている能力を使い果たして踏ん張り、3年の終わりには虚数の積分を学ぶ「複素解析」と呼ばれる授業になんとかついていけて、現在最も重要な未解決数学問題とも言われている「リーマン予想」を齧ることができた。

なのに。。。

今では二千円札で豆腐の買い物をする度に、お釣りの暗算ができなくなってしまっている。これでは数学オンチのアメリカ人と変わらない。

まあ、自分に数学のセンスがなさそうだということは、実は大学3年生の後期から薄々感じ始めていた。なにせ、クラスメイトの奴らが、僕が四苦八苦していた授業をひょいひょいクリアしていたのだ。どうしたらあの超低レベルのアメリカの教育の下でこんな才能が育つのか。アメリカとは、下のレベルは恐ろしく低いが、上のレベルも恐ろしく高い不思議な国である。

真の天才が競争相手だと、さっさと勝負を放棄したくなる。ということで僕は、4年生になると、専攻のために必要な単位をきっちり取って、数学の道を諦めた。

後編に続く)

 
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