将棋から考える人生のいろいろ(後編)

前編から続く)

危ないのは刺激なき環境だけではない。僕は将棋で何度も油断大敵を痛感しており、それはこれからの人生において決して忘れてはならない教訓だと思っている。

将棋では時々、優位に進めていると思っていたのが、いつの間にか手の施しようがないほど劣勢になってしまっていることがある。振り返ればどの局面のどの手が悪かったのか分かるが、対局中は、危機感がないまま指していてふと気付いた頃には事は遅し、といった感じである。

そんな最悪の将棋を省みる度に、人生でも気をつけなければ、と思う。深い考慮なしに、ただ流されるような毎日を生きていくと、ある日突然、不意に「何でこんな人生になってしまったのだ」と嘆くことになりかねない。ましてや、人生と将棋では一点において根本的に違うのだ。将棋では次の対局があるが、人生では次がない。

人生一度、と考えると、やはり避けたいのは後悔である。そこでも将棋が参考になる。

僕は過去の将棋を覚えているほど強くないが、未だに忘れられない将棋が一局だけある。それは千駄ヶ谷にある将棋会館の道場に通い始めたばかりの頃で、その時僕は、序盤から積極的に攻めていったものの思い通りにいかなく、攻撃が行き詰まるのが見えたところで投了してしまった。まだ中盤から終盤に差し掛かった局面だったので、相手は「え、いいんですか?」とびっくりした表情だった。

今でも悔やまれるのは、その時の将棋の内容ではなく勝負を投げ出してしまったことである。いくら劣勢になり、絶体絶命で、どう手の打ちようがなくても、逆転満塁ホームランの機会を探して最後まで足掻くべきだった。今の僕なら、決して自分の玉の行き場所がなくなるまで「負けました」の一言を言わない。

人生後期に至れば後悔の一つや二つはあるだろう。でも、その一つが「あの時に諦めなければよかった」であってはならないと思うのは、5年以上も前に指した将棋があるからだ。

だから僕は、今の毎日を全力投球で生きる。

 

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