最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜戦略の巻〜(後編)

前編から続く)

次に僕が回避すべきなのは、自分の力を過大に評価することである。そのためには、客観的な判断要素を参考にしたい。

米国に住んでいた頃、僕は補習校というところに通っていた。これは、現地校に通っている子供が日本語を忘れないための、ある意味焼け石に水みたいな学校である。

最近、偶然にも、僕の補習校6年生の時の通信簿が出てきたのだ。これほど客観的な評価はない。

まずは国語から見ていく。

通信簿から判明するのは、僕の「文章の内容を考えながら音読することができる」能力が少々低いということ。それもそのはず。僕は、今も昔も、考えることが苦手である。

反対に、「作文」が思いの外、できるらしい。確かに、「ジェームズ・ボンド・シリーズがどう人類の発展に貢献したのか」について4000字書け、と言われたらラクラクできそうである。

ちなみに、「文字を正しくていねいに書くことができる」の評価が低いのは、筆跡が悪いからではない。僕は手書きというものが苦手で、漢字などの書き方が分からないと、ぐにゃぐにゃっと書いて誤魔化す癖がある。「ていねい」に書けないのではなく、単に「正しい」が分からないだけなのだ。

国語は総合200点。問題が「今思いついた課題について、ひらがなでいいので1万字書きなさい」みたいな何の思考も求められない作文だけなら満点を取る自信があるが、そう都合よくはいくまい。でも、小学生中に学ぶべき漢字を高3の時に頑張って勉強したので、漢字の書き取りで成果をだせれば160点ぐらいはいけるであろう。そう信じないと、後述する理科のせいで、どんな合格計画も成り立たなくなってしまう。

次に算数。

開成高校入試の数学では100点満点中4点という悲惨な結果で終わったが、数学と算数は根本的に別物である。「数学」ができないからと言って「算数」を悲観視する理由にはならない。

とはいえ、通信簿には懸念材料が記載されている。当時の先生によると、僕は「数・量・図形について基礎的なこと」が分かっていないらしい。もっともこれは、「数・量・図形」について一括りで評価しており、「図形」に関する知識・理解が皆無であったことを鑑みると、「数・量」の知識・理解はほぼ完璧だったに違いない。

高校の入試では図形の問題が嫌味のようにたくさん出てきたが、小学生レベルの図形など、円、三角形、四角形程度であろう。2次元の図形だったら今の僕なら さすが に克服できているレベルである。「図形」の知識・理解さえあれば、僕の算数能力は完璧だ。

そういえば、ずいぶん前に友人から、中学入試の算数というのはちょっとだいぶひねった内容だ、と説明を受けたことがある。「だからジョーは確実に落ちる」みたいなオチで言われたのだが、通信簿によると、僕の「数学的な考え方」は評価が高いので、「考え方」が重視される中学入試は朝飯前だろう。

算数も総合200点。所詮は「算数」であること、さらには僕の数学的なセンスが抜群であることを踏まえると、180点ぐらいはいけそうである。

残るは理科のみ。

ここで、出題される科目について一言文句をつけたい。なぜ社会がなくて理科があるのか。社会と理科はB級科目としてセットに扱われるべきだろう。文系は国語と社会、理系は数学と理科、みたいに。

苦情が言いたくなるのも、小学だろうが中学だろうが高校だろうが、僕は理科というものが根本的に理解できないからだ。未だ地球平面説を完全に否定できておらず、そんな僕の理科知識が評価されないことは、通信簿がなくても察しがつく。試験の範囲が「飛行機事故の検証から学ぶ理科」に絞られていれば50点ぐらい取れるかもしれないが、どう考えても小学生が受ける試験に航空事故の話は出てこなさそうである。

まあ、でも、どうせ、理科では記号問題が多いんだろうから当てずっぽうで100点満点の30点は取れるだろう。

算数が簡単で国語がそこそこ、そして理科の平均点が低かった年、となると 受けるべきなのは 2012年であることが明確のように思える。

実際に2012年版の試験を受けた体験については、受験の巻のお楽しみ。

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