プライドが高くて自覚がないのは致命的(後編)

前編から続く)

一般論として、大抵の人は仕事ができない同僚に作業を頼まない。そんな同僚のフォローをするくらいなら、自分でやってしまった方が早いからだ。

でも僕には、「あなたの仕事を僕がしたらあなたが必要なくなる」という哲学がある。よって、僕はできない同僚にも仕事を振るが、代わりに、そんな同僚にもとことん付き合い徹底的に指導する。

これは別にいじめではない。それどころか、他の同僚が見捨てている中、僕だけが相手するのだから感謝されるべき、と考えている。

ところが、そうは考えない人もいるのだ。

ある時、僕としか仕事をしてもらえなくなった同僚がとんでもない失敗をしでかした。その頃の僕は既にそこそこの地位にいたので大抵のことは自分で処理できたが、この時ばかりは、会社が傾く事態に発展しかねなかったので、上司に報告した。

そして問題を起こした張本人に対しては、直ちに改善するよう伝え、講じるべき措置まで指示した。数週間前に重大なミスを犯したばかりだったので、今までにないほどの厳しい口調で指導したことは事実である。

その数か月後、人事評価の際に判明したのは、この出来事についてこの人が覚えていたのが、僕に怒鳴られたということだけ、ということだ。自分が他の同僚から見放されているという自覚も、自分が決定的な過ちをしでかしたという反省もなく、ただただ、自分のプライドが傷つけられた、ということだったのだろう。

あそこまで付き合い、面倒を見て、尻拭いまでしたのがバカに見える反応である。世には何を言っても無駄な人材がいることを学んだ、貴重な人生経験だった。

こういう人たちは理解していないのだと思う。

人間誰しも、相手にされなくなった時点で終わり、ということを。

 
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