徐々に嫌悪が増していく夏は、最悪な季節です

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これは四季シリーズの第二弾です。

私は夏を、嫌さが増していく4段階に分けて耐え忍びます。

  1.  春から夏の節目

私は春が嫌いですが、それは、「春は最も嫌いな夏に徐々に近づいていく季節だから」という、余り春の本質とは関係のない非論理的な理由によります。

つまり私は、気温が最適で、春風の涼しさを肌で感じながら半袖で生活できるようになる春の気候が、必ずしも嫌いではありません。

しかし、東京ではこの春の期間が余りにも短すぎます。「今日は気持ちがいい」と思える日など、大抵は2〜3週間、長くても1ヶ月ぐらいしか続きません。あっという間に蒸し暑さを感じさせる日々が訪れます。

春から夏の節目は、「とうとう夏が来てしまったんだ」という絶望感であふれる時期です。

  1.  梅雨

暑さも本格的になり、夏に立ち向かう覚悟ができた頃、東京の夏は梅雨に入ります。

私は雨も決して嫌いではないのですが、来る日も来る日も雨が降り、どんよりとした空の日が続くと、さすがに気分も陰鬱になります。でも私が梅雨を嫌う理由には、雨よりも、それに伴う傘に対するトラウマがあります。

日本で過ごした小学時代、私は一人で電車とバスを乗り継いで、学校に通っておりました。雨が降っている朝は母に傘を持たせられて通学をしていましたが、下校の時に雨がやんでおりますと、能天気な私は当然バスに傘を忘れます。そして母は、また傘を持たずに帰宅した私をこっぴどく叱ります。

そのような過去から、私の頭の中では、「傘=怒声」という方程式が成り立っており、傘に対しては並のならない恐怖を感じます。実際、米国にいた大学時代、私は雨の日にはフード付きのジャケットを身に付け、野球の帽子をかぶって外出し、傘を持ち歩く事は一切ありませんでした。

東京に住むようになった今も同じようにしたいものですが、日本では小雨でもすぐに傘をさす習慣があり、梅雨の時期、傘をささないで歩き回るのは余りにも目立ちます。ひっそりと、なるべく目立たないようにしたい私は、したがって傘を持ち歩くようになりました。

よって、梅雨とは、ビクビク怯えながら過ごす毎日でございます。

  1.  食べるものがなく、食べられなくなる蒸し暑い日々

梅雨が明けると次に待っているのは蒸し暑さです。蒸し暑さというのは本当に堪え難いものです。何もせず、ただ10分外にいるだけで汗びっしょりになるのは、ただ気持ち悪いだけでなく、体力も削がれ、食欲も落ちます。もうこの時期は、室内の涼しい冷房の環境の中でおとなしくしている他ありません。

そもそもこの時期になると、寿司屋に行っても大したネタがないため、外出する意味も余りありません。まだ米国に住んでいたある夏、折角帰国したのにO157が勃発しており、大好物の生魚を全く食べさせてもらえないという悲惨な経験をした事がありました。

食べるものがない、食べたくもなくなるとは、人間としての楽しみの大半を奪われてしまうようなものです。

7月から8月の東京は、生きる意味を失う頃でございます。

  1.  残暑

「暑さが残る」。「残暑」ほど過酷な言葉はありません。

秋という最高の季節が到来する事を妨げる残暑に関しては、もはや冷静に語る事は出来ません。

何故9月に入っても汗だくの生活をしなければならないのでしょうか。何故カレンダー上は「秋」なのに「夏」という文字が入った言葉で表現される時期があるのでしょうか。何故こんなに夏は長いのでしょうか。

残暑とは、もう、ただ、「鬱陶しい」としか表現のしようがない、嫌悪しか感じない存在でございます。

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