僕はアメリカの感覚でも大食のようだ(前編)

僕はよく食べる。育ち盛りの高校生並みに食べる

そこまで食べると、店の人に色んな反応をしてもらえる。

たとえば、居酒屋にとって品書きの端から端まで注文して平らげてもらえることは爽快感が湧くらしく、勘定をしながら「見ていて気持ちがよかったです」と笑顔で喜んでもらえる事がしばしばある。ちなみに、飛行機のビジネスクラスで同じことをしても、なぜかあまりいい顔をされない

食べるだけで喜ばれるのは嬉しいばかりだが、より頻繁に起こるのは心配されることであり、これは実はありがた迷惑である。

和食派である僕が居酒屋に行くと、まずは刺身と豆腐サラダみたいなものから始めて、酒のつまみを2〜3品頼み、次に野菜料理を追加するあたりで、決まったように「相当な量になりますけど、大丈夫でしょうか」と店員からの確認が入る。経験上、居酒屋の一品が「相当な量」だったためしがなく、まだそこから焼き魚や肉料理、〆のご飯やデザートが待っているので、店の人と会話が噛み合うようになるのは、だいたい席に座ってから1時間半くらい経ってからである。

その1時間半とは、概ね僕の夕食の折り返し点である。

3時間の夕食というのは、通常の感覚からするとだいぶ長いようだ。ぱくぱく食べながら隣の席に目をやると、後から入ってきた客が先に帰り、次の客もいつの間にかいなくなり、自分が勘定を済ませる頃には3回転目だったりすることが度々ある。なぜそんなに早く食事が終わるのだろうと興味津々に観察してみると、二人で来てるのに刺身とつまみと魚一品くらいしか頼まない客がざらにいて、確かにそれくらいなら1時間ちょっとで食べ終えてしまうだろうと納得してしまう。「あれしか食べなくて餓死しないのだろうか」と僕なりに心配するのだが、それこそ相手からしたら余計なお世話だろう。

後編に続く)

 
2 Comments

コメントを残す

Translate »