僕は天才でなくてよかった(前編)

ベルギーの天才児が9歳で大学を卒業するらしい。今後、医者を目指すのだという。

こういった天才について読む度に思うのだ。「天才」とは幸せなのだろうか、と。

「天才」には普通の人にはない「何か」がある。それがずば抜けた頭脳なのか、抜群の運動力なのか、稀に見るスキルなのかは天才それぞれだろうが、何であっても、それは努力だけではどうにもならない先天的な才能である。

そしてこの「何か」が、幼い頃は「神童」という希望であり、いつしか「期待」というプレッシャーに変わり、最後には「運命」という呪縛になってしまうのではないか。

こう考えるのも、最近、大崎善生著作の「将棋の子」という本を読んだからかもしれない。

この本は、プロ棋士養成機関である奨励会に入った人たちを描いた話である。彼らは「天才」または限りなく「天才」に近い、将棋の才能が認められプロを目指す資格を得た人達。でも、昇級し続けて26歳までにプロになれないと退会を強いられてしまう、極めて過酷で非情な世界の物語だ。

稀な才能に恵まれた者はそれを活かす努力を尽くすべき、というのは、凡人の言い分としてはもっともなように思える。アカデミー賞受賞作グッド・ウィルハン・ティングのある有名なシーンのとおり、才能があるのにそれを無駄にする者は、才能に恵まれなかった者には許し難い

後編に続く)

 
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