小室圭の世界にいた時の僕は、危うく金銭感覚が狂うところだった(後編)

前編から続く)

その数ヶ月後、ある案件で届出のために3万円弱の費用が発生することが判明した。つい最近まで公務員だった僕からしたら3万円は結構な大金だったので、これを支払っていいものか上司に相談しに行ったら、「そんな少額で相談に来るな!」と怒鳴られながら追っ払われてしまった。よくよく考えてみたら、この人はクライアントに対して1時間8万円請求しているのだ。その感覚からしたら、確かに3万円は大した金額ではない。

そんな僕も、すぐに人のことは言えない立場になってしまった。当時の僕の主な仕事は、大企業による社債発行案件を仕切ること。こういった案件では最後に必ず、社債を購入する銀行から社債を発行する会社に対して送金する必要があるのだが、銀行への送金の指示はペーペーの僕が出していた。所詮、送金の前提が満たせていることの確認やメールの送信自体は事務作業だからだ。

初期の頃こそ僕はビクビクしながら送金指示を出していたが、日常沙汰になると、4000億円でもまったく金額を意識しないようになってしまった。

3万円がはした金の世界。数千億円が日常の世界。これでは、金銭感覚が麻痺しないほうがおかしい。

一旦ずれてしまった感覚はそう簡単には元に戻らず、こんな金銭感覚の世界なんぞ世間にはほとんど存在しないだろう。そのことに気がつき、このままだと法律事務所以外に転職できなくなってしまうことに危機感を抱いた僕は、ファイナンシャルプランナーに対して「いつでも公務員の生活に戻れるよう、ライフプランニングを立ててほしい」と頼んだ。

そのおかげで数年後、僕は給料が半減しながらも一般企業に転職することができた。だが、あの時にあの環境であの金銭感覚が当たり前になってしまっていたら、と考えると、今でも恐ろしくなるのだ。

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