選挙ボランティア活動中、なぜかまた苗字で呼ばれなくなった(後編)

前編から続く)

一番極端だったのは、職場が変わったある昔。上司の上司の上司ぐらいに当たるチョーえらい人から、初日は苗字で呼ばれていたのに歓迎会の頃には「ジョー」と呼び捨てにされていた。あまりの馴れ馴れしさにびっくりした同僚が「前から知り合いだったんですか」と聞いてきたが、そのエライ人に初めて会ったのはたった2週間前である。

典型的な日本人の場合、こういうことにはならないはず。純ジャパを自負している僕としては、「ジョーさん」と呼ばれるのはなんとも不本意だ。

どうしてこうなるんだろう、なにがいけないんだろう。そんな悩みを友人にぶつけたら、どうでもよさそうに「ジョーの雰囲気が『ジョー』のイメージに近いからじゃない?」となぞなぞのような答えが戻ってきた。

ひもとくと、僕には少々一般日本人にはない空気がある、ということらしい。

しかし、これには一つの誤解がある。

外国には確かに「Joe」という名前がある。だが、僕の名前は「穣」という立派な漢字であり、外人名をカタカナ化した「ジョー」ではない。

よって、①「穣は日本人離れしている」、②「ジョーは外人の名前」、だから③「穣はジョー」という論理立ては、「穣」と「ジョー」を混同させているので、成り立たない。この重要な点を強調するため、僕は最近、自分の名前をフルネームで記載する際には、必ず「穣」の部分を赤字にするようにしている。

ここまで読むとお分かりいただけると思うが、僕は苗字で呼ばれないことが若干のトラウマになっている。

なお、そんなトラウマがあるのに、なぜこのブログの名前が「ジョー、無駄に語る」なのかについては、あまり詮索しないでいただきたい。

 
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