上には上がいるのであれば、下には下がいる。これは社会人になってから僕が忘れないようにしている人生訓である。
僕はこれまでずっと、職場で優秀な人に囲まれてきた。これはとても恵まれていることである一方で、職場での自分の居場所がなくなるのではないかとたまに不安に駆けられることもある。
そんな時、僕は自分が生活していけるのだと初めて自信を持てたときのことを思い出す。
上には上がいるのであれば、下には下がいる。これは社会人になってから僕が忘れないようにしている人生訓である。
僕はこれまでずっと、職場で優秀な人に囲まれてきた。これはとても恵まれていることである一方で、職場での自分の居場所がなくなるのではないかとたまに不安に駆けられることもある。
そんな時、僕は自分が生活していけるのだと初めて自信を持てたときのことを思い出す。
2021年に雇われたケリーは総額9500万ドル(約150億円)の10年契約を結んでおり、4年目の途中で解任されたことで、5400万ドル(約80億円)の違約金を支払う義務がLSUに発生した。
LSUは州立大学である。当然、もう監督ではない人物に、州の予算からそのような大金を支払うわけにはいかない。では違約金の原資はどこから出てくるのかというと、LSUスポーツを応援している億万長者の卒業生である。サポーターとしては、母校のアメフトプログラムが惨憺たる状態だと、自腹を切ってでも監督の解任を支持するのだ。
昨年10月、米国のアメフト世界で、スポーツと金と政治が複雑に混じった出来事が起こった。
ことの発端は、ルイジアナ州立大学(Lousinana State University、通称LSU)のアメフトチームがライバル校テキサスA&M大学に惨敗している最中、州の知事であるジェフ・ランドリーが「この試合の結果を見ると、来年のチケット値上げは見直した方がいいと思う!」とXで投稿したことである。翌日の日曜日、大学の理事やアメフトプログラムのサポーターが知事の公邸に集まっていることが報道されると、ブライアン・ケリー監督の解任は既定路線となった。
だが、ここで1つ矛盾が生まれる。自動化の技術が発展すればするほど人間の監視力が重要になるのに、自動化によってその欠かせない監視力が衰えるのだ。
人間は実際に物事をやることで身につける生き物である。ところが、現代の飛行機はほとんどオートパイロットが操縦していることから、今のパイロットは操縦する実務経験を積むことができていない。もっぱら、フライトシミュレーターで練習するのみだ。結果、実際の飛行においてオートパイロットが補正される必要がある肝心な時に、多くのパイロットは経験不足のせいで適切に対応できなくなっている。
生成AIが発達し続けた世界はどのようになるのか。それは、飛行機の世界を見ればある程度予測できるのではないかと思っている。
なぜならば、飛行機の世界では、以前人間がやっていた操作をオートパイロットと呼ばれるIT技術が担うようになって久しいからである。
ちょっと背景を説明すると、連邦制の米国では、いつどの選挙が行われるかについて、基本的に州が決める。ただ、大統領選と米国連邦議員の選挙は偶数の年の11月の第1火曜日に行われることが米国の法律で決まっているため、大半の州は奇数の年も11月の第1火曜日になんらかの選挙を実施するようにしているのだ。
よって、多くの米国人にとって「11月の第1火曜日」=「投票日」という感覚が身に染み付いており、その日は当然のこととして投票所に向かう。
米国というのは不思議な国である。
それを思い出させるエピソードが、昨年11月にケンタッキー州であった。同州の選挙を管轄している州の総務長官(Secretary of State)が、こんな投稿をXで行ったのだ。
さて、今年は2つの大きな成果についてご報告したいと思います。
まず、私は将棋で初段になりました。ここ数年ずっと4級だったことを覚えている方は、1年で4級も昇級したことに驚かれたかもしれません。実はこれには裏事情があり、これまでご報告していた棋力は、日本将棋連盟の本部である将棋会館にある道場での認定でした。道場と比べ将棋アプリ「将棋ウォーズ」は認定基準が緩く、今年の春、このアプリで「初段」が認定されたのです。
僕を地方創生担当大臣兼財務大臣に任命してくれる総理大臣がいたら、僕は日本の地方を活性化させ、ついでに少子化対策にもなる政策を実現したいと思う。
僕の政策案ではまず、本社を東京から地方に移転させた会社の法人税を0%にする。そうすれば、節税の効果に釣られて本社を移転する会社が少なからず出てくるはずだ。本社が移転すると社員もついてくるので、一定の経済効果が見込める。
裁判官は僕だけでなく弁護士にも働かせた。
一般的に裁判官の仕事は裁判をすることだと思われがちだが、少なくとも米国では、裁判官の時間の大半は書類の処理に割かれる。裁判をして長時間拘束されるのを僕の上司は嫌っており、彼は「私は忙しい。裁判したいのであれば次の祝日しか空いてない」と言っては、原告と被告の弁護士に和解するよう促していた。
僕が仕事で泣きたくなったのは1回しかない。それは社会人になったばかりの最初の金曜日だった。
当時の僕は、ニュージャージー州裁判所の裁判官の下でロークラーク(法務書記)と呼ばれる職に就いたばかり。仕事としては、事務をこなしたり、判決の草案を書いたり、原告・被告の代理人と連絡を取ったりして、裁判官を包括的に支援していた。
上司の裁判官はワークホリックで、異常な数の訴訟を処理する人としてニュージャージー州の法曹界内では有名だった。僕が泣きたくなったのは、1週間かけてやっと処理した膨大な書類を保管室に運んだ直後、事務局から翌週処理する膨大な書類が回ってきた時である。
「スターウォーズ」とは反対に明らかに編集が失敗だったのが、「天国の門」(1980年)である。
この映画は製作費に当時の4400万ドル(現在の1.7億ドル、約255億円)もつぎ込んだものの、あまりに不評で製作会社ユナイテッド・アーティスツを経営危機に追い込んだことで有名である。近年、アート映画を好む人たちの間で映像の美しさなどからこの映画を再評価する動きがあるが、「天国の門」の問題はスクリーンに映っている映像の質ではない。
この映画は傲慢な監督の典型例なのだ。
僕は3時間の映画に対して偏見を持っている。
それは決して、長い映画が嫌いというわけではない。「ゴッドファーザー PART II」(1974年)や「シンドラーのリスト」(1993年)はいつでも見たいと思う。ただ、3時間の映画は基本、監督の傲慢だと思っているのだ。
ファイナンシャルプランナー(FP)と転職エージェントには共通している点がたくさんある。
まず、どちらも人生の重要な事柄に関するプロという意味で、重要な存在だ。
同じく「ビジネスはやりようだな」と思ったのは、夜にデザートしか提供しないデザート屋である。
この店の噂は聞いたことがあったが、果たして渋谷の一等地でデザートを提供するだけでビジネスとして成り立つものか半信半疑だった。だが、初めて行った時に1時間も並んで納得した。
デザートだけでやっていける理由は、店に入ったら一目瞭然だった。何しろ、1品の値段が2〜3000円と半端なく高い。当たり前だが、その分、なかなか豪勢なパフェが出てくる。
ビジネスというはやり方次第だな、と思わせられたサービスを最近2つ使った。
1つ目は、「原稿執筆カフェ」と呼ばれる店である。
ここのテーマは単純。締め切りに追われている人が執筆するために使う場所である。飲み物とか電源とかの「サービス」はあるが、基本、提供されるのは場所だけだ。
「それだけ?」と思うかもしれないが、それだけである。
少々世界史を知っていれば、「日本人ファースト」を謳う右派ポピュリズムの参政党には、「大ゲルマン帝国」の構築を試みた右翼ポピュリズムのナチスと通じるところがあることが分かる。ドイツはナチスの台頭によって民主主義からファシズムに転落したので、ナチスと類似した政党が日本の参議院で第4野党になったことは極めて恐ろしいことである。
僕にとって、政治とは楽しむ趣味であると共に大学で勉強した学問であるが、先の参院選ほど「趣味としての政治」と「学問としての政治」の違いを感じたことはない。
参院選で僕が期待していたことは、参政党が躍進する形で自民・公明与党が過半数割れし、その結果、石破茂が退陣しないことであった。理由は単純で、このシナリオだと当面政局がぐちゃぐちゃになり、場合によっては年内に衆院選まで起こるかもしれないと思ったからである。趣味は楽しくなければならず、政治は政局が最も楽しいのだ。
もっとも、複数あるエンジンがすべて同時に停止する可能性は極めて低く、そうなったとしても原因はエンジン不具合でないことが多い。多数の鳥が両エンジンに吸い込まれた2009年のUSエアウェイズ1549便不時着水事故、キログラムとポンドを間違えて燃料が足らなくなった1983年のエア・カナダ143便滑空事故、火山灰がエンジン4基に吸い込まれた1982年のブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故などが過去にあったが、今回は状況からしてそういった珍しい事象が起こったようには見えなかった。
とても不謹慎なことではあるが、最近の僕の関心はもっぱらエア・インディア171便墜落事故にある。どうもこの事故は、史上最も有名な事故の一つになりそうな予感がするのだ。
飛行機事故にも様々あり、「またこれか」といったものもあれば、「これは珍しい」といったものもある。2024年1月2日に羽田空港で起こったような滑走路衝突は10年に1度くらいの頻度で起こる事故なので、実は前者に当たる。
他方、先日公表された報告書によると、今回の事故はエンジン燃料制御スイッチが切れていたことが原因。飛行機事故検証マニアである僕でさえ「エンジン燃料制御スイッチ」というものを聞いたことがなかったので、これは大変珍しい「前代未聞の事故」となりそうだ。
既にご存知の方が多いと思うが、僕は政局好きである。「政策」や「政治」ではなく、「政局」である。
これはつまり僕が小沢一郎と同類であることを意味し、政治がグチャグチャになればなるほど楽しくてしょうがないという、政治を趣味とする人間としては結構タチが悪い。
そんな僕にとって、今年の参院選は久しぶりに楽しめる選挙だ。
球団が利息なしの後払い契約を結ぶメリットは明確である。では、大谷にとってそのような契約を結ぶメリットはなんだったのかというと、節税対策が考えられる。
連邦制である米国では各州が自由に課税することができるので、所得税に限らず、消費税や固定資産税、法人税や住民税といったありとあらゆる税金の税率が州ごとに異なる。
先週、メジャーリーグの2025年シーズンが日本で開幕した。開幕戦は大谷翔平、山本由伸・佐々木朗希の日本人トリオが所属するロサンゼルス・ドジャースとシカゴ・カブスの試合だったことで日本でも盛り上がったが、僕が関心を持ったのは2023年に大谷翔平が結んだ契約だった。
実はこの契約、お金の仕組みの面でとても勉強になる内容なのだ。
【⑤ 税金の仕組みを学ぶ】
確定申告することの大きなメリットは、税金の仕組みが分かるようになることである。そして、税金の仕組み分かると、税金を意識した経済的判断ができるようになる。
ちょっと極端だがわかりやすい例を挙げてみる。
新居と新車を同じ時期に買うことを検討しているとしよう。資金が200万円あるとした場合、これは車のローンの頭金として使うのがいいのだろうか、それとも家のローンの頭金として使うのがいいのだろうか。
【③ 収入、支出、資産の管理をすること】
自分の収入、支出、そして資産がどれほどあるのか常に把握しておくことは、単なるお金の管理の観点だけでなく、人生における重大な決断を経済的に正しく行うためにも欠かせない。
僕は年収が半分未満になる転職をしたことがあるが、それが可能だったのは、常に自分がいくら稼いでいていくら費やしているか把握していたため、収入が激減しても生活していけるという判断ができたからである。
僕はよく人からお金の相談を受ける。そんな時、僕は次の5つのアドバイスをする。
【① 正しい貯蓄をすること】
多くの人は「貯蓄」を「残ったお金を貯めること」と考えているが、これは過ちである。引退後のための貯蓄は税金、家賃、学費、生活費等と同じく必要な出費とみなす必要がある。急に入院しても家賃を削って入院費用を捻出するわけにはいかないのと同じように、想定外の入院費は貯蓄を切り崩して捻出すべきではない。緊急時のために現金を蓄えておくことも重要だが、それは「貯蓄」とは切り離して考えるべきだ。
「イヤな人生アドバイス」カテゴリー
「牽強付会」くらいしかことわざ・四字熟語を使いこなせない僕は、ことわざなんて訳わからない不要なものだと思ってる。
ということで、代表的なことわざに対する僕の感想を1行で述べてみることにした。読み直してみたらパターンが見えてきたので、カテゴリーごとに纏めている。
「そんなバカいるの?」カテゴリー
僕独自の休日は他にもある。
たとえば「年末の最終の週と年始の最初の週は有給の週」とか。
これは、どうせこの期間は勤勉な国民でも働いてないだろうとたかを括ったジョーが、自分のために特別かつ勝手に作った休週である。
この独自休週のおかげで、先の年末年始は夢のようであった。
自己謹慎を自己解除してまず話したいことが、僕がどれほど石破のことを嫌っているかについてである。
たった4週間前、僕は石破の人柄について好きでも嫌いでもないと書いたが、これは撤回したい。僕は自分が大の石破嫌いであるということを彼が首相になってから自覚した。
今の僕は日本の政治トークができない自己謹慎状態であるが、それを自己解除することにした。
たった4週間前に謹慎を課したばかりなのに、と思われるかもしれない。
どうせできないと思ってた、と考える人がいるかもしれない。
だが、それは極めて不本意な指摘である。
僕は常に外野からヤジを飛ばしてるような政治好き。でも、自分の言葉に何の責任も負わないのでは単なる意見屋になってしまうので、政治評論家を気取ってる身として、自分の責任の所在を明らかにしたい。
まず、自分に大きな偏見があったことを素直に認める。
「天の声にも変な声がある」
これは1978年に当時首相だった福田赳夫が自民党の総裁選で大平正芳に負けたときに語った言葉だが、石破茂の総裁選勝利を踏まえた僕の今の心境をぴったり表現している。
他方、日本の感覚だとなかなか理解しにくいのが、スポーツ業界にいる弁護士資格保有者だろう。
米国では、スポーツ選手の代理人、すなわちスポーツエージェントが弁護士であることが多い。これは一見意外に思えるかもしれないが、代理人の重要な役割は球団との交渉であり、契約周りを法律の専門家が担うのは極めて自然なことである。
米国では弁護士になりやすい。通常思われているよりずっと。
よって、米国では弁護士資格を持っている人がべらぼうに多い。
どれくらい多いかというと、2023年だけでも、8,000人近くがニューヨーク州の司法試験に、5,000人以上がカリフォルニア州の司法試験に合格している。つまり、たった1年で、13,000人以上の弁護士がたった2つの州から誕生しているのである。日本には合計45,000人しか弁護士がおらず、司法書士と行政書士を加えても国内で法律業務に携わっているのは10万人超なので、日本の感覚からすると、毎年数万人もの弁護士が誕生する米国は極めて異様だろう。
米国は弁護士が社会に満遍なく浸透している国である。一般人にまで浸透しているが故に「米国は訴訟社会」と言われるが、米国では公共の世界にも弁護士がわんさかいる。
米国政府の省庁には法務部があり、契約交渉や訴訟対応はそこにいる弁護士が担当する。自治体も同様で、州には法務部所属の弁護士がいるし、小さな自治体は町弁を顧問弁護士として起用している。こういった弁護士は、様々な縛りがある公共の世界の法律や慣習に精通している専門家である。
ローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)法律事務所で小室圭が担当している「G-BRIDGE」。これが一体どういう業務なのかあまり語られていないが、それは日本の感覚からして、法律事務所が行う業務としてイメージが湧きにくいからかもしれない。
G-BRIDGEは「Generating Business Relationships in the Defense and Government Environment」の略。直訳すると「防衛と政府の業界における取引関係の構築」だが、これだけでは具体的に何をしているのか分かりづらい。
このチームの業務の背景にあるのは、民間企業が政府と取引をする際の特殊性だ。
先日、林遣都が主役を務める舞台を観に行った。未だ小劇場にはまっているわけだが、いつもの演劇に比べて多かった若い女性の観客は、どう考えても林遣都目当ての林遣都ファンである。
そこで改めて思った。
僕も有名人になりたい、と。
賭博にはまり、何億円もの借金を抱えた挙句、大谷翔平から1600万ドル(25億円)も窃盗した大谷の元通訳である水原一平を、多くの人は「バカ」やら「最低の人間」やらと酷評している。
そういった描写を否定するわけではないが、僕は彼について「病人」と表現するのが最も相応しいと考えている。
そして、精神病の人は、合理的には説明できない行動に出る。
大谷翔平の元通訳、水原一平が米国で起訴された。起訴状を読めば、大谷が知らないところで水原が1600万ドル(約25億円)をも窃盗していたことは、もはや疑いの余地がない。
水原の欺瞞は相当深かった。
詐欺師が支配している銀行口座にプロスポーツ選手の給料が振り込まれてしまっているシナリオは、まさに以前紹介したペギー・アン・フルフォードの詐欺事件と同じである。
ここまで証拠が出てきているのにもかかわらず、まだ「25億円もの金がないことに気付かなかったなんてあり得ない」と大谷を疑っている人がいる。
だが僕は、別に大谷が騙されやすい世間知らずでなくても、彼が何も知らなかったことは十分あり得ると思っている。
もとあれ、早期卒業はあっても留年は稀である米国では、4年間で大学を卒業するのが常識だ。
私立大学の4年間の学費は平均22万ドル(3000万円超)。留年は本人および家族の経済状況に打撃を与える一大事なので、大学側も各学生が4年以内に卒業できるよう最大限の努力を尽くす。ボストンカレッジにいた頃の僕は、1年生の時から指導担当の教授がついていて、毎学期、僕は彼から卒業に向けての進捗を確認されるだけでなく、次の学期で受けるべき授業について彼と協議していた。
違法スポーツ賭博問題で注目されている大谷翔平の元通訳、水原一平。彼は、大谷がエンゼルスに在籍していた当時チームが配布した資料でカリフォルニア大学リバーサイド校の卒業生であるとされていたが、同校によると彼が在籍していた記録はないらしい。
どうやら水原は、金銭詐欺だけでなく学歴詐欺も犯していたようである。
2つ目の件は子供の死が絡んでおり、通常よりずっと重い内容の訴訟だ。
背景はこうである。
女性Cの家に女性Dの14歳の娘が遊びに行った。Cは常に車の中に鍵を入れっぱなしにしており、未成年の息子がたまに運転することを許容していた。事故があった日、Cの息子を乗せた車をDの娘が運転していたら、車が転覆してしまい、Cの息子は無事だったものの、Dの娘は即死してしまった。
"裁判官"であるジュディ・シャインドリン(Judy Sheindlin)に5億ドル(約700億円)もの資産を生み出した超人気リアリティ法廷番組「ジャッジ ジュディ」。僕自身、この番組を見始めたらやめられない。
その魅力はどこにあるのか。それはきっとアメリカ人のアホさとそれに対してスパッと正義を言い渡す爽快感だろう。悪に対して正義を下すのが半沢直樹なのであれば、アホに対して正義を下すのがジュディ・シャインドリンである。
では、旅費に加えて賠償金まで負担する番組側にどんなうまみがあるのかというと、もちろん視聴率である。
リアリティ法廷番組は平日の昼間に主婦向けに報道される。「ジャッジ ジュディ」は多くある番組の中でも最も人気が高く、毎日1000万人もの視聴者がいる。安定したターゲット層が毎日1000万人も見ていれば、相当なCM広告費が期待できるだろう。
アメリカで最も裕福な女性を調べると、必ずジュディ・シャインドリン(Judy Sheindlin)という名前が出てくる。5億ドル弱(約700億円)もの資産を持っている彼女は、驚くことに、その財産を裁判官として築き上げた。
もちろん、裁判所で民事訴訟や刑事事件を裁く裁判官としてではない。「ジャッジ・シャインドリン("Judge Judy")」と呼ばれるアメリカの超人気リアリティ法廷番組の主宰としてである。
このリアリティ法廷番組ほど、アメリカの訴訟社会を象徴している番組はないだろう。
【日本製鉄がわざわざローウェンスタインを起用するメリットは見当たらず】
日本製鉄によるUSスチールの買収を機に小室圭が日本製鉄の国際貿易のアドバイザーになるのではないかと憶測されているが、僕としては「そんな簡単に行くだろうか」と思ってしまう。そもそも、日本製鉄ともあろう大企業には既に米国系法律事務所がついているはずで、既存の関係を引き離すのは大変である。
最近、小室圭が入所2年目にして違う部署に異動し、USスチールの買収を発表した日本製鉄のアドバイザーになるのではないかとまで憶測されている。
小室圭がいる世界にいたことがあり、彼が所属していたローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)法律事務所から内定を貰っていた者として、僕なりの考えを述べてみたい。
「飛行機事故検証マニア」として、羽田の滑走路衝突事故に関して思うことを書いてみることにした。なお、これを機会に、以前書いた「航空事故を生き延びるための三つの秘訣」にもぜひ目を通していただきたい。
この事故については、多くの人が「なぜ起こったのか」という点に最も関心を持っている。事故の原因については過去の類似した事故が参考になると思えるので、過去にあった主な滑走路衝突事故と原因を最後にまとめてみた。
本文では、あえて他ではあまり強調されていない次の2点について語りたいと思う。
僕がWeWorkのことを知ったのは、会社が上場のための書類である目論見書を公開した頃であった。前職時代に目論見書を作成する仕事をしていた僕は、当時物議を醸していたWeWorkの目論見書を読んでみたくなったのだ。
目論見書に目を通してみると、冒頭からおかしな記載がある。創業者であるアダム・ニューマン(Adam Neumann)が「Adam」と表現されているのだ。いくらファーストネームで人を呼ぶのが当たり前の欧米でも、目論見書のような正式な書面では「Mr. Neumann」と表現するのが常識である。
僕は金融危機のニュースを追うのが好きである。銀行の破綻とか大企業の粉飾とかのニュースからは目が離せない。
近年、そんな僕の関心を最も引いたのがWeWorkである。
WeWorkは2023年11月に経営破綻したが、その頃には世間から既に忘れられており、話題になっていたのは4年前に会社が上場しようとして失敗した時である。
WeWorkのIPO失敗ほど、10年間続いたゼロ金利政策の弊害を象徴している出来事はなかった。
今年の春、母方の祖父が103歳で亡くなりました。偉大な人生を生きた祖父について書くことも考えたのですが、私は「死」というものが堪らなく苦手で、「死」について考えようとすると思考停止状態に陥ってしまいます。よって、今年は祖父の「死」についてではなく、自分の「生」に対する考えについて書くことにしました。
卒業してからは、チームの成績が悪ければ監督の解雇を求める地元の新聞に賛同し、新しい監督に年間1億円しか支払われないことを知ると、ケチったことで知名度が高い監督を起用できなかったことに憤った。
僕は決して熱狂なファンではない。母校チームの成績も良い年で勝率5割だ。それでも、アメフト部が廃部されれば、毎年行っている大学への寄付を確実に止めるだろう。
国内のアメフトファンなら知らない人はいない日本大学のアメフト部が廃部された。それも選手の不祥事によって。
この問題については、大学側の責任や選手側の権利の観点から多く語られているが、あえて僕は注目されてない「ファン」という視点で語ってみたいと思う。なぜなら、ファンも(選手ほどではないにせよ)明確なステークホルダーだからだ。
僕は日本生まれの日本育ちなのに、アメリカ生活が長いせいか、いろいろ誤解されている。
たとえば、食生活。僕の食欲は部活帰りの高校生並みだが、好きなのは和食だ。外食すると和食の店しか選ばず、もっぱら魚と野菜ばかり食べている。
ところが、ジョー=アメリカンのイメージが強いせいか、多くの人は僕が毎日肉をがっつり食べていると勘違いしている。接待でステーキ屋なんかに連れていかれるのはありがた迷惑で、そんな時の僕は、ステーキを食べながら翌日の献立を刺身と納豆のどちらにしようかと悩んでたりする。
こんな感じでこの二人を褒め称えたらきりがないが、実は僕が彼らに対して抱いている気持ちは結構軽薄である。
たとえば、僕と森喜朗の関係。これはアイドルを追っかける女子高生の関係だ。もちろん、森喜朗がアイドルで僕が女子高生である。
4)ニュアンスを理解できる
世の中は複雑であり、どんなことにもニュアンスがある。マイケル・ベイは爆発をバンバン起こすことくらいしか能がない監督だが、「アイランド」(2005年)のように観る価値がある映画を稀に作ることがある。「タレント議員は無能だ」とよく言われるが、参院議員として史上最多当選(8回)している山東昭子は遥か昔タレントであった。絶対的な発言しかしない人は、「評論家」として未熟である。
何も変えようとせず、何も変えられる立場にもなく、言いたい放題である「評論家」は結構無責任であるが、それでも単に意見を述べるだけの「意見屋」よりはましである。
世間には自分の意見を述べることに人生を捧げている人が少なからずいるが、そんな人たちが「評論家」として認められるべきか、それとも「意見屋」として見下されるべきかを判断するにあたって、僕は次のような基準を参考にしている。なお、すべての基準において映画と政治の評論の観点で説明しているが、それは僕自身がその二つの分野について詳しく、最も自分が「評論家」に近いであろうと考えるからである。
僕は長い間、人には「いい人」という要素さえあれば十分だと思っていたのだが、いろんな人に会えば会うほど、世の中そう簡単ではないと考えを改めるようになった。
たとえば、「いい人だけど頼りがない人」。そんな人は誰しも親族や同僚に一人くらい思い浮かぶのではないだろうか。こういう人たちは純粋な心の持ち主で、悪意はなく、悪いこともできないが、困った時にあまり当てにならないと言う意味では物足らない。
頼りない人は害にもならないかもしれないが、世間には「いい人」だからこそ害を与える人もいる。
さらには、実業家と起業家とのやり取りも、海外版の方がレベルが高いように見えてしまう。
自腹で資金を出す実業家が起業家の事業計画の甘さを容赦なく叱咤するのは「¥マネーの虎」でも海外版でも見どころであるが、海外版では数字に関する詰めが特に厳しい。
2000年代に深夜テレビ番組「¥マネーの虎」として脚光を浴び、2018年から「令和の虎」としてYouTubeで復活している番組が、海外では「Dragon's Den」(イギリス)や「Shark Tank」(アメリカ)として爆発的にヒットしていることをご存知だろうか。
当時の僕は、僕も相手の弁護士もレイオフの対象に含まれなかったことは運が良かったからだと思っていたのだが、今なら分かる。あれは運でも何でもなかったのである。彼も僕も新米弁護士だからこそ生き延びれたのだ。
理由は簡単だ。新米の給料は安いからである。
アメリカのIT企業によるレイオフ、いわゆる大量解雇が日本でも物議を醸しているが、景気が後退するといずれは大手法律事務所も煽りを受けるのがアメリカである。特に金融に依拠しているM&Aなどの分野が強い法律事務所は、景気の動向に左右されやすい。(余談となるが、会社更生や訴訟といった分野は、反対に景気悪化に強い)
そうなると気になるのが、コーポレート関係の仕事がしたいと言って小室圭が就職した法律事務所ローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)が、16人解雇したという報道である。対象となったのはスタッフであるが、いずれは弁護士にも広がる兆しを感じさせる驚きのニュースである。
しかし、そこで気付いた。そういう神経だからこそ、つまらない人間になるのだ。学歴だけが根拠のプライドで自分は賢いのだと信じて疑わず、自分が知らないことや想像できないことについて否定的になり他人の話を聞かない。だから、永遠と自分の小さな世界から出られない。
僕は八方美人だ。でも、そんな僕でさえ、ある種の人間からは好かれずとも構わないと思っているし、僕もその種の人間に対しては嫌悪しか感じない。
その種の人間とは、つまらない人間である。そして、そういうつまらない人間にこそ、学歴が高いエリート職に就いている人物が多い。
さて、今年の春、私は職場で昇進しました。正直、少々遅かったです。
私は極めて能天気な性格です。それは仕事に対する姿勢にも言えることで、良い同僚に囲まれ、やりがいを感じていれば、私はそれ以上のことを仕事に求めてきませんでした。結果として出世欲を持たないことになったのですが、それは美徳であるとさえ自負していました。
しかし、昇進が遅れ、昇進するために何が欠けているのかを真剣に考え、やっと昇進できたことで、ひとつ悟ったことがあります。それは、意欲とチャレンジと成長は切っても切れない関係にある、ということです。
もっとも、大半の人が2000円札が不便だと思い込んでいることには、それなりの理由がある。
2000円札はもともと、西暦2000年とその年に実施された沖縄サミットを記念して、1999年に当時の小渕恵三首相により発案され、2000年に発行が開始されたものである。公表から発行まで1年間しかなく、この期間は異常に短い。現在予定されている新紙幣への改刷は、2019年4月に公表され2024年上旬に発行が始まるので、5年近い期間がある。偽造対策のために実施された前回の改刷は、2002年8月に公表され2004年11月から発行が始まり、早かったと言われながらも2年3ヶ月の期間があった。2000円札の1年間がどれだけ短かったかがよく分かる。
【上院の予想】
注目されている上院の議席を投票終了時間の順に解析していこう。時間はすべて11月9日(水)の日本時間。
リマインドとなるが、共和党が一つでも議席を増やせば過半数を獲得する。以下の予想では、ネバダ州で共和党が民主党から議席を奪い、(後日の決選投票に持ち込まれるであろうジョージア州の結果に関わらず)共和党が僅差で上院の過半数を獲得すると予測している。
10年ほど前、Bさんには優秀な部下がいた。彼はそつなく実務をこなせるだけでなく、管理職になれるリーダーシップの要素も持っていたのだが、当時のポジションが大変居心地が良かったようで、現状に満足しちゃっている節があった。ある時、Bさんはそんな部下を呼び出して、次のように伝えた。「あなたがこの会社で学べることはすべて学んだ。これ以上在籍していても成長できないので、半年以内に転職先を探しなさい」。
つまり、優秀な部下に対して引導を渡したのである。その後彼は無事転職できて、現在は大企業の上層部にいるらしい。数年前にBさんが彼の妻と再会したら、「あの時に夫を辞めさせてくれてありがとう」とお礼を言われたそうだ。
「Aさんは仕事はできるんだけど...」と言った話を聞くと、僕は必ず訂正する。「それって、『仕事』じゃなくて『実務』のことでしょう」と。
なぜなら、必ずと言っていいほど「...」の後に続く話が仕事の一部である事柄ばかりだからだ。実務はあくまで仕事に一環でしかない。僕からしたら、実務しかできない人は仕事をこなしているとは言
さらにAさんは、「法務部は法律の専門家なんだから、ビジネスサイドに対して上から目線で接していればいいのだ」という考えの持ち主であった。
これを聞いた僕は、驚くと言うより変に納得してしまった。
最近、ある大企業の法務部に所属しているAさんと、「法務部のあるべき姿」について議論することになった。
僕の日常の多くは、ビジネスサイドからくる緊急依頼や難題をタイムリーかつ納得してもらえる形で対応していくことにある。これを聞いたAさんの感想は「ビジネスサイドに寄りすぎだと思います」といったものであった。Aさんによると、「明日までに必要だ」とか「これをしてくれないと困るんだ」といった依頼に対しては、「それはできません」とビシッと突き返すのが法務部としてのあるべき姿らしい。
もし僕が自殺を疑われる形で死亡していたら、それは10000%の確率で殺人だと断言できる。地球が破滅するまで太陽が昇って夕日が沈むことが繰り返されるくらいに、僕の死が他殺であることは確実だ。
そんなわけだから、読者にお願いがある。僕が自殺をしたらしいという噂を聞いたら、直ちに犯人を探して欲しい。
このサイクルが永遠と繰り返されるサポート役は、ほとほと疲れてしまう。こういう人たちの口からは、もっぱら「OOOさんに付いていくのは大変なんです」とか「OOOさんと一緒にいると疲れます」みたいなぼやきしか聞こえない。そんな話をされると、僕としても労いの言葉の一つか二つをかけてあげたくなる。
しかし、よくよく話を聞くと、実は彼らも同情は不要だったりする。
僕の周囲には、売上数十億円の会社を築き上げたり、ひょこっと首長になったり、天才というべきか実力者というべきか、並の人なら挑戦しようとも思わないことを成し遂げてしまう人が少なからずいる。
一時昔の僕は、こういう人たちを見ては、「行動力がある分、常に忙しくしていて、休暇どころか睡眠も取ってなさそうで大変だなあ」と同情していた。
この一連の出来事を観察しながら、僕は「自分が彼女の立場だったら、絶対にこんなすんなりには行かなかっただろう」と考えてしまった。
僕はファミレス店舗内といった狭い空間でも迷子になりかねないので、トイレから戻ってきて自分の席だと記憶しているところに他の客が座っていたら、まずはそれが自分の席だということに自信を持てず、"本当の"自分の席を探しに店の中を行ったり来たりしたであろう。
先日、自分の性格について改めて省みるちょっとした出来事があった。
その時の僕はファミレスにいて、既に注文を終わらせ料理が出てくるのを待っている状態だった。そこに手ぶらの女性一人が現れ、右隣の席に座った。彼女は座って早々にメニューを開き、店員が水とおしぼりを持ってくるのも待たず、スープとパスタを注文した。ちなみに、僕はちょっと前にじっくりメニューを研究した後、海鮮サラダとオニオングラタンスープ、ハンバーグとライスセットのフルコースメニューを注文したばかりだった。
株式市場が長期的な弱気相場に入ったようだ。英語で言ういわゆるBear Marketだ。
これに突入すると、悪循環の始まりだ。
投資家というものは、いったん下落市場に嫌気が差すと、とにかく売却することにしか関心がなくなる。会社の業績がよければ株価は5%の下落、まあまあであれば10%の下落、最悪であれば20%の下落。どんな業績でも株価は上がらず、所詮は下げ幅の違いにしかならない。
僕にとっての政治とは、次のようなものである。
「日常生活を生きていくことに精一杯な多種多様な1億人から構成する国家を、一般の人が関与できる、そして一般の人が実際に関与している形で、安定的に治めること」
僕の政治に対する考えは、概ねこの一文に凝縮されている。
【優先すべきは仕事ではなく司法試験の合格】
小室圭は、遅かれ早かれローウェンスタイン・サンドラーから退所を促されるだろう。たとえ引導を渡されなかったとしても、自主的に退所すべきだ。
もちろん弁護士として採用された以上弁護士になれないのであれば辞めるのが筋という理由もあるが、もっと現実的な問題として、もはやローウェンスタインで仕事をしながら司法試験に合格することは困難すぎる。
僕は投資に関するうまい話はありえないと確信しているので、今の世の中は下げ相場の兆候だと思えて仕方がない。
日常のように、SNSで株で儲けた話が投稿され、YouTubeで投資勧誘の広告が流れる。そして、何より、今まで投資をしたことがない人たちが、僕に投資の相談をしに来る。これはまさに、高校時代、株式市場大暴落の直前に、食堂のおばちゃんが僕に株の話を振ってきたことを思い出させる現象だ。
中学時代から株に関心を持って高校時代から実際に投資をしてきている僕は、しょっちゅう、いろんな人から、投資に関する相談を受ける。
そんな時、僕はまずこうアドバイスする。「株は下落する。それも、たまに暴落する」
そして、多くの失敗談を共有する。
このように、僕は映画に対して常にエンターテイメント性を求めている。さらに、僕には「どんなジャンルにもいい映画がある」といった持論がある。思考が一切不要なアクション映画でも、馬鹿げたコメディでも、甘い恋愛物語でも、僕はいつも面白さを期待して決して映画の誘いを断ったりはしない。
しかし、だからと言って、観た映画のすべてが好きになるわけではない。というか、僕は映画の評価には厳しい方だ。「どんなジャンルにもいい映画がある」という考えの裏には、「どんなジャンルにもいい映画と悪い映画がある」という意味が含まれている。
では何が映画の良し悪しを分けるのかというと、実はそれは、僕のルームメイトが拘った芸術性なのだ。
僕は最近、小劇場というマニアックなジャンルの演劇にはまっている。その世界にどっぷり浸かっている知人の影響である。
先日その知人と一緒に芸劇サファリ・Pによる「第8回公演『透き間』」と呼ばれる演劇を鑑賞しにいった。1時間半に渡って俳優が走り、泣き、踊るのを観た後の僕の感想は、「?」でしかない。何しろ、最初から最後まで、一体何が起こっているのかさっぱり理解できなかったのだ。
こういうことを体験する度に、僕は「芸術」のあるべき姿について考えてしまう。
最近の僕は、「組閣モノポーリー」と名付けた自己開発ゲームで空想にふけている。
ゲームの設定とルールはこうだ。
この設定の中でどういう人事を行うかによってその人の政治姿勢が明らかになるのだが、僕の場合、政治的目標は迷いなく「節操ない内閣支持率の維持」なので、次のような基準で閣僚を選定していく。
ということで、腕時計通貨で重要なのは、本数ではなく「機能」と「ブランド」を通貨単位にすることなのだが、ここで紛らわしいのが、「機能」の価値は実用性に反比例しているということだ。
たとえば、Seikoの時計は時間の正確性が売りだが、正確性と呼ばれる"機能"には「銭」レベルの価値しかない。「円」の価値がある機能といえば、ミニッツ・リピーターやパーペチュアル・カレンダーだろう。
僕は50,000,000,000ジンバブエ・ドル札を持っている。
この紙幣の価値は、ハイパーインフレーションのせいで1銭未満。こんなに桁がある通貨でモノの価値を測っていたらエライことになりそうだが、実は僕は日常生活で「腕時計通貨」という僕特有の通貨を使ってモノの価値を判断しており、これはこれで十分ややっこしい。
前回は小室圭の就職先であるローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)について自分の経験を元に解説したので、今回は当事務所のサイトに掲載されている彼のプロフィールを(つい最近まで類似したプロフィールが公開されていた者として)読み解いていきたい。
【学位】
事務所のプロフィールによると、小室圭は2019年にL.L.M.と呼ばれる学位を、2021年にJuris Doctorと呼ばれる学位を取得している。
L.L.M.とは日本の大学の法学部を卒業した人が米国に留学する際に取得する学位で、1年間で取得できる。L.L.M.を取得すれば多くの米国の州で司法試験を受験できるので、日本企業の法務部社員や日本の弁護士が米国の弁護士資格を保有している場合、学位は大抵L.L.M.だ。
他方で、Juris Doctor(通称、「J.D.」)とは一般の米国人が弁護士になるために取得する学位で、取得するのに3年かかる。
学位がL.L.M.でもJ.D.でも米国弁護士になれるのだが、双方の大きな違いは、前者だと米国本土での就職に大変苦労することだ。その理由は簡単で、一般の米国人はほぼ例外なしにJ.D.を取得するので、法律事務所の採用活動もJ.D.取得者を対象としているからだ。(米国法律事務所の東京支部での就職は事情が大きく異なることに注意)
小室圭は当初L.L.M.プログラムに入り、その後J.D.も取得することにしたようだ。ニューヨークで勤務することを希望していたのであれば、これは賢明というより必須の決断であったと思われる。
僕は自称「政局マニア」である。「政治」マニアではない。「政局」マニアだ。
そんな僕が政治において何より評価するのが、政治権力の獲得維持能力。僕にとって、政治家の政策や政治思想なんてモノは二の次にすぎない。
そういう意味では、この5年間、自民党を牛耳ってきた二階俊博幹事長は尊崇に値する。
世間知らずの僕でさえも採用してくれる企業だったから、バイトの初日は研修から始まった。
研修の講師は気さくなおばちゃんで、そんな彼女に教わった一つが、会計を終わらせる前にカゴに商品が残ってないかを確認することの重要性だ。「カゴに残った商品の代金を回収しないことによる損害がバカにならないの」と説明しながら、「我が社の業績は厳しいからね…」と補足していた彼女の言葉が今でも忘れられない。大企業でも経営の不振が現場の人に影響を及ぼすのを目の当たりにしたこの瞬間は、当時でもとても感慨深かった。
「お酒とバイトは中2から」。僕にはこんな持論がある。
「中2」とは語呂がいいから選んだ年齢だけであり、もちろん違法行為を推奨しているわけではない。この持論の趣旨は、お酒も労働もなるべく早く経験した方がいい、といった人生アドバイスである。
僕は、様々な経験を重ねることによって、金について詳しくなっていった。
僕が最初に経済に関心を示したのは、小学生のとき。地元のガソリンスタンドの価格の変動を追って、僕は市場価格という概念に触れた。
僕が最初に株に投資をしたのは、高校2年生のとき。頑張って貯めたお年玉やバイト代を掻き集めて購入した株が9カ月間で2倍になりその半年後に4分の1に暴落して、僕はリターンが高い投資にはリスクが伴うことを学んだ。
僕の肩書きは自称「直木賞受賞予定作家」。このブログがいつか自伝小説として纏められ、ベストセラーになる日が訪れると信じて疑わない。
もっとも、僕には自分に文才がないという自覚がちゃんとある。
しかし、この機密保持義務は、場合によっては弁護士をとてつもなく難しい立場に置く。
1970年代、米国ニューヨーク州でこんなことがあった。
ある弁護士は、女学生を殺人した容疑で逮捕された被疑者の代理人として雇われた。その弁護士は、依頼人の話を聞いているうちに、依頼人がもう二人の学生を殺していることだけでなく、死体がどこに埋められているかまで知ってしまう。
米国では弁護士は特に反感を買う職業だが、その理由の一つとしてよく挙げられるのが、「弁護士は凶悪犯罪者でも弁護する」というものだ。
犯罪事件における弁護士の倫理観とは、実は複雑だ。
他方で、相手が小学高学年くらいの女子だと、劣勢になった瞬間に勝負を投げたくなる。
女子はとにかく落ち着いているのだ。将棋盤から常に目を離さず、一手一手に隙がなく、対局後に「ここら辺が良くなかったです」と僕の将棋について諭されると、「はー、そうでしたか」と萎縮してしまう。
「政党は組織」が持論5である僕は、考えが合わない、などという子供じみた個人的な事情で離党はしない。そして、自分が政党を作ったら、党を離れる議員の離党届を受理せず除名処分にし、次の選挙では対抗馬を立てて、刺違えになってでも潰しに行く。
「政局は勝ってなんぼ」が持論6である僕は、政局の兆しには常に敏感でいて、予期しなかった政局に足をすくわれる、などというヘマは絶対にしでかさない。政局に勝つ確実な方法は奇襲を仕掛けることなので、政局が起こりそうになったら、主導権を握るために自分から先に起こす。
さて、私の座右の銘は「人生いろいろ」ですが、さすがの私も、映画の世界でしか見たことがないパンデミックを自ら経験することになるとは夢にも思っていませんでした。
こういう未曾有の時こそ、人生について改めて考える機会になるのだと思います。
このように日常生活の中で常にカッコつけている僕は、娯楽の時も決して気を緩めずにカッコつけを維持している。
カジノは僕の趣味の一つ。そして、カッコいいカジノゲームと言えば、やはりバカラだ。
「喋りさえしなければねー」とあたかも話さなければ魅力的だと言わんばかりの指摘を受ける僕は、稀に話していない時はカッコつけている。
最近、友人と遊園地に遊びに行った時にこんな会話を交わした。
友達〜「暑いねー」
僕〜「そうだねー」
友達〜「革ジャンなんか着てて暑くない?」
僕〜「暑いねー」
友達〜「じゃあ、なんで着てるの?」
僕〜「カッコいいから」
友達〜「。。。」
さらには僕は、過去、現在、そして将来の収入と出費についても心配している。
収入については、社会人になってから今まで毎年いくらの所得があったか概ね覚えており、将来の収入についても関心が高いので、夏と年末は大口宝くじを必ず購入している。
出費については、家計簿をつけているので月の単位で出せる。コロナ禍で会食を避け趣味も追求できなくなりノイローゼ気味になったが、その反面、月々の出費を30%〜40%削減できたことはなんとも喜ばしいことだ。
2020年8月12日の水曜日、私、ジョーは、千駄ヶ谷にある将棋会館の道場で5級に昇級いたしました。
毎年発信している自己満足の年次報告書を読んでくださっている方はご存知のとおり、これは私にとって人生の一大イベントです。
昇級までの道のりは、とにかく「長かった」の一言に尽きます。
日本と米国で根本的に違うのは、投票率ではなく、日常における政治への身近さだ。
米国では、中学時代に国会議員に手紙を書いて返事をもらい、高校時代に国会議員の地元事務所でインターンをし、大学時代に徹夜で政治を議論し、大学院時代に選挙ボランティアを経験した、という人がざらといる。
果たして、これを一つでも経験したことがある日本人がどれほどいるか。
昨日、都知事選が開票された。
投票率は55%。いつものことながら、「投票率の低さに驚いた」などとコメントしている人がいる。
しかし、僕に言わせてみれば、投票率が低いなんて当たり前だ。
投票という行為がどういうものなのか、冷静に考えてもらいたい。
ところが日本に戻ってきて以来、どうも周囲が見る目と自分の自覚の間にズレが生じるようになった。
その大きな理由は、どうやら僕が日本酒を好むかららしい。そして、好むだけでなく、結構飲むかららしい。
僕が酒を飲むようになったのは、米国に住んでいた大学時代である。
米国大学生といえば、親の監視を離れて寮で自由奔放に暮らす未成年が、金曜日の夜に暴飲し、土曜日の昼に嘔吐し、日曜日の朝に病院に運び込まれるというイメージが強いが、僕はそういうのとは全く無縁だった。
別に模範な学生を演じていたわけではない。単に周りが飲んでる酒に興味がなかっただけだ。
このためか、僕はしょっちゅう会食で墓穴を掘る。
例えば、最近来日したあるエラーイ人を接待した時。最初に店に着いた僕はさっさと真ん中の席に陣取ったのだが、後に現れた人誰一人として、僕の隣や前に座ろうとしなかった。
既にお気付きの読者も多いと思うが、僕は「超」がつくほど自己中心的だ。
他人に興味がない。常に自分が注目の的でないとおもしろくない。
僕という人物は、実に周りにいてほしくない存在である。
それが最も顕著に表れるのが食事会だ。
昨年、僕は米国の中学校で米国憲法を教えるというボランティア活動に参加した。
教えたクラスは30人くらいの中学一年生。授業の内容は表現の自由についてだったが、ふとしたことで、投票年齢を18歳から引下げるべきかという議論が勃発した。
ベルギーの天才児が9歳で大学を卒業するらしい。今後、医者を目指すのだという。
こういった天才について読む度に思うのだ。「天才」とは幸せなのだろうか、と。
刑務所はホテルではない。クレジットカードではなく有罪判決を提示しないと宿泊させてくれない場所である。
さらにややっこしいことに、日本には執行猶予という処分がある。この中途半端な判決を食らうと、前科はあるが入所はできないという、最悪の状態に陥ってしまう。
こんなツイートを発見。
上京した頃、列車の中から東京拘置所が見える度に「今はアパート暮らしだけど、いつかこういう立派なマンションに住むんだ」と心に誓っていた。
#どれだけのミスをしたかを競うミス日本コンテスト pic.twitter.com/UmiSddeTsd
— みっち (@Bearchen_news) March 14, 2019
この人、拘置所とは知らずに住みたいと思っただけマシである。僕なんぞは、刑務所と分かってて住みたいと思ったことがある。
一般論として、大抵の人は仕事ができない同僚に作業を頼まない。そんな同僚のフォローをするくらいなら、自分でやってしまった方が早いからだ。
でも僕には、「あなたの仕事を僕がしたらあなたが必要なくなる」という哲学がある。よって、僕はできない同僚にも仕事を振るが、代わりに、そんな同僚にもとことん付き合い徹底的に指導する。
これまで、できる人、できない人、普通のできの人を色々と見てきたが、一つ言えることは、プライドが高くて自覚がないのは致命的、ということである。
そんな人が世には少なからずいる。
【読む】(2〜3時間)
年間52冊の読書ノルマがあるにもかかわらず、普段の僕は読書どころではない。よって、冊数を稼ぐ絶好の機会である出張や旅行には、本を4、5冊えっちらおっちら持って行く。
飛行機に乗ってる間は、もっぱら読書にあてられる時間。もっとも、「いつでも読める」という気持ちより「ちゃんと読まねば」というプレッシャーの方が強く、通路側に座った後に窓際の人が現れると僕が激怒するのは、読書ノルマ達成の邪魔になるからである。
僕は飛行機での旅が全く苦にならない。なにせ、飛行機の中ではやることが多すぎるのだ。
【呑む】(常時)
気圧が低い機内では酒がまわるのが早い、と言うのは定論。どんな便でも離陸後すぐに飲み物サービスがあるので、早々とご機嫌になれる。
さらに、国際便だとアルコールは無料。頼めばいつでも日本酒を持ってきてくれるので、離陸直後に飲んだ酒が薄れてきたら、乗務員に声をかけるだけで、すぐにまたご機嫌気分に戻れる。
認めるのも恥ずかしいが、僕は過去に、他にも似たような最低人間と関わってきたことがある。駐車中の車に接触し傷をつけた際に、お詫びと連絡先のメモを残すよう主張した同乗者を無視して何もせずその場を去ったヤツとか、飲食店のバイト店員が大学スポーツ選手であることを知ると、「アメフトで頭をぶつけすぎたんじゃないの」とバカにした輩とか。
こんなのと一時でも関わりがあったことは一生の恥であるが、彼らに共通していたのは、自分が超エリートであると信じて疑わなかったことだ。こういったとんでもない勘違い野郎のために、僕は「運よく刀を持っている時に遭遇したら首をはねる人間リスト」を作成した。
職業に貴賎なし、という言葉があるが、明らかに人格にはある。そんな人格がない人間が、僕は許せない。
無論、世には悪人など山ほどいる。しかし、シリアルキラーのような者はそもそも批判に晒されるので構っていない。僕が特別な嫌悪を感じるのは、人間としての最低限なモラルが欠けているくせに、のうのうと社会的な高い地位に居座っている野郎どもである。
その典型的な例が、あるできそこない弁護士だ。
結局、鈴木知事は派遣職員として夕張市に2年2ヶ月いることになる。2011年の3月、帰京の際に黄色いハンカチを振る市役所職員と住民に「いってらっしゃい」と見送られ、泣きながら「体は戻ってくるか分からないですけど思いはずっとここにある」と語る鈴木知事の当時の姿は、たった数カ月後に市長になるために戻ってくることを考えると、感慨深い。
彼に市長選出馬の要請をしたのは、派遣されていた時に一緒にボランディア活動をしたコンビニの店長や土産物店の仲間たち。その時彼は、結婚を控えて家を購入したばかりの29歳。断る理由はいくらでもあったものの、自分の「やりたい」という気持ちに押されて、安定した都職員という地位を捨て、誰にも相談せずに、骨を埋める覚悟で出馬を決断した。
ここに一枚の珍しい写真がある。
一番右に写っているのは、高橋はるみ、前北海道知事。そして彼女の隣にいるのは、鈴木直道、現北海道知事である。
時は2007年12月。当時、鈴木知事はまだ26歳の東京都職員。翌月から財政破綻した北海道夕張市に派遣されることが決まっており、この写真は事前に現地視察した際に撮ったものだ。まさか12年後に、自分が知事の後継者になるとは夢にも思っていなかっただろう。
危ないのは刺激なき環境だけではない。僕は将棋で何度も油断大敵を痛感しており、それはこれからの人生において決して忘れてはならない教訓だと思っている。
将棋では時々、優位に進めていると思っていたのが、いつの間にか手の施しようがないほど劣勢になってしまっていることがある。振り返ればどの局面でどの手が悪かったのか分かるが、対局中は、危機感がないまま指していてふと気付いた頃には事は遅し、といった感じである。
どうも僕は、人生を将棋にたとえるのが好きなようだ。将棋にハマればハマるほど、将棋が人生の縮図に思えてくる。
僕の人生論は「人生いろいろ、将棋もいろいろ」だ。
この3年間、僕はある仲間と100局以上の将棋を指してきたが、その彼との将棋が同じになったことが一度もない。最初の5−6手は毎回似たり寄ったりだが、いつもどこかで新たな分岐があり、経験したことのない将棋に展開していく。
人の人生も同じではないか。同時に生まれ、同様の環境で育った双子でも、徐々に異なる人生を歩んで行く。生まれながら似ている双子でさえ違う運命を辿るのだから、世界にいる70億人の人生の多様性は計り知れない。まさに、将棋も人生もいろいろである。
さらに、日本における憲法改正の議論が活発化する中、憲法とそれを解釈する裁判所から何を期待すべきか、という点についても米国から学べる。
憲法の役割に関して弁護士や憲法学者に聞けば、多くは国家権力を抑制し少数の権利を守ること、と答えるであろう。そして、その保護を実際に執行していくのは最終的には裁判所であるとも。
しかし、裁判所が「正しい」判断をするといった保証はない。時には暗い米国の憲法史がそれを示している。連邦最高裁は歴史上数々の悪名高き判決を下しており、その一つは南北戦争という内紛勃発のきっかけになり、もう一つは労働者保護の法律を無効にしている。
僕が米国憲法について語るとき、必ず最初に指摘するのが米国憲法の古さである。1788年に発効した米国憲法は、成文化された憲法としては世界で最も古い。
歴史の浅いアメリカなのにそんなはずはない、と考える人は多い。しかし、1788年の世界を振り返っていただきたい。その頃の日本は江戸幕府第11代将軍徳川家斉の時代。欧州は君主制。テレビどころか電気もない時代はだいぶ昔である。
たった70年の憲法史しかない日本が、230年もの歴史を誇る米国から学べることは少なくない。
困った彼は、手荷物受取所で、手当たり次第アメリカン航空の従業員を捕まえては状況を説明した。しかし、誰しもが「www.aa.comでクレームを提出するように」と言うだけで、取り付く島もない。結局スマホは回収できず、携帯なしの米国滞在一週間を強いられてしまう。
これを聞いた僕は、当初こそはなんとも気の毒な話と思ったが、最終的にはあまり同情の余地がないという結論に落ち着いた。そもそもJAL運航の東京〜シカゴ便があるのに、あえてアメリカン運航の便を選択したことが致命的な過ちである。アメリカン航空のビジネスクラスで飛ぶくらいなら、JALのエコノミークラスで飛ぶべきだった。
最近、ある人からアメリカン航空の東京〜米国シカゴ便における悲惨な体験話を聞いた。
この人はJAL派だったので、JAL経由でコードシェアパートナーであるアメリカン運航の便をビジネスクラスで予約した。(ちなみに、アメリカン航空とは、僕が昨年の映画3連チャン企画中に3度もプレミアムエコノミークラスの食事を見せられ、あまりにまずそうなので絶対に飛ぶまいと誓った航空会社である)
このブログの熱烈なファンならご存知のはずだが、僕はありとあらゆる趣味を持っている。
僕にとって大切なものをざっとリスト化すると、こんな感じか。
このように敬遠されがちな離陸後アナウンスの英語版だが、たまにやたらと英語を話したがるパイロットがいる。
一番わかり易かったのは、日本語より先に英語でアナウンスを始めたパイロット。最初は外人VIPでも乗せているのかと思ったが、その後、やれトイレに行った後は必ずシートベルトを締めるようにしてくださいやら、やれ気流がどう飛行時間に影響を及ぼしているやら、やれ飛行中の何時の何処あたりが景色の見どころやら、流暢な英語で長々と説明されるのを聞いて、なるほど、この人は英語を使ってかっこつけたいだけなのだな、と納得した。
最近、地下鉄に乗っていたら「おや」と思うことがあった。
車掌が英語でアナウンスを行なったのだ。
まだ新人だったある土曜日、当時の上司が朝7時から15分ごとにメールを送ってきたことがあった。僕からの回答がないことにしびれを切らしたのか10時半には電話までかけてきたが、そもそも携帯を寝室に置いていなかったので、僕がメールに返事をすることはなかった。
14時に起きた頃には上司の激怒したメールと留守番電話が複数待っていたが、これらもシカトしたら、ようやく僕のポリシーを理解したようである。その後、彼が僕の週末の朝を邪魔してくることは一切なかった。
こうして通常は無茶なことを言ってくる元上司でさえ僕のポリシーを学んだのだが、こんな簡単なことが未だに理解できていない非常識人間が僕の周りにはまだたくさんいる。
ゴールデンウィーク10連休中の目標を一言で挙げるとしたら、「睡眠」だ。
もっとも、これは通常の目標と変わらない。僕はありとあらゆる興味に明け暮れる毎日を過ごしているが、実は僕が食事よりも将棋よりもフライトシミュレーターよりも好きなのが睡眠である。
この度の紙幣刷新に伴って久しぶりに注目を浴びている2000円札について、時々新聞で見る「有識者の話」スタイルで書いてみました。
〈二千円札大学学長のジョー博士の話〉
2024年上期を目処に日本の紙幣が刷新されることが政府より発表されたが、やはりというべきか、2000円札は流通数が少ないという理由から刷新の対象に含まれていない。
これは日本国民としてとても危惧すべきことだと思う。
このように採点していった教科の総合点は140点。ちなみに、合格者最低点は218点である。
結局合格ラインに64%しかたどり着けなかったわけで、開成高校が偏差値78であることを踏まえると、僕の偏差値は50といったところか。
こうして意外にも開成高校の入試に落ちてしまったわけであるが、このチャレンジを通じて僕は、自分について重要なことを多く学んだ。
開成高校入試チャレンジ。一番合格しそうな2017年版を受けた後、残るは採点のみである。
正直、数学で自滅し英語で満点を逃したことで開成高校の入学は絶望的と思われるが、今まで潜んでいた科学の才能が急に芽を出す可能性も否定できない。
よって、とりあえず採点はしてみる。
ところが、英語の最初の文章を読んでいるうちから、「?、やけに難しい文章だな」、「?、peripateticってどういう意味だ」と頻繁に危険信号が点りはじめる。
で実際に問題に取り掛かりはじめると、まずは「空所に入る適切な語を答えなさい」という問題で、そういえば僕は英語でも語彙が少ないんだったということを思い出し、その後の「日本語で答えなさい」という問題で、そういえば僕は日本語が弱いんだったということを思い出した。
英語のテストなのに日本語での回答が求められることの理不尽さに憤っていたら、回答用紙に空白が残ったまま時間が切れてしまった。
開成高校入試チャレンジ。戦略を練った後受けることにしたは、一番合格しそうな2017年版である。
まずは、100点満点中30点を目標としている国語から。
最初の文章を読み始めると、なんと夕張市についてではないか。先日、経済破綻したことで有名なこの町が現在どう復帰の道を辿っているのかについての朝日新聞の記事を読んだばかりである。得意の政治、経済も絡んでくる内容だ。こんな問題、読解力などに頼らずとも解ける。
でも社会にすべての望みをかける必要はないのだ。何と言っても英語がある。
米国に長年住んでいた僕にとって、英語での満点は当たり前といえる。日本の英語の試験ではしばしば意味不明な記号「ə」が現れることがあるが、開成高校ともあろう学校が入試でひっかけ問題など出題しないと信じている。
よって、英語満点で理科0点を確実に挽回。
残るのは数学と国語。。。
まずは国語から。
中学時代に通っていた塾で模擬試験というものを毎月受けていたのだが、国語の点数はいつも概ね10点台だった。開成高校の入試では国語の平均点が50点から70点であることを鑑みると、さすがに10点台はまずい。
僕は西日暮里にある将棋バーというマニアックな場所に月2回通っている。
西日暮里といえば偏差値78の開成高等学校がある街。時々この超進学校に通っている学生を見かけることがある。
前々から日本での小学校中退という最終学歴を汚名返上するため高校受験したいと考えていたのだが、自分の日本語力と性格では無謀かと諦めていた。でも開成高校在学生を観察するようになってから、「こいつらには将棋で負けるかもしれないけど、米国証券法の知識では負けない気がする」と思うようになった。
よくよく考えてみれば、高校入試を受けるのは所詮は中学生。一方の僕は、合格率85%の司法試験に受かった米国法曹資格保有者。普通の中学生にできることが僕にできぬはずがない。
一旦理想な本を選んだら、あとはひたすら前進するのみである。
読書中、「この慣用句、意味がわからないな」とか、「この登場人物誰だっけ」とか、「どうしてこういう展開になったんだっけ」など、本を一刻も早く読み切ることの妨げになる思考は全て封印する。無になって読み続けなければ、ノルマの遅れは取り戻せない。
こういう風に僕は、常に読書のノルマを達成することに全力を注いでいる。
そしてその証が、読書済みの本がぎっしり詰まっている自慢の本棚なのだ。これこそまさにエリート読書家の本棚である。
昨年はいくらあっても足らない「時間」についてばかり考えていたせいか、2018年はその限られた時間を最大限に活かして「形になる成果」をあげることが目標となりました。
私は昔から教師という職業に憧れており、ロースクール時代に主に米国憲法を勉強したことから、きっかけがあれば憲法を教えたい、と従来から考えていました。しかし、私の今までのキャリアは憲法とは全く無縁のもの。ロースクールで、それも日本にいて、米国憲法の教鞭を取るなどそう容易くいかないと思っていました。