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高校の人気投票で健闘した僕は、卒業式でスピーチをする羽目になった(前編)
僕は高校の卒業式でスピーチをしている。
すご〜い、と思うかもしれないが、通常であれば功績であるはずのことが呆れるほど浅はかであるのが僕なのだ。
意外かもしれないが、僕は食生活も、読む活字も、仕事の仕方も、極めてジャパニーズ(後編)
意外かもしれないが、僕は食生活も、読む活字も、仕事の仕方も、極めてジャパニーズ(前編)
僕は日本生まれの日本育ちなのに、アメリカ生活が長いせいか、いろいろ誤解されている。
たとえば、食生活。僕の食欲は部活帰りの高校生並みだが、好きなのは和食だ。外食すると和食の店しか選ばず、もっぱら魚と野菜ばかり食べている。
ところが、ジョー=アメリカンのイメージが強いせいか、多くの人は僕が毎日肉をがっつり食べていると勘違いしている。接待でステーキ屋なんかに連れていかれるのはありがた迷惑で、そんな時の僕は、ステーキを食べながら翌日の献立を刺身と納豆のどちらにしようかと悩んでたりする。
今となっては信じられないが、僕は大学で数学の専攻だった(後編)
ところで、僕には小学・中学まで一緒だったある幼馴染の友達がいる。当時の彼は、塾という下駄を履かせていた僕の影に隠れてしまっていたが、今振り返ってみると、彼こそが我が学年での本当の「数学の天才」だったのだと思う。
というのも、彼は工科大学を卒業し、大学院まで進学し、今は大学で数学を教えている。僕と違って、正真正銘の数学者である。
今となっては信じられないが、僕は大学で数学の専攻だった(前編)
僕は大学で数学の専攻だった。
朝日新聞のこの記事に出てくる問題をみて、僕はそのことを改めて思い出した。
暴落するかもしれない覚悟がないなら、株に手を出してはいけない(後半)
僕は投資に関するうまい話はありえないと確信しているので、今の世の中は下げ相場の兆候だと思えて仕方がない。
日常のように、SNSで株で儲けた話が投稿され、YouTubeで投資勧誘の広告が流れる。そして、何より、今まで投資をしたことがない人たちが、僕に投資の相談をしに来る。これはまさに、高校時代、株式市場大暴落の直前に、食堂のおばちゃんが僕に株の話を振ってきたことを思い出させる現象だ。
暴落するかもしれない覚悟がないなら、株に手を出してはいけない(前半)
中学時代から株に関心を持って高校時代から実際に投資をしてきている僕は、しょっちゅう、いろんな人から、投資に関する相談を受ける。
そんな時、僕はまずこうアドバイスする。「株は下落する。それも、たまに暴落する」
そして、多くの失敗談を共有する。
10代のバイト、貴重な人生勉強(後編)
世間知らずの僕でさえも採用してくれる企業だったから、バイトの初日は研修から始まった。
研修の講師は気さくなおばちゃんで、そんな彼女に教わった一つが、会計を終わらせる前にカゴに商品が残ってないかを確認することの重要性だ。「カゴに残った商品の代金を回収しないことによる損害がバカにならないの」と説明しながら、「我が社の業績は厳しいからね…」と補足していた彼女の言葉が今でも忘れられない。大企業でも経営の不振が現場の人に影響を及ぼすのを目の当たりにしたこの瞬間は、当時でもとても感慨深かった。
10代のバイト、貴重な人生勉強(前編)
「お酒とバイトは中2から」。僕にはこんな持論がある。
「中2」とは語呂がいいから選んだ年齢だけであり、もちろん違法行為を推奨しているわけではない。この持論の趣旨は、お酒も労働もなるべく早く経験した方がいい、といった人生アドバイスである。
人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(後編)
人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(前編)
話せることは、才能らしい(後編)
同級生からそんなぞんざいな扱いを受けていたので、家ではどんなひどい仕打ちを受けていたのか、想像がつくと思う。
僕が話しても、あしらわれる、迷惑がられる、無視される。そんなのは日常だった一方で、褒められる、励まされる、喜ばれる、といった反応は皆無だった。
話せることは、才能らしい(前編)
僕の特技はどうやら話すことらしい。このことに自覚を持つようになったのは、つい最近のことである。
「話術」とは、学問やスポーツ、音楽や将棋といった才能と大きく異なる点が一つだけある。それは、この才能が周囲から評価されにくい、ということである。評価されないどころか、迷惑がられたりする。
というのも、話術がある人は基本的によく話す。そして、よく話す人は「うるさい」と邪険に扱われる運命にある。
迷惑男佐久沼條治、ふたたび!(後編)
一緒に佐久沼の席に向かいながら、まさゆが軽い口調で話しかけてくる。根っこは陽気な若者なのである。
「左飛道先輩って、佐久沼先輩と一緒に仕事するようになって長いらしいですね」
「そうよ。入社してすぐあの人の下の配属になってから3年が経つ」と、忌々しい口調でレヌは答える。
「でも、佐久沼先輩って弁護士なんですよね。留学してる、って噂もあるし」
まさゆが大分誤解しているようなので、レヌは足を止めて言い聞かせる。
「これはいい社会勉強になるから教えてあげるわ。弁護士にもピンからキリまであって、あの人はキリにも入らないの。弁護士界に裏口入学してるんだから」
「えー、そんなこと可能なんですか」と、純粋なまさゆは信じられないようだ。
「時々、あの人、『あいつには弁護士の資格がない』とか、『こいつには地球にいる資格がない』とか偉そうに評論し始めるけど、最も資格がないのはあの人なの」
迷惑男佐久沼條治、ふたたび!(前編)
この物語はフィクションであり、主人公である佐久沼條治の名称および性格と立ち振る舞いが著作者のものと瓜二つであることは、すべて偶然です。
(まずは第一弾である「佐久沼條治という、ある迷惑男の話」からお楽しみください)
「あの、今ちょっとよろしいでしょうか」
下を向いて契約をレビューしていた左飛道(さひみち)レヌは、声をかけたのが誰なのかすぐに分かった。顔を上げると、案の定、井馬(いま)まさゆが不甲斐ない顔をして立っている。
3年前の自分も終日似たような表情をしていたことを思い出し、自分もずいぶんたくましくなったものだと、自分を褒めたくなった。
「どうしたの」
そんな表情をしなければならない根源など一つしかないのだが、とりあえず聞いてみる。
「この前の出張の経費を清算しようと思って、佐久沼先輩にこれを渡そうとしたんですけど。。。」
最後には聞こえないほど声が小さくなってしまったので、レヌはまさゆの手元に目をやる。そこにあった領収書をみて、瞬間的に何が起こったのか理解した。
「そのしゃぶしゃぶ食べ放題い温野菜の領収書を、あの人に渡そうとしたのね」
最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜採点の巻〜(後編)
エリート学歴からますます遠のいている厳しい現実に憂鬱になっていたら、受験シーズンのためか、光栄ゼミナールのCMを目にすることになった。それによると、受験は戦略であるらしい。
しかし僕は、中学受験に挑むにあたってちゃんと戦略の重要性を理解しており、まさにCMにあるとおり、「合格に必要なことを冷静に見極め」、「自分の強みを最大限に活かすための選択」を行なったのだ。
僕は一体どこで間違えたのだろう。
最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜採点の巻〜(前編)
念入りに戦略を練り、2日に渡ってがんばって受けた偏差値77の灘中学校の入試2012年版。
算数の解答用紙は空欄が多く、理科はあってずっぽうに解答したので、採点なんぞは時間の無駄、なんてことは考えずに、奇跡を信じて採点する。
最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜受験の巻〜(後編)
ここまで理科のできが悪いと、灘中学校の合格は算数にかかってしまう。
最初の問題は方程式。これはちゃんと解けたが、簡単な計算問題が1問目として出題されるのは受験者を油断させるための罠であることを、僕は高校入試でちゃんと学習済みである。
そこで丁寧に残り12問に目を通すと、なんと図ばかり。円、三角形、四角形しか出てこないのは計画通りだが、問題は、三角形を二つくっつけるだの、円の中に三角形を入れるだの、二次元のものをよくここまでごちゃごちゃにできるものだと感激してしまうほどにややっこしい。
最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜受験の巻〜(前編)
念入りに戦略を練って、受けることにしたのは偏差値77の灘中学校の入試2012年版。
受験は二日間に渡って実施されるらしい。初日は国語、理科、数学で、二日目は国語と数学だそうなので、ちゃんとその順番で受ける。
まずは国語の1日目。
問題にざっと目を通すと、内容は読解、漢字、文法、ことわざ、そして俳句。高校入試とは違い、死語である古典や日本語ではない漢文が出題されておらず、希望が持てる。
最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜戦略の巻〜(後編)
次に僕が回避すべきなのは、自分の力を過大に評価することである。そのためには、客観的な判断要素を参考にしたい。
米国に住んでいた頃、僕は補習校というところに通っていた。これは、現地校に通っている子供が日本語を忘れないための、ある意味焼け石に水みたいな学校である。
最終学歴卒園の国際弁護士、中学校受験に挑む〜戦略の巻〜(前編)
開成高校の受験で見事撃沈した僕が次に思いついたのは、もちろん中学校の受験である。
目標は、兵庫県にある偏差値77の灘中学校。志は高く、だ。
ジョーの人生の方式(後編)
ジョーの人生の方式(前編)
このブログの熱烈なファンならご存知のはずだが、僕はありとあらゆる趣味を持っている。
僕にとって大切なものをざっとリスト化すると、こんな感じか。
小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜採点の巻〜(後編)
このように採点していった教科の総合点は140点。ちなみに、合格者最低点は218点である。
結局合格ラインに64%しかたどり着けなかったわけで、開成高校が偏差値78であることを踏まえると、僕の偏差値は50といったところか。
こうして意外にも開成高校の入試に落ちてしまったわけであるが、このチャレンジを通じて僕は、自分について重要なことを多く学んだ。
小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜採点の巻〜(前編)
開成高校入試チャレンジ。一番合格しそうな2017年版を受けた後、残るは採点のみである。
正直、数学で自滅し英語で満点を逃したことで開成高校の入学は絶望的と思われるが、今まで潜んでいた科学の才能が急に芽を出す可能性も否定できない。
よって、とりあえず採点はしてみる。
小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜受験の巻〜(後編)
ところが、英語の最初の文章を読んでいるうちから、「?、やけに難しい文章だな」、「?、peripateticってどういう意味だ」と頻繁に危険信号が点りはじめる。
で実際に問題に取り掛かりはじめると、まずは「空所に入る適切な語を答えなさい」という問題で、そういえば僕は英語でも語彙が少ないんだったということを思い出し、その後の「日本語で答えなさい」という問題で、そういえば僕は日本語が弱いんだったということを思い出した。
英語のテストなのに日本語での回答が求められることの理不尽さに憤っていたら、回答用紙に空白が残ったまま時間が切れてしまった。
小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜受験の巻〜(前編)
開成高校入試チャレンジ。戦略を練った後受けることにしたは、一番合格しそうな2017年版である。
まずは、100点満点中30点を目標としている国語から。
最初の文章を読み始めると、なんと夕張市についてではないか。先日、経済破綻したことで有名なこの町が現在どう復帰の道を辿っているのかについての朝日新聞の記事を読んだばかりである。得意の政治、経済も絡んでくる内容だ。こんな問題、読解力などに頼らずとも解ける。
小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜戦略の巻〜(後編)
でも社会にすべての望みをかける必要はないのだ。何と言っても英語がある。
米国に長年住んでいた僕にとって、英語での満点は当たり前といえる。日本の英語の試験ではしばしば意味不明な記号「ə」が現れることがあるが、開成高校ともあろう学校が入試でひっかけ問題など出題しないと信じている。
よって、英語満点で理科0点を確実に挽回。
残るのは数学と国語。。。
まずは国語から。
中学時代に通っていた塾で模擬試験というものを毎月受けていたのだが、国語の点数はいつも概ね10点台だった。開成高校の入試では国語の平均点が50点から70点であることを鑑みると、さすがに10点台はまずい。
小学校中退の国際弁護士、偏差値78の高校入試に挑む〜戦略の巻〜(前編)
僕は西日暮里にある将棋バーというマニアックな場所に月2回通っている。
西日暮里といえば偏差値78の開成高等学校がある街。時々この超進学校に通っている学生を見かけることがある。
前々から日本での小学校中退という最終学歴を汚名返上するため高校受験したいと考えていたのだが、自分の日本語力と性格では無謀かと諦めていた。でも開成高校在学生を観察するようになってから、「こいつらには将棋で負けるかもしれないけど、米国証券法の知識では負けない気がする」と思うようになった。
よくよく考えてみれば、高校入試を受けるのは所詮は中学生。一方の僕は、合格率85%の司法試験に受かった米国法曹資格保有者。普通の中学生にできることが僕にできぬはずがない。
エリートになるため、読書ノルマ達成に邁進中(後編)
一旦理想な本を選んだら、あとはひたすら前進するのみである。
読書中、「この慣用句、意味がわからないな」とか、「この登場人物誰だっけ」とか、「どうしてこういう展開になったんだっけ」など、本を一刻も早く読み切ることの妨げになる思考は全て封印する。無になって読み続けなければ、ノルマの遅れは取り戻せない。
こういう風に僕は、常に読書のノルマを達成することに全力を注いでいる。
そしてその証が、読書済みの本がぎっしり詰まっている自慢の本棚なのだ。これこそまさにエリート読書家の本棚である。
エリートになるため、読書ノルマ達成に邁進中(前編)
同じ映画好きでも鑑賞習慣が大きく異なる日本人と米国人
もっとも、同じ映画好きの米国人と日本人でも、映画鑑賞の習慣は面白いほど異なる。
たとえば映画を観に行く時間帯。日本では週末の昼間に映画を鑑賞するのが普通だ。映画館は午前中から混雑しており、ピークは15時頃だろうか。僕もこの習慣に合わせて、近年は土曜か日曜の午後に映画を観た後、その足で夕食に行き映画の感想を語り合うことが多い。
僕の才能は考えなしにもっぱら話せること
そして気付いたのだ。僕には考えなしにもっぱら話す能力があるではないかと。
この才能はまず、物理的に話せることから始まる。
話すというのは意外と疲れるものだ。数年前のバレンタインデーに、夕食を始めた17時から閉店の24時まで7時間ぶっ通しで話し続けたことがある。今考えてみたら店にえらい迷惑をかけたものだと猛省しているが、当時は帰りのタクシーで顎が痛くなり僕の口にも限界があることを学んだことに気を奪われていた。もっともその時は機関銃のように捲し立てたので7時間で体力(というか口力)が尽きてしまったが、限界を知った今ではペース配分をすれば12時間は余裕で喋り通せる自信がある。
米国に留学するなら、スポーツを判断材料に
優秀な彼はハーバードやコロンビアなどのアイビー・リーグの他、バンダービルトやバージニアなどの一流ロースクールにも受かっていた。しかし、僕が強い関心を示したのは彼が「ついでに」という感覚で受けていたミシガン大学のロースクールであった。
その理由は、ミシガン大学のスポーツチーム、Wolverinesだ。
僕の食欲は部活帰りの高校生並み
具体的にどれほど食べるかというと、例えばジョナサンでの夕食は、シーフードマリネサラダととうもろこしポタージュから始まり、ハンバーグのドリンクバーとライスセットを食べた後、デザートにフルーツパフェを注文する。
この通常コースは税込で3200円ぐらいなのだが、この前主食を和牛ステーキにしたら、4260円も払う羽目になってしまった。最低3000円、下手すれば4500円もするファミレスジョナサンでの夕食は、僕にとって月一回の贅沢である。
食べる量が普通の人と比べてだいぶ多いため、僕は他人と食事する際の「会食ルール」というものを設けている。
僕は(米国)大学生になるために生まれてきた
起床は11時。
服装はダボダボなポロシャツとカーゴパンツに野球の帽子。
食べることと遊ぶこと以外で期待されているのは、自分が興味を持っている課題のみの徹底追求。
評価基準は、どれほど自分の意見を口頭と文章で表現できるか。
ここまで読んでいただければお分かりのことかと思うが、これは日本の大学生生活の話ではない。
十五歳の僕への手紙
この手紙を読んでいる君は、今どこで何をしているのだろう。
たぶん宿題に追われ、塾に通い、限られた残りの時間はテニスでもしているのだろう。
でも今の自分だから言えることがある。
十五の君がしなければいけないのは、学校や塾が中心の毎日を生きることだけではない、と。
めざせ、高校中退
この目標、結構ハードルが高い。何せ、高校受験をする必要があるのだ。
なんとなく分かってきた、日本の集団主義
数年前に流行った「KY」という表現。「空気」のような曖昧なものを読めと言われても米国人は困ってしまうと思う反面、KYほど日本人の集団主義を上手く示している表現はないと思う。
例えば選択肢を与えられた場合、日本人は必ず周囲がどんな選択をするのかを気を留めて、周りに合わせようとする。それも典型的な日本人にとって、この行為は決して自分の主張を引っ込めていることではないらしい。日本人は子供の頃から周りに合わせることを学んでいるので、周囲と同じ選択をすることが我慢でも苦でもなく、自然に自分の主張にもなるようだ。
いじめられたら、強くなれ。強くなれなかったら、逃げ出せ
もっとも、社会的に見ればいじめの問題は深刻であれども、個別的に見ればすでに起こっているいじめをやめさせる有効的で極めて単純な解決策がある。過激的だが、それはいじめている者をもっと強い者がいじめることだ。いくらきれいごとを並べても、加害者がいじめを起こすのは、結局は被害者の辛さが分からないからだ。他人への共感や思いやり等の情緒的発達が不十分な子供たちに「いじめられる身にもなってみなさい」と説教しても大した効果は期待できず、子供にいじめられる身を分からせるためには、被害者の体験を実際に経験させるしかない。
もちろん、教育上、いじめを起こしている子供を大人がいじめることなどできるはずもなく、だからこそいじめ問題には簡単な解決がない。
加害者に対する有効的な対策が難しいのであれば、被害者を少なくするしかない。
そのための提案が僕には二つある。
自己主張ができる日本社会へ
現代日本のいわゆる「ボッチ」現象の延長線上にあると言えるこの「便所メシ」。これが、数年後には真っ当な社会人になっていなければならない年齢層が集まっている大学という場所で起こっているというのだから、「ボッチ」現象は極めて深刻である。
他人の目を異常なまでに気にする社会現象には自分に対して自信を持てない人があるのだろう。そしてその自信のなさは、自己主張が苦手な日本人社会に直接関連しているように思う。
やめましょう、一塁へのスライドは
無口でクール、そんな風に思われたい
最近僕の周囲の人にこんなアンケートをとってみた。
最初に返ってきた答えは「鬱陶しい」。「Annoying」と英語で続けたのは、実は日本人。そして「KY」と日本語の表現を選んだのはアメリカ人。
つまり僕はうるさいらしい。
振り返って情けない、僕の教育
見つけたもので最も古かったのは、中学生の時、塾の数学の授業で取っていたノート。適当にめくったページには数字が縦と横に並んでいた。何らかの計算だろうとは思ったが、引き算なのか割り算なのかもよく分からなかった。大して難しくない筈の中学レベルの数学さえ理解できなくなってしまったことにショックは受けたが、最近職場で「8引く5は4だからね」と自信満々に小学一年生レベルの算数を間違えて唖然とした目で見られたばかりだったので、二次関数の因数分解(であることをいずれ思い出した)の計算が見分けられないのは、実は今更びっくりするほどの事でもない。
私にとっての「バイリンガル」の意義
中学・高校時代の私は、英語に関しては米国のSATと呼ばれる大学進学適性試験の点数に悩まされており、日本語に関しては、塾で受けていた模擬試験の国語の点数が一桁台であったため、さじを投げていた。言語は同時にふたつ使える物ではないと思っていたから、自分の将来において英語と日本語のどちらを主にするか選択する必要があると考えていた。日本語を選ぶには余りにも国語力が欠けていたいたので、日本語の勉強には余り力を入れなかった。
2年前、21年ぶりに日本に戻って以来、学生の頃の「一つでもいいから言語を極めたい」という要望が無い物ねだりだったと分かるようになった。英語が不便なく使える私にとって重要なのは必ずしも日本育ちの日本人のように日本語が出来る事ではない。現在の自分の日本語でも、十分に私生活でも仕事でも通用するので、肝心なのは今の日本語能力を基盤に、日本語を使う環境に自分を置き、使おうという気になることで、日本語をさらに上達させる気になることだと認識するようになった。
「桐島、部活やめるってよ」はいまいち物足りない
僕の友達に、米国作家であるアプトン・シンクレアが書いた「ジャングル」という本を基に脚本を書いた者がいる。原作は英語で300ページという長さであるため読んだ事がないのものの、以前にもこの友人の脚本を読んだ事がある僕は、最新の作品の感想を聞かれた。「前作と比べると大分上達したな」とそれなりに誉めたのだが、「多少登場人物が多すぎる」と付け加えたら、「これでもだいぶ原作から削ったんだよ」と苦笑いしながら返された。原作と比べて映画版はいつも劣るな、と考えていた僕に、本はそう簡単に映画化できない事を僕の友人はこの時教えてくれた。「桐島、部活やめるってよ」を観ながら改めてその事実を思い出した。
「桐島」は、ある高校のバレー部のキャプテンである桐島が部活を辞めた事によって始まる。原作と同様、映画に桐島は現れない。代わりに、桐島の退部がもたらした波紋をバレー部の補欠の風助(太賀)、プレスバンド部の佐和島亜矢(大後寿々花)、映画部の前田涼也(神木隆之介)、ソフト部の宮部実果(清水くるみ)、野球部の幽霊部員である菊池宏樹(東出昌大)の5人を中心に語る、というのが設定となっている。
下手な筆跡
もちろん今になって始まった事ではない。米国での小学時代はなにもかもに成績が付けられたが、算数以外はどれも平均並だったため、良くも悪くも目立たなかった。だからこそ小4の時の筆跡の成績だけは忘れられない。AからD、そしてFとある成績段階のうち失格寸前のDだったのだ。
その時は大分プライドが傷つけられたが、他人に言われてあまり納得できない事も自分で経験をするとすんなり受け入れられるのはよくある事だ。僕の筆跡に関しては正にそうで、中学生時代に勉強をするふり、高校時代に勉強ができるふりをするようになって、徐々に自分自身の筆跡に悩まされるようになった。何しろ自分で書いた字が読めないのだ。
自分の名前探しの旅
漢字レベルが小六でストップだから当然の事ながら「遣都」が読めず、実はどこまでが苗字でどこからが名前なのかも分からなかった。ただ、中国人っぽいかっこいい漢字を使っている名前だな、と印象深かった。
その後、読みが「けんと」と知って、「かっこいい」が「うらやましい」に変わった。名前をローマ字にすると「Kento Hayashi」になるからだ。
くだらない事だと思われるかもしれないが、自分の バランスの悪い「Joe Sasanuma」には長年悩まされてきた。ただでさえ名前が短いぶんに苗字が長いのに、弁護士になるとつけられる敬称「Esq.」などつけたら「Joe Sasanuma, Esq.」。余りにも見てくれが悪くてみちゃいられない。よってありがたき迷惑の「Esq.」はなるべく断っている。
塾と僕と人生
何でもとっておくので、当然のことながら塾時代のプリントや論文も残っている。僕は小5のときから塾へ通わされた。小学受験の時でさえ大した塾に通わせなかった両親が、受験とは何の縁もない米国現地校に通っている小学5年生のために塾費の出費を覚悟したということは、僕の勉強不足もだいぶ深刻だったのだろう。
今振り返ってみれば、小、中時代は全くといっていいほど勉強をせず、学校は友達に会いに行く遊び場だった。そんな毎日が週三度塾へ通うことによって改善されるわけもなく、僕の塾への態度は授業に座り、適当に問題を解き、宿題はしないというパターンだった。数学は国語より得意だったので比較的まじめにした覚えがあるが、国語の授業には何の興味も示さず、何の努力も注がなかった。