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他方、日本の感覚だとなかなか理解しにくいのが、スポーツ業界にいる弁護士資格保有者だろう。
米国では、スポーツ選手の代理人、すなわちスポーツエージェントが弁護士であることが多い。これは一見意外に思えるかもしれないが、代理人の重要な役割は球団との交渉であり、契約周りを法律の専門家が担うのは極めて自然なことである。
米国では弁護士になりやすい。通常思われているよりずっと。
よって、米国では弁護士資格を持っている人がべらぼうに多い。
どれくらい多いかというと、2023年だけでも、8,000人近くがニューヨーク州の司法試験に、5,000人以上がカリフォルニア州の司法試験に合格している。つまり、たった1年で、13,000人以上の弁護士がたった2つの州から誕生しているのである。日本には合計45,000人しか弁護士がおらず、司法書士と行政書士を加えても国内で法律業務に携わっているのは10万人超なので、日本の感覚からすると、毎年数万人もの弁護士が誕生する米国は極めて異様だろう。
ボウリングのタイムリミットが来て次に向かったのは、同じ施設にあるダーツである。
ダーツは日本に戻って来てから始めた。大抵どこのバーにもあるので飲みにいくと自然にやるようになったのだが、ダーツは単にスコアを競うだけでなくゲーム性もあるので、3〜4人でやると特に盛り上がる。
いつしかダーツにハマるようになった僕は、自分のプレイを記録してレーティングもしてもらえるダーツカードやマイダーツを持つようになった。別にマイダーツを持つほどうまいわけではないが、2時間も遊ぶのであれば、マイダーツを持参したくなるものなのである。
僕は娯楽のために生まれてきたような人間である。実際、仕事をする必要がなければ、僕は終日娯楽に興じているであろう。
まさに今年のゴールデンウィーク前日はそんな1日だった。
有給を取ったその日はまず、ボウリングからスタート。
平日の真っ昼間だったので、15:00までの投げ放題で1500円という超お得な価格だった。よって、一緒に行った2人と狂ったように8ゲーム投げた。
僕はロースクール卒業直後、彼の元で裁判官の助手(law clerk)を務め、当時の勤務時間は公務員の標準である8:30~16:30と規定されていた。だが、面接の時、冒頭に「私は5:30に出勤するので、君には7:30までに来てくれないと採用できない」と言われ、まさか「イヤです」とも答えられなかったので、毎日かっちり7:29に出勤する羽目になった。さらには、上司は18:00まで仕事をしていたので、後から出勤した僕は先に帰るわけにもいかず、いつも帰宅は19:00頃だった。
アメリカの超人気リアリティ法廷番組「ジャッジ ジュディ」で主宰を務めたジュディ・シャインドリン。
今でこそ約5億ドル(約700億円)の億万長だが、彼女はもともとは普通の裁判官、つまりは公務員であった。
しかし、食生活より読書より意外に思われるのが、僕の仕事の仕方である。キャリアをアメリカで始めたわりには、僕はアメリカでの仕事の仕方にとことん合わない。
僕は日本生まれの日本育ちなのに、アメリカ生活が長いせいか、いろいろ誤解されている。
たとえば、食生活。僕の食欲は部活帰りの高校生並みだが、好きなのは和食だ。外食すると和食の店しか選ばず、もっぱら魚と野菜ばかり食べている。
ところが、ジョー=アメリカンのイメージが強いせいか、多くの人は僕が毎日肉をがっつり食べていると勘違いしている。接待でステーキ屋なんかに連れていかれるのはありがた迷惑で、そんな時の僕は、ステーキを食べながら翌日の献立を刺身と納豆のどちらにしようかと悩んでたりする。
ちなみに僕は、「2時間制の席です」と言われながら3時間居座ることがしょっちゅうある(食べ放題以外で)。店からすると、1時間かけて雑談の合間につまみ3皿をちょびちょび食べる客が3回転するより、メニューを総なめしてくれる僕と連れが3時間席を独占した方が儲かるのだろうと、僕は都合よく算盤を弾いている。
僕はよく食べる。育ち盛りの高校生並みに食べる。
そこまで食べると、店の人に色んな反応をしてもらえる。
たとえば、居酒屋にとって品書きの端から端まで注文して平らげてもらえることは爽快感が湧くらしく、勘定をしながら「見ていて気持ちがよかったです」と笑顔で喜んでもらえる事がしばしばある。ちなみに、飛行機のビジネスクラスで同じことをしても、なぜかあまりいい顔をされない。
僕は憲法が大好きだったくせに、ロースクール卒業、ニューヨークの法律事務所に入所し、企業が市場で資金調達することを法的に支援するキャピタルマーケッツという部署に所属して、憲法とは無縁の生活をしていた。そして、僕はそこでハイイールド社債(high yield bonds)というものについて学んだ。
ある会食で隣に座ってた人の話を聞いていたら、驚くことに、彼はアマチュアボディビルの日本一なのだそうだ。
これはすごいと思って深掘りしてみると、ボディビルはレスリングのようにウエイトクラス(および年齢クラス)というものがあり、一定のクラスではそもそも参加する人が皆無なので、参加するだけで一位になれるらしい。
なるほど、競合がいなければ日本一になれるんだ、と感激していたら、実は自分にも同じ消去法で(日本一とは言わずとも)国内有数になれる分野が二つだけあることに気づいた。
小室圭が無事ニューヨーク州の司法試験に合格したそうである。これで彼もやっとニューヨークの弁護士としてスタートを切れる。
実は僕は、小室が現在勤めているLowenstein Sandler(ローウェンスタイン・サンドラー)と呼ばれる法律事務所から内定をもらっていた。小室の先輩になっていたかもしれないと考えると、ちょっと感慨深い。
当時、僕はLowensteinの他にもう一つの法律事務所から内定をもらっていた。二つの事務所は大きく性質が異なっていたのだが、今振り返ってみても、最終的にLowensteinの内定を辞退したことは正しい選択だったと思う。
寒気いよいよ厳しくなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。
さて、今年は柄にもなく、少し仕事のお話をさせていただければと思います。
私の現在の仕事は、クラウドサービスの利用がまだ初期段階にある日本の公的機関に対して、その利用・導入を促すといったものです。 どの国でもそうですが、公共は事例と慣習が優先されがちな世界で、変化を起こすには膨大な時間と労力がかかります。
前回は小室圭の就職先であるローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)について自分の経験を元に解説したので、今回は当事務所のサイトに掲載されている彼のプロフィールを(つい最近まで類似したプロフィールが公開されていた者として)読み解いていきたい。
【学位】
事務所のプロフィールによると、小室圭は2019年にL.L.M.と呼ばれる学位を、2021年にJuris Doctorと呼ばれる学位を取得している。
L.L.M.とは日本の大学の法学部を卒業した人が米国に留学する際に取得する学位で、1年間で取得できる。L.L.M.を取得すれば多くの米国の州で司法試験を受験できるので、日本企業の法務部社員や日本の弁護士が米国の弁護士資格を保有している場合、学位は大抵L.L.M.だ。
他方で、Juris Doctor(通称、「J.D.」)とは一般の米国人が弁護士になるために取得する学位で、取得するのに3年かかる。
学位がL.L.M.でもJ.D.でも米国弁護士になれるのだが、双方の大きな違いは、前者だと米国本土での就職に大変苦労することだ。その理由は簡単で、一般の米国人はほぼ例外なしにJ.D.を取得するので、法律事務所の採用活動もJ.D.取得者を対象としているからだ。(米国法律事務所の東京支部での就職は事情が大きく異なることに注意)
小室圭は当初L.L.M.プログラムに入り、その後J.D.も取得することにしたようだ。ニューヨークで勤務することを希望していたのであれば、これは賢明というより必須の決断であったと思われる。
塾時代、僕は常に最下位であった国語試験の結果について危機感を持ったことが一度もなかった。「周囲は所詮、僕と同様に米国生活が長すぎて日本語がおかしくなってきているエセ純ジャパばかり。最下位とはいえ、上位との差は20〜30点ぐらいだろう」とたかをくくっていたのだ。
僕はからっきり国語がダメだ。
どれほどできないかは灘中学校と開成高等学校の受験に失敗したことで立証済みだが、これはなにも最近始まった話ではない。
まだ米国に住んでいた中学生時代、あまりに勉強しない僕を見かねた両親の計らいにより、僕は週2〜3回塾に通うことになった。
この塾では毎月、国語、数学、英語の学力テストが実施されたのだが、三科目すべて芳しくなかった結果の中でも、特に悲惨だったのが国語だ。100点満点中概ね13点から16点で、10数人いた同級生の中でいつも最下位。6年間、僕は一度もその特等席から浮上できなかった。
そう言われては、当然僕としてやるべきことは、その科目を切り捨てることである。3年間ましな法律を学ばなかった遅れを、2ヶ月間の追い込みでリカバーしようとしているのだ。出題されない科目を勉強してる余裕などない。
多くの人に信じてもらえないが、僕はニューヨーク州(とニュージャージー州)の司法試験に受かっている。
そもそも米国の司法試験というのは合格するようにできているのだ。ニューヨーク州司法試験の合格率は85%。日本の司法試験の35%とはエライ違いである。
一番極端だったのは、職場が変わったある昔。上司の上司の上司ぐらいに当たるチョーえらい人から、初日は苗字で呼ばれていたのに歓迎会の頃には「ジョー」と呼び捨てにされていた。あまりの馴れ馴れしさにびっくりした同僚が「前から知り合いだったんですか」と聞いてきたが、そのエライ人に初めて会ったのはたった2週間前である。
典型的な日本人の場合、こういうことにはならないはず。純ジャパを自負している僕としては、「ジョーさん」と呼ばれるのはなんとも不本意だ。
選挙とはとにかく地味な作業の積み重ねで、その一つに「証紙」と呼ばれるシールをチラシに貼るというものがある。これは、各陣営が正式に認められたポスターを同数の枚数しか配れないよう、平等性を担保するための制度である。
都知事選ともなると、「証紙」の数は3万枚にも上る。これを貼っていく機械はなく、すべてが手動だ。ひとりで捌ける枚数なんてたかが知れてるので、とにかく人海戦術に出るしかない。
この証紙貼りという作業、実に僕の性格に向いている。
日本と米国で根本的に違うのは、投票率ではなく、日常における政治への身近さだ。
米国では、中学時代に国会議員に手紙を書いて返事をもらい、高校時代に国会議員の地元事務所でインターンをし、大学時代に徹夜で政治を議論し、大学院時代に選挙ボランティアを経験した、という人がざらといる。
果たして、これを一つでも経験したことがある日本人がどれほどいるか。
昨日、都知事選が開票された。
投票率は55%。いつものことながら、「投票率の低さに驚いた」などとコメントしている人がいる。
しかし、僕に言わせてみれば、投票率が低いなんて当たり前だ。
投票という行為がどういうものなのか、冷静に考えてもらいたい。
ところが日本に戻ってきて以来、どうも周囲が見る目と自分の自覚の間にズレが生じるようになった。
その大きな理由は、どうやら僕が日本酒を好むかららしい。そして、好むだけでなく、結構飲むかららしい。
僕が酒を飲むようになったのは、米国に住んでいた大学時代である。
米国大学生といえば、親の監視を離れて寮で自由奔放に暮らす未成年が、金曜日の夜に暴飲し、土曜日の昼に嘔吐し、日曜日の朝に病院に運び込まれるというイメージが強いが、僕はそういうのとは全く無縁だった。
別に模範な学生を演じていたわけではない。単に周りが飲んでる酒に興味がなかっただけだ。
さらに印象に残ったのが、議論のレベルの高さだ。投票年齢を14歳まで引下げることにはメリットもデメリットもある。大人が議論しても「正しい答え」は出てこない。あの日にあの教室で出てきた争点は、まさに大人の議論でも出てくるものである。ここまで高度な議論が行えるのは、日頃の社会勉強があるからこそだ。
昨年、僕は米国の中学校で米国憲法を教えるというボランティア活動に参加した。
教えたクラスは30人くらいの中学一年生。授業の内容は表現の自由についてだったが、ふとしたことで、投票年齢を18歳から引下げるべきかという議論が勃発した。
さらに、日本における憲法改正の議論が活発化する中、憲法とそれを解釈する裁判所から何を期待すべきか、という点についても米国から学べる。
憲法の役割に関して弁護士や憲法学者に聞けば、多くは国家権力を抑制し少数の権利を守ること、と答えるであろう。そして、その保護を実際に執行していくのは最終的には裁判所であるとも。
しかし、裁判所が「正しい」判断をするといった保証はない。時には暗い米国の憲法史がそれを示している。連邦最高裁は歴史上数々の悪名高き判決を下しており、その一つは南北戦争という内紛勃発のきっかけになり、もう一つは労働者保護の法律を無効にしている。
僕が米国憲法について語るとき、必ず最初に指摘するのが米国憲法の古さである。1788年に発効した米国憲法は、成文化された憲法としては世界で最も古い。
歴史の浅いアメリカなのにそんなはずはない、と考える人は多い。しかし、1788年の世界を振り返っていただきたい。その頃の日本は江戸幕府第11代将軍徳川家斉の時代。欧州は君主制。テレビどころか電気もない時代はだいぶ昔である。
たった70年の憲法史しかない日本が、230年もの歴史を誇る米国から学べることは少なくない。
困った彼は、手荷物受取所で、手当たり次第アメリカン航空の従業員を捕まえては状況を説明した。しかし、誰しもが「www.aa.comでクレームを提出するように」と言うだけで、取り付く島もない。結局スマホは回収できず、携帯なしの米国滞在一週間を強いられてしまう。
これを聞いた僕は、当初こそはなんとも気の毒な話と思ったが、最終的にはあまり同情の余地がないという結論に落ち着いた。そもそもJAL運航の東京〜シカゴ便があるのに、あえてアメリカン運航の便を選択したことが致命的な過ちである。アメリカン航空のビジネスクラスで飛ぶくらいなら、JALのエコノミークラスで飛ぶべきだった。
最近、ある人からアメリカン航空の東京〜米国シカゴ便における悲惨な体験話を聞いた。
この人はJAL派だったので、JAL経由でコードシェアパートナーであるアメリカン運航の便をビジネスクラスで予約した。(ちなみに、アメリカン航空とは、僕が昨年の映画3連チャン企画中に3度もプレミアムエコノミークラスの食事を見せられ、あまりにまずそうなので絶対に飛ぶまいと誓った航空会社である)
徹夜と言えば、カラオケを思い出す。前職での最も懐かしい思い出は、朝4時まで同僚とカラオケで歌いほうけたこと。救いようがないほどの音痴でも、ここまで歌うことが好きなら睡眠<音楽と言えるだろう。
このブログの熱烈なファンならご存知のはずだが、僕はありとあらゆる趣味を持っている。
僕にとって大切なものをざっとリスト化すると、こんな感じか。
このように敬遠されがちな離陸後アナウンスの英語版だが、たまにやたらと英語を話したがるパイロットがいる。
一番わかり易かったのは、日本語より先に英語でアナウンスを始めたパイロット。最初は外人VIPでも乗せているのかと思ったが、その後、やれトイレに行った後は必ずシートベルトを締めるようにしてくださいやら、やれ気流がどう飛行時間に影響を及ぼしているやら、やれ飛行中の何時の何処あたりが景色の見どころやら、流暢な英語で長々と説明されるのを聞いて、なるほど、この人は英語を使ってかっこつけたいだけなのだな、と納得した。
最近、地下鉄に乗っていたら「おや」と思うことがあった。
車掌が英語でアナウンスを行なったのだ。
一時は2000円札の流通を増加させるために銀行員のボーナスが2000円紙幣で支払われたことが話題になったが、今では、2000円札はすっかり忘れられた存在になりつつある。現代の高校生や大学生の中には2000円札について聞いたこともない学生が少なくなく、私がある学園祭の出店で使った時など、まるで偽札であるかのようにじっくり確認されたことがある。
この度の紙幣刷新に伴って久しぶりに注目を浴びている2000円札について、時々新聞で見る「有識者の話」スタイルで書いてみました。
〈二千円札大学学長のジョー博士の話〉
2024年上期を目処に日本の紙幣が刷新されることが政府より発表されたが、やはりというべきか、2000円札は流通数が少ないという理由から刷新の対象に含まれていない。
これは日本国民としてとても危惧すべきことだと思う。
あまり知られていないことだが、興行収入でみる日本の映画市場の規模は、米国、中国、インドに次ぐ世界4番目である。米国はハリウッドの国であり、中国・インドは人口12億人以上の大国であることを踏まえると、日本人は相当な映画好きであることが分かる。
もっとも、同じ映画好きの米国人と日本人でも、映画鑑賞の習慣は面白いほど異なる。
たとえば映画を観に行く時間帯。日本では週末の昼間に映画を鑑賞するのが普通だ。映画館は午前中から混雑しており、ピークは15時頃だろうか。僕もこの習慣に合わせて、近年は土曜か日曜の午後に映画を観た後、その足で夕食に行き映画の感想を語り合うことが多い。
僕の唯一の自慢は187.5センチある身長である。
この187.5センチは僕が育った米国でも高い方だ。背の順に並んだ中学校の卒業式で、名前を呼ばれたのが最後から二番目だったのが今でも誇り高い。
「どうしたらそんなに背が高くなるのですか」とよく聞かれるが、僕の少年時代を参考に回答すると、次の三つが秘訣と思われる。
❶ よく寝る 〜 「寝る子はよく育つ」と言うが、このことわざはまさに僕に当てはまる
❷ よく食べる 〜 今でさえ部活帰りの高校生並みの食欲だが、昔はもっと食べたのだ
❸ 何も考えない 〜 空の頭は軽く、頭が軽いと物理学上、背が伸びやすくなる
これら鉄則を守り長年かけて培った身長が唯一他人に優越している取り柄なので、僕は常に他人の身長を意識しながら行動している。
6年ぶりの米国生活。特に喜ばしいのは、スポーツがまた身近な存在になったことである。
米国はスポーツの国だ。
職場の同僚との雑談。タクシーの運ちゃんとの世間話。パーティでの会話のきっかけ。どんな場面でも男女共にスポーツの話で盛り上がる。
ケーブルテレビにはスポーツ専門のチャンネルが複数あり、アメフト試合の直前には次の試合で注目すべき選手を分析する番組が、直後には先の試合で勝負を決めたプレイを分析する番組が1時間ずつ組まれる。
インターネットではメジャースポーツごとに何人もの記者がニュースを追い、終日特ダネが速報される。大谷がエンジェルスに入団することを、僕は日本の新聞が報道する1時間半前に米国のスポーツサイトを通じて知った。
常にスポーツに囲まれるこの環境に戻って改めて思うのは、日本は一般的にスポーツ好きの国ではないな、ということである。
この度3ヶ月ほど米国勤務になったのだが、そのことを周囲に伝えると、数人からこんな質問を受けた。
「米国では傘を差さないって本当ですか」
アメリカに関して特に知りたいことがこれ?と拍子抜けしてしまうほど意外な質問であるが、どうやら多くの日本人には、雨が降っていているのに傘を差さないという行為が、全くもって理解し難いものであるらしい。
実際、傘を差さないで雨の中を歩くニューヨーカーはよくいる。
なぜと聞かれても説明に困ってしまうのだが、自分の感覚から言わせてもらうと、僕は別に水に当たると溶けてしまう「オズの魔法使い」の悪い魔女ではないのだから、小雨程度なら、何もわざわざ傘を持ち歩いて荷物を増やさなくてもいいのではないか、と考えるのだ。
もっとも、僕の感覚がどれほど一般的な米国人の感覚と一致しているかは微妙である。なにせ僕には、少年時代から引きずっている傘に対する深刻なトラウマがあるのだ。
僕は「外国法事務弁護士」、通称「外弁」と呼ばれる資格を有している。これは俗に言う「国際弁護士」に最も近い正式な国家資格なのだが、大きく名前負けする資格でもある。
外弁がどういった資格であるかというと、これは海外の弁護士資格を保有している者が日本で活動するための資格である。言い方を変えると、僕のような日本の司法試験には到底受からない者が、日本国内の日本人・日本企業向けに、大半の日本人・日本企業にとっては何の縁もない外国の法律に関する法的アドバイスを提供するための資格だ。当然のことながら需要はあまりない。
「海外の弁護士資格」というと聞こえはいいが、僕の場合、これは米国のニューヨーク州とニュージャージー州の弁護士資格を指す。はっきり言ってそれほど感激するほどのものではないのだ。
日本人は集団主義、米国人は個人主義と良く言われる。正にそうなのだが、最近になってやっとこれが具体的にどのような社会的現象として現れるのかが分かってきた。
数年前に流行った「KY」という表現。「空気」のような曖昧なものを読めと言われても米国人は困ってしまうと思う反面、KYほど日本人の集団主義を上手く示している表現はないと思う。
例えば選択肢を与えられた場合、日本人は必ず周囲がどんな選択をするのかを気を留めて、周りに合わせようとする。それも典型的な日本人にとって、この行為は決して自分の主張を引っ込めていることではないらしい。日本人は子供の頃から周りに合わせることを学んでいるので、周囲と同じ選択をすることが我慢でも苦でもなく、自然に自分の主張にもなるようだ。
寒気いよいよ厳しくなりましたが、皆様にはお元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。
時が過ぎるのも速いもので、先の9月、私は東京赴任になり3年を迎えました。今の事務所に勤めるようになって6年。これからは東京勤務の方がニューヨーク勤務より長くなります。
生涯におけるこのような節目は記憶に残るものです。私が初めて渡米したのは小学3年生になったばかりの時で、8年後に米国生活が日本生活より長くなった時の複雑な心境は今でもよく覚えてます。似たような節目を今度は日本で社会人として迎え、最近はあの高校時代の心境を思い出しながら反対の観点から感慨深くなっています。
最近「便所メシ」という言葉を知った。これは、大勢の目の前で一人だけで食事をすることに極限な恐怖を感じる人が、便所に入って弁当をパパッと終わらせてしまう習慣を指すらしい。
現代日本のいわゆる「ボッチ」現象の延長線上にあると言えるこの「便所メシ」。これが、数年後には真っ当な社会人になっていなければならない年齢層が集まっている大学という場所で起こっているというのだから、「ボッチ」現象は極めて深刻である。
他人の目を異常なまでに気にする社会現象には自分に対して自信を持てない人があるのだろう。そしてその自信のなさは、自己主張が苦手な日本人社会に直接関連しているように思う。
外資系企業にしか勤めたことがない僕は幸い経験した事がないのだが、典型的な日本の職場では理不尽なことを結構言われるようだ。
最も耐え難い例は、仕事に関して愚痴っぽいことを言うと、「給料をもらっているのだから、仕事をして当たり前でしょう」と返されること。
こんな発言をする上司がいる職場自体が信じられないが、この発言に対して「仕事だから確かに仕方がないよね」と納得してしまう多くの日本人の感覚も僕は到底理解できない。
僕は偉そうにしている人間が大嫌いである。理由は至って簡単。僕の方が偉いに決まっているから。
最近昔以上に、威張っている人に対して嫌悪を感じるようになった。米国にもそれなりに威張りくさっている人間はいるが、日本の方が肩書きや学歴などを盾に横柄に振る舞うレベルの低い人物が多いようだ。
そんな事は様々な人に出会う機会がある選挙運動を通じてよく感じる。
私は学生時代、「穣さんはバイリンガルでいいですね」と言われるのをあまり好まなかった。私からしたら二カ国語を中途半端にできるより一カ国語を極めている人のほうがずっと羨ましかったから。
中学・高校時代の私は、英語に関しては米国のSATと呼ばれる大学進学適性試験の点数に悩まされており、日本語に関しては、塾で受けていた模擬試験の国語の点数が一桁台であったため、さじを投げていた。言語は同時にふたつ使える物ではないと思っていたから、自分の将来において英語と日本語のどちらを主にするか選択する必要があると考えていた。日本語を選ぶには余りにも国語力が欠けていたいたので、日本語の勉強には余り力を入れなかった。
2年前、21年ぶりに日本に戻って以来、学生の頃の「一つでもいいから言語を極めたい」という要望が無い物ねだりだったと分かるようになった。英語が不便なく使える私にとって重要なのは必ずしも日本育ちの日本人のように日本語が出来る事ではない。現在の自分の日本語でも、十分に私生活でも仕事でも通用するので、肝心なのは今の日本語能力を基盤に、日本語を使う環境に自分を置き、使おうという気になることで、日本語をさらに上達させる気になることだと認識するようになった。
最近国際基督教大学卒業の人から面白い話を聞いた。
外人・帰国子女が多いICUでは、「純ジャパ」、「半ジャパ」、「変ジャパ」、「ノンジャパ」と学生を区別していたらしい。彼女に説明してもらったところ、「純ジャパ」は日本生まれで日本育ちの「純粋」な日本人。「半ジャパ」は言葉どおり親の片方が日本人であるハーフ。「変ジャパ」は日本生まれだけれども外国生活が長くて普通の日本人からしたら「変」になってしまった日本人。「ノンジャパ」はただの外人。
さてこの中で僕はどれに当てはまるのか、という話になったら、「ノンジャパ」と結論付けされてしまった。
つまり僕は変な日本人にさえも見えない、らしい。
僕の筆跡は悪い。自慢したくなるくらい悪い。
もちろん今になって始まった事ではない。米国での小学時代はなにもかもに成績が付けられたが、算数以外はどれも平均並だったため、良くも悪くも目立たなかった。だからこそ小4の時の筆跡の成績だけは忘れられない。AからD、そしてFとある成績段階のうち失格寸前のDだったのだ。
その時は大分プライドが傷つけられたが、他人に言われてあまり納得できない事も自分で経験をするとすんなり受け入れられるのはよくある事だ。僕の筆跡に関しては正にそうで、中学生時代に勉強をするふり、高校時代に勉強ができるふりをするようになって、徐々に自分自身の筆跡に悩まされるようになった。何しろ自分で書いた字が読めないのだ。
東京への転勤が決まりました。八月の下旬から日本に住む事になります。
寝耳に水、と思われるかもしれません。実際、転勤を要請したのが二週間前で承諾されたのがその翌日。確かに急です。
アメリカに引っ越したのが8歳の時。最初は5年と言われていたのが、いつしかこんなに月日が経ってしまいました。その間、米国の高校を卒業し、米国の大学へ進学し、ロースクールまで卒業。地元の判事の元で法務書記として1年経験を積んだのち、ニューヨークの企業法律事務所に入社。アメリカの弁護士としてはある程度普通の道です。
そんな私の人生ですが、そろそろ大きく違うことをしたい、新しい挑戦が欲しい、とちょっと前から考えるようになりました。
林遣都という役者がいる。「バッテリー」という映画で見たぐらいなので日本で知名度が高いのかもよく知らないが、うらやましい、と思うことがある。彼の名前の事である。
漢字レベルが小六でストップだから当然の事ながら「遣都」が読めず、実はどこまでが苗字でどこからが名前なのかも分からなかった。ただ、中国人っぽいかっこいい漢字を使っている名前だな、と印象深かった。
その後、読みが「けんと」と知って、「かっこいい」が「うらやましい」に変わった。名前をローマ字にすると「Kento Hayashi」になるからだ。
くだらない事だと思われるかもしれないが、自分の バランスの悪い「Joe Sasanuma」には長年悩まされてきた。ただでさえ名前が短いぶんに苗字が長いのに、弁護士になるとつけられる敬称「Esq.」などつけたら「Joe Sasanuma, Esq.」。余りにも見てくれが悪くてみちゃいられない。よってありがたき迷惑の「Esq.」はなるべく断っている。
アメリカ人の無知を説明するのによく使われるのが、国民の3分の1が非標の世界地図で中国を特定することができない、という恐ろしい世論調査。中学でこれを聞いたとき、「この国の人間はどこまで阿呆なのか」と思ったのをよく覚えているが、僕も実は余り他人のことは言えない。
同じく中学ごろだっただろうか。塾で無標の日本地図に正しく都道府県の名を記入するミニテストがあり、答えられたのは北海道と青森だけであった。
そもそも、地理テストというのは二つの面で難しい。