だが、やはりというか、ハワイで何より素晴らしかったのはビーチである。
ハワイに滞在していた毎日、どんなアクティビティの予定があっても、必ず数時間はビーチ時間を確保するようにしていた。その時間帯にボーっとするのもよし。カクテルを飲むのもよし。本能赴くままに寝るのもよし。
そして、将棋を指すのもよし。
だが、やはりというか、ハワイで何より素晴らしかったのはビーチである。
ハワイに滞在していた毎日、どんなアクティビティの予定があっても、必ず数時間はビーチ時間を確保するようにしていた。その時間帯にボーっとするのもよし。カクテルを飲むのもよし。本能赴くままに寝るのもよし。
そして、将棋を指すのもよし。
A380に乗ることが目的だったハワイの旅。行く前はハワイ自体になんら関心がなかったのだが、戻ってきたら何ヶ月も余韻に浸ることになり、今となってはハワイを軽視していたことを猛省している。
ハワイといってもいろいろな島があり、僕が行ったのはカウアイ島。最も小さく観光客が少ない島で、日本人はほとんどいない。
そしてここは、森林が綺麗なことで有名である。
今年の春、母方の祖父が103歳で亡くなりました。偉大な人生を生きた祖父について書くことも考えたのですが、私は「死」というものが堪らなく苦手で、「死」について考えようとすると思考停止状態に陥ってしまいます。よって、今年は祖父の「死」についてではなく、自分の「生」に対する考えについて書くことにしました。
将棋が僕の趣味になって久しいが、今年は一つ進展があった。
もちろんそれは将棋が強くなったということではなく、「団体戦」という将棋の新しい楽しみ方を知ったことである。
本年も残すところわずかばかりとなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。
さて、今年の春、私は職場で昇進しました。正直、少々遅かったです。
私は極めて能天気な性格です。それは仕事に対する姿勢にも言えることで、良い同僚に囲まれ、やりがいを感じていれば、私はそれ以上のことを仕事に求めてきませんでした。結果として出世欲を持たないことになったのですが、それは美徳であるとさえ自負していました。
しかし、昇進が遅れ、昇進するために何が欠けているのかを真剣に考え、やっと昇進できたことで、ひとつ悟ったことがあります。それは、意欲とチャレンジと成長は切っても切れない関係にある、ということです。
以前からしつこく「俺をインタビューしろ」と言ってきてるジョー。うざいのでとにかく黙らせるために形式的なインタビューを行ったところ、どうせましな話は聞けないだろうと諦めていたら、恐れてた以上に得るものがなかった。
---本日のインタビューはさっさと終わらしましょう。
僕はいくらでも時間があるから、そんなに気を使わなくてもいいよ。
--そっちが良くてもこっちがイヤなんです。で、なんでそんなにインタビューをしてもらうことに拘るんですか?
それはさー、僕の夢って有名人になることなんだけど、インタビューを受けるってことは有名人になれた証じゃん。
4【周囲の私の話に対する受け止め方とそれに対する私の考えとそれに対する周囲の反応について】
このように私としては有意義な情報を貴重な意見と共に伝える努力を最大限尽くしてきたつもりですが、いつでも、どこでも、誰からも、私が口を開く度に、屈辱的かつ人格否定的な発言及び行為が多く見られました[注7]。また、必ずしも否定的とは言えない振る舞いであっても、そっけない反応が多かったです[注8]。
3【「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に対する私の認識について】
「1」で説明したとおり、今まで私は「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄について自分がどのように考えているのかを説明することはしてきませんでした。ここでは、この事柄について私がどう思っているのかを理解していただくためにも、改めて、「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に対する私の認識を可能かつ必要と思われる範囲で説明します。
2【この文書を作成し公表することにした理由について】
まず初めに、この文書を作成し公表することにした理由について説明したいと思います。
詳しくは後出の「3 」で説明しますが、そもそも私は幼い頃からよく話す子供であり、成長するにつれてそれがますます増長され、社会人になってからは歯止めがかからなくなりました。
私が話す内容はすべて世のためになるものと考えて喋っていたものばかりであり、それは決して、自分が好きなことを、場所と時間を選ばず、周囲などお構いなしに話していたわけではありません[注3]。
この文書は、4月8日に小室圭様が公表された文書にトンマナが酷似しておりますが、それは単なる偶然であることを冒頭でお断りさせていただきます。
1【はじめに】
私は、長らく「ジョーのおしゃべりトラブル」と世間で言われている事柄について自分がどのように考えているのかを公に発信するということをほとんどしてきませんでした[注1]。
他方で、相手が小学高学年くらいの女子だと、劣勢になった瞬間に勝負を投げたくなる。
女子はとにかく落ち着いているのだ。将棋盤から常に目を離さず、一手一手に隙がなく、対局後に「ここら辺が良くなかったです」と僕の将棋について諭されると、「はー、そうでしたか」と萎縮してしまう。
バカでいると人生特をする。そのことを悟ったのは、いつ頃だろうか。
薄々気付き始めたのは、大学一年生の時かもしれない。
その頃から僕は、思想がまったく合わない人たちに囲まれるようになった。周囲の輩は、自らの間違った思想を、遠慮なく自信満々と終日語る、極めて面倒な米国人だった。
同級生からそんなぞんざいな扱いを受けていたので、家ではどんなひどい仕打ちを受けていたのか、想像がつくと思う。
僕が話しても、あしらわれる、迷惑がられる、無視される。そんなのは日常だった一方で、褒められる、励まされる、喜ばれる、といった反応は皆無だった。
僕の特技はどうやら話すことらしい。このことに自覚を持つようになったのは、つい最近のことである。
「話術」とは、学問やスポーツ、音楽や将棋といった才能と大きく異なる点が一つだけある。それは、この才能が周囲から評価されにくい、ということである。評価されないどころか、迷惑がられたりする。
というのも、話術がある人は基本的によく話す。そして、よく話す人は「うるさい」と邪険に扱われる運命にある。
2020年8月12日の水曜日、私、ジョーは、千駄ヶ谷にある将棋会館の道場で5級に昇級いたしました。
毎年発信している自己満足の年次報告書を読んでくださっている方はご存知のとおり、これは私にとって人生の一大イベントです。
昇級までの道のりは、とにかく「長かった」の一言に尽きます。
さらには、豚に真珠なのにいい食材に拘ったりする。
僕のアパートの目の前に年配夫婦がやってる肉屋がある。今の住居に引っ越して4年弱。僕はここで麻婆豆腐用の豚のひき肉しか買ったことがない。
ところが自粛するようになってからは、牛や鶏、薄切りや厚切りなど、急に買い物のレパレトリーが増えるようになった。初めて豚のひき肉以外を注文した時、おじいちゃんは「え、薄切り?」と二度も聞き返してきたが、最近は2日ごとぐらいの頻度でお世話になってるので「いつも有難うございます」とニコニコ笑いながら対応してくれる。まさか、店の自慢の厚切り牛肉カルビが、匂いを嗅げばブタもそっぽを向くような青椒肉絲に化けているとは夢にも思っておるまい。
コロナ騒ぎで自粛するようになり、僕の生活で一つ大きく変わったことがある。
料理に目覚めたのである。
もともと僕は料理が嫌いなわけではない。単に、普通の生活をしていると、料理をする機会がないだけだ。
実際、僕は昨年、家で通算100回も食事をしていないのではないかと思う。平日だと朝食は食べないし、昼は職場でとり、夜は仕事に追われての出前か友達との外食だ。週末だと、昼を食べるくらいなら寝坊したいし、夜はリア充なので家にいない。
一緒に佐久沼の席に向かいながら、まさゆが軽い口調で話しかけてくる。根っこは陽気な若者なのである。
「左飛道先輩って、佐久沼先輩と一緒に仕事するようになって長いらしいですね」
「そうよ。入社してすぐあの人の下の配属になってから3年が経つ」と、忌々しい口調でレヌは答える。
「でも、佐久沼先輩って弁護士なんですよね。留学してる、って噂もあるし」
まさゆが大分誤解しているようなので、レヌは足を止めて言い聞かせる。
「これはいい社会勉強になるから教えてあげるわ。弁護士にもピンからキリまであって、あの人はキリにも入らないの。弁護士界に裏口入学してるんだから」
「えー、そんなこと可能なんですか」と、純粋なまさゆは信じられないようだ。
「時々、あの人、『あいつには弁護士の資格がない』とか、『こいつには地球にいる資格がない』とか偉そうに評論し始めるけど、最も資格がないのはあの人なの」
この物語はフィクションであり、主人公である佐久沼條治の名称および性格と立ち振る舞いが著作者のものと瓜二つであることは、すべて偶然です。
(まずは第一弾である「佐久沼條治という、ある迷惑男の話」からお楽しみください)
「あの、今ちょっとよろしいでしょうか」
下を向いて契約をレビューしていた左飛道(さひみち)レヌは、声をかけたのが誰なのかすぐに分かった。顔を上げると、案の定、井馬(いま)まさゆが不甲斐ない顔をして立っている。
3年前の自分も終日似たような表情をしていたことを思い出し、自分もずいぶんたくましくなったものだと、自分を褒めたくなった。
「どうしたの」
そんな表情をしなければならない根源など一つしかないのだが、とりあえず聞いてみる。
「この前の出張の経費を清算しようと思って、佐久沼先輩にこれを渡そうとしたんですけど。。。」
最後には聞こえないほど声が小さくなってしまったので、レヌはまさゆの手元に目をやる。そこにあった領収書をみて、瞬間的に何が起こったのか理解した。
「そのしゃぶしゃぶ食べ放題い温野菜の領収書を、あの人に渡そうとしたのね」
ここまで理科のできが悪いと、灘中学校の合格は算数にかかってしまう。
最初の問題は方程式。これはちゃんと解けたが、簡単な計算問題が1問目として出題されるのは受験者を油断させるための罠であることを、僕は高校入試でちゃんと学習済みである。
そこで丁寧に残り12問に目を通すと、なんと図ばかり。円、三角形、四角形しか出てこないのは計画通りだが、問題は、三角形を二つくっつけるだの、円の中に三角形を入れるだの、二次元のものをよくここまでごちゃごちゃにできるものだと感激してしまうほどにややっこしい。
念入りに戦略を練って、受けることにしたのは偏差値77の灘中学校の入試2012年版。
受験は二日間に渡って実施されるらしい。初日は国語、理科、数学で、二日目は国語と数学だそうなので、ちゃんとその順番で受ける。
まずは国語の1日目。
問題にざっと目を通すと、内容は読解、漢字、文法、ことわざ、そして俳句。高校入試とは違い、死語である古典や日本語ではない漢文が出題されておらず、希望が持てる。
次に僕が回避すべきなのは、自分の力を過大に評価することである。そのためには、客観的な判断要素を参考にしたい。
米国に住んでいた頃、僕は補習校というところに通っていた。これは、現地校に通っている子供が日本語を忘れないための、ある意味焼け石に水みたいな学校である。
開成高校の受験で見事撃沈した僕が次に思いついたのは、もちろん中学校の受験である。
目標は、兵庫県にある偏差値77の灘中学校。志は高く、だ。
ベルギーの天才児が9歳で大学を卒業するらしい。今後、医者を目指すのだという。
こういった天才について読む度に思うのだ。「天才」とは幸せなのだろうか、と。
【読む】(2〜3時間)
年間52冊の読書ノルマがあるにもかかわらず、普段の僕は読書どころではない。よって、冊数を稼ぐ絶好の機会である出張や旅行には、本を4、5冊えっちらおっちら持って行く。
飛行機に乗ってる間は、もっぱら読書にあてられる時間。もっとも、「いつでも読める」という気持ちより「ちゃんと読まねば」というプレッシャーの方が強く、通路側に座った後に窓際の人が現れると僕が激怒するのは、読書ノルマ達成の邪魔になるからである。
僕は飛行機での旅が全く苦にならない。なにせ、飛行機の中ではやることが多すぎるのだ。
【呑む】(常時)
気圧が低い機内では酒がまわるのが早い、と言うのは定論。どんな便でも離陸後すぐに飲み物サービスがあるので、早々とご機嫌になれる。
さらに、国際便だとアルコールは無料。頼めばいつでも日本酒を持ってきてくれるので、離陸直後に飲んだ酒が薄れてきたら、乗務員に声をかけるだけで、すぐにまたご機嫌気分に戻れる。
危ないのは刺激なき環境だけではない。僕は将棋で何度も油断大敵を痛感しており、それはこれからの人生において決して忘れてはならない教訓だと思っている。
将棋では時々、優位に進めていると思っていたのが、いつの間にか手の施しようがないほど劣勢になってしまっていることがある。振り返ればどの局面でどの手が悪かったのか分かるが、対局中は、危機感がないまま指していてふと気付いた頃には事は遅し、といった感じである。
どうも僕は、人生を将棋にたとえるのが好きなようだ。将棋にハマればハマるほど、将棋が人生の縮図に思えてくる。
僕の人生論は「人生いろいろ、将棋もいろいろ」だ。
この3年間、僕はある仲間と100局以上の将棋を指してきたが、その彼との将棋が同じになったことが一度もない。最初の5−6手は毎回似たり寄ったりだが、いつもどこかで新たな分岐があり、経験したことのない将棋に展開していく。
人の人生も同じではないか。同時に生まれ、同様の環境で育った双子でも、徐々に異なる人生を歩んで行く。生まれながら似ている双子でさえ違う運命を辿るのだから、世界にいる70億人の人生の多様性は計り知れない。まさに、将棋も人生もいろいろである。
このブログの熱烈なファンならご存知のはずだが、僕はありとあらゆる趣味を持っている。
僕にとって大切なものをざっとリスト化すると、こんな感じか。
まだ新人だったある土曜日、当時の上司が朝7時から15分ごとにメールを送ってきたことがあった。僕からの回答がないことにしびれを切らしたのか10時半には電話までかけてきたが、そもそも携帯を寝室に置いていなかったので、僕がメールに返事をすることはなかった。
14時に起きた頃には上司の激怒したメールと留守番電話が複数待っていたが、これらもシカトしたら、ようやく僕のポリシーを理解したようである。その後、彼が僕の週末の朝を邪魔してくることは一切なかった。
こうして通常は無茶なことを言ってくる元上司でさえ僕のポリシーを学んだのだが、こんな簡単なことが未だに理解できていない非常識人間が僕の周りにはまだたくさんいる。
ゴールデンウィーク10連休中の目標を一言で挙げるとしたら、「睡眠」だ。
もっとも、これは通常の目標と変わらない。僕はありとあらゆる興味に明け暮れる毎日を過ごしているが、実は僕が食事よりも将棋よりもフライトシミュレーターよりも好きなのが睡眠である。
そして考えたのが、どうやったら僕の腕時計を救えるか、である。時間があまりない中、将棋では全く活かせない頭がフル回転した。
通常の人は腕時計を一本しか着けていない。いつも腕時計を2本着けてることから変人扱いされることを経験しているため、これは間違いない。
となると、ハイジャッカーもまさか僕から腕時計を2本も回収できるとは考えていないはず。ということは、急いで隠せば1本は救えることになる。
ふと気が付くと、僕は飛行機に乗っている。
機材はボーイング737で、周囲に座っているのは外人ばかり。どうやらこれは、米国内を飛んでいる国内便と思われる。僕が座っているのはエコノミークラスのちょうど真ん中あたりで、前を見ると、ファーストクラスに8人から12人ほど座っている。
目が覚めたきっかけは、そのファーストクラスで起こっている騒動であった。まだ完全に覚醒しておらずとも、それが一大事であることは一目瞭然だった。なにしろ、どでかい男性3人がライフルを持っているのだ。見るからにしてこれはハイジャックである。
ところが、英語の最初の文章を読んでいるうちから、「?、やけに難しい文章だな」、「?、peripateticってどういう意味だ」と頻繁に危険信号が点りはじめる。
で実際に問題に取り掛かりはじめると、まずは「空所に入る適切な語を答えなさい」という問題で、そういえば僕は英語でも語彙が少ないんだったということを思い出し、その後の「日本語で答えなさい」という問題で、そういえば僕は日本語が弱いんだったということを思い出した。
英語のテストなのに日本語での回答が求められることの理不尽さに憤っていたら、回答用紙に空白が残ったまま時間が切れてしまった。
開成高校入試チャレンジ。戦略を練った後受けることにしたは、一番合格しそうな2017年版である。
まずは、100点満点中30点を目標としている国語から。
最初の文章を読み始めると、なんと夕張市についてではないか。先日、経済破綻したことで有名なこの町が現在どう復帰の道を辿っているのかについての朝日新聞の記事を読んだばかりである。得意の政治、経済も絡んでくる内容だ。こんな問題、読解力などに頼らずとも解ける。
でも社会にすべての望みをかける必要はないのだ。何と言っても英語がある。
米国に長年住んでいた僕にとって、英語での満点は当たり前といえる。日本の英語の試験ではしばしば意味不明な記号「ə」が現れることがあるが、開成高校ともあろう学校が入試でひっかけ問題など出題しないと信じている。
よって、英語満点で理科0点を確実に挽回。
残るのは数学と国語。。。
まずは国語から。
中学時代に通っていた塾で模擬試験というものを毎月受けていたのだが、国語の点数はいつも概ね10点台だった。開成高校の入試では国語の平均点が50点から70点であることを鑑みると、さすがに10点台はまずい。
僕は西日暮里にある将棋バーというマニアックな場所に月2回通っている。
西日暮里といえば偏差値78の開成高等学校がある街。時々この超進学校に通っている学生を見かけることがある。
前々から日本での小学校中退という最終学歴を汚名返上するため高校受験したいと考えていたのだが、自分の日本語力と性格では無謀かと諦めていた。でも開成高校在学生を観察するようになってから、「こいつらには将棋で負けるかもしれないけど、米国証券法の知識では負けない気がする」と思うようになった。
よくよく考えてみれば、高校入試を受けるのは所詮は中学生。一方の僕は、合格率85%の司法試験に受かった米国法曹資格保有者。普通の中学生にできることが僕にできぬはずがない。
昨年はいくらあっても足らない「時間」についてばかり考えていたせいか、2018年はその限られた時間を最大限に活かして「形になる成果」をあげることが目標となりました。
私は昔から教師という職業に憧れており、ロースクール時代に主に米国憲法を勉強したことから、きっかけがあれば憲法を教えたい、と従来から考えていました。しかし、私の今までのキャリアは憲法とは全く無縁のもの。ロースクールで、それも日本にいて、米国憲法の教鞭を取るなどそう容易くいかないと思っていました。