今年の春、母方の祖父が103歳で亡くなりました。偉大な人生を生きた祖父について書くことも考えたのですが、私は「死」というものが堪らなく苦手で、「死」について考えようとすると思考停止状態に陥ってしまいます。よって、今年は祖父の「死」についてではなく、自分の「生」に対する考えについて書くことにしました。
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2022年は常にチャレンジし続けることの重要さを認識した年でした
本年も残すところわずかばかりとなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。
さて、今年の春、私は職場で昇進しました。正直、少々遅かったです。
私は極めて能天気な性格です。それは仕事に対する姿勢にも言えることで、良い同僚に囲まれ、やりがいを感じていれば、私はそれ以上のことを仕事に求めてきませんでした。結果として出世欲を持たないことになったのですが、それは美徳であるとさえ自負していました。
しかし、昇進が遅れ、昇進するために何が欠けているのかを真剣に考え、やっと昇進できたことで、ひとつ悟ったことがあります。それは、意欲とチャレンジと成長は切っても切れない関係にある、ということです。
人生を赴くままに楽しく生きてる僕が”自殺”したら、殺人犯を見つけてください(後編)
もし僕が自殺を疑われる形で死亡していたら、それは10000%の確率で殺人だと断言できる。地球が破滅するまで太陽が昇って夕日が沈むことが繰り返されるくらいに、僕の死が他殺であることは確実だ。
そんなわけだから、読者にお願いがある。僕が自殺をしたらしいという噂を聞いたら、直ちに犯人を探して欲しい。
人生を赴くままに楽しく生きてる僕が”自殺”したら、殺人犯を見つけてください(前編)
10代のバイト、貴重な人生勉強(後編)
世間知らずの僕でさえも採用してくれる企業だったから、バイトの初日は研修から始まった。
研修の講師は気さくなおばちゃんで、そんな彼女に教わった一つが、会計を終わらせる前にカゴに商品が残ってないかを確認することの重要性だ。「カゴに残った商品の代金を回収しないことによる損害がバカにならないの」と説明しながら、「我が社の業績は厳しいからね…」と補足していた彼女の言葉が今でも忘れられない。大企業でも経営の不振が現場の人に影響を及ぼすのを目の当たりにしたこの瞬間は、当時でもとても感慨深かった。
10代のバイト、貴重な人生勉強(前編)
「お酒とバイトは中2から」。僕にはこんな持論がある。
「中2」とは語呂がいいから選んだ年齢だけであり、もちろん違法行為を推奨しているわけではない。この持論の趣旨は、お酒も労働もなるべく早く経験した方がいい、といった人生アドバイスである。
人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(後編)
人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(前編)
いろいろ考えさせられた2020年
本年も残すところわずかばかりとなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。
さて、私の座右の銘は「人生いろいろ」ですが、さすがの私も、映画の世界でしか見たことがないパンデミックを自ら経験することになるとは夢にも思っていませんでした。
こういう未曾有の時こそ、人生について改めて考える機会になるのだと思います。
やっと昇級の将棋、一生の付き合いの趣味(後編)
やっと昇級の将棋、一生の付き合いの趣味(前編)
2020年8月12日の水曜日、私、ジョーは、千駄ヶ谷にある将棋会館の道場で5級に昇級いたしました。
毎年発信している自己満足の年次報告書を読んでくださっている方はご存知のとおり、これは私にとって人生の一大イベントです。
昇級までの道のりは、とにかく「長かった」の一言に尽きます。
僕は天才でなくてよかった(後編)
僕は天才でなくてよかった(前編)
ベルギーの天才児が9歳で大学を卒業するらしい。今後、医者を目指すのだという。
こういった天才について読む度に思うのだ。「天才」とは幸せなのだろうか、と。
将棋から考える人生のいろいろ(後編)
危ないのは刺激なき環境だけではない。僕は将棋で何度も油断大敵を痛感しており、それはこれからの人生において決して忘れてはならない教訓だと思っている。
将棋では時々、優位に進めていると思っていたのが、いつの間にか手の施しようがないほど劣勢になってしまっていることがある。振り返ればどの局面でどの手が悪かったのか分かるが、対局中は、危機感がないまま指していてふと気付いた頃には事は遅し、といった感じである。
将棋から考える人生のいろいろ(前編)
どうも僕は、人生を将棋にたとえるのが好きなようだ。将棋にハマればハマるほど、将棋が人生の縮図に思えてくる。
僕の人生論は「人生いろいろ、将棋もいろいろ」だ。
この3年間、僕はある仲間と100局以上の将棋を指してきたが、その彼との将棋が同じになったことが一度もない。最初の5−6手は毎回似たり寄ったりだが、いつもどこかで新たな分岐があり、経験したことのない将棋に展開していく。
人の人生も同じではないか。同時に生まれ、同様の環境で育った双子でも、徐々に異なる人生を歩んで行く。生まれながら似ている双子でさえ違う運命を辿るのだから、世界にいる70億人の人生の多様性は計り知れない。まさに、将棋も人生もいろいろである。
漢字も将棋も人生も、痛い目に合わないと学ばない
日本の法律上、海外送金をする際にはマネーロンダリング対策のため送金の理由を銀行に説明する必要がある。この度の送金は昨年の米国滞在に伴う所得税を支払うためだった。よって送金の理由は「納税資金」だったのだが、さて、手渡された用紙に書き込んでいくうちに「送金理由」の欄で手が止まってしまった。「納」、「資」そして当然「金」の字は覚えていたのだが、「ゼイ」の字の部首がどうしても頭に浮かばなかったのだ。
性格克服し、将棋強くなる
つまり僕の将棋は攻撃一筋なのだ。
良い意味でも悪い意味でも。
殺人を犯した者の弁護士になる資格とは
その時は、なるほど、生命を救うべき立場になる人が他人に害を与えてはいけないな、と納得したのだが、その後これが弁護士だったらどうだろうか、と改めて考えてみた。
人間誰しも悪意がなくても過ちを犯してしまう。良いことと思ってやったことが裏目に出たり、うっかりミスが数億円の損害につながったりする。自動車運転においては、赤信号を無視してきた車に突っ込んで相手の運転手を死なせてしまったりする。
そういった過失責任がなさそうな場合でさえも日本では医者になれなくなってしまうのか定かではないが、米国弁護士について言えば、殺人を犯した者でも弁護士への道が閉ざされてしまうわけではない。
「時間」について考えさせられた2017年
2017年は色々な面で「時間」について考えさせられた年でした。
6月と9月には、大学時代のルームメイトが立て続けに結婚しました。ルームメイト4人が揃ったのはほぼ大学時代以来のことでしたが、その頃と変わりなく彼らと接しながらつくづく感じたのは、真の友情とは時間を超越するのだな、ということです。
もっとも、「時間」の経過には抵抗できないことを今年改めて実感したのも事実です。数年前、ませた親族の子に「何とか時間が過ぎるのを遅くできないかな」と尋ねたら、「時間が過ぎるのが早いのは毎日が楽しみだからだよ」とちょっと生意気な返事が戻ってきたことがありました。彼に「今年は特に目紛るしかった」と愚痴をこぼしても、きっと、「毎日楽しくしすぎだよ」と冷ややかに返されるだけでしょう。
祖母が亡くなって思うこと、それは生きることへのこだわり
祖母は数年前に認知症を患ってから徐々に記憶が薄れ、最後には僕が誰であるのか分かっていなかったと思う。
1年前に骨折した後には、手術とリハビリを経て歩ける程度には回復したものの、精神的には急激に衰退したのが明確だった。
数ヶ月前には食事を摂らなくなり、点滴に頼るようになってからはベッドを出ることが少なくなった。
そして最後の数週間は寝てばかりだった。
そこまで祖母が弱ってしまい、終わりが近くなっているのが明らかになっても、僕は最後の最後まで「92年の人生、幸せだったね」とは言えなかった。常に、「もう少し頑張って」と思っていた。
祖母を見届けて思うのは、「人間、生きていなければ意味がない」ということだ。
魚として生まれ変わるのなら、マンボウになりたい
断っておくが、これは決してマンボウになりたい、という願望ではない。あくまでも、死後、神に会い、その神にユーモアがあって、「地球に戻りたいのであれば魚として戻してあげよう」と言ってもらえた際の答えを準備しているだけだ。
僕とマンボウの初めての出会いは、小学生の時に行った鴨川シーワールドでだった。内側がビニールシートで覆われた水槽の中、下からゆっくりと浮上して視界に入ってきたこんなマンボウはとにかく衝撃的だった。
我が哲学、「人生いろいろ」
人生を語れる年齢か、と年配の人には叱られそうだが、そう長く生きてきた訳ではないものの、今までそれなりにそこそこの経験をしてきた。
日本で生まれ、米国で育ち、地元の公立校にもキリスト教系の私立校にも通った。大学では理数系と文系の分野をかじったし、社会人としては公務員としてスタートを切った。少なくとも一般的とは言えない経歴であろうと自負している。
様々な環境にいたことによって、生まれや育ち、学歴や職業、性格や特技が大きく異なる人々に出会ってきた。その他、人の趣味や個性も考慮すると、僕は多種多様な人に囲まれていて、それが最近「人の生き方ってこうも違うものなのか」ということを認識することにつながった。そして、そんな認識を持つようになり、毎日がたまらなく楽しくなってきた。
自己主張ができる日本社会へ
現代日本のいわゆる「ボッチ」現象の延長線上にあると言えるこの「便所メシ」。これが、数年後には真っ当な社会人になっていなければならない年齢層が集まっている大学という場所で起こっているというのだから、「ボッチ」現象は極めて深刻である。
他人の目を異常なまでに気にする社会現象には自分に対して自信を持てない人があるのだろう。そしてその自信のなさは、自己主張が苦手な日本人社会に直接関連しているように思う。
東大卒の先輩。人生いろいろ
形式上2008年入社である僕は未だに最も後輩なのだが、9月に数人の交換弁護士が海外の法律事務所から派遣されたため、やっと僕よりも未経験な人と働くようになり、知ったかぶりできるようになった。
派遣された弁護士に日本人が二人もいる。資本市場部には日本人が僕しかいないので、自然と僕が(英語で)指導するようになっている。
塾と僕と人生
何でもとっておくので、当然のことながら塾時代のプリントや論文も残っている。僕は小5のときから塾へ通わされた。小学受験の時でさえ大した塾に通わせなかった両親が、受験とは何の縁もない米国現地校に通っている小学5年生のために塾費の出費を覚悟したということは、僕の勉強不足もだいぶ深刻だったのだろう。
今振り返ってみれば、小、中時代は全くといっていいほど勉強をせず、学校は友達に会いに行く遊び場だった。そんな毎日が週三度塾へ通うことによって改善されるわけもなく、僕の塾への態度は授業に座り、適当に問題を解き、宿題はしないというパターンだった。数学は国語より得意だったので比較的まじめにした覚えがあるが、国語の授業には何の興味も示さず、何の努力も注がなかった。