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意外かもしれないが、僕は食生活も、読む活字も、仕事の仕方も、極めてジャパニーズ(前編)
僕は日本生まれの日本育ちなのに、アメリカ生活が長いせいか、いろいろ誤解されている。
たとえば、食生活。僕の食欲は部活帰りの高校生並みだが、好きなのは和食だ。外食すると和食の店しか選ばず、もっぱら魚と野菜ばかり食べている。
ところが、ジョー=アメリカンのイメージが強いせいか、多くの人は僕が毎日肉をがっつり食べていると勘違いしている。接待でステーキ屋なんかに連れていかれるのはありがた迷惑で、そんな時の僕は、ステーキを食べながら翌日の献立を刺身と納豆のどちらにしようかと悩んでたりする。
やさしいより厳しいほうが「いい人」の場合もある(後編)
やさしいより厳しいほうが「いい人」の場合もある(前編)
僕は長い間、人には「いい人」という要素さえあれば十分だと思っていたのだが、いろんな人に会えば会うほど、世の中そう簡単ではないと考えを改めるようになった。
たとえば、「いい人だけど頼りがない人」。そんな人は誰しも親族や同僚に一人くらい思い浮かぶのではないだろうか。こういう人たちは純粋な心の持ち主で、悪意はなく、悪いこともできないが、困った時にあまり当てにならないと言う意味では物足らない。
頼りない人は害にもならないかもしれないが、世間には「いい人」だからこそ害を与える人もいる。
2022年は常にチャレンジし続けることの重要さを認識した年でした
本年も残すところわずかばかりとなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。
さて、今年の春、私は職場で昇進しました。正直、少々遅かったです。
私は極めて能天気な性格です。それは仕事に対する姿勢にも言えることで、良い同僚に囲まれ、やりがいを感じていれば、私はそれ以上のことを仕事に求めてきませんでした。結果として出世欲を持たないことになったのですが、それは美徳であるとさえ自負していました。
しかし、昇進が遅れ、昇進するために何が欠けているのかを真剣に考え、やっと昇進できたことで、ひとつ悟ったことがあります。それは、意欲とチャレンジと成長は切っても切れない関係にある、ということです。
“実務”しかできず”仕事”ができない管理職は淘汰すべし(後編)
10年ほど前、Bさんには優秀な部下がいた。彼はそつなく実務をこなせるだけでなく、管理職になれるリーダーシップの要素も持っていたのだが、当時のポジションが大変居心地が良かったようで、現状に満足しちゃっている節があった。ある時、Bさんはそんな部下を呼び出して、次のように伝えた。「あなたがこの会社で学べることはすべて学んだ。これ以上在籍していても成長できないので、半年以内に転職先を探しなさい」。
つまり、優秀な部下に対して引導を渡したのである。その後彼は無事転職できて、現在は大企業の上層部にいるらしい。数年前にBさんが彼の妻と再会したら、「あの時に夫を辞めさせてくれてありがとう」とお礼を言われたそうだ。
“実務”しかできず”仕事”ができない管理職は淘汰すべし(前編)
「Aさんは仕事はできるんだけど...」と言った話を聞くと、僕は必ず訂正する。「それって、『仕事』じゃなくて『実務』のことでしょう」と。
なぜなら、必ずと言っていいほど「...」の後に続く話が仕事の一部である事柄ばかりだからだ。実務はあくまで仕事に一環でしかない。僕からしたら、実務しかできない人は仕事をこなしているとは言
4週間の休暇って、実は気楽じゃない(後編)
4週間の休暇って、実は気楽じゃない(前編)
お盆である。夏休みの季節である。
「仕事が忙しすぎて休めない」なんて思ってるあなたに、いいことを教えてあげよう。あなたは自分が思っているほど重要な人材ではない。たとえ明日、あなたが急に失踪しても、あなたの勤め先は1週間くらい困った後、2週間後にはフル稼働に戻っているだろう。
10代のバイト、貴重な人生勉強(後編)
世間知らずの僕でさえも採用してくれる企業だったから、バイトの初日は研修から始まった。
研修の講師は気さくなおばちゃんで、そんな彼女に教わった一つが、会計を終わらせる前にカゴに商品が残ってないかを確認することの重要性だ。「カゴに残った商品の代金を回収しないことによる損害がバカにならないの」と説明しながら、「我が社の業績は厳しいからね…」と補足していた彼女の言葉が今でも忘れられない。大企業でも経営の不振が現場の人に影響を及ぼすのを目の当たりにしたこの瞬間は、当時でもとても感慨深かった。
10代のバイト、貴重な人生勉強(前編)
「お酒とバイトは中2から」。僕にはこんな持論がある。
「中2」とは語呂がいいから選んだ年齢だけであり、もちろん違法行為を推奨しているわけではない。この持論の趣旨は、お酒も労働もなるべく早く経験した方がいい、といった人生アドバイスである。
社交性に長けているはずの僕は、怪しくて空っぽに見えるらしい(後編)
社交性に長けているはずの僕は、怪しくて空っぽに見えるらしい(前編)
最近、ギャラップ社の「クリフトンストレングス」と呼ばれる性格診断テストを受けたら、上位の強みとして「社交性」が挙げられた。
社交性とは、「見知らぬ人と打ち解けて親しくなることから満足感を得る」資質で、これに長けている人は「社交的な場を盛り上げ、知らない人を自然に安心させることができる」らしい。早い話が、お調子者のムードメーカーだ。
プライドが高くて自覚がないのは致命的(後編)
一般論として、大抵の人は仕事ができない同僚に作業を頼まない。そんな同僚のフォローをするくらいなら、自分でやってしまった方が早いからだ。
でも僕には、「あなたの仕事を僕がしたらあなたが必要なくなる」という哲学がある。よって、僕はできない同僚にも仕事を振るが、代わりに、そんな同僚にもとことん付き合い徹底的に指導する。
プライドが高くて自覚がないのは致命的(前編)
これまで、できる人、できない人、普通のできの人を色々と見てきたが、一つ言えることは、プライドが高くて自覚がないのは致命的、ということである。
そんな人が世には少なからずいる。
何より愛する睡眠を絶対に妨害しないでください(後編)
まだ新人だったある土曜日、当時の上司が朝7時から15分ごとにメールを送ってきたことがあった。僕からの回答がないことにしびれを切らしたのか10時半には電話までかけてきたが、そもそも携帯を寝室に置いていなかったので、僕がメールに返事をすることはなかった。
14時に起きた頃には上司の激怒したメールと留守番電話が複数待っていたが、これらもシカトしたら、ようやく僕のポリシーを理解したようである。その後、彼が僕の週末の朝を邪魔してくることは一切なかった。
こうして通常は無茶なことを言ってくる元上司でさえ僕のポリシーを学んだのだが、こんな簡単なことが未だに理解できていない非常識人間が僕の周りにはまだたくさんいる。
何より愛する睡眠を絶対に妨害しないでください(前編)
ゴールデンウィーク10連休中の目標を一言で挙げるとしたら、「睡眠」だ。
もっとも、これは通常の目標と変わらない。僕はありとあらゆる興味に明け暮れる毎日を過ごしているが、実は僕が食事よりも将棋よりもフライトシミュレーターよりも好きなのが睡眠である。
「時間」について考えさせられた2017年
2017年は色々な面で「時間」について考えさせられた年でした。
6月と9月には、大学時代のルームメイトが立て続けに結婚しました。ルームメイト4人が揃ったのはほぼ大学時代以来のことでしたが、その頃と変わりなく彼らと接しながらつくづく感じたのは、真の友情とは時間を超越するのだな、ということです。
もっとも、「時間」の経過には抵抗できないことを今年改めて実感したのも事実です。数年前、ませた親族の子に「何とか時間が過ぎるのを遅くできないかな」と尋ねたら、「時間が過ぎるのが早いのは毎日が楽しみだからだよ」とちょっと生意気な返事が戻ってきたことがありました。彼に「今年は特に目紛るしかった」と愚痴をこぼしても、きっと、「毎日楽しくしすぎだよ」と冷ややかに返されるだけでしょう。
2016年は「Change」の年でした
今年の5月、私は7年半勤めた法律事務所を辞め、アマゾンジャパンに転職しました。法律事務所からIT企業法務部への移籍。そしてそれに伴う引越し。これらにより、私の日常生活と生活のリズムは大きく改善されました。また、10月には祖母が92歳で亡くなり親族を一人失った一方で、まだ米国に住んでいた母と妹がこの度帰国することとなり、近くに住む家族が二人増えます。
色々あった一年をこうして振り返ることで頭に浮かぶのは、「All good things must come to an end」という英語の表現です。これは「すべてのいいことには終わりがある」という意味ですが、今年は「終わり」と「その後に来るもの」をたくさん経験し、多くを学びました。
2015年を振り返って
2015年は例年にも増して早く過ぎってしまったように思いますが、今年を振り返りますと 、私にとっての最大のニュースはPeter E. Doyneニュージャージー州裁判所判事による引退だったのではないかと思います。
与えられるのに取れない、甚だおかしい日本企業の有給休暇
その一つが有給休暇に対する考え。
僕は毎年有給休暇を使い切るが、日本企業に勤める友人の大半は年々数日の休暇を取る程度で、有給休暇をすべて消化することはまずないらしい。これは有給を取りたくないので取らないのではなく、職場の環境が有給を取らせてくれる雰囲気ではない、というのが大体の理由だ。
こういう話を聞くと僕は、「有給とは与えられた権利であり、それを行使することに関して引け目を感じる必要もなければとやかく言われる筋合いもない」と主張したくなるのだが、このように個人の権利を軸とした米国的な考えは日本人には馴染まないのだろう。
それでも、と思う。協調性を重視する日本人の心が「有給を取ることは不在中に同僚に迷惑をかけることになる」という考え方に繋がるのは理解できるが、だからと言って「だから誰も有給を取らない」という結論になることは甚だおかしい。
2014年は相変わらずの充実した年でした
時が過ぎるのも速いもので、先の9月、私は東京赴任になり3年を迎えました。今の事務所に勤めるようになって6年。これからは東京勤務の方がニューヨーク勤務より長くなります。
生涯におけるこのような節目は記憶に残るものです。私が初めて渡米したのは小学3年生になったばかりの時で、8年後に米国生活が日本生活より長くなった時の複雑な心境は今でもよく覚えてます。似たような節目を今度は日本で社会人として迎え、最近はあの高校時代の心境を思い出しながら反対の観点から感慨深くなっています。
納得できない「給料をもらっているんだから当たり前」という理屈
最も耐え難い例は、仕事に関して愚痴っぽいことを言うと、「給料をもらっているのだから、仕事をして当たり前でしょう」と返されること。
こんな発言をする上司がいる職場自体が信じられないが、この発言に対して「仕事だから確かに仕方がないよね」と納得してしまう多くの日本人の感覚も僕は到底理解できない。
ある平凡な日曜日
ここで 「朝」について解釈。「朝」とは、僕にとってその日が始まる時を指しているが、週末・祭日の僕の一日は大抵午後12時半頃に始まるので、一般に受け入れられている定義(すなわち「=午前中」)とは大分意味が異なる。
ここで「始まる」について補足。土曜日・祭日・ダラダラしている日曜日の場合、目が覚めてからベッドから出るまで1〜2時間かかるので、「その日が始まる時」とは、あくまでも目が覚める時間を指す。
私にとっての「バイリンガル」の意義
中学・高校時代の私は、英語に関しては米国のSATと呼ばれる大学進学適性試験の点数に悩まされており、日本語に関しては、塾で受けていた模擬試験の国語の点数が一桁台であったため、さじを投げていた。言語は同時にふたつ使える物ではないと思っていたから、自分の将来において英語と日本語のどちらを主にするか選択する必要があると考えていた。日本語を選ぶには余りにも国語力が欠けていたいたので、日本語の勉強には余り力を入れなかった。
2年前、21年ぶりに日本に戻って以来、学生の頃の「一つでもいいから言語を極めたい」という要望が無い物ねだりだったと分かるようになった。英語が不便なく使える私にとって重要なのは必ずしも日本育ちの日本人のように日本語が出来る事ではない。現在の自分の日本語でも、十分に私生活でも仕事でも通用するので、肝心なのは今の日本語能力を基盤に、日本語を使う環境に自分を置き、使おうという気になることで、日本語をさらに上達させる気になることだと認識するようになった。
二千円札を持ち歩く些細な楽しみ
例えばこの前旅行先でお土産を買った時。僕は57円の豆腐も平気で二千円札を使って購買するのだから、当然の事ながら2400円弱の支払いに対し二千円札2枚を出した。店の人、「はい4千円ね」と言いながら受け取ってるのにもかかわらず、店の奥に行き千円札を4枚持ち出し、その上に小銭を乗せて僕にお釣りとして差し出した。「差し上げたのは4000円でしたけれど」と指摘したのだが、状況を把握するまでさらにたっぷり15秒はかかった。こういう事がよくあると事前に父に話していたのだが、実際に目撃するまでは信じられず、このやり取りの間ずっと笑いをかみ殺していた。
僕は闘う、タクシー業界と~僕が二千円札を持ち歩くようになったきっかけ
イザコザの発端は料金の支払い方法。米国ではカード使用が浸透していることもあって、僕は原則として10ドル以上の買い物はカードで済ませていた。朝食代わりのオレンジジュースの1ドルもカードに付ける程だったので、オフィスからアパートまで10分のタクシー料金12ドルも当然のようにカードで支払っていた。ニューヨークのタクシーは運転手にカードを渡さず自分で機械にカードを通せば良かったので、なおさらカードが使いやすかった。
日本に来てもニューヨークからのカード生活の習慣がなかなか抜けない。東京のタクシーは初乗りが710円である為、タクシーに乗車した時点で既に「カード金額」である10ドルを超えつつある。しかし、さすがに1000円未満でカードを使うのには気が引けるし、わざわざ運転手にでかい機械を取り出させてカードを使うのには時間かかり面倒である為、1200円ぐらいをカード使用金額の目安にしていた。
新たな歩みだし、東京で
寝耳に水、と思われるかもしれません。実際、転勤を要請したのが二週間前で承諾されたのがその翌日。確かに急です。
アメリカに引っ越したのが8歳の時。最初は5年と言われていたのが、いつしかこんなに月日が経ってしまいました。その間、米国の高校を卒業し、米国の大学へ進学し、ロースクールまで卒業。地元の判事の元で法務書記として1年経験を積んだのち、ニューヨークの企業法律事務所に入社。アメリカの弁護士としてはある程度普通の道です。
そんな私の人生ですが、そろそろ大きく違うことをしたい、新しい挑戦が欲しい、とちょっと前から考えるようになりました。
救えない人、救われたくない人
確かに僕は人を手伝うのが好きだ。助けられたくない人にとってはありがた迷惑だと思われるかもしれないが、迷惑かけない事自体が助けになるので、そういう人は放っておく。
最近少し成長したな、感じるようになったのは、世の中には救えない人と救われたいと助けを求めているのにもかかわらず救われたくない人が存在するのに気付き、そういう人を放っておくのを学んだ事。
塾と僕と人生
何でもとっておくので、当然のことながら塾時代のプリントや論文も残っている。僕は小5のときから塾へ通わされた。小学受験の時でさえ大した塾に通わせなかった両親が、受験とは何の縁もない米国現地校に通っている小学5年生のために塾費の出費を覚悟したということは、僕の勉強不足もだいぶ深刻だったのだろう。
今振り返ってみれば、小、中時代は全くといっていいほど勉強をせず、学校は友達に会いに行く遊び場だった。そんな毎日が週三度塾へ通うことによって改善されるわけもなく、僕の塾への態度は授業に座り、適当に問題を解き、宿題はしないというパターンだった。数学は国語より得意だったので比較的まじめにした覚えがあるが、国語の授業には何の興味も示さず、何の努力も注がなかった。