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エコノミークラスの有料食事から学ぶモノの価値(後編)

僕はニューヨークに行くときマイルを使ってビジネスクラスで飛ぶが、これの正規価格はなんと往復52万円である。

単価で考えると恐ろしく高い。東京〜ニューヨークの飛行時間は往復26時間。ビジネスクラスの単価は2万円である一方、エコノミークラスなら5000円。エコノミークラスもビジネスクラスも行先に到着する時刻は変わらないのに、後者の客には4倍もの料金を払う価値があると思わせられるビジネスモデルはすごい。

時計も食事も身の程をわきまえたい(前編)

夏にハワイ旅行に行った最後の晩、とてもいいレストランで食事をした。どれだけ豪華だったかは、ドリンクメニューを見れば一目瞭然だった。

カクテルが2000円。グラスのワインが4000円。通常ならカクテルを1杯飲んでからワインを2杯ほど嗜むのだが、この時ばかりはジントニック1杯で我慢し、食事も一番安いコースに追加オーダーなし、という大食の僕らしかねぬ行為に出ざるを得なかった。

身の丈に合わないレストランに入ってしまったことをしみじみ反省していたら、数年前に起こった銀座の時計屋でのできことが蘇ってきた。

僕はアメリカの感覚でも大食のようだ(後編)

ちなみに僕は、「2時間制の席です」と言われながら3時間居座ることがしょっちゅうある(食べ放題以外で)。店からすると、1時間かけて雑談の合間につまみ3皿をちょびちょび食べる客が3回転するより、メニューを総なめしてくれる僕と連れが3時間席を独占した方が儲かるのだろうと、僕は都合よく算盤を弾いている。

僕はアメリカの感覚でも大食のようだ(前編)

僕はよく食べる。育ち盛りの高校生並みに食べる

そこまで食べると、店の人に色んな反応をしてもらえる。

たとえば、居酒屋にとって品書きの端から端まで注文して平らげてもらえることは爽快感が湧くらしく、勘定をしながら「見ていて気持ちがよかったです」と笑顔で喜んでもらえる事がしばしばある。ちなみに、飛行機のビジネスクラスで同じことをしても、なぜかあまりいい顔をされない

神様から見た、ジョーのヘボ料理(後編)

食品をしまってご飯を炊き始めたら、書斎でブログを書き始めた。ご飯が炊けてる間におかずを作った方が効率がいい。そんな考えには及ばないようである。

ご飯が炊けて、やっとキッチンに向かう。そこで慌ててエビとイカとアサリをレンジで解凍しているが、温度が高すぎて時間が長すぎるので、解凍を超えて火が通りすぎている。もう炒める必要はなさそうである。

神様から見た、ジョーのヘボ料理(前篇)

吾輩は神様である。神様である吾輩に、ジョーは毎週のように「なぜ僕の料理がまずくなるのか教えてください」といった嘆願をしてくるので、願いを叶えてやるために、ある日曜日のジョーの様子を観察しみることにした。

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夕食の準備のためにスーパーで買い物をしているジョー。どうせいつもどおり麻婆豆腐を作るのだろうと思っていたら、CookDoの八宝菜の素を手に持ってじっくり悩んでいる。どうやら今日は無謀なチャレンジに挑戦したい気分のようであるが、慣れないことはやめておけとアドバイスしてやりたい。

たまにビジネスクラスで飛ぶと、僕はここぞとばかりにがめつく(後編)

さて、飛行機が離陸すると食事が始まり、僕にもエンジンがかかる。

離陸直後の夕食は和食か洋食かを選ぶ必要があり、「両方」という選択肢はない。メニューにはご丁寧にも僕のような意地汚い客向けにわざわざ「お一人様おひとつずつです」と書いてある。ちなみに、エコノミークラスにはそういった制約がないので、大食の方はぜひ「余ったら二つください」と注文してみることをお勧めする。

たまにビジネスクラスで飛ぶと、僕はここぞとばかりにがめつく(前編)

ふとテレビを観ていたら、某航空会社の乗務員がビジネスクラスで飛ぶ顧客の色々を語っていた。

彼女は「ビジネスクラスに慣れていらっしゃるお客様と違って、たまに飛ばれる方は。。。。」というようなことを言いながら、さりげなく、ビジネスクラスに慣れていない客は手間がかかることを示唆していた。

これを聞きながら、「あ、まさに僕のことだ」と思ってしまった。

そばが好きすぎて生活が破綻したあるそば好きの悲劇(後編)

数年後、そば好きの職場が変わりました。新しい職場はMinatoyaからだいぶ離れてしまいました。

するとそば好きは、Minatoya禁断症状にうなされるようになりました。我慢ができなくなると、2時間の昼休みを取ってMinatoyaに食べに行きました。そばを茹でてる人は、あまり来なくなったそば好きを心配そうにニコニコ笑いながら迎えてくれました。

そんなある朝、そば好きにMinatoya禁断症状と風邪の症状が同時に現れました。そば好きは、体調の大事をとるか腹具合の大事をとるか悩んだ挙句、体調の大事をとるという過ちを犯しました。

そばが好きすぎて生活が破綻したあるそば好きの悲劇(前編)

遠い昔、はるかかなたのどこかに、「島流しになったら持ち込みたい食べ物は何?」と聞かれると、「そば」と即答できるほどのそば好きがいました。

このそば好きは、赤の他人の選挙を手伝うために全国を回っては、そば屋に入ってもりそばばかり食べていました。そば好きにはそばに対する相当なこだわりがあったので、そば好きが「このそばはうまい」と思うことは滅多にありませんでした。ましてや、「このそばをまた食べたい」と思うことは稀でした。

いろいろ考えさせられた2020年

本年も残すところわずかばかりとなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。

さて、私の座右の銘は「人生いろいろ」ですが、さすがの私も、映画の世界でしか見たことがないパンデミックを自ら経験することになるとは夢にも思っていませんでした。

こういう未曾有の時こそ、人生について改めて考える機会になるのだと思います。

僕は金の亡者(後編)

さらには僕は、過去、現在、そして将来の収入と出費についても心配している。

収入については、社会人になってから今まで毎年いくらの所得があったか概ね覚えており、将来の収入についても関心が高いので、夏と年末は大口宝くじを必ず購入している。

出費については、家計簿をつけているので月の単位で出せる。コロナ禍で会食を避け趣味も追求できなくなりノイローゼ気味になったが、その反面、月々の出費を30%〜40%削減できたことはなんとも喜ばしいことだ。

コロナで目覚めたヘボ料理(後編)

さらには、豚に真珠なのにいい食材に拘ったりする。

僕のアパートの目の前に年配夫婦がやってる肉屋がある。今の住居に引っ越して4年弱。僕はここで麻婆豆腐用の豚のひき肉しか買ったことがない。

ところが自粛するようになってからは、牛や鶏、薄切りや厚切りなど、急に買い物のレパレトリーが増えるようになった。初めて豚のひき肉以外を注文した時、おじいちゃんは「え、薄切り?」と二度も聞き返してきたが、最近は2日ごとぐらいの頻度でお世話になってるので「いつも有難うございます」とニコニコ笑いながら対応してくれる。まさか、店の自慢の厚切り牛肉カルビが、匂いを嗅げばブタもそっぽを向くような青椒肉絲に化けているとは夢にも思っておるまい。

コロナで目覚めたヘボ料理(前編)

コロナ騒ぎで自粛するようになり、僕の生活で一つ大きく変わったことがある。

料理に目覚めたのである。

もともと僕は料理が嫌いなわけではない。単に、普通の生活をしていると、料理をする機会がないだけだ。

実際、僕は昨年、家で通算100回も食事をしていないのではないかと思う。平日だと朝食は食べないし、昼は職場でとり、夜は仕事に追われての出前か友達との外食だ。週末だと、昼を食べるくらいなら寝坊したいし、夜はリア充なので家にいない。

もしかしたら、僕は酒に強いのかもしれない(前編)

僕が酒を飲むようになったのは、米国に住んでいた大学時代である。

米国大学生といえば、親の監視を離れて寮で自由奔放に暮らす未成年が、金曜日の夜に暴飲し、土曜日の昼に嘔吐し、日曜日の朝に病院に運び込まれるというイメージが強いが、僕はそういうのとは全く無縁だった。

別に模範な学生を演じていたわけではない。単に周りが飲んでる酒に興味がなかっただけだ。

ナルシストの僕は、食事会では迷惑な存在(前編)

既にお気付きの読者も多いと思うが、僕は「超」がつくほど自己中心的だ。

他人に興味がない。常に自分が注目の的でないとおもしろくない。

僕という人物は、実に周りにいてほしくない存在である。

それが最も顕著に表れるのが食事会だ。

飛行機の旅は、とにかくやることが多すぎる(後編)

【読む】(2〜3時間)

年間52冊の読書ノルマがあるにもかかわらず、普段の僕は読書どころではない。よって、冊数を稼ぐ絶好の機会である出張や旅行には、本を4、5冊えっちらおっちら持って行く。

飛行機に乗ってる間は、もっぱら読書にあてられる時間。もっとも、「いつでも読める」という気持ちより「ちゃんと読まねば」というプレッシャーの方が強く、通路側に座った後に窓際の人が現れると僕が激怒するのは、読書ノルマ達成の邪魔になるからである。

飛行機の旅は、とにかくやることが多すぎる(前編)

僕は飛行機での旅が全く苦にならない。なにせ、飛行機の中ではやることが多すぎるのだ。

【呑む】(常時)

気圧が低い機内では酒がまわるのが早い、と言うのは定論。どんな便でも離陸後すぐに飲み物サービスがあるので、早々とご機嫌になれる。

さらに、国際便だとアルコールは無料。頼めばいつでも日本酒を持ってきてくれるので、離陸直後に飲んだ酒が薄れてきたら、乗務員に声をかけるだけで、すぐにまたご機嫌気分に戻れる。

しゃぶしゃぶ温野菜でのノルマ達成は至難の技(後編)

さて、食べ放題コースにするからにはコスパを上げる必要があるので、僕は温野菜で肉15皿というノルマを課している。一皿とは、一人前だと牛肉3枚、豚肉4枚である。またまたの余談となるが、温野菜でバイトをしたことがある人によると、15皿くらいなら店は楽々と黒字らしい。

ジョーの人生の方式(後編)

徹夜と言えば、カラオケを思い出す。前職での最も懐かしい思い出は、朝4時まで同僚とカラオケで歌いほうけたこと。救いようがないほどの音痴でも、ここまで歌うことが好きなら睡眠<音楽と言えるだろう。

ジョーの人生の方式(前編)

このブログの熱烈なファンならご存知のはずだが、僕はありとあらゆる趣味を持っている。

僕にとって大切なものをざっとリスト化すると、こんな感じか。

何より愛する睡眠を絶対に妨害しないでください(後編)

まだ新人だったある土曜日、当時の上司が朝7時から15分ごとにメールを送ってきたことがあった。僕からの回答がないことにしびれを切らしたのか10時半には電話までかけてきたが、そもそも携帯を寝室に置いていなかったので、僕がメールに返事をすることはなかった。

14時に起きた頃には上司の激怒したメールと留守番電話が複数待っていたが、これらもシカトしたら、ようやく僕のポリシーを理解したようである。その後、彼が僕の週末の朝を邪魔してくることは一切なかった。

こうして通常は無茶なことを言ってくる元上司でさえ僕のポリシーを学んだのだが、こんな簡単なことが未だに理解できていない非常識人間が僕の周りにはまだたくさんいる。

ジャンボ宝くじで当たった(らの)7億円の使い道

おかしなことに、今年もサマージャンボが当たらなかった。

何か手違いがあったと思われるので、年末ジャンボで状況が是正されることを祈っている。そうでないと困るのだ。何しろ宝くじが当たった際の7億円の使い道を既に決めているので。

それは、熟慮のうえ立てた精密な計画である。

まず最初に、今までお世話になった方々に感謝を示すため、豪華なファミレスジョナサンを貸し切って数百人に渡る親族や親友に予算5万円でお昼をご馳走する。主催者である僕は1万円分の食事で我慢するので、皆様には残りの4万円で満腹になるまで食べていただきたいと思う。

お盆休み中のしょーもない映画3本連チャン鑑賞という企画

お盆休みの間、僕は映画館で映画を3本観た。一日に、である。

なぜ3本立て続けに観ることになったかと言うと、その前の週に妹が「この夏はたくさん観たい映画があるねー」と言い、僕が「そうだねー」と同調し、「なら2本いっぺんに観る?」と妹が聞いてきたので、「どうせ2本観るなら3本観ようっか」と僕から提案したからなのだ。

「私も映画の3本立てをしたいかも」と思っている読者にアドバイスがある。これをするなら、「駄作の映画でも楽しく観れる」くらいの映画好きであることが望ましい。過去に僕は、群馬の高崎から神奈川の小田原までを湘南新宿ラインで制覇するというしょーもない企画を思いつき実行に移したことがあるが、鉄道にも電車にもなーんの興味を持たない僕にとってそれはただの苦痛に終わった。映画に興味がない人にとって、映画3本の連チャンは同じく苦痛になるだろう。

僕の食欲は部活帰りの高校生並み

僕は大食である。部活帰りの高校生並みに食べる。

具体的にどれほど食べるかというと、例えばジョナサンでの夕食は、シーフードマリネサラダととうもろこしポタージュから始まり、ハンバーグのドリンクバーとライスセットを食べた後、デザートにフルーツパフェを注文する。

この通常コースは税込で3200円ぐらいなのだが、この前主食を和牛ステーキにしたら、4260円も払う羽目になってしまった。最低3000円、下手すれば4500円もするファミレスジョナサンでの夕食は、僕にとって月一回の贅沢である。

食べる量が普通の人と比べてだいぶ多いため、僕は他人と食事する際の「会食ルール」というものを設けている。

自己主張ができる日本社会へ

最近「便所メシ」という言葉を知った。これは、大勢の目の前で一人だけで食事をすることに極限な恐怖を感じる人が、便所に入って弁当をパパッと終わらせてしまう習慣を指すらしい。

現代日本のいわゆる「ボッチ」現象の延長線上にあると言えるこの「便所メシ」。これが、数年後には真っ当な社会人になっていなければならない年齢層が集まっている大学という場所で起こっているというのだから、「ボッチ」現象は極めて深刻である。

他人の目を異常なまでに気にする社会現象には自分に対して自信を持てない人があるのだろう。そしてその自信のなさは、自己主張が苦手な日本人社会に直接関連しているように思う。

「変ジャパ」とさえ認めてもらえない僕

最近国際基督教大学卒業の人から面白い話を聞いた。

外人・帰国子女が多いICUでは、「純ジャパ」、「半ジャパ」、「変ジャパ」、「ノンジャパ」と学生を区別していたらしい。彼女に説明してもらったところ、「純ジャパ」は日本生まれで日本育ちの「純粋」な日本人。「半ジャパ」は言葉どおり親の片方が日本人であるハーフ。「変ジャパ」は日本生まれだけれども外国生活が長くて普通の日本人からしたら「変」になってしまった日本人。「ノンジャパ」はただの外人。

さてこの中で僕はどれに当てはまるのか、という話になったら、「ノンジャパ」と結論付けされてしまった。

つまり僕は変な日本人にさえも見えない、らしい。

何より食を愛した祖父の笑い話

父方の祖父が亡くなってもう久しいのだが、わが一家では未だに笹沼宗一郎ゆかりの話で盛り上がる。とにかく面白い、母曰く、愛嬌のある人だったようだ。

祖父は陸軍だったのだが、平気で敵国アメリカのピストルを身につけて歩き回っていた。この銃は戦後も米軍に手渡さず、彼の死後、祖母が蔵を整理していたら出てきたそうだ。実物だと知っていた祖母は交番に届け出たのだが、警官は日常銃を扱い慣れていないのかおもちゃだと思い、詳しくその場で状況を聞かなかった。後に本物だと分かり慌てた電話がかかってきたという話を聞いた事がある。

彼は自宅に暗室を構えていたほどの写真家だった。カメラと言えばドイツ製。戦争中、ドイツからカメラを潜水艦に乗せて密輸入した、なんて言う事を聞いた覚えがあった。なんか祖父ならあり得そうな話だったのだが、父曰く「あれは職権乱用」だそうだ。

祖父は陸軍省の監督官で、専門は写真の感光材料。「日本の全メーカーの上に立って威張っていた」らしい。ドイツでライカの新製品が出て、どうせ上官に「こんどドイツで発売されたライカは画期的で日本の写真産業の発展になくてはならないものなので、どんな手段をとっても入手すべき」らしきの、うそ八百の上申書を書いたのだろう、というのが父の憶測。祖父は東京大空襲のときそのライカを持って逃げ、軍服・サーベルを焼失。上官の大佐に「カメラを助けて、天皇閣下からお預かりしているものを置いて逃げるとはないごとか」と当然の事ながら怒鳴られたそう。

まずいざるそば、どうでもいいドイツ料理

最近は少し落ち着いたのだが、2ヶ月前は1週間90時間、日曜日14時間出勤など、(アメリカでは)滅茶苦茶な出勤パターンで、大分参っていた。

それでも「花より団子」である僕は、ある程度ましな食事さえ食べられれば、結構オフィス生活も我慢できる。

ところが、ニューヨークの出前はまずい。
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