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社交性に長けているはずの僕は、怪しくて空っぽに見えるらしい(後編)

僕がこのように多くの新人さんをまめに歓迎していることを周囲に自慢げに語ったら、褒めてもらえるどころか、もう少し自分の立ち位置を踏まえて行動したほうがいいと釘を刺されてしまった。僕の役職を踏まえると、僕の「ようこそメール」は受信側からしたら相当怪しく映りかねないらしい。

社交性に長けているはずの僕は、怪しくて空っぽに見えるらしい(前編)

最近、ギャラップ社の「クリフトンストレングス」と呼ばれる性格診断テストを受けたら、上位の強みとして「社交性」が挙げられた。

社交性とは、「見知らぬ人と打ち解けて親しくなることから満足感を得る」資質で、これに長けている人は「社交的な場を盛り上げ、知らない人を自然に安心させることができる」らしい。早い話が、お調子者のムードメーカーだ。

「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に関するジョーの文書の後編(後編)

4【周囲の私の話に対する受け止め方とそれに対する私の考えとそれに対する周囲の反応について】

このように私としては有意義な情報を貴重な意見と共に伝える努力を最大限尽くしてきたつもりですが、いつでも、どこでも、誰からも、私が口を開く度に、屈辱的かつ人格否定的な発言及び行為が多く見られました[注7]。また、必ずしも否定的とは言えない振る舞いであっても、そっけない反応が多かったです[注8]。

「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に関するジョーの文書の後編(前編)

3【「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に対する私の認識について】

「1」で説明したとおり、今まで私は「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄について自分がどのように考えているのかを説明することはしてきませんでした。ここでは、この事柄について私がどう思っているのかを理解していただくためにも、改めて、「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に対する私の認識を可能かつ必要と思われる範囲で説明します。

「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に関するジョーの文書の前編(後編)

2【この文書を作成し公表することにした理由について】

まず初めに、この文書を作成し公表することにした理由について説明したいと思います。

詳しくは後出の「3 」で説明しますが、そもそも私は幼い頃からよく話す子供であり、成長するにつれてそれがますます増長され、社会人になってからは歯止めがかからなくなりました。

私が話す内容はすべて世のためになるものと考えて喋っていたものばかりであり、それは決して、自分が好きなことを、場所と時間を選ばず、周囲などお構いなしに話していたわけではありません[注3]。

「ジョーのおしゃべりトラブル」と言われている事柄に関するジョーの文書の前編(前編)

この文書は、4月8日に小室圭様が公表された文書にトンマナが酷似しておりますが、それは単なる偶然であることを冒頭でお断りさせていただきます。

1【はじめに】

私は、長らく「ジョーのおしゃべりトラブル」と世間で言われている事柄について自分がどのように考えているのかを公に発信するということをほとんどしてきませんでした[注1]。

僕は金の亡者(後編)

さらには僕は、過去、現在、そして将来の収入と出費についても心配している。

収入については、社会人になってから今まで毎年いくらの所得があったか概ね覚えており、将来の収入についても関心が高いので、夏と年末は大口宝くじを必ず購入している。

出費については、家計簿をつけているので月の単位で出せる。コロナ禍で会食を避け趣味も追求できなくなりノイローゼ気味になったが、その反面、月々の出費を30%〜40%削減できたことはなんとも喜ばしいことだ。

やっと昇級の将棋、一生の付き合いの趣味(後編)

この「上達し続けられる」ということが、趣味の持続力には不可欠だと思います。最近、私の飛行機事故の検証の趣味が冷めつつあるのは、科学オンチではこれ以上極められそうにないからです。嬉しいことに、将棋ではまだまだ限界が近いという感じがしません。

僕の才能は考えなしにもっぱら話せること

14歳でプロ棋士になった藤井聡太をみて思った。僕も何か才能はないものかと。

そして気付いたのだ。僕には考えなしにもっぱら話す能力があるではないかと。

この才能はまず、物理的に話せることから始まる。

話すというのは意外と疲れるものだ。数年前のバレンタインデーに、夕食を始めた17時から閉店の24時まで7時間ぶっ通しで話し続けたことがある。今考えてみたら店にえらい迷惑をかけたものだと猛省しているが、当時は帰りのタクシーで顎が痛くなり僕の口にも限界があることを学んだことに気を奪われていた。もっともその時は機関銃のように捲し立てたので7時間で体力(というか口力)が尽きてしまったが、限界を知った今ではペース配分をすれば12時間は余裕で喋り通せる自信がある。

米国に留学するなら、スポーツを判断材料に

数年前、日本企業の法務部に勤める人から米国ロースクールの留学先について相談を受けたことがあった。

優秀な彼はハーバードやコロンビアなどのアイビー・リーグの他、バンダービルトやバージニアなどの一流ロースクールにも受かっていた。しかし、僕が強い関心を示したのは彼が「ついでに」という感覚で受けていたミシガン大学のロースクールであった。

その理由は、ミシガン大学のスポーツチーム、Wolverinesだ。

「時間」について考えさせられた2017年

今年も残すところわずかばかりとなりましたが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。

2017年は色々な面で「時間」について考えさせられた年でした。

6月と9月には、大学時代のルームメイトが立て続けに結婚しました。ルームメイト4人が揃ったのはほぼ大学時代以来のことでしたが、その頃と変わりなく彼らと接しながらつくづく感じたのは、真の友情とは時間を超越するのだな、ということです。

もっとも、「時間」の経過には抵抗できないことを今年改めて実感したのも事実です。数年前、ませた親族の子に「何とか時間が過ぎるのを遅くできないかな」と尋ねたら、「時間が過ぎるのが早いのは毎日が楽しみだからだよ」とちょっと生意気な返事が戻ってきたことがありました。彼に「今年は特に目紛るしかった」と愚痴をこぼしても、きっと、「毎日楽しくしすぎだよ」と冷ややかに返されるだけでしょう。

佐久沼條治という、ある迷惑男の話

この物語はフィクションであり、主人公である佐久沼條治の名称および性格と立ち振る舞いが作家のものと瓜二つであることは、すべて偶然です。

「絶対、大丈夫」

こう断言した佐久沼條治(さくぬまじょうじ)を、左飛道(さひみち)レヌはあからさまにうんざりした目で見つめた。

「本当ですか」

無駄とは分かっているものの、レヌは一応確認する。

「僕が言うんだから間違いない」

また、だ。この根拠のない自信は何処から来るのだろう、とレヌはいつも思う。

「どうしてそう思うんですか」

レヌは食い下がってみたものの、帰ってきた答えは「僕のカン」だった。

思ったとおりの、何のあてにもならない答え。いまさら期待はしていなかったものの、この日常のやり取りにはさすがに嫌気がさしてきた。

新卒として入社し法務部の佐久沼の下に配属されてまだ半ヶ月しか経っていなかったが、レヌは既にもう、この、自称マンボウのモノマネを特技としている上司に物事を任せておくとヤバイことになりかねないことを学んでいた。

僕は将棋に向いてない

将棋教室に月2回通うようになって4年超。「趣味は将棋だ、将棋」と周囲にウザく宣伝しているわりには、上達していない。

才能がないと言えばそれまでだが、何も誇れる才能がない僕は(家族・友人・同僚によると、口が達者であることは自慢できることではないらしい)、今までの人生において、コツコツと努力を積み重ねることで、テニスや数学などにおいて一定のレベルまで上達することができたのを長所と考えていた。

将棋も同じように忍耐力さえあれば一定の成果につながると思っていたのだが…

どうもいつまでたっても六級から昇級しない。

何がいけないのかをよくよく考え理由を追求してみたら、問題は自分の性格にあった。

2015年を振り返って

今年も残すところ数日となりましたが、皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。

2015年は例年にも増して早く過ぎってしまったように思いますが、今年を振り返りますと 、私にとっての最大のニュースはPeter E. Doyneニュージャージー州裁判所判事による引退だったのではないかと思います。

2014年は相変わらずの充実した年でした

寒気いよいよ厳しくなりましたが、皆様にはお元気でお過ごしのこととお慶び申し上げます。

時が過ぎるのも速いもので、先の9月、私は東京赴任になり3年を迎えました。今の事務所に勤めるようになって6年。これからは東京勤務の方がニューヨーク勤務より長くなります。

生涯におけるこのような節目は記憶に残るものです。私が初めて渡米したのは小学3年生になったばかりの時で、8年後に米国生活が日本生活より長くなった時の複雑な心境は今でもよく覚えてます。似たような節目を今度は日本で社会人として迎え、最近はあの高校時代の心境を思い出しながら反対の観点から感慨深くなっています。

僕の芸は口

「多芸は無芸」とはよく言ったものだ。僕に相応しそうなことわざだが、若干違う。

まあ、どんなことわざも多少修正すればどんな人物でも状況でもピッタリ表現できる。例えば「花より団子」。これは芸術がさっぱり分からない他、いつ世界が破滅するか分からないと言う理由で、どの食事も最後の食事との前提で大食いする僕にぴったりそうだが、実はちょっと不完成。毎日の二度の食事も大切だが、何よりカジノが生き甲斐であるため、僕は「花より団子、より博打」と、ジョー流のことわざを使っている。

「多芸は無芸」もちょっと合わない。「多芸」とは多くの「芸」に通じている事を指すが、僕は「多芸」であると褒められたことなどない。反対にどうでもいいことばかり話している、している、考えている、と毎日のように皮肉られている。僕にとってジェームス・ボンドに関する知識、小説の読書、映画の観賞、漫画の乱読、家系図の作成、飲食、博打、パズル、将棋、ブログの投稿等々はとても重要なのだが、他人にとってはどれもためになる「芸」ではなく、「趣味」ですらない、ただの「無駄」らしい。

何より食を愛した祖父の笑い話

父方の祖父が亡くなってもう久しいのだが、わが一家では未だに笹沼宗一郎ゆかりの話で盛り上がる。とにかく面白い、母曰く、愛嬌のある人だったようだ。

祖父は陸軍だったのだが、平気で敵国アメリカのピストルを身につけて歩き回っていた。この銃は戦後も米軍に手渡さず、彼の死後、祖母が蔵を整理していたら出てきたそうだ。実物だと知っていた祖母は交番に届け出たのだが、警官は日常銃を扱い慣れていないのかおもちゃだと思い、詳しくその場で状況を聞かなかった。後に本物だと分かり慌てた電話がかかってきたという話を聞いた事がある。

彼は自宅に暗室を構えていたほどの写真家だった。カメラと言えばドイツ製。戦争中、ドイツからカメラを潜水艦に乗せて密輸入した、なんて言う事を聞いた覚えがあった。なんか祖父ならあり得そうな話だったのだが、父曰く「あれは職権乱用」だそうだ。

祖父は陸軍省の監督官で、専門は写真の感光材料。「日本の全メーカーの上に立って威張っていた」らしい。ドイツでライカの新製品が出て、どうせ上官に「こんどドイツで発売されたライカは画期的で日本の写真産業の発展になくてはならないものなので、どんな手段をとっても入手すべき」らしきの、うそ八百の上申書を書いたのだろう、というのが父の憶測。祖父は東京大空襲のときそのライカを持って逃げ、軍服・サーベルを焼失。上官の大佐に「カメラを助けて、天皇閣下からお預かりしているものを置いて逃げるとはないごとか」と当然の事ながら怒鳴られたそう。
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