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人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(後編)

塾時代、僕は常に最下位であった国語試験の結果について危機感を持ったことが一度もなかった。「周囲は所詮、僕と同様に米国生活が長すぎて日本語がおかしくなってきているエセ純ジャパばかり。最下位とはいえ、上位との差は20〜30点ぐらいだろう」とたかをくくっていたのだ。

人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(前編)

僕はからっきり国語がダメだ。

どれほどできないかは灘中学校開成高等学校の受験に失敗したことで立証済みだが、これはなにも最近始まった話ではない。

まだ米国に住んでいた中学生時代、あまりに勉強しない僕を見かねた両親の計らいにより、僕は週2〜3回塾に通うことになった。

この塾では毎月、国語、数学、英語の学力テストが実施されたのだが、三科目すべて芳しくなかった結果の中でも、特に悲惨だったのが国語だ。100点満点中概ね13点から16点で、10数人いた同級生の中でいつも最下位。6年間、僕は一度もその特等席から浮上できなかった。

話せることは、才能らしい(後編)

同級生からそんなぞんざいな扱いを受けていたので、家ではどんなひどい仕打ちを受けていたのか、想像がつくと思う。

僕が話しても、あしらわれる、迷惑がられる、無視される。そんなのは日常だった一方で、褒められる、励まされる、喜ばれる、といった反応は皆無だった。

話せることは、才能らしい(前編)

僕の特技はどうやら話すことらしい。このことに自覚を持つようになったのは、つい最近のことである。

「話術」とは、学問やスポーツ、音楽や将棋といった才能と大きく異なる点が一つだけある。それは、この才能が周囲から評価されにくい、ということである。評価されないどころか、迷惑がられたりする。

というのも、話術がある人は基本的によく話す。そして、よく話す人は「うるさい」と邪険に扱われる運命にある。

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