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他方、日本の感覚だとなかなか理解しにくいのが、スポーツ業界にいる弁護士資格保有者だろう。
米国では、スポーツ選手の代理人、すなわちスポーツエージェントが弁護士であることが多い。これは一見意外に思えるかもしれないが、代理人の重要な役割は球団との交渉であり、契約周りを法律の専門家が担うのは極めて自然なことである。
米国では弁護士になりやすい。通常思われているよりずっと。
よって、米国では弁護士資格を持っている人がべらぼうに多い。
どれくらい多いかというと、2023年だけでも、8,000人近くがニューヨーク州の司法試験に、5,000人以上がカリフォルニア州の司法試験に合格している。つまり、たった1年で、13,000人以上の弁護士がたった2つの州から誕生しているのである。日本には合計45,000人しか弁護士がおらず、司法書士と行政書士を加えても国内で法律業務に携わっているのは10万人超なので、日本の感覚からすると、毎年数万人もの弁護士が誕生する米国は極めて異様だろう。
大谷翔平の元通訳、水原一平が米国で起訴された。起訴状を読めば、大谷が知らないところで水原が1600万ドル(約25億円)をも窃盗していたことは、もはや疑いの余地がない。
水原の欺瞞は相当深かった。
- 大谷の野球選手としての給料が振り込まれていた銀行口座には、水原のメールアドレスと電話番号が登録されていた
- 賭博業者への送金は、すべて水原のモバイルやパソコンから行われていた
- 銀行から本人確認の電話があった時、水原は大谷に成りすまして大谷の個人情報を伝えていた
詐欺師が支配している銀行口座にプロスポーツ選手の給料が振り込まれてしまっているシナリオは、まさに以前紹介したペギー・アン・フルフォードの詐欺事件と同じである。
ここまで証拠が出てきているのにもかかわらず、まだ「25億円もの金がないことに気付かなかったなんてあり得ない」と大谷を疑っている人がいる。
だが僕は、別に大谷が騙されやすい世間知らずでなくても、彼が何も知らなかったことは十分あり得ると思っている。
もとあれ、早期卒業はあっても留年は稀である米国では、4年間で大学を卒業するのが常識だ。
私立大学の4年間の学費は平均22万ドル(3000万円超)。留年は本人および家族の経済状況に打撃を与える一大事なので、大学側も各学生が4年以内に卒業できるよう最大限の努力を尽くす。ボストンカレッジにいた頃の僕は、1年生の時から指導担当の教授がついていて、毎学期、僕は彼から卒業に向けての進捗を確認されるだけでなく、次の学期で受けるべき授業について彼と協議していた。
違法スポーツ賭博問題で注目されている大谷翔平の元通訳、水原一平。彼は、大谷がエンゼルスに在籍していた当時チームが配布した資料でカリフォルニア大学リバーサイド校の卒業生であるとされていたが、同校によると彼が在籍していた記録はないらしい。
どうやら水原は、金銭詐欺だけでなく学歴詐欺も犯していたようである。
大谷翔平の通訳、水原一平の驚愕的な違法スポーツ賭博問題。アメリカの法律とスポーツ選手の詐欺被害について一定の知識があるので、解説してみようと思う。
卒業してからは、チームの成績が悪ければ監督の解雇を求める地元の新聞に賛同し、新しい監督に年間1億円しか支払われないことを知ると、ケチったことで知名度が高い監督を起用できなかったことに憤った。
僕は決して熱狂なファンではない。母校チームの成績も良い年で勝率5割だ。それでも、アメフト部が廃部されれば、毎年行っている大学への寄付を確実に止めるだろう。
国内のアメフトファンなら知らない人はいない日本大学のアメフト部が廃部された。それも選手の不祥事によって。
この問題については、大学側の責任や選手側の権利の観点から多く語られているが、あえて僕は注目されてない「ファン」という視点で語ってみたいと思う。なぜなら、ファンも(選手ほどではないにせよ)明確なステークホルダーだからだ。
先生の1票の方が圧倒的に同級生の1票より重い。肝心の先生票ではどうみても出木杉くんの方が優勢で、僕はホームルーム票を総取りするくらいでないと勝ち目がなかった。その点、人望がある首席くんが立候補しなかったのは痛かった。彼がいればエリート票が割れ、庶民の票を固めた僕が出木杉くんをホームルームで上回る可能性が高まったのに。
僕は高校の卒業式でスピーチをしている。
すご〜い、と思うかもしれないが、通常であれば功績であるはずのことが呆れるほど浅はかであるのが僕なのだ。
この「上達し続けられる」ということが、趣味の持続力には不可欠だと思います。最近、私の飛行機事故の検証の趣味が冷めつつあるのは、科学オンチではこれ以上極められそうにないからです。嬉しいことに、将棋ではまだまだ限界が近いという感じがしません。
2020年8月12日の水曜日、私、ジョーは、千駄ヶ谷にある将棋会館の道場で5級に昇級いたしました。
毎年発信している自己満足の年次報告書を読んでくださっている方はご存知のとおり、これは私にとって人生の一大イベントです。
昇級までの道のりは、とにかく「長かった」の一言に尽きます。
徹夜と言えば、カラオケを思い出す。前職での最も懐かしい思い出は、朝4時まで同僚とカラオケで歌いほうけたこと。救いようがないほどの音痴でも、ここまで歌うことが好きなら睡眠<音楽と言えるだろう。
このブログの熱烈なファンならご存知のはずだが、僕はありとあらゆる趣味を持っている。
僕にとって大切なものをざっとリスト化すると、こんな感じか。
14歳でプロ棋士になった藤井聡太をみて思った。僕も何か才能はないものかと。
そして気付いたのだ。僕には考えなしにもっぱら話す能力があるではないかと。
この才能はまず、物理的に話せることから始まる。
話すというのは意外と疲れるものだ。数年前のバレンタインデーに、夕食を始めた17時から閉店の24時まで7時間ぶっ通しで話し続けたことがある。今考えてみたら店にえらい迷惑をかけたものだと猛省しているが、当時は帰りのタクシーで顎が痛くなり僕の口にも限界があることを学んだことに気を奪われていた。もっともその時は機関銃のように捲し立てたので7時間で体力(というか口力)が尽きてしまったが、限界を知った今ではペース配分をすれば12時間は余裕で喋り通せる自信がある。
数年前、日本企業の法務部に勤める人から米国ロースクールの留学先について相談を受けたことがあった。
優秀な彼はハーバードやコロンビアなどのアイビー・リーグの他、バンダービルトやバージニアなどの一流ロースクールにも受かっていた。しかし、僕が強い関心を示したのは彼が「ついでに」という感覚で受けていたミシガン大学のロースクールであった。
その理由は、ミシガン大学のスポーツチーム、Wolverinesだ。
6年ぶりの米国生活。特に喜ばしいのは、スポーツがまた身近な存在になったことである。
米国はスポーツの国だ。
職場の同僚との雑談。タクシーの運ちゃんとの世間話。パーティでの会話のきっかけ。どんな場面でも男女共にスポーツの話で盛り上がる。
ケーブルテレビにはスポーツ専門のチャンネルが複数あり、アメフト試合の直前には次の試合で注目すべき選手を分析する番組が、直後には先の試合で勝負を決めたプレイを分析する番組が1時間ずつ組まれる。
インターネットではメジャースポーツごとに何人もの記者がニュースを追い、終日特ダネが速報される。大谷がエンジェルスに入団することを、僕は日本の新聞が報道する1時間半前に米国のスポーツサイトを通じて知った。
常にスポーツに囲まれるこの環境に戻って改めて思うのは、日本は一般的にスポーツ好きの国ではないな、ということである。
僕は米国の南部に憧れている。
高校時代、アジア人かつカソリック信者である僕は南部の大学だけは避けるべき、と教師から忠告を受けたのだが(南部はキリスト教と言ってもプロテスタント派が一般であり、白人以外は差別の対象となるため)、南部の人の訛りやゆったりさ、そして南部の文化にどういうわけか魅力を感じてしまう。
そんな南部に一人だけ親しい友達がいる。サムという名の彼は、ニューヨークは一度だけ行ってもうこりごり、と語るような、生粋の南部っ子である。彼が話をしてくれる南部の世界は僕が知らない別世界の話でいつも興味深い。
数年前に日本への転勤が決まった時、今後はそう簡単に会う機会がないと思ったサムに会いに行くことにした。
南部といえば米国の中でも特に銃が浸透している地域だ。その頃僕が住んでいたニューヨークでは中々撃つ機会がなかった僕のピストルもテネシー州なら容易に撃つ機会を見つけられるだろうと思い、テネシー州まで持っていくことにした。
そこでまず調べたのが、どうやったら銃を飛行機に持ち込めるか、ということである。
「優秀な人」になるには、少なくとも四つの条件が揃う必要があると思う。
まずは才能。
もちろん、「ウサギとカメ」の話にあるように、努力をしなければどんな才能も無駄になる。でも、果たして努力さえすれば優秀になれるかというと、野球やピアノ、そして将棋や囲碁のような世界を見れば違うことが明らかだ。これらの世界では、プロやプロを目指している人それぞれが最大限の努力を尽くしているにもかかわらず、プロになれる人となれない人が出てくるし、プロの中でさえもイチローのような半世紀に一人の天才と各チームにいる控えの選手のような差がある。