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選挙ボランティア活動中、なぜかまた苗字で呼ばれなくなった(後編)

一番極端だったのは、職場が変わったある昔。上司の上司の上司ぐらいに当たるチョーえらい人から、初日は苗字で呼ばれていたのに歓迎会の頃には「ジョー」と呼び捨てにされていた。あまりの馴れ馴れしさにびっくりした同僚が「前から知り合いだったんですか」と聞いてきたが、そのエライ人に初めて会ったのはたった2週間前である。

典型的な日本人の場合、こういうことにはならないはず。純ジャパを自負している僕としては、「ジョーさん」と呼ばれるのはなんとも不本意だ。

選挙ボランティア活動中、なぜかまた苗字で呼ばれなくなった(前編)

選挙とはとにかく地味な作業の積み重ねで、その一つに「証紙」と呼ばれるシールをチラシに貼るというものがある。これは、各陣営が正式に認められたポスターを同数の枚数しか配れないよう、平等性を担保するための制度である。

都知事選ともなると、「証紙」の数は3万枚にも上る。これを貼っていく機械はなく、すべてが手動だ。ひとりで捌ける枚数なんてたかが知れてるので、とにかく人海戦術に出るしかない。

この証紙貼りという作業、実に僕の性格に向いている。

投票率なんかより肝心なことがある(後編)

日本と米国で根本的に違うのは、投票率ではなく、日常における政治への身近さだ。

米国では、中学時代に国会議員に手紙を書いて返事をもらい、高校時代に国会議員の地元事務所でインターンをし、大学時代に徹夜で政治を議論し、大学院時代に選挙ボランティアを経験した、という人がざらといる。

果たして、これを一つでも経験したことがある日本人がどれほどいるか。

最近よく見かける、「得意な英語を聞かせたい」症候群(後編)

このように敬遠されがちな離陸後アナウンスの英語版だが、たまにやたらと英語を話したがるパイロットがいる。

一番わかり易かったのは、日本語より先に英語でアナウンスを始めたパイロット。最初は外人VIPでも乗せているのかと思ったが、その後、やれトイレに行った後は必ずシートベルトを締めるようにしてくださいやら、やれ気流がどう飛行時間に影響を及ぼしているやら、やれ飛行中の何時の何処あたりが景色の見どころやら、流暢な英語で長々と説明されるのを聞いて、なるほど、この人は英語を使ってかっこつけたいだけなのだな、と納得した。

イチローの偉大さを振り返る

イチローが現役引退を表明した。メジャーリーグ19年、プロ野球時代を含むと28年にわたるキャリアに終止符を打つ。

イチローが史上最高の日本人野球選手の一人として名を残すことは間違いないが、彼が松井秀喜、ダルビッシュ有や大谷翔平など他のメジャーリーガーと一緒に語られるのを聞くと、彼の本当の偉大さがまだまだ十分認識されていないのではないかと思ってしまうことがある。他の日本人メジャーリーガーには失礼ながら、誰一人としてイチローとは比較に及ばない。

イチローとはそれほど比類ない別格の存在なのだ。それはイチローが持っている数々のメジャーリーグの記録を見れば明らかである。

僕が好きな米国スポーツ、その規模1兆円

6年ぶりの米国生活。特に喜ばしいのは、スポーツがまた身近な存在になったことである。

米国はスポーツの国だ。

職場の同僚との雑談。タクシーの運ちゃんとの世間話。パーティでの会話のきっかけ。どんな場面でも男女共にスポーツの話で盛り上がる。

ケーブルテレビにはスポーツ専門のチャンネルが複数あり、アメフト試合の直前には次の試合で注目すべき選手を分析する番組が、直後には先の試合で勝負を決めたプレイを分析する番組が1時間ずつ組まれる。

インターネットではメジャースポーツごとに何人もの記者がニュースを追い、終日特ダネが速報される。大谷がエンジェルスに入団することを、僕は日本の新聞が報道する1時間半前に米国のスポーツサイトを通じて知った。

常にスポーツに囲まれるこの環境に戻って改めて思うのは、日本は一般的にスポーツ好きの国ではないな、ということである。

傘という恐怖

この度3ヶ月ほど米国勤務になったのだが、そのことを周囲に伝えると、数人からこんな質問を受けた。

「米国では傘を差さないって本当ですか」

アメリカに関して特に知りたいことがこれ?と拍子抜けしてしまうほど意外な質問であるが、どうやら多くの日本人には、雨が降っていているのに傘を差さないという行為が、全くもって理解し難いものであるらしい。

実際、傘を差さないで雨の中を歩くニューヨーカーはよくいる。

なぜと聞かれても説明に困ってしまうのだが、自分の感覚から言わせてもらうと、僕は別に水に当たると溶けてしまう「オズの魔法使い」の悪い魔女ではないのだから、小雨程度なら、何もわざわざ傘を持ち歩いて荷物を増やさなくてもいいのではないか、と考えるのだ。

もっとも、僕の感覚がどれほど一般的な米国人の感覚と一致しているかは微妙である。なにせ僕には、少年時代から引きずっている傘に対する深刻なトラウマがあるのだ。

与えられるのに取れない、甚だおかしい日本企業の有給休暇

日本企業のビジネスに対する姿勢には短期的利益追求を最優先する米国企業が見習うべきだと思う良さが様々あると思う反面、典型的な日本企業の社風は外資系の職場しか知らない僕からすると随分と理不尽だと思うことが多い。

その一つが有給休暇に対する考え。

僕は毎年有給休暇を使い切るが、日本企業に勤める友人の大半は年々数日の休暇を取る程度で、有給休暇をすべて消化することはまずないらしい。これは有給を取りたくないので取らないのではなく、職場の環境が有給を取らせてくれる雰囲気ではない、というのが大体の理由だ。

こういう話を聞くと僕は、「有給とは与えられた権利であり、それを行使することに関して引け目を感じる必要もなければとやかく言われる筋合いもない」と主張したくなるのだが、このように個人の権利を軸とした米国的な考えは日本人には馴染まないのだろう。

それでも、と思う。協調性を重視する日本人の心が「有給を取ることは不在中に同僚に迷惑をかけることになる」という考え方に繋がるのは理解できるが、だからと言って「だから誰も有給を取らない」という結論になることは甚だおかしい。

自己主張ができる日本社会へ

最近「便所メシ」という言葉を知った。これは、大勢の目の前で一人だけで食事をすることに極限な恐怖を感じる人が、便所に入って弁当をパパッと終わらせてしまう習慣を指すらしい。

現代日本のいわゆる「ボッチ」現象の延長線上にあると言えるこの「便所メシ」。これが、数年後には真っ当な社会人になっていなければならない年齢層が集まっている大学という場所で起こっているというのだから、「ボッチ」現象は極めて深刻である。

他人の目を異常なまでに気にする社会現象には自分に対して自信を持てない人があるのだろう。そしてその自信のなさは、自己主張が苦手な日本人社会に直接関連しているように思う。

「変ジャパ」とさえ認めてもらえない僕

最近国際基督教大学卒業の人から面白い話を聞いた。

外人・帰国子女が多いICUでは、「純ジャパ」、「半ジャパ」、「変ジャパ」、「ノンジャパ」と学生を区別していたらしい。彼女に説明してもらったところ、「純ジャパ」は日本生まれで日本育ちの「純粋」な日本人。「半ジャパ」は言葉どおり親の片方が日本人であるハーフ。「変ジャパ」は日本生まれだけれども外国生活が長くて普通の日本人からしたら「変」になってしまった日本人。「ノンジャパ」はただの外人。

さてこの中で僕はどれに当てはまるのか、という話になったら、「ノンジャパ」と結論付けされてしまった。

つまり僕は変な日本人にさえも見えない、らしい。

自分の名前探しの旅

林遣都という役者がいる。「バッテリー」という映画で見たぐらいなので日本で知名度が高いのかもよく知らないが、うらやましい、と思うことがある。彼の名前の事である。

漢字レベルが小六でストップだから当然の事ながら「遣都」が読めず、実はどこまでが苗字でどこからが名前なのかも分からなかった。ただ、中国人っぽいかっこいい漢字を使っている名前だな、と印象深かった。

その後、読みが「けんと」と知って、「かっこいい」が「うらやましい」に変わった。名前をローマ字にすると「Kento Hayashi」になるからだ。

くだらない事だと思われるかもしれないが、自分の バランスの悪い「Joe Sasanuma」には長年悩まされてきた。ただでさえ名前が短いぶんに苗字が長いのに、弁護士になるとつけられる敬称「Esq.」などつけたら「Joe Sasanuma, Esq.」。余りにも見てくれが悪くてみちゃいられない。よってありがたき迷惑の「Esq.」はなるべく断っている。
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