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アメリカの大学スポーツに対する感覚では、日大のアメフト部廃部は考えられない(後編)

卒業してからは、チームの成績が悪ければ監督の解雇を求める地元の新聞に賛同し、新しい監督に年間1億円しか支払われないことを知ると、ケチったことで知名度が高い監督を起用できなかったことに憤った。

僕は決して熱狂なファンではない。母校チームの成績も良い年で勝率5割だ。それでも、アメフト部が廃部されれば、毎年行っている大学への寄付を確実に止めるだろう。

アメリカの大学スポーツに対する感覚では、日大のアメフト部廃部は考えられない(前編)

国内のアメフトファンなら知らない人はいない日本大学のアメフト部が廃部された。それも選手の不祥事によって。

この問題については、大学側の責任や選手側の権利の観点から多く語られているが、あえて僕は注目されてない「ファン」という視点で語ってみたいと思う。なぜなら、ファンも(選手ほどではないにせよ)明確なステークホルダーだからだ。

僕は未だに現実に近すぎる留年の悪夢にうなされる(後編)

ボストンカレッジという素晴らしい大学に通った僕は、在学中に母校愛が育み、ロースクールも同校に進学すると決めていた。ところが、自信満々に提出した願書が呆気なく却下されてしまい、他のロースクールに1年間通った後、めげずに再チャレンジしてなんとかボストンカレッジに復帰した。しかし、編入という形での復帰だったことから単位の取得は常にギリギリで、3年生の最後の学期に必要な単位をぴったり取得した上で卒業するという計画を立てざるを得なかった。

そんな綱渡りのロースクール時代を何とか無事完結させようとしていた最終年の2学期目のある日、ロースクールの事務局から「あなたはこのままだと卒業に必要な単位がひとつ足らないことを把握されていますか」という、親切なのか恐ろしいのか分からないメールを受け取った。

小室圭の就職先を、その世界から来たジョーが解説

小室圭がニューヨークの法律事務所に就職したという報道があったのでググってみたら、なんと就職先はローウェンスタイン・サンドラー(Lowenstein Sandler)法律事務所ではないか。

ローウェンスタインは僕が内定をもらっていた事務所。最終的に辞退したが、ひょっとしたら小室圭の先輩になっていたかもしれないと思うと、「小室圭文書パロディー」なんてものを書いたことをちょっと反省している。

僕の経験上、ローウェンスタインはなかなかの事務所である。つい最近まで小室圭が飛び込んだ世界にいた者として、彼の今の境遇を解説してみようと思った。

ウィキペディアのボストンカレッジの記事には、僕の執筆癖がちらほら(後編)

他方で、このボストンカレッジの記事には僕の「執筆癖」がちらほら見られる。

例えば、このブログを「ながい、くどい、うざい」と貶す読者がいる。各投稿の読み始めはそこそこ面白いものの、早々とお腹いっぱいになる、という評価だ。

そんな人にとって、ボストンカレッジに関するウィキペディアの記事は苦痛以外の何ものでもないだろう。何せ、こう見えても僕はブログ投稿を簡潔にまとめることを心がけているが、ウィキペディアの記事を書くにあたっては限りなく長文にすることを唯一の目標に掲げていたのだ。

ウィキペディアのボストンカレッジの記事には、僕の執筆癖がちらほら(前編)

超人気ブロガーになる遥か昔、僕の執筆活動はウィキペディアで始まった。

具体的には、学生時代、僕は我が母校であるボストンカレッジの記事を執筆することに明け暮れていた。

ことの発端はひょっとした発見。

その頃の僕は、英語の家庭教師をしていた教え子に自分が通っている学校を知ってもらいたく、日本語のウィキペディア記事を紹介したいと考えていた。しかし、学校名で検索しても記事が見つからず、それどころか、憎きライバル校であるボストン大学の記事が出てきた。さらに、その記事を読んでみると、なんと、ところどころボストンカレッジと混同している記載があるではないか。

ジョーの人生の方式(後編)

徹夜と言えば、カラオケを思い出す。前職での最も懐かしい思い出は、朝4時まで同僚とカラオケで歌いほうけたこと。救いようがないほどの音痴でも、ここまで歌うことが好きなら睡眠<音楽と言えるだろう。

ジョーの人生の方式(前編)

このブログの熱烈なファンならご存知のはずだが、僕はありとあらゆる趣味を持っている。

僕にとって大切なものをざっとリスト化すると、こんな感じか。

僕の自慢は、実用性ゼロの教育を受けた証の読めない卒業証書

僕は自分の大学卒業証書が読めない。

これは何も読み書きができないまま大学を卒業してしまったからではなく、我が母校であるボストンカレッジの卒業証書がラテン語で書かれているからである。

死語で書かれている卒業証書は、ボストンカレッジのリベラルアーツ教育の非実用性をまさしく示している。

大学に入学後、僕が最初に出席した説明会では、いかにこの大学の教育が就職活動とは無縁であるかという説明が1時間に渡ってなされた。たしかに一年目に受けた必須科目は、ギリシャ哲学だのローマ古典だの、どう人生が転んでも役に立つ日は訪れないであろうと思わせる内容ばかりであった。

米国に留学するなら、スポーツを判断材料に

数年前、日本企業の法務部に勤める人から米国ロースクールの留学先について相談を受けたことがあった。

優秀な彼はハーバードやコロンビアなどのアイビー・リーグの他、バンダービルトやバージニアなどの一流ロースクールにも受かっていた。しかし、僕が強い関心を示したのは彼が「ついでに」という感覚で受けていたミシガン大学のロースクールであった。

その理由は、ミシガン大学のスポーツチーム、Wolverinesだ。

秋は楽しみ色々の季節です

秋という季節には様々な言葉が冠されます。

例えば「食欲の秋」。食べることが生き甲斐の私にとっても食欲が失せる夏が終わって秋が訪れるのは大変喜ばしいことです。それもただ食欲が回復するだけでなく、食欲を注ぐ食べ物がたくさん出てくるのが秋です。松茸の炊き込みご飯やふぐちり鍋。秋にしか食べられない多数の食べ物を想像しただけで幸せな気分になってしまいます。

ただ食べるだけでは豚になってしまい健康に悪いですので、(運動会とかで)ちゃんと運動すべきが「スポーツの秋」。もっとも、 運動して疲れることが真っ平御免でそもそも運動神経が全くない私にとって、秋とはもっぱらスポーツを観る季節であるので、あまり「スポーツの秋」は食べ過ぎの対策にはなっていないような気がします。
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