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僕はつまらない人間が嫌いである(後編)

しかし、そこで気付いた。そういう神経だからこそ、つまらない人間になるのだ。学歴だけが根拠のプライドで自分は賢いのだと信じて疑わず、自分が知らないことや想像できないことについて否定的になり他人の話を聞かない。だから、永遠と自分の小さな世界から出られない。

僕はつまらない人間が嫌いである(前編)

僕は八方美人だ。でも、そんな僕でさえ、ある種の人間からは好かれずとも構わないと思っているし、僕もその種の人間に対しては嫌悪しか感じない。

その種の人間とは、つまらない人間である。そして、そういうつまらない人間にこそ、学歴が高いエリート職に就いている人物が多い。

2000円札は、実は1円玉や5円玉より便利(後編)

もっとも、大半の人が2000円札が不便だと思い込んでいることには、それなりの理由がある。

2000円札はもともと、西暦2000年とその年に実施された沖縄サミットを記念して、1999年に当時の小渕恵三首相により発案され、2000年に発行が開始されたものである。公表から発行まで1年間しかなく、この期間は異常に短い。現在予定されている新紙幣への改刷は、2019年4月に公表され2024年上旬に発行が始まるので、5年近い期間がある。偽造対策のために実施された前回の改刷は、2002年8月に公表され2004年11月から発行が始まり、早かったと言われながらも2年3ヶ月の期間があった。2000円札の1年間がどれだけ短かったかがよく分かる。

2000円札は、実は1円玉や5円玉より便利(前編)

久しぶりに郵便箱を確認したら、こんなものが入ってた。 「2千円札だー!」と思って興奮したものの、よくよく見たら、menu株式会社発行の2400円札であった。 賭けてもいいが、僕が愛用している2000円札の方が、この2400円札よりずっと実用性がある。 というか、そもそも2000円札を"不便な紙幣"と考えるのは、とんでもない誤解である。

「腕時計通貨」という、僕のややっこしい日常通貨(後編)

ということで、腕時計通貨で重要なのは、本数ではなく「機能」と「ブランド」を通貨単位にすることなのだが、ここで紛らわしいのが、「機能」の価値は実用性に反比例しているということだ。

たとえば、Seikoの時計は時間の正確性が売りだが、正確性と呼ばれる"機能"には「銭」レベルの価値しかない。「円」の価値がある機能といえば、ミニッツ・リピーターやパーペチュアル・カレンダーだろう。

「腕時計通貨」という、僕のややっこしい日常通貨(前編)

僕は50,000,000,000ジンバブエ・ドル札を持っている。

この紙幣の価値は、ハイパーインフレーションのせいで1銭未満。こんなに桁がある通貨でモノの価値を測っていたらエライことになりそうだが、実は僕は日常生活で「腕時計通貨」という僕特有の通貨を使ってモノの価値を判断しており、これはこれで十分ややっこしい。

「2000円紙幣が使えなくなることを危惧している」〜2000円札博士ジョー氏の話(後編)

一時は2000円札の流通を増加させるために銀行員のボーナスが2000円紙幣で支払われたことが話題になったが、今では、2000円札はすっかり忘れられた存在になりつつある。現代の高校生や大学生の中には2000円札について聞いたこともない学生が少なくなく、私がある学園祭の出店で使った時など、まるで偽札であるかのようにじっくり確認されたことがある。

「2000円紙幣が使えなくなることを危惧している」〜2000円札博士ジョー氏の話(前編)

この度の紙幣刷新に伴って久しぶりに注目を浴びている2000円札について、時々新聞で見る「有識者の話」スタイルで書いてみました。

〈二千円札大学学長のジョー博士の話〉

2024年上期を目処に日本の紙幣が刷新されることが政府より発表されたが、やはりというべきか、2000円札は流通数が少ないという理由から刷新の対象に含まれていない。

これは日本国民としてとても危惧すべきことだと思う。

2000円紙幣の製造復活に向けて、みんな立ち上がれ!

僕には、2000円札の製造を復活させるという、ちょっと無謀な目標がある。

このブログの熱心な読者は、数年前から僕の財布の中には2000円札しかないことを知っていると思う。その頃の僕にとって、2000円札とはただただタクシー業界との戦いのための軍資金であった。

ところがある時、財務省の人の話を聞いてからタクシー業界などどうでもよくなってしまった。

佐久沼條治という、ある迷惑男の話

この物語はフィクションであり、主人公である佐久沼條治の名称および性格と立ち振る舞いが作家のものと瓜二つであることは、すべて偶然です。

「絶対、大丈夫」

こう断言した佐久沼條治(さくぬまじょうじ)を、左飛道(さひみち)レヌはあからさまにうんざりした目で見つめた。

「本当ですか」

無駄とは分かっているものの、レヌは一応確認する。

「僕が言うんだから間違いない」

また、だ。この根拠のない自信は何処から来るのだろう、とレヌはいつも思う。

「どうしてそう思うんですか」

レヌは食い下がってみたものの、帰ってきた答えは「僕のカン」だった。

思ったとおりの、何のあてにもならない答え。いまさら期待はしていなかったものの、この日常のやり取りにはさすがに嫌気がさしてきた。

新卒として入社し法務部の佐久沼の下に配属されてまだ半ヶ月しか経っていなかったが、レヌは既にもう、この、自称マンボウのモノマネを特技としている上司に物事を任せておくとヤバイことになりかねないことを学んでいた。

バカでアホで間抜けな僕の「湘南新宿ライン制覇」

冬休み中に長い間やりたいと思っていたことをやった。

「やりたいこと」とは、湘南新宿ラインに乗って乗り換えなしで群馬県の高崎から神奈川県の小田原まで行くこと。

全くバカなことを思いつき、アホにも実行に移したものである。

二千円札を持ち歩く些細な楽しみ

二千円札を持ち歩いていると色々な所で面白い経験が出来る。一番笑えるのがお釣りの勘定で店の人が混乱してしまうこと。二千円札に対するお釣りは通常ではあり得ない金額であるため、突拍子もないお釣りが戻ってくる。

例えばこの前旅行先でお土産を買った時。僕は57円の豆腐も平気で二千円札を使って購買するのだから、当然の事ながら2400円弱の支払いに対し二千円札2枚を出した。店の人、「はい4千円ね」と言いながら受け取ってるのにもかかわらず、店の奥に行き千円札を4枚持ち出し、その上に小銭を乗せて僕にお釣りとして差し出した。「差し上げたのは4000円でしたけれど」と指摘したのだが、状況を把握するまでさらにたっぷり15秒はかかった。こういう事がよくあると事前に父に話していたのだが、実際に目撃するまでは信じられず、このやり取りの間ずっと笑いをかみ殺していた。

僕は闘う、タクシー業界と~僕が二千円札を持ち歩くようになったきっかけ

日本に来て早くも9ヶ月。その9ヶ月間の大半、僕はタクシーの運ちゃん達と戦争を繰り広げていた。

イザコザの発端は料金の支払い方法。米国ではカード使用が浸透していることもあって、僕は原則として10ドル以上の買い物はカードで済ませていた。朝食代わりのオレンジジュースの1ドルもカードに付ける程だったので、オフィスからアパートまで10分のタクシー料金12ドルも当然のようにカードで支払っていた。ニューヨークのタクシーは運転手にカードを渡さず自分で機械にカードを通せば良かったので、なおさらカードが使いやすかった。

日本に来てもニューヨークからのカード生活の習慣がなかなか抜けない。東京のタクシーは初乗りが710円である為、タクシーに乗車した時点で既に「カード金額」である10ドルを超えつつある。しかし、さすがに1000円未満でカードを使うのには気が引けるし、わざわざ運転手にでかい機械を取り出させてカードを使うのには時間かかり面倒である為、1200円ぐらいをカード使用金額の目安にしていた。
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