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用紙の記入が終わって案内されたのは、特別に設置された両替の列ではなく、一般手続きの列。どうやら、この日ばかりは2000円札への両替は"両替"と見做されないようである。
世間は新紙幣の発行で盛り上がっているらしい。改刷から取り残された2000円札 しか持ち歩かない僕にとって、これほど無縁の祭はない。
だがそんな僕でも、先日新紙幣の存在を思い出した。
その数ヶ月後、ある案件で届出のために3万円弱の費用が発生することが判明した。つい最近まで公務員だった僕からしたら3万円は結構な大金だったので、これを支払っていいものか上司に相談しに行ったら、「そんな少額で相談に来るな!」と怒鳴られながら追っ払われてしまった。よくよく考えてみたら、この人はクライアントに対して1時間8万円請求しているのだ。その感覚からしたら、確かに3万円は大した金額ではない。
小室圭がいるような法律事務所に在籍していたことがある 僕は、給与と金銭感覚の面で随分と波乱万丈な道を歩んできている。
実は僕は、キャリアを公務員として始めた。いずれは企業法務に携わるつもりでロースクール時代に法律事務所から内定を貰っていたのだが、少しは「人のために尽くす」という弁護士の本来の姿を経験した方が自分のためになるだろうと思い、1年間だけ、ニュージャージー州で裁判官の助手であるロークラーク(law clerk)という仕事に就いていた。
僕が最初に自分の金に関する理解に限界があることを悟ったのは、金融機関への投資を諦めたとき。健全な銀行の財務諸表と倒産寸前の銀行の財務諸表の見分けがつかず、僕は理解ができないものには決して手を出さないことを誓った。
僕は、様々な経験を重ねることによって、金について詳しくなっていった。
僕が最初に経済に関心を示したのは、小学生のとき。地元のガソリンスタンドの価格の変動を追って、僕は市場価格という概念に触れた。
僕が最初に株に投資をしたのは、高校2年生のとき。頑張って貯めたお年玉やバイト代を掻き集めて購入した株が9カ月間で2倍になりその半年後に4分の1に暴落して、僕はリターンが高い投資にはリスクが伴うことを学んだ。
この度の紙幣刷新に伴って久しぶりに注目を浴びている2000円札について、時々新聞で見る「有識者の話」スタイルで書いてみました。
〈二千円札大学学長のジョー博士の話〉
2024年上期を目処に日本の紙幣が刷新されることが政府より発表されたが、やはりというべきか、2000円札は流通数が少ないという理由から刷新の対象に含まれていない。
これは日本国民としてとても危惧すべきことだと思う。
昨年、突然「利率が高くていい社債があるんですよ」と形式的には僕の担当者である証券会社の者から電話があった。
今まで何の話もしたことがないのに急になんだと思いながらも、お金の運用に関する話が大好きな僕はとりあえず付き合うことにした。
そこでまずは「どういうリスクがあるんですか」と質問してみた。利率が高いのはリスクが高いから、というのは投資のイロハだ。大して難しい質問をしたつもりはない。
ところが、これに対して営業マンは口を濁すだけで、もっぱら「利率がいいんです」を繰り返すだけであった。
未だ米国に銀行口座を有している僕は、たまに米国のコールセンターに問い合わせをすることがある。
でもその前にまずは必ず戦闘モードに入る。具体的には、自分自身を意図的に不愉快な気持ちにさせ、喧嘩腰になるのだ。
そうでもしなければ、米国のカスタマーサポートなど乗り切れない。
僕には、2000円札の製造を復活させるという、ちょっと無謀な目標がある。
このブログの熱心な読者は、数年前から僕の財布の中には2000円札しかないことを知っていると思う。その頃の僕にとって、2000円札とはただただタクシー業界との戦いのための軍資金であった。
ところがある時、財務省の人の話を聞いてからタクシー業界などどうでもよくなってしまった。
先日、海外送金するために銀行に行ったら、えらい恥をかいた。
日本の法律上、海外送金をする際にはマネーロンダリング対策のため送金の理由を銀行に説明する必要がある。この度の送金は昨年の米国滞在に伴う所得税を支払うためだった。よって送金の理由は「納税資金」だったのだが、さて、手渡された用紙に書き込んでいくうちに「送金理由」の欄で手が止まってしまった。「納」、「資」そして当然「金」の字は覚えていたのだが、「ゼイ」の字の部首がどうしても頭に浮かばなかったのだ。
4月1日に「三菱東京UFJ銀行」が「三菱UFJ銀行」に変わった。この事に違和感を感じているのは僕だけではないだろう。
名称を短縮させたかったのなら、削るべきは「UFJ」である。
そもそも、名門財閥である「三菱」を看板に掲げる国内最大手の銀行が、訳の分からない「UFJ」を従来から名称に含めていたこと自体がおかしいのだ。ある銀行員から聞いた話によると、「UFJ」の由来は、三和銀行、東海銀行、太陽信託銀行が2001年に経営統合した際、新銀行名を国際的にしたいという頭取の意向で「United Financial of Japan」の頭文字を取ったことによるらしい。国際的になりたかったわりには「United Financial of Japan」が文法的に間違っていることが滑稽だが、それにしても、頭文字を正式名称とするところにセンスが欠けている。そしてそのダサさを「東京銀行」の名称を犠牲にしてまで継承するというのだから、現在の三菱UFJ銀行の感覚も疑いたくなるものである。
もっとも、緑の銀行みたいに財閥が見栄にこだわるよりはマシかもしれない。
二千円札を持ち歩いていると色々な所で面白い経験が出来る。一番笑えるのがお釣りの勘定で店の人が混乱してしまうこと。二千円札に対するお釣りは通常ではあり得ない金額であるため、突拍子もないお釣りが戻ってくる。
例えばこの前旅行先でお土産を買った時。僕は57円の豆腐も平気で二千円札を使って購買するのだから、当然の事ながら2400円弱の支払いに対し二千円札2枚を出した。店の人、「はい4千円ね」と言いながら受け取ってるのにもかかわらず、店の奥に行き千円札を4枚持ち出し、その上に小銭を乗せて僕にお釣りとして差し出した。「差し上げたのは4000円でしたけれど」と指摘したのだが、状況を把握するまでさらにたっぷり15秒はかかった。こういう事がよくあると事前に父に話していたのだが、実際に目撃するまでは信じられず、このやり取りの間ずっと笑いをかみ殺していた。
日本に来て早くも9ヶ月。その9ヶ月間の大半、僕はタクシーの運ちゃん達と戦争を繰り広げていた。
イザコザの発端は料金の支払い方法。米国ではカード使用が浸透していることもあって、僕は原則として10ドル以上の買い物はカードで済ませていた。朝食代わりのオレンジジュースの1ドルもカードに付ける程だったので、オフィスからアパートまで10分のタクシー料金12ドルも当然のようにカードで支払っていた。ニューヨークのタクシーは運転手にカードを渡さず自分で機械にカードを通せば良かったので、なおさらカードが使いやすかった。
日本に来てもニューヨークからのカード生活の習慣がなかなか抜けない。東京のタクシーは初乗りが710円である為、タクシーに乗車した時点で既に「カード金額」である10ドルを超えつつある。しかし、さすがに1000円未満でカードを使うのには気が引けるし、わざわざ運転手にでかい機械を取り出させてカードを使うのには時間かかり面倒である為、1200円ぐらいをカード使用金額の目安にしていた。