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無口でクール、そんな風に思われたい

「僕を一言で表現するとしたら、どんな言葉を選びますか」

最近僕の周囲の人にこんなアンケートをとってみた。

最初に返ってきた答えは「鬱陶しい」。「Annoying」と英語で続けたのは、実は日本人。そして「KY」と日本語の表現を選んだのはアメリカ人。

つまり僕はうるさいらしい。

分かる、読める、書ける、しゃべれる

日本での生活が始まって二ヶ月。改めて実感するのが、分かる、読める、書ける、しゃべれるの違い。

「分かる」にはあまり苦労しない。日常生活の会話でぱっと理解できずに聞き流してしまうことが割と多いのに気がついたが、生活に支障は無い。日本で生まれ、家庭で日本語を使い、中学、高校と塾に通い、大学以降毎日日本の新聞を読んでいたのだから、これぐらいは感激するほどのことでもないと言われれば確かにそうだ。ただ自慢ではないが、趣味が政治、職業が弁護士、そして仕事の分野が経済関係なので、結構レベルの高い日本語が理解できていると思う。

後押ししているのが読書。最近はほとんど日本語の小説しか読んでいない。この三年間、日本語の本は100冊近く読んだろうが、英語の本は片手に数えられるくらいである。これは皮肉にも苦手な漢字に感謝するべきことなのだ。漢字のおかげで日本語は「見る」だけで意味がだいぶ分かるので、小説などすらすらと読める。英語は一言一言「読んで」いかなければならないので、最後に読んだ400ページ以上あるブッシュ前大統領の自伝を読み終わるのに2週間近くかかった。時間が貴重な身なので、読み物の「質」など結構どうでもよく、「量」が優先される。まるで絵本並みに「見る」だけで進める日本語の小説はそういう意味でとても魅力的。

「読める」あたりから僕の日本語のぼろが出る。「読める」ほうが「分かる」より困難という点は英語と大きく異なる。どちらかと言うと英語は逆で、ある程度発音のパターンを知っていれば大半の英語の言葉は「読める」。しかし、言葉や文章の意味はだいたい実際に意味を知っていなければ分からない。余談だが、高校時代に英語の語彙の少なさに悩んで相談した進路指導教員に、ラテン語のルーツを覚えることを提案された。なぜ英語でさえ習得し切れていないのに消滅した言語を学ばなければならないのか。この人は何も分かっていないなと思った。
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