僕はたまに、「不思議な友情」について考える(前編)
僕はたまに、「不思議な友情」について考えることがある。
僕の最も親しい友人の1人であるジェームズは、米国ニュージャージー州に住んでた高校時代の同級生である。米国に戻れば必ず会うし、定期的にリモートで話す仲だ。
だが、高校でのジェームズと僕は、親友どころか友達でさえもなかった。頭が良くてスポーツが万能な彼とピエロだった僕とではつるんでたメンツが違いすぎたし、そもそも彼と僕は天敵だったとも言える。ジェームズは、卒業式のスピーカーを決める先生と同級生による投票で、僕を破った憎きライバルだったのだ。
高校時代にそんな仲だった僕たちが卒業後に連絡を取り合うはずもなく、僕らはそのまま違う大学を卒業し、お互い知らないままロースクールに進学した。
その後接点を持たないままそれぞれの人生を歩むはずだったのが、運命とはおもしろく、ロースクール在学中の夏休みに僕がニュージャージー州の裁判所でインターンをしていたら、同じ裁判所で同じくインターンをしていたジェームズとばったり出会った。
不思議なもので、高校時代はお互いに関心を持たない関係だったのに、5年ぶりに顔を合わせると、思い出話やら同級生の話やらで盛り上がった。実際に話してみるとジェームズはめちゃいいヤツで、政治やスポーツなど共通の興味も多い。なぜ高校生の時はあんなに距離があったのかが謎になるくらい、馬が合う。
会話をしてるうちに、2人ともボストンのロースクールに通ってることが判明する。彼はボストン大学、僕はボストンカレッジ。またしてもライバルだが、今回は笑い飛ばせる関係になっている。
インターンシップが終わってボストンに戻った僕たちは、週末に映画を観て夕食を一緒に食べる仲になった。さらに、冬休みには僕が運転する車に彼を乗せて、4時間ずっと話しながら一緒にニュージャージー州に帰るほど親しくなった。一気に「友人」をすっ飛ばして「親友」の関係に発展だ。
そんなことなので、僕は当然のこととしてジェームズの結婚式に呼ばれたのだが、結婚式で会った人たちに僕たちの仲を伝えるは、思いの外難しかった。「高校の同級生」という表現は事実として正しいが、過去を振り返るとだいぶ語弊がある。では「ロースクール時代からの親友」が相応しいかというと、それも、高校の同級生だったからこそロースクール時代に親しくなったという、肝心な背景が抜けている。
実は、ジェームズのご両親でさえ僕たちの関係を誤解していた。お母さんは結婚式で僕のことを「息子の高校時代からの親しい友達なの」と紹介していたが、ジェームズと一緒にいる僕をお母さんが見かけるようになったのはもっとずっと後のことだ。高校時代から親しかった思われてたのは純粋に嬉しかったが。
(後編に続く)
