2018年は「形になる成果」に拘った年でした

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以下は今年のクリスマスカードに同封した手紙です。

昨年はいくらあっても足らない「時間」についてばかり考えていたせいか、2018年はその限られた時間を最大限に活かして「形になる成果」をあげることが目標となりました。

私は昔から教師という職業に憧れており、ロースクール時代に主に米国憲法を勉強したことから、きっかけがあれば憲法を教えたい、と従来から考えていました。しかし、私の今までのキャリアは憲法とは全く無縁のもの。ロースクールで、それも日本にいて、米国憲法の教鞭を取るなどそう容易くいかないと思っていました。

でも、成果をあげる目標を立てた以上とにかく行動を起こそうと思い弁護士の知人に相談してみたところ、ある人を紹介してもらい、その人から他の人を紹介してもらい、そこから話がポンポンと進み、2019年1月からテンプル大学ロースクールの東京キャンパスで米国憲法の授業を1学期受け持つことになりました。

さらに、この話が決まると、テンプル大学から別途、私の本業であるクラウド業界における契約や法律について講義する提案を受け、友人の弁護士からは、東京弁護士会に向けて米国憲法について研修する誘いを受けました。

このように、以前から希望していたことが拍子抜けするくらいあっさりと達成できただけでなく、そこから短期間にさらなる幾つもの「成果」があげられるとは、人生とは本当に分からないものです。

他方で、今まで軽い気持ちでやっていた将棋では、今年こそ6級脱却という意気込みで詰将棋や対局などに費やす時間を倍増しましたが、結果は予想通りと言いますか、またしても昇級には遠く及ばず、でした。

こうして一年間を振り返って考えさせられるのは、時間と労力と努力についてです。教えるという目標の観点からすれば、時間と労力に伴う「成果」が期待した以上に残せたように思いますが、昇級が叶わなかった将棋でも、いずれは「成果」が努力についてくるのでしょうか。それとも将棋からは、時には成果が伴わない努力もあるという人生の教訓を学ぶのでしょうか。

私は「無駄な努力はない」という言葉が好きです。努力が期待した成果に必ずつながるとは思いませんが、どんな努力も時には意外な形で報われると信じています。

とは言え、やはり来年こそは、将棋でも成果が出せたことをご報告したいものです。

それでは皆さま、どうぞ良い新年をお迎えください。

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