僕は情にもろい。

友人にはこれは取り柄だと言われる。僕も友人には思いやりや忠誠心を望むだけに、なぜそう言われるのか存分に分かる。

しかし論理を重んじる弁護士と白黒をはっきりさせるのを好む正義感が、自らの情のもろさに違和感を感じることがある。家族か友人が僕へ手を差し伸べたとき、論理的に考え、正義に基づいて出した結論が情に反するなら、迷った挙句に情を選ぶであろう自分に弱さを感じる。正しい道が分かっているのに進めない自分に。

徳川慶喜は違った。幼年時代から徳川家康の再来とまで称されるほど利発であった慶喜は、論理を基に常に動ける強い人でもあった。彼は論理に筋を通すためなら何でも犠牲にし、誰に対してでも非情になれた。江戸幕府という政体はもう続かぬと悟るや、渋々引き受けた将軍職を捨て、迷わずに自ら江戸幕府260年の歴史に終止符を打った。旧幕臣が徳川家のため、ひいては慶喜の為に立ち上がるや、欧米国だけに利を与える負け戦をするほどおろかではない彼はさっさと逃げた。人一倍に忠義心が強かった松平容保を見捨て、恭順を通した。それが清国の二の舞にならぬための日本の未来に欠かせないと分かっていたから。