自己謹慎を自己解除してまず話したいことが、僕がどれほど石破のことを嫌っているかについてである。
たった4週間前、僕は石破の人柄について好きでも嫌いでもないと書いたが、これは撤回したい。僕は自分が大の石破嫌いであるということを彼が首相になってから自覚した。
自己謹慎を自己解除してまず話したいことが、僕がどれほど石破のことを嫌っているかについてである。
たった4週間前、僕は石破の人柄について好きでも嫌いでもないと書いたが、これは撤回したい。僕は自分が大の石破嫌いであるということを彼が首相になってから自覚した。
今の僕は日本の政治トークができない自己謹慎状態であるが、それを自己解除することにした。
たった4週間前に謹慎を課したばかりなのに、と思われるかもしれない。
どうせできないと思ってた、と考える人がいるかもしれない。
だが、それは極めて不本意な指摘である。
僕は常に外野からヤジを飛ばしてるような政治好き。でも、自分の言葉に何の責任も負わないのでは単なる意見屋になってしまうので、政治評論家を気取ってる身として、自分の責任の所在を明らかにしたい。
まず、自分に大きな偏見があったことを素直に認める。
「天の声にも変な声がある」
これは1978年に当時首相だった福田赳夫が自民党の総裁選で大平正芳に負けたときに語った言葉だが、石破茂の総裁選勝利を踏まえた僕の今の心境をぴったり表現している。
こんな感じでこの二人を褒め称えたらきりがないが、実は僕が彼らに対して抱いている気持ちは結構軽薄である。
たとえば、僕と森喜朗の関係。これはアイドルを追っかける女子高生の関係だ。もちろん、森喜朗がアイドルで僕が女子高生である。
最近の僕は、「組閣モノポーリー」と名付けた自己開発ゲームで空想にふけている。
ゲームの設定とルールはこうだ。
この設定の中でどういう人事を行うかによってその人の政治姿勢が明らかになるのだが、僕の場合、政治的目標は迷いなく「節操ない内閣支持率の維持」なので、次のような基準で閣僚を選定していく。
僕は自称「政局マニア」である。「政治」マニアではない。「政局」マニアだ。
そんな僕が政治において何より評価するのが、政治権力の獲得維持能力。僕にとって、政治家の政策や政治思想なんてモノは二の次にすぎない。
そういう意味では、この5年間、自民党を牛耳ってきた二階俊博幹事長は尊崇に値する。
「政党は組織」が持論5である僕は、考えが合わない、などという子供じみた個人的な事情で離党はしない。そして、自分が政党を作ったら、党を離れる議員の離党届を受理せず除名処分にし、次の選挙では対抗馬を立てて、刺違えになってでも潰しに行く。
「政局は勝ってなんぼ」が持論6である僕は、政局の兆しには常に敏感でいて、予期しなかった政局に足をすくわれる、などというヘマは絶対にしでかさない。政局に勝つ確実な方法は奇襲を仕掛けることなので、政局が起こりそうになったら、主導権を握るために自分から先に起こす。