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社交性に長けているはずの僕は、怪しくて空っぽに見えるらしい(後編)

僕がこのように多くの新人さんをまめに歓迎していることを周囲に自慢げに語ったら、褒めてもらえるどころか、もう少し自分の立ち位置を踏まえて行動したほうがいいと釘を刺されてしまった。僕の役職を踏まえると、僕の「ようこそメール」は受信側からしたら相当怪しく映りかねないらしい。

社交性に長けているはずの僕は、怪しくて空っぽに見えるらしい(前編)

最近、ギャラップ社の「クリフトンストレングス」と呼ばれる性格診断テストを受けたら、上位の強みとして「社交性」が挙げられた。

社交性とは、「見知らぬ人と打ち解けて親しくなることから満足感を得る」資質で、これに長けている人は「社交的な場を盛り上げ、知らない人を自然に安心させることができる」らしい。早い話が、お調子者のムードメーカーだ。

バカでいると、得をする(後編)

人生の秘訣は、米国の政治家ジョージ・W・ブッシュ(息子の方)がヒントをくれた。この人は、常に周りから過小評価され、その評価を少し超えるだけで、大統領までのし上がった人である。僕にとっては師匠みたいな存在だ。

バカでいると、得をする(前編)

バカでいると人生特をする。そのことを悟ったのは、いつ頃だろうか。

薄々気付き始めたのは、大学一年生の時かもしれない。

その頃から僕は、思想がまったく合わない人たちに囲まれるようになった。周囲の輩は、自らの間違った思想を、遠慮なく自信満々と終日語る、極めて面倒な米国人だった。

瀬田博之さんへの追悼

この歳で、それも二週間という短い期間に、二カ国語で二度も哀悼の意を表す事になるとは夢にも思わなかった。命とは時にはとてつもなく脆いものである。

瀬田さんは僕の少年時代からの友人の大学の先輩であり、その友人を通して彼を知った。たったの二ヶ月前のことである。

とても短い間の付き合いだったのに、亡くなってもなお僕は瀬田さんを身近に感じる。それは我々の性格がとても似ていたこともあるだろうが、何よりも彼の明るい人柄が理由なのだろうと思う。

僕の友人は僕と瀬田さんの気が合いそうだと以前から考えていて、我々を紹介する機会を探っていたようだ。実際会ってみると瀬田さんは、バットマン最新作「ダークナイトライジング」で悪人だったベインのモノマネを同僚の前でして楽しむようなひょうきんな人で、初対面から好感と共感が持てた。

その反面、彼にはとても真面目な面もあった。保険関係の仕事をしていた彼は、ちょうど保険に関して情報を探していた僕にとって渡りに舟。この数週間、度々会ってもらっては日本の保険制度の話など、なかなか聞く機会がない話を聞かせてもらった。特殊な保険を探していた僕のために、同僚に尋ね回ってなんとか見つけた商品を、改めて面談までして紹介してくれるまめな人だった。最初に相談に乗ってもらったとき、近くのコーヒーショップが何処にあるのかをきちんと調べていた、そんな彼の姿が忘れられない。

救えない人、救われたくない人

数年前、高校時代の同級生に、「ジョー、お前はみんなの救世主になりたいんだな」と言われた。お世辞でも、嫌みでもなく、ちょっと皮肉的な口調だったが、思うままの感想を述べたのだろう。

確かに僕は人を手伝うのが好きだ。助けられたくない人にとってはありがた迷惑だと思われるかもしれないが、迷惑かけない事自体が助けになるので、そういう人は放っておく。

最近少し成長したな、感じるようになったのは、世の中には救えない人と救われたいと助けを求めているのにもかかわらず救われたくない人が存在するのに気付き、そういう人を放っておくのを学んだ事。
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