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時には一般常識からかけ離れる、犯罪者を代理する(米国)弁護士の倫理観(後編)

しかし、この機密保持義務は、場合によっては弁護士をとてつもなく難しい立場に置く。

1970年代、米国ニューヨーク州でこんなことがあった。

ある弁護士は、女学生を殺人した容疑で逮捕された被疑者の代理人として雇われた。その弁護士は、依頼人の話を聞いているうちに、依頼人がもう二人の学生を殺していることだけでなく、死体がどこに埋められているかまで知ってしまう。

人格なき人間には、消えていただきたい(後編)

認めるのも恥ずかしいが、僕は過去に、他にも似たような最低人間と関わってきたことがある。駐車中の車に接触し傷をつけた際に、お詫びと連絡先のメモを残すよう主張した同乗者を無視して何もせずその場を去ったヤツとか、飲食店のバイト店員が大学スポーツ選手であることを知ると、「アメフトで頭をぶつけすぎたんじゃないの」とバカにした輩とか。

こんなのと一時でも関わりがあったことは一生の恥であるが、彼らに共通していたのは、自分が超エリートであると信じて疑わなかったことだ。こういったとんでもない勘違い野郎のために、僕は「運よく刀を持っている時に遭遇したら首をはねる人間リスト」を作成した。

人格なき人間には、消えていただきたい(前編)

職業に貴賎なし、という言葉があるが、明らかに人格にはある。そんな人格がない人間が、僕は許せない。

無論、世には悪人など山ほどいる。しかし、シリアルキラーのような者はそもそも批判に晒されるので構っていない。僕が特別な嫌悪を感じるのは、人間としての最低限なモラルが欠けているくせに、のうのうと社会的な高い地位に居座っている野郎どもである。

その典型的な例が、あるできそこない弁護士だ

自己破産した者の弁護士になる資格とは

「永田町の常識は、世間の非常識」と良く言われるが、弁護士の世界の倫理観も世間からは理解されにくいところがあるのではないかと思う。

たとえば、自己破産が弁護士への道の妨げになるとは普通は考えないだろう。

でも米国のミネソタ州では、司法試験に合格したにもかかわらず自己破産した過去が問題視されて弁護士になれなかった人物がいる。

殺人を犯した者の弁護士になる資格とは

最近ある医学生から、「人身事故を起こすと医者になれなくなっちゃうので、自動車運転をしないんです」というような話を聞いた。

その時は、なるほど、生命を救うべき立場になる人が他人に害を与えてはいけないな、と納得したのだが、その後これが弁護士だったらどうだろうか、と改めて考えてみた。

人間誰しも悪意がなくても過ちを犯してしまう。良いことと思ってやったことが裏目に出たり、うっかりミスが数億円の損害につながったりする。自動車運転においては、赤信号を無視してきた車に突っ込んで相手の運転手を死なせてしまったりする。

そういった過失責任がなさそうな場合でさえも日本では医者になれなくなってしまうのか定かではないが、米国弁護士について言えば、殺人を犯した者でも弁護士への道が閉ざされてしまうわけではない。
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