2023年は、「生きること」の意義についてたくさん考えた年でした

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以下は今年のクリスマスカードに同封した手紙です。

本年も残すところわずかばかりとなりましたが、お元気にお過ごしでしょうか。

今年の春、母方の祖父が103歳で亡くなりました。偉大な人生を生きた祖父について書くことも考えたのですが、私は「死」というものが堪らなく苦手で、「死」について考えようとすると思考停止状態に陥ってしまいます。よって、今年は祖父の「死」についてではなく、自分の「生」に対する考えについて書くことにしました。

私は恵まれたことに、多くのことに関心を持つ性格に生まれたようです。ブログの執筆、小説の読書、映画の鑑賞、飛行機事故の検証といった趣味に加え、アメフト、投資、法律、政治、教育等にも関心があります。過去には家系図の作成やパズルの完成にはまっていたことがあり、最近は料理を少しするようになりました。

色々なことをやり、新しいことを発見していけばいくほど、つくづく人生とは面白いものだなと感慨深くなります 。私にとって、生きるということは何より楽しむことであり、私が「死」について考えたくないのは、「死」さえなければ、永遠と楽しみが続くと思っているからかもしれません。

もっとも、人生は単に楽しむだけでなく、有意義に生きることも重要です。

私は生きることの意義を、「自分がいることで世界が少しでもよくなっているか」を軸に判断するようにしています。「死」のことをまったく考えたくない私ですが、唯一日常的に「死」について考えるのは、自分の死後、残った人達に「ジョーという人間がいてよかった」と言われてもらえるような人生を全うできているか、と自問するときです。

今の自分にそれができているかと考えると、少なくとも仕事の面では、日本のDXを加速させるという国家規模のプロジェクトに携われることで、社会の進展に貢献できていると信じたいです。

社会に貢献する方法は限りなくありますが、願わくば、自分らしさを活かしてそれを実現したいものです。私には、日本とアメリカで生活した経験と法律家としての資格があります。周囲の人には、多趣味からくる知識と雑談で鍛えた話術もあると言われます。これらを活かす私ならではの貢献の仕方が、私にとって最も有意義な人生になるのだろうと思います。

それが何であるのか、正直、まだ見つけられている自信がありません。でも、見つけられるように、様々なことにチャレンジし、考え続けます。 「人生諦めたら終わり」と言う言葉が私は好きですが、何より諦めてはいけないのは、必ずあるはずの自分の居場所を探し続けることだと思っています。

2023年の私は、祖父の死をきっかけに生きることの意味についてたくさん考え、「死」のことを思い出した時には、相変わらず上達しない将棋で気を紛らわしました。2024年はもっと前向きな理由で自分のことを省みて、将棋で上達したいと思います。

それでは、どうぞ良い新年をお迎えください。

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