4週間の休暇って、実は気楽じゃない(後編)

前編から続く)

休暇の1週目は、やはりどうしても仕事のことが気になる。僕が休暇に入っていることをまだ知らない同僚の多くは、ガンガン連絡してきたり仕事を振ってきたりする。すべて1ヶ月間放置しちゃえばいい、と割り切れない小心者は、他人に仕事を投げることに追われる毎日になかなか気が休まらない。

本当に幸せになれるのは休暇2週目あたりからだ。その頃には僕がどうやら仕事をしていないということが周知されるようになり、仕事どころかメールさえも来なくなる。3週目に入ると職場としては僕は完全にいないものと認識されるので、僕としてもやっと将棋やら映画やら食事やらに没頭できる。これぞ天国だ。

しかし、そんな幸福感も4週目には消えてしまう。3週間も自由奔放に振る舞っていると、仕事のことが気になってきてしまうのだ。もちろん、それは職場はちゃんと回っているのか、という心配ではない。復帰しても職場に居場所はちゃんと残っているのか、という心配である。休暇さえも存分に楽しめないのが気が小さい者の宿命なのだ。

さらには、3週間も経つとさすがに周囲の目が厳しくなってくる。

ある年、例年通りに4週間の休みを取ることにしていたら、年明けに職場が異常に忙しくなり、上司から「いい加減、戻ってこい」と呼び出され、渋々と成人の日の翌日に復帰したことがある。

その日は僕にとって年初の出勤日。丁寧に同僚1人1人を回っては「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」と新年の挨拶をしたら、大半の人からは「世間はとっくに新年を迎えています」と嫌味たっぷりの返事を返され、同情を買うために「今週も休暇の予定だったんですけど、呼び戻されちゃいました」と自分の頑張りをアピールしても、「そろそろ働いて当たり前だと思います」とあしらわれてしまう始末だった。

こうした体験からも分かるように、4週間の休みを取るには常に自分の弱さと周囲の理解不足に挑み続ける必要があり、長期休暇というものは思いのほか辛いものなのだ。

 

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