人生で重要なのは、根拠のない自信と純粋な関心(後編)
(前編から続く)
塾時代、僕は常に最下位であった国語試験の結果について危機感を持ったことが一度もなかった。「周囲は所詮、僕と同様に米国生活が長すぎて日本語がおかしくなってきているエセ純ジャパばかり。最下位とはいえ、上位との差は20〜30点ぐらいだろう」とたかをくくっていたのだ。
それがとんでもない誤解だったことが判明したのは、つい最近だ。久しぶりに塾の友達と食事をしている時に学力テストの話を切り出したら、なんと、会話相手こそが最上位の人であった。しかも、なんと、いつも満点近かったらしい。
これは相当ショッキングな発見だった。彼女が渡米したのは僕のたった数ヶ月後。国語試験での80点の差は、日本での教育の長さでは説明がつかなく、明らかに能力の差から来るものだった。
中高時代にこの事実を突きつけられていたら、さすがの僕も自信を喪失していたかもしれない。しかし、当時の僕は敢えて現実に直視せず自信たっぷりでいて、その根拠皆無だった自信を維持できたからこそ、大学で文系の道を進み、法律家になれた。
そして、社会人になってからは、時には能力以上に関心が肝心だということを学んだ。
僕は前の職場で米国の本社から日本の支部に異動した経験があるが、その時に最も驚かされたのは、日本生まれ海外育ちという僕と似たような経歴を持った同僚の日本語の上手さだった。彼らの書くしっかりした長文メールを読んで、一体いつどこでどうやってそんな文章が書けるようになったのか、不思議で仕方がなかった。
しかし、それ以上に謎だったのは、言語で何の苦労もなさそうだった同僚の多くが、日本語を話し日本語を書くことがたまらなく嫌だったということだ。
帰国直後の僕は、電話で言葉が出てこない沈黙に気まずくなったり、3時間かけて書いたメールにダメ出しされたりと、悪戦苦闘していた。しかし、そもそも日本に戻ってきた理由が日本語を使える環境にいたかったからだったので、これが苦痛だとは一度も思わなかった。
日本語が話せない・書けない苦労を僕は1年で概ね克服した(と思いたい)が、日本語を話したくない・書きたくないと言っていた元同僚の多くはもう日本にいない。
僕が日本で法律家として活動し、「作文」と揶揄されながらもこのブログを継続できているのは、才能なんかなくても、それが純粋に楽しいと思えるので十分だからだろう。
好きこそ物の上手なれ、というやつですね。
1600字弱を10字に纏める国語力。お見事!