迷惑男佐久沼條治、ふたたび!(後編)
(前編から続く)
一緒に佐久沼の席に向かいながら、まさゆが軽い口調で話しかけてくる。根っこは陽気な若者なのである。
「左飛道先輩って、佐久沼先輩と一緒に仕事するようになって長いらしいですね」
「そうよ。入社してすぐあの人の下の配属になってから3年が経つ」と、忌々しい口調でレヌは答える。
「でも、佐久沼先輩って弁護士なんですよね。留学してる、って噂もあるし」
まさゆが大分誤解しているようなので、レヌは足を止めて言い聞かせる。
「これはいい社会勉強になるから教えてあげるわ。弁護士にもピンからキリまであって、あの人はキリにも入らないの。弁護士界に裏口入学してるんだから」
「えー、そんなこと可能なんですか」と、純粋なまさゆは信じられないようだ。
「時々、あの人、『あいつには弁護士でいる資格がない』とか、『こいつには地球にいる資格がない』とか偉そうに評論し始めるけど、最も資格がないのはあの人なの」
「はあ」
「で、留学とか聞こえはいいけど、あの人の場合、中学受験に失敗して浪人し、高校受験にも失敗して浪人し、日本の学校じゃ通用しないんで、アメリカの大学に行ったの。それも、スポーツしか取り柄のない大学に。間違いなく、大学ではなーんにも学んでないはずよ」
「そんなこと、あるんですね」
「で、自慢する割には英語も大してできないから。一人で海外旅行もできないんだから。あの人が米国でしたことは、拳銃を買うことぐらいよ」
「恐ろしいですね」
「ただのバカよ。いい、あの人の才能なんて、15時間ぶっ続けで口を動かしていられることだけ」
「はー」。レヌに喚き散らされて、まさゆは圧倒されたようである。
そんなまさゆを見て、レヌも落ち着きを取り戻した。
「そう、だからね、あの人を会社の先輩として尊敬する必要はないの。というか、仕事に関しては一切関心を示さない人だから、あの人の無駄話をすぐにでも終わらせたければ、法律の話を振ればいいわ」
「えー、そうなんですか」
「そうよ」と大きく頷いた時、レヌは自分が言ったことにとてつもない盲点があることに気付く。「あ、でもアメリカの憲法の話を振っちゃダメよ。法律でもそれだけは好きだから、話を始めると、13週間、3時間ずつ講義されちゃうわ」
「憲法の相談なんて、することないと思いますけどねー」と軽く流すまさゆを見て、この子はまだまだ佐久沼の危険さを理解していないのだと思った。
「そうよ、だから仕事に直接関係する話だけを振ればいいの、分かった?」と念を押しておく。
やがて佐久沼の席に着くと、佐久沼は自分と隣の席の椅子を並べて寝ている。どうやら、昼食後、本能赴くまま昼寝をとることにしたようだ。
困ったレヌが佐久沼の頭に目をやると、文庫本が5冊ほど、枕の代わりになっている。その一冊を引っこ抜こうとすると、まさゆが目を大きく広げたのが見えた。どうやら、何より睡眠を好む佐久沼の睡眠を妨げると、地雷レベルの爆発では済まないことをすでに把握しているらしい。
手を振りながら大丈夫と示して、思いっきり本一冊を抜くと、文庫の山が崩れ、ごん、と佐久沼の頭がぶつかる音がした。
「いい気味」と呟きながら抜いた文庫本の表紙に目をやると、案の定、赤川次郎である。
「レヌ、貴様ー」と激怒している佐久沼に対し、レヌは抜いた文庫本を見せ、にっこり笑いながら聞く。
「先輩、これ、今年何冊目の本なんですか」
「うん?」とすぐに機嫌を直したようである佐久沼は、「50冊目」と喜んだ顔で答える。
「そうなんですね。今年もノルマ達成ですね、おめでとうございます」
「ありがとう。今年も僕はエリート入りだね」
年間50冊本を読むとエリート、という、佐久沼の頭の中にはわけのわからない方式が存在する。
レヌからしたら、赤川次郎の本なんて1000冊読んでも何も残らないと思うが、とにかく大事ならずに佐久沼を起こせたことをよしとして、さっさと話題を変える。
「井馬くんの経費の清算についてなんですけど」
「あ、そう、それについてさっき井馬くんと話してたんだけど、話が終わる前にどっか行っちゃっうから。。。」
かわいそうなまさゆは、あれでも終わってなかったのか、という表情をしている。
「らしいですね。で、温野菜以外にも航空券があるんですけど」とレヌは続ける。
「あ、井馬くん、飛行機に乗ったの」と、急に目がキラキラし始めた佐久沼は、レヌの後ろに隠れてたまさゆに直接声をかける。
まさゆが真面目に回答しそうになったので、レヌは慌てて口を挟む。
「いや、そうなんですよ。たった1時間半の便だったんですけど、駄作映画を1本観て、だいぶ堪能できたそうです」
「そうか、1時間半じゃあまり楽しむ時間もないからね。次回は、もっと長く飛行機に乗ってられる出張に行くといいよ」
「彼もそうしたいと考えているようです」と、レヌは言う。何か言いたそうになったまさゆを制していたら、佐久沼が早口で喋り始めてしまった。
「飛行機といえば、さっきまですごい夢を見ててさー」
しまった、とレヌが思った時にはことは遅し。そこから1時間3分ほど、乗ってる飛行機がハイジャックされて、自分が着けてる二つの腕時計のうち一つをハイジャッカーに奪われた悪夢について淡々と説明されてしまった。
こんなマニアックな夢を見るのもこのバカだけだろう、とレヌは不覚にも感激してしまい、慌てて、今自分がしなければいけないのはこの話を終わらせることだということを思い出す。
さてどうしたものかと迷った挙句、レヌはいい手段を思いつく。
「そういえば、最近将棋はどうなってるんですか」
それまで佐久沼は、この夢を見たのはきっと時計を買うために宝くじを当てると最近誓ったからだ、などとはしゃいでいたが、将棋の話をするとすぐに乗ってきた。
「それがさー、ガンガン攻める将棋が僕は好きなんだけど、最近一緒に指してる人が全然違う性格でさー、なんか人生について色々考えさせられるんだよねー」
佐久沼のヘボ将棋から人生が悟れるとは到底思えないが、レヌとしては、彼が将棋でとことん負けて痛い目にさえあってくれていれば、どうでもいいことである。
その時、レヌがわざとらしく壁にかかってる時計に目をやると、期待どおり、佐久沼は時間に気付き、慌てだした。
「あ、そういえば僕、用事があってさ」と彼は言うが、その用事とは、小学生しかいない真昼間の将棋教室に通うことであることをレヌは知っている。
「そうなんですね。お忙しいようなので、井馬くんの経費はすべて承認していただいたということで、私の方で処理しておきます」
「うん、任せた」
まさゆは、佐久沼が慌ただしく出て行く姿を呆れて見ながら、ボソッと「寿司を奢る件はどうしたらいいんでしょう」と聞いてきた。
「そんなもの、どっかの刑務所の住所を渡して、ここでお待ちしていますって伝えておけばいいわ。いつか、刑務所の食事を食べたい、みたいなことを言ってたから」と、レヌは吐き捨てるように答えたのである。