瀬田博之さんへの追悼

この歳で、それも二週間という短い期間に、二カ国語で二度も哀悼の意を表す事になるとは夢にも思わなかった。命とは時にはとてつもなく脆いものである。

瀬田さんは僕の少年時代からの友人の大学の先輩であり、その友人を通して彼を知った。たったの二ヶ月前のことである。

とても短い間の付き合いだったのに、亡くなってもなお僕は瀬田さんを身近に感じる。それは我々の性格がとても似ていたこともあるだろうが、何よりも彼の明るい人柄が理由なのだろうと思う。

僕の友人は僕と瀬田さんの気が合いそうだと以前から考えていて、我々を紹介する機会を探っていたようだ。実際会ってみると瀬田さんは、バットマン最新作「ダークナイトライジング」で悪人だったベインのモノマネを同僚の前でして楽しむようなひょうきんな人で、初対面から好感と共感が持てた。

その反面、彼にはとても真面目な面もあった。保険関係の仕事をしていた彼は、ちょうど保険に関して情報を探していた僕にとって渡りに舟。この数週間、度々会ってもらっては日本の保険制度の話など、なかなか聞く機会がない話を聞かせてもらった。特殊な保険を探していた僕のために、同僚に尋ね回ってなんとか見つけた商品を、改めて面談までして紹介してくれるまめな人だった。最初に相談に乗ってもらったとき、近くのコーヒーショップが何処にあるのかをきちんと調べていた、そんな彼の姿が忘れられない。

瀬田さんとは会うたびに会話が弾んだ。これは、彼がとても経験豊富な人で、面白い話を聞かせてくれる人だったからだと思う。典型的な日本の企業に勤めた事もあれば、外資系企業で勤めた経験もある。大企業で働いたこともあれば、倒産した会社にいたこともある。何の計画もなしにニュージーランドに行って、自力で留学先を見つけ、英語を学び、一年間過ごした話を聞いたとき、石の橋さえ渡ろうとしない僕は「とても真似できない」と感激し、そして「彼のチャレンジャー精神を見習わなければ」と肝に銘じた。そう何度も彼の話を聞けた訳でもないのに、瀬田さんからは日本の社会について、そして人生についてたくさん学んだ。

気さくだった瀬田さんは、人脈はとても広かったようだ。僕が政治好きだと知るや、どういうつながりか、政治と選挙にどっぷり浸かっていて毎晩政治家と食事をしているような人を知ってるから、いつか一緒に飲みに行こう、と言ってくれた。次回会った時には「彼にはもう話をしてあるから」と知らせてくれるような、頼もしい人でもあった。

その翌週も飲み会に誘ってくれたのだが、遺憾な事に先約が入っていた僕は辞退した。「週末は予定が入りがちですけど、金曜の夜なら大体空いてますよ」と付け足したら、「そうか、ジョー君は通常は金曜日なら大丈夫なのか」と乗り気満々だった。以前から「安くてたくさん飲めるいい所を知っているんだよう、是非飲みにいこう」と言ってくれていたので、その企画をしようとしてくれていたのではないかと思う。

瀬田さんが亡くなった後お会いしたご家族は、瀬田さんは友人がとても多く、行動を起こすのが早かった、と彼について語られた。瀬田さんとは短期間の付き合いだったものの、僕が知った彼は正にそのような人だった。

2週間前、僕は最近付き合いが減ってしまった大学時代の友達を失った。そして今週、最近よく会っていた新しい友達を失った。

古い友情とこれからの友情のどちらを失う方がつらいのだろうか。

古い友達が亡くなくなると涙が止まらないほど悲しくなる反面、一緒に築いた、時に思い出しては笑える思い出が残る。友情2ヶ月では同じ悲しさを感じさせるには余りにも短く、その反対に新しい思い出を築く機会を失ってしまった無念と虚しさが残る。

瀬田さんを親しむようになり、尊敬するようになり、もっと知りたくなったこの数週間。たったの2ヶ月で僕にそう強く思わせる瀬田さんは、本当に偉大な人だった。

 

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