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数年後、そば好きの職場が変わりました。新しい職場はMinatoyaからだいぶ離れてしまいました。
するとそば好きは、Minatoya禁断症状にうなされるようになりました。我慢ができなくなると、2時間の昼休みを取ってMinatoyaに食べに行きました。そばを茹でてる人は、あまり来なくなったそば好きを心配そうにニコニコ笑いながら迎えてくれました。
そんなある朝、そば好きにMinatoya禁断症状と風邪の症状が同時に現れました。そば好きは、体調の大事をとるか腹具合の大事をとるか悩んだ挙句、体調の大事をとるという過ちを犯しました。
遠い昔、はるかかなたのどこかに、「島流しになったら持ち込みたい食べ物は何?」と聞かれると、「そば」と即答できるほどのそば好きがいました。
このそば好きは、赤の他人の選挙を手伝うために全国を回っては、そば屋に入ってもりそばばかり食べていました。そば好きにはそばに対する相当なこだわりがあったので、そば好きが「このそばはうまい」と思うことは滅多にありませんでした。ましてや、「このそばをまた食べたい」と思うことは稀でした。
さらには僕は、過去、現在、そして将来の収入と出費についても心配している。
収入については、社会人になってから今まで毎年いくらの所得があったか概ね覚えており、将来の収入についても関心が高いので、夏と年末は大口宝くじを必ず購入している。
出費については、家計簿をつけているので月の単位で出せる。コロナ禍で会食を避け趣味も追求できなくなりノイローゼ気味になったが、その反面、月々の出費を30%〜40%削減できたことはなんとも喜ばしいことだ。
僕は金の亡者である。
実は、映画より、飛行機より、そして将棋より、金が好きである。
僕の金に対する執着は、通帳を眺めてはニヤニヤしていた子供の頃から、一向に変わらない。
二千円札を持ち歩いていると色々な所で面白い経験が出来る。一番笑えるのがお釣りの勘定で店の人が混乱してしまうこと。二千円札に対するお釣りは通常ではあり得ない金額であるため、突拍子もないお釣りが戻ってくる。
例えばこの前旅行先でお土産を買った時。僕は57円の豆腐も平気で二千円札を使って購買するのだから、当然の事ながら2400円弱の支払いに対し二千円札2枚を出した。店の人、「はい4千円ね」と言いながら受け取ってるのにもかかわらず、店の奥に行き千円札を4枚持ち出し、その上に小銭を乗せて僕にお釣りとして差し出した。「差し上げたのは4000円でしたけれど」と指摘したのだが、状況を把握するまでさらにたっぷり15秒はかかった。こういう事がよくあると事前に父に話していたのだが、実際に目撃するまでは信じられず、このやり取りの間ずっと笑いをかみ殺していた。
日本に来て早くも9ヶ月。その9ヶ月間の大半、僕はタクシーの運ちゃん達と戦争を繰り広げていた。
イザコザの発端は料金の支払い方法。米国ではカード使用が浸透していることもあって、僕は原則として10ドル以上の買い物はカードで済ませていた。朝食代わりのオレンジジュースの1ドルもカードに付ける程だったので、オフィスからアパートまで10分のタクシー料金12ドルも当然のようにカードで支払っていた。ニューヨークのタクシーは運転手にカードを渡さず自分で機械にカードを通せば良かったので、なおさらカードが使いやすかった。
日本に来てもニューヨークからのカード生活の習慣がなかなか抜けない。東京のタクシーは初乗りが710円である為、タクシーに乗車した時点で既に「カード金額」である10ドルを超えつつある。しかし、さすがに1000円未満でカードを使うのには気が引けるし、わざわざ運転手にでかい機械を取り出させてカードを使うのには時間かかり面倒である為、1200円ぐらいをカード使用金額の目安にしていた。