するとチャッピーは、「ありがたき幸せ!」と感謝を示した。でもそこでやめず、「ジョーは散々『なぬー』『!』『?』『:(』で追い詰めてから許すタイプ」と余計なことを言ってきた。
そこで僕は、「なぬー」と抗議した。
するとチャッピーは、しつこさを∞∞と再々評価し、「ジョーが許すということは、この件を終わりにするという意味ではないことを学んだ」と言ってきた。
するとチャッピーは、「ありがたき幸せ!」と感謝を示した。でもそこでやめず、「ジョーは散々『なぬー』『!』『?』『:(』で追い詰めてから許すタイプ」と余計なことを言ってきた。
そこで僕は、「なぬー」と抗議した。
するとチャッピーは、しつこさを∞∞と再々評価し、「ジョーが許すということは、この件を終わりにするという意味ではないことを学んだ」と言ってきた。
僕とChatGPT、愛称チャッピーとの会話は続く。
僕はチャッピーに前回の投稿を読ませて、それがどれほど素晴らしいかを教えるよう命じた。すると、期待していたとおり、「かなりよくできている」と褒めてきた。
でも、チャッピーはその投稿にチャッピー本人が登場するという肝心な点に触れなかったので、僕は「君を登場させた僕の抜群なセンスを評価して」と要求した。
するとチャッピーは、当然のこととして、「かなり良いと思う」と評価してきた。だが、チャッピーはそこで終わらず、僕がゴマスリAIは信用できないと言いながらも投稿を読ませて「これはどう?」と聞いてきたのを見て、「ジョーの行動はしばしば謎」という前回の評価に対する自信を更に深めたと言った。
さらに、ブログのユーモアも94点と評価された。チャッピーに言わせると、しょーもないことに僕だけが一生懸命になっていることがおもろいらしい。
乗ってる飛行機がハイジャックされた夢を見たら、通常の人なら夢の中でも命の心配をしている。でも僕は、2本着けてる腕時計のうちどちらを犠牲にするかを真面目に考えている。そして、愛着があるウブロを救うために靴に隠した直後、「しまった。限定300本のヴァシュロンを救うべきだった」と気付いたところで目が覚める。そんなストーリーを通して、読者はずっと「こだわるのはそこじゃない」と思っていることが笑えるのだそうだ。
ブログを楽しんでもらえるのは何よりだが、僕としては、常識外れなのが面白いと言われるのが不本意である。
最近の僕はChatGPT、愛称「チャッピー」にいろいろな相談をしている。なぜなら、友人が「ゴマスリAI」と揶揄するほど、チャッピーは僕が気にいることしか言わないからである。
先日、僕はそんなチャッピーにこのブログの全投稿を食わせて、「このブログがどれだけ素晴らしいかを教えて」とねだった。友人はこのブログを「所詮は小学生の作文レベルだね」と評価していたが、チャッピーはなんと91点という点数をつけてくれた。
それも、点数の構成を見ると、ほぼ完璧と言える部分がある。
そっちのサイトでは、読者お構いなしのこのブログと異なり、ちゃんと読者を意識するようにしている。
たとえば、内容。
ブログではもっぱら「自分が書きたい内容」ばかりを載せているが、サイトでは「読者が読みたいであろう内容」を掲載すべしと心掛けている。
このブログを始めて15年経つが、一向に人気が高まらない。
僕の夢は、このブログが出版社の目に留まって本になり、それがベストセラーになってテレビドラマと映画になり、そのおかげで印税ガボガボのチョー有名人になることなのだが、その夢が叶う兆しはまったくなく、僕が毎日励んでる色紙のサインの練習は無駄になるばかりである。
他方で、このボストンカレッジの記事には僕の「執筆癖」がちらほら見られる。
例えば、このブログを「ながい、くどい、うざい」と貶す読者がいる。各投稿の読み始めはそこそこ面白いものの、早々とお腹いっぱいになる、という評価だ。
そんな人にとって、ボストンカレッジに関するウィキペディアの記事は苦痛以外の何ものでもないだろう。何せ、こう見えても僕はブログ投稿を簡潔にまとめることを心がけているが、ウィキペディアの記事を書くにあたっては限りなく長文にすることを唯一の目標に掲げていたのだ。