10代のバイト、貴重な人生勉強(後編)
(前編から続く)
世間知らずの僕でさえも採用してくれる企業だったから、バイトの初日は研修から始まった。
研修の講師は気さくなおばちゃんで、そんな彼女に教わった一つが、会計を終わらせる前にカゴに商品が残ってないかを確認することの重要性だ。「カゴに残った商品の代金を回収しないことによる損害がバカにならないの」と説明しながら、「我が社の業績は厳しいからね…」と補足していた彼女の言葉が今でも忘れられない。大企業でも経営の不振が現場の人に影響を及ぼすのを目の当たりにしたこの瞬間は、当時でもとても感慨深かった。
研修をしてくれたこのおばちゃん、僕がバイトで軌道に乗り始めた数週間後に来店した際に、僕がレジ打ちをしていた列にわざわざ並んでくれて、「元気そうにやってるんでなによりだわ」と励ましてくれたのがなにより嬉しかった。そんな思いやりを示してくれたのは彼女だけでなく、他のバイト仲間も、いつまでたっても野菜の値段を覚えられない僕に、覚え方のコツを教えてくれた。職場でのありがたみは思いやりから生まれるものなのだと植えつけてくれたのは、当時の同僚達だ。
こうしていろいろな学びがあった初のバイトだが、なにより得たものは、自信と安心である。
当時の僕は、勤勉かつ丁寧に、効率よく仕事を進めていくことぐらいしか能がなかったが、世の中にはこれさえもできない人が少なからずいるということが、まだ高校生であった僕には大きなびっくりであった。引き継ぎが休憩から戻ってこないせいで定時に上がれない。レジ打ちとサッカーがぺちゃくちゃ喋ってるせいで列が滞る。サッカーが重い物は下に詰めるという常識を分かってないせいで客が激怒する。
こんな人たちと2ヶ月間程一緒に仕事をして確信したのは、僕の人生がどう転んでも、こういう人たちが世の中にいる限り、僕は自分の性格と努力だけで生計を立てていくことができるだろう、ということだった。
その後、僕は大学を卒業し、専門家の世界に入り、企業に勤め、秀才に囲まれることが多くなり、自分の能力の限界に悲観することが増えた。
その都度、僕が思い出すようにしているのが、最初のバイトで知った世間の実状である。
上には上があるが、下の層もだいぶ厚い。