投票率なんかより肝心なことがある(後編)
(前編から続く)
日本と米国で根本的に違うのは、投票率ではなく、日常における政治への身近さだ。
米国では、中学時代に国会議員に手紙を書いて返事をもらい、高校時代に国会議員の地元事務所でインターンをし、大学時代に徹夜で政治を議論し、大学院時代に選挙ボランティアを経験した、という人がざらといる。
果たして、これを一つでも経験したことがある日本人がどれほどいるか。
この国の政治に関する一番の問題は、投票することが国民の政治に対する責任、と考えている人が大半を占めていることだ。
これほど無責任な考えはない。
政治を政治家に丸投げし、思った通りにいかなかったら、愚痴を言う。これは、「何が食べたい」と聞かれて「何でもいい」と答えておきながら、実際に食卓に出されたものをみて、「これは嫌い」と駄々をこねる子供に等しい。
民主主義国家において「あなたが政治を変えられる」と言うのは正しい。だが、変化を起こすのは「あなたの一票」ではなく、政治を自分のものとして自ら責任を負う姿勢だ。
まずは、政治家一人の話をしっかり聞いて、その人の人柄と政策を学ぶ。
そして、他の政治家の人柄を政策を学んで、応援する政治家を見つける。
応援する政治家を見つけたら、政治家の選挙を手伝う。
政治家の選挙を手伝うことにより、一票ずつ積み重ねていく大変さを知る。
選挙の大変さを知って、それでも政治家になろうと思う人に期待を寄せる。
期待を寄せた政治家を尊敬するようになって、紆余曲折を経ながらも実績を重ねていくのを見守る。
政治家を見守るにつれて、政治に希望を持つようになる。
政治に希望を持つようになり、自分も社会を変えていきたいと考えるようになる。
自分も社会を変えていきたいと考えるようになり、自らも政治家を目指す。
自ら政治家を目指し、首長や大臣になって地元や国を変えていく。
こんなことは北朝鮮や中国では実現できないが、日本でならできる。
だからこそ、日本は民主主義国家なのだ。「投票によって国を変えられるから」ではない。
議論されるべき論点は、投票云々以前に、「日本人はなぜ選挙の時しか政治に触れないのか」なのだ。